駒井哲郎(1920~1976年 享年56)と日和崎尊夫(1941~1992年 享年50)、年令はふた回りほど違いますが、日本の現代版画を牽引した優れた版画家でした。
駒井哲郎は早くから銅版画一筋に歩み始め「銅版画の詩人」と謳われました。
片や日和崎尊夫は埋もれていた技法ともいうべき木口木版を現代に蘇らせ、没後の回顧展のタイトルには「闇を刻む詩人」と冠されました。
ともに詩人的資質をもった作家であり、小さな画面に抒情あふれる心象風景を刻み続け、短い生涯に多くのことを成し遂げ、ともに50代の若さで逝ってしまいました。
私たちは生前のお二人を知り、作品の扱いも多いのですが、本日ご紹介する2作品だけは今までほとんど扱ったことはありません。
端的に言うと、市場にはめったに出てこない。
この2作品、いくつか共通点があります。
共通点1)ともに生涯の全作品の中では異例な大判作品です。
共通点2)ともに同時期の作品であり、制作数も210部(200+作家エプルーブ分)です。
駒井哲郎「大きな樹」
(発表時のタイトルは「樹木」)
1971年
銅版(エッチング)
イメージサイズ:44.5×32.8cm
シートサイズ:63.2×45.2cm
Ed.210 signed
※レゾネNo.288(美術出版社)
日和崎尊夫「ピエロ」
1973年
木口木版、板目木版(多色)
イメージサイズ:27.0×33.5cm
シートサイズ:39.0×50.9cm
Ed.200 signed
※レゾネNo.352
2点とも部数は多いし、希少作品とはいえません。
代表作でもないし、200部も刷ったのだから市場にたまに出てきてもいいはずなのにほとんど出てこない。
種明かしは額の裏に貼られたシールです。
駒井哲郎作品のシール
日和崎尊夫作品のシール
このシールを見て、「ああこれは」と頷く人は、1970年代の「版画の時代」に業界にいた人でしょう。
1970代には、版画の時代を反映して、画廊以外の「版画の版元」が雨後の筍のごとく輩出しました。
亭主が主宰した現代版画センターもその一つですし、「版画友の会」を引き継いだプリントアートセンター、フジ美術、内装業の最大手・乃村工藝社がつくった乃村マルチプルアートセンター、大月版画などなど。
そしてブリヂストン(当時は「ブリヂストンタイヤ株式会社」)です。
共通点3)上の2点はブリヂストンが版元としてエディションした作品です。
亭主の記憶だと、ブリヂストンが版画の版元として活動したのはごく短期間でした。大企業ですから資本は贅沢で、当時の第一線の版画家を口説いて、かなりのラインナップでエディションを発表しました。そのエディションが各200部です。大きさも全部そろえたらしい(額も自前です、というか額のサイズにあわせてエディションしたようなものですね)。
だから、駒井先生も日和崎先生も無理して大きな作品を作らざるを得なかった。日和崎作品にいたっては、過去の作品の版木をそのまま使ってコラージュしたような作品になっている(手抜きとはいいませんが・・・)。
ブリヂストン美術館の当時の学芸員さんたちが作家の選定に関わったかどうかはわかりませんが、十分にありうる話だとは思います。
ブリヂストンが異色だったのは、その販売方法です。
私たちを含め多くの版元たちは、エディションした版画作品を既存のルート(コレクター組織、画商、デパート)で頒布したのに対し、ブリヂストンはそういう既存の美術業界にはタッチせず、自前の販売組織で売ろうとしたことでした。
これも亭主のおぼろげな記憶なのですが、ブリヂストンは傘下の布団屋さんのルートで頒布したらしい。あまり順調とはいえなかったようで(だから直ぐに止めてしまった)、布団屋さんも苦労したと思います。
売ったルートがルートなので、以来ブリヂストンのエディションが世に出てくることはめったにない。
版画の専門誌や、70年代の版画を回顧する美術館の展覧会カタログなどによく「版画年表」が掲載されていますが、亭主の見た限り、ブリヂストンの名はどこにも記録されていません。
忘れられてしまった版元です。
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
駒井哲郎は早くから銅版画一筋に歩み始め「銅版画の詩人」と謳われました。
片や日和崎尊夫は埋もれていた技法ともいうべき木口木版を現代に蘇らせ、没後の回顧展のタイトルには「闇を刻む詩人」と冠されました。
ともに詩人的資質をもった作家であり、小さな画面に抒情あふれる心象風景を刻み続け、短い生涯に多くのことを成し遂げ、ともに50代の若さで逝ってしまいました。
私たちは生前のお二人を知り、作品の扱いも多いのですが、本日ご紹介する2作品だけは今までほとんど扱ったことはありません。
端的に言うと、市場にはめったに出てこない。
この2作品、いくつか共通点があります。
共通点1)ともに生涯の全作品の中では異例な大判作品です。
共通点2)ともに同時期の作品であり、制作数も210部(200+作家エプルーブ分)です。
駒井哲郎「大きな樹」(発表時のタイトルは「樹木」)
1971年
銅版(エッチング)
イメージサイズ:44.5×32.8cm
シートサイズ:63.2×45.2cm
Ed.210 signed
※レゾネNo.288(美術出版社)
日和崎尊夫「ピエロ」1973年
木口木版、板目木版(多色)
イメージサイズ:27.0×33.5cm
シートサイズ:39.0×50.9cm
Ed.200 signed
※レゾネNo.352
2点とも部数は多いし、希少作品とはいえません。
代表作でもないし、200部も刷ったのだから市場にたまに出てきてもいいはずなのにほとんど出てこない。
種明かしは額の裏に貼られたシールです。
駒井哲郎作品のシール
日和崎尊夫作品のシールこのシールを見て、「ああこれは」と頷く人は、1970年代の「版画の時代」に業界にいた人でしょう。
1970代には、版画の時代を反映して、画廊以外の「版画の版元」が雨後の筍のごとく輩出しました。
亭主が主宰した現代版画センターもその一つですし、「版画友の会」を引き継いだプリントアートセンター、フジ美術、内装業の最大手・乃村工藝社がつくった乃村マルチプルアートセンター、大月版画などなど。
そしてブリヂストン(当時は「ブリヂストンタイヤ株式会社」)です。
共通点3)上の2点はブリヂストンが版元としてエディションした作品です。
亭主の記憶だと、ブリヂストンが版画の版元として活動したのはごく短期間でした。大企業ですから資本は贅沢で、当時の第一線の版画家を口説いて、かなりのラインナップでエディションを発表しました。そのエディションが各200部です。大きさも全部そろえたらしい(額も自前です、というか額のサイズにあわせてエディションしたようなものですね)。
だから、駒井先生も日和崎先生も無理して大きな作品を作らざるを得なかった。日和崎作品にいたっては、過去の作品の版木をそのまま使ってコラージュしたような作品になっている(手抜きとはいいませんが・・・)。
ブリヂストン美術館の当時の学芸員さんたちが作家の選定に関わったかどうかはわかりませんが、十分にありうる話だとは思います。
ブリヂストンが異色だったのは、その販売方法です。
私たちを含め多くの版元たちは、エディションした版画作品を既存のルート(コレクター組織、画商、デパート)で頒布したのに対し、ブリヂストンはそういう既存の美術業界にはタッチせず、自前の販売組織で売ろうとしたことでした。
これも亭主のおぼろげな記憶なのですが、ブリヂストンは傘下の布団屋さんのルートで頒布したらしい。あまり順調とはいえなかったようで(だから直ぐに止めてしまった)、布団屋さんも苦労したと思います。
売ったルートがルートなので、以来ブリヂストンのエディションが世に出てくることはめったにない。
版画の専門誌や、70年代の版画を回顧する美術館の展覧会カタログなどによく「版画年表」が掲載されていますが、亭主の見た限り、ブリヂストンの名はどこにも記録されていません。
忘れられてしまった版元です。
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