森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」第7回
ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
ヘアヌード解禁前夜の1991年のこと。「月刊PLAYBOY」(集英社刊)にて4月、五味彬は「Yellows」の連載を開始したが数号で連載中止の憂き目にあう。これは同期に発売された篠山紀信「樋口可南子 Water Fruit」、本邦初ヘアヌード写真集の余波を複雑に受けての結果だったと五味自身は回想している。しかし、同年末には マガジンハウスより写真集「Yellows」が出版されることになった。初版3000部が完成したが、配本段階で突然中止。すべてが断裁処分されるという事件が起こっている。マガジンハウス上層部の判断だった。
『ときの忘れものアーカイブス vol.1 五味彬 Yellows』(特装版)
2008年
ときの忘れもの刊
限定175部
「Yellows」を撮り始めた動機を五味は次のようにいう。
「世紀末の日本人の体型がどうだったのかという記録として1989年に娘が生まれる時、娘に残せるものはないかと撮り始めた作品です。母は原宿で小さな店をやっていた。土地柄ファッションデザイナー、カメラマンなど業界の人が多いので、僕は宣伝のため毎月仕事で撮ったファッション誌を母の店に置いていた。
母はそれを見るたびに「お前はなぜ外人さんしか撮らないんだい? 竹下通りの女の子たちは背も高くて、手足も長いしお母さんたちと違って外人さんみたいだよ」。そうだ、今の日本人の体型を記録しておけば娘がおばちゃんになった時大きな価値が出る」。
89年の「BRUTUS」誌上で村上麗奈と小森愛ヌードを撮影・掲載。五味は100人のイエローズを撮影し終えてから出版を考えていたのだが、91年半ばには53人しか撮影していなかったという。だが、その母が末期がんに侵されており、余命3か月の宣告を受けていたため、せめて母の存命中にと、そのシリーズを出版しようとしたのだ。ところが、ヘアが引っかかりマガジンハウス幹部の判断で印刷後の土壇場で出版中止に追い込まれた。1991年、へアヌード解禁前夜の混乱ぶりがよくあらわれている一幕である。
五味のもとに印刷製本された同写真集見本が届いたのは母が亡くなって6日後だったという。
五味彬 「Yellows」より
五味彬
"25P AC・ACB 1991年"
1991年
Vintage Gelatin Silver Print
107.5x170.0cm
サインあり
五味彬
《Shinc Yellows 01》
1990.
Vintage Gelatin Silver Print
22.2x18.2cm
サインあり
作品内容に関しては、「写真を見てまず感じる「懐かしさ」は、ヌードというジャンルの「記録」性をよく示している。モデルの体型や髪型、さらにたとえば眉毛や体毛の処理にあらわれている微妙な違和感、さらに彼女たちを取り巻いている空気感としかいいようのないものの違いが、1990年前後という時代のイコンとなっているのだ。当時この作品を見た時に感じた生々しさがきれいに削ぎ落とされ、西欧社会とは異質の慎ましやかさ、きめ細かさを持つ「日本人(Yellows)の裸」というもっと抽象的な概念が浮かび上がってきているのが興味深かった。」(飯沢耕太郎 artscape 2009/08/14)というのがよく表している。
五味の作品はちょうどスーパーリアリズムの代表作家、チャック・クロースの絵画のようにある客観性を持って並列的に制作されてもいて、冷めた知性を感じさせる。結果、93年に五味は100人を撮り終え、「Yellows 2.0」としてCD-ROMで出版した。
ここで、いわゆる「わいせつ罪」をおさらいしてみたい。
「公然とわいせつな行為をした者は、6カ月以下の懲役若しくは30万以下の罰金又は拘留若しくは科料に処す。公然=わいせつ行為を不特定または多数人が認識できる状態をいう。わいせつな行為=徒らに性欲を興奮または刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する行為。」(刑法174条、公然わいせつ罪)
「わいせつな文章、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布、販売、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらを所持した者も同様とする。」(刑法175条、わいせつ物頒布等)
175条は174条よりも重い。その中味は、わいせつ物頒布罪、わいせつ物販売罪、わいせつ物公然陳列罪、わいせつ物販売目的所持罪、と分けられる。
よってヘアを晒すことがわいせつなのか否かが法的に争われるし、時代によって解釈も異なってくるはずなのだ。1991年、篠山紀信の樋口可南子、そして同年秋、決定的だった宮沢りえ「サンタ・フェ」(朝日出版社刊)の出版で事実上のヘア解禁、すなわちヘア露出まではわいせつではない、といった状況に相成った。
宮沢りえ写真集「サンタ・フェ」
1991年
撮影:篠山紀信
朝日出版社刊
80年代より荒木経惟の写真集にはときたまヘアが写ってはいた。荒木は「八紘一宇」で再注目された現・参議院議員、三原じゅん子のヘアヌードも撮影している(*「Junco」94年7月、KKベストセラーズ刊)。ヘア=性器の一部として規制していたがその解釈が崩れた。りえ以降怒涛のヘアヌードブームが到来した。大物アイドルがいつ脱ぐか。ちなみに筆者も出版プロデュースにかかわっていた時期もあって、1994年松田聖子に話を持ち掛けたことがあった。松田聖子は一時この仕事を了解したのだが一週間後にキャンセルしてきた。契約金はここでは書かないがかなりの額だったが、いとも簡単に彼女の美意識からの事情で断ってきた。もう時効なので明かしてもいいだろう。また、三原じゅん子の二番煎じはポスト百恵アイドル戦争のライバルとしてはプライドが許さなかったのだと思う。そのとき私は「松田聖子-Barcode」という作品を作っている。真正の「資本主義的アイドル」というコンセプトだ。
97年には当時二十歳の菅野美穂もヘアヌード写真集を出して世間は騒然とした(*「NUDITY」1997年8月 撮影:宮沢正明 インディペンデンス刊)。
森下泰輔
「松田聖子- Barcode」
1995
松田聖子から届いた年賀状にBarcode
透明スリーブ
年賀状画像撮影:篠山紀信
菅野美穂写真集「NUDITY」
1997年8月
撮影:宮沢正明
インディペンデンス刊
1992年「写 狂人日記」エッグギャラリー(東京)でアラーキーこと荒木経惟が局部フォトを展示し問題になった。女性性器が写っていた作品8点が、わいせつ図画公然陳列の疑いで警視庁により押収、事情徴収、書類送検され、罰金刑を受けたのだ。翌年、パルコギャラリー「エロトス」(*「エロス」と「タナトス」の合成語)展ではヨーロッパ巡回展「AKT-TOKYO 1971-1991 Austria」図録を販売したかどでギャラリー担当者が逮捕されている。荒木自身は1970年の初期から「カルメンマリーの真相」など陰部をクローズアップにした作品を制作し続けているが。
「『これはどうなんだ?』っていわれたら、『ウン、ワイセツです』っていうしかない(笑)。オレはそれを芸術だとはいわないよ。それはワイセツで女陰が写ってるスケベな写真なんだけど、それをはずすとわたしの写真の全体が、例えばアートとかさ、写真ということに近づかないんだよ。全体の流れ、まとまりとしてみせてるものをね、中から抜き出してどうだこうだっていうほうがワイセツ行為(笑)」。このように開き直れるのは荒木経惟ならではだろう。
荒木経惟
"AKT-TOKYO 1971-1991 Austria 1992 Documents"
1992
Photobook
荒木経惟
AKT-TOKYO、
オーストリアでの展示風景(部分)
ここにおいてことは1962年の連載第一回目で述べた吉岡康弘の性器写真の次元にまた舞戻ったのだが、30年間法的解釈は何の変化もないばかりか、昨年7月「改正児童ポルノ法」が施行されたことでますますエロスの水際は規制されてきたといえる。昨年9月1日には児童ポルノ「単純所持」で全国初の逮捕者が出た。沖縄でネットからダウンロードしたという女児の全裸データを携帯電話内に所持した容疑で摘発されている。
ここで激しく抵触するのが前出の宮沢りえ問題だ。国会答弁中、これに関してある自民党議員はこんなことをいっている(*「衆院法務委員会」児ポ法改正審議 2009年6月26日で)。
「映画、出版物、大女優だろうと関係ない、今までの映画も本も写真も18歳以下のヌードなら全部捨てるように」 、「宮沢りえのサンタ・フェでも、法改正後は捨てないと逮捕する」、「宮沢りえのサンタ・フェは見たことがないが、規制する」、「過去作品のどれが児童ポルノかどうかは政府が調査して教えてくれるはず」、「顔が幼くて制服を着ていれば児童ポルノだと判断される」
宮沢りえの肉体は芸術ではなく、わいせつだというのだ。こんな美意識では芸術が成り立つわけがない。宮沢りえの「サンタ・フェ」で逮捕というならほとんどなんでも逮捕じゃないのか。別件容疑で家宅捜査が入って「サンタ・フェ」が出てくれば別件逮捕、ちょっといきすぎの感もある。
宮沢りえ「サンタフェ持ってると逮捕?」
日刊スポーツ2015年8月17日
第23面
つまり広義には「ロリコン文化自体がわいせつ」ということなので、AKIBA文化、おたく文化を掲げるクールジャパンの国策と大矛盾する。おそらく、ロリコン系アート全般も打撃を受けることになる。この調子では、そのうちオールコスプレもヘタをするとできなくなるのではないか?
このことは大正デモクラシーや前衛芸術が昭和をむかえ急速に抑圧されて軍国主義・帝国主義化していった過程を連想させる。権力が施策で抑圧すると日本人というのは「見ざる、言わざる・・・」を決め込み、飼いならされた羊のように従属した。
近未来、いまよりも軍国化し、政府はロリコン、おたく系アートをナチではないが「退廃芸術」と抑圧・排除し写実アカデミズムを奨励する、あげく翼賛的リアリズムを是とするという展開にならなければいいのだが。
そのときは球体関節系の幼い裸人形はアウトかもしれない。新生・日展なんかは真っ先に少女っぽいヌード作を取らなくなるだろう。ゆくゆくはユルキャラも戦意喪失させるのでダメ、サブカル系文化人も排除という図式になりかねない危惧を予感する。
大体裸体像をみて、「大人っぽいか、少女っぽいか」などというのは主観だろうに。また、「わいせつか、芸術か」も主観だ。アートに無知な審議会が多数決で芸術か否かの判断をくだそうとでもいうのか(そういうことになる)。そこではジェンダーやフェミニズムアートが利用されるかもしれないのだ。
「わいせつか、芸術か」をめぐりアートと権力のせめぎあいは今後もえんえんと続いていくのだろう。(敬称略)
(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。
●今日のお勧め作品は、五味彬です。
五味彬
「村上麗奈 CP vintage 1989-6」
1989年
ヴィンテージ・ゼラチンシルバープリント
14.2x10.8cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
ヘアヌード解禁前夜の1991年のこと。「月刊PLAYBOY」(集英社刊)にて4月、五味彬は「Yellows」の連載を開始したが数号で連載中止の憂き目にあう。これは同期に発売された篠山紀信「樋口可南子 Water Fruit」、本邦初ヘアヌード写真集の余波を複雑に受けての結果だったと五味自身は回想している。しかし、同年末には マガジンハウスより写真集「Yellows」が出版されることになった。初版3000部が完成したが、配本段階で突然中止。すべてが断裁処分されるという事件が起こっている。マガジンハウス上層部の判断だった。
『ときの忘れものアーカイブス vol.1 五味彬 Yellows』(特装版) 2008年
ときの忘れもの刊
限定175部
「Yellows」を撮り始めた動機を五味は次のようにいう。
「世紀末の日本人の体型がどうだったのかという記録として1989年に娘が生まれる時、娘に残せるものはないかと撮り始めた作品です。母は原宿で小さな店をやっていた。土地柄ファッションデザイナー、カメラマンなど業界の人が多いので、僕は宣伝のため毎月仕事で撮ったファッション誌を母の店に置いていた。
母はそれを見るたびに「お前はなぜ外人さんしか撮らないんだい? 竹下通りの女の子たちは背も高くて、手足も長いしお母さんたちと違って外人さんみたいだよ」。そうだ、今の日本人の体型を記録しておけば娘がおばちゃんになった時大きな価値が出る」。
89年の「BRUTUS」誌上で村上麗奈と小森愛ヌードを撮影・掲載。五味は100人のイエローズを撮影し終えてから出版を考えていたのだが、91年半ばには53人しか撮影していなかったという。だが、その母が末期がんに侵されており、余命3か月の宣告を受けていたため、せめて母の存命中にと、そのシリーズを出版しようとしたのだ。ところが、ヘアが引っかかりマガジンハウス幹部の判断で印刷後の土壇場で出版中止に追い込まれた。1991年、へアヌード解禁前夜の混乱ぶりがよくあらわれている一幕である。
五味のもとに印刷製本された同写真集見本が届いたのは母が亡くなって6日後だったという。
五味彬 「Yellows」より
五味彬 "25P AC・ACB 1991年"
1991年
Vintage Gelatin Silver Print
107.5x170.0cm
サインあり
五味彬 《Shinc Yellows 01》
1990.
Vintage Gelatin Silver Print
22.2x18.2cm
サインあり
作品内容に関しては、「写真を見てまず感じる「懐かしさ」は、ヌードというジャンルの「記録」性をよく示している。モデルの体型や髪型、さらにたとえば眉毛や体毛の処理にあらわれている微妙な違和感、さらに彼女たちを取り巻いている空気感としかいいようのないものの違いが、1990年前後という時代のイコンとなっているのだ。当時この作品を見た時に感じた生々しさがきれいに削ぎ落とされ、西欧社会とは異質の慎ましやかさ、きめ細かさを持つ「日本人(Yellows)の裸」というもっと抽象的な概念が浮かび上がってきているのが興味深かった。」(飯沢耕太郎 artscape 2009/08/14)というのがよく表している。
五味の作品はちょうどスーパーリアリズムの代表作家、チャック・クロースの絵画のようにある客観性を持って並列的に制作されてもいて、冷めた知性を感じさせる。結果、93年に五味は100人を撮り終え、「Yellows 2.0」としてCD-ROMで出版した。
ここで、いわゆる「わいせつ罪」をおさらいしてみたい。
「公然とわいせつな行為をした者は、6カ月以下の懲役若しくは30万以下の罰金又は拘留若しくは科料に処す。公然=わいせつ行為を不特定または多数人が認識できる状態をいう。わいせつな行為=徒らに性欲を興奮または刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する行為。」(刑法174条、公然わいせつ罪)
「わいせつな文章、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布、販売、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらを所持した者も同様とする。」(刑法175条、わいせつ物頒布等)
175条は174条よりも重い。その中味は、わいせつ物頒布罪、わいせつ物販売罪、わいせつ物公然陳列罪、わいせつ物販売目的所持罪、と分けられる。
よってヘアを晒すことがわいせつなのか否かが法的に争われるし、時代によって解釈も異なってくるはずなのだ。1991年、篠山紀信の樋口可南子、そして同年秋、決定的だった宮沢りえ「サンタ・フェ」(朝日出版社刊)の出版で事実上のヘア解禁、すなわちヘア露出まではわいせつではない、といった状況に相成った。
宮沢りえ写真集「サンタ・フェ」1991年
撮影:篠山紀信
朝日出版社刊
80年代より荒木経惟の写真集にはときたまヘアが写ってはいた。荒木は「八紘一宇」で再注目された現・参議院議員、三原じゅん子のヘアヌードも撮影している(*「Junco」94年7月、KKベストセラーズ刊)。ヘア=性器の一部として規制していたがその解釈が崩れた。りえ以降怒涛のヘアヌードブームが到来した。大物アイドルがいつ脱ぐか。ちなみに筆者も出版プロデュースにかかわっていた時期もあって、1994年松田聖子に話を持ち掛けたことがあった。松田聖子は一時この仕事を了解したのだが一週間後にキャンセルしてきた。契約金はここでは書かないがかなりの額だったが、いとも簡単に彼女の美意識からの事情で断ってきた。もう時効なので明かしてもいいだろう。また、三原じゅん子の二番煎じはポスト百恵アイドル戦争のライバルとしてはプライドが許さなかったのだと思う。そのとき私は「松田聖子-Barcode」という作品を作っている。真正の「資本主義的アイドル」というコンセプトだ。
97年には当時二十歳の菅野美穂もヘアヌード写真集を出して世間は騒然とした(*「NUDITY」1997年8月 撮影:宮沢正明 インディペンデンス刊)。
森下泰輔「松田聖子- Barcode」
1995
松田聖子から届いた年賀状にBarcode
透明スリーブ
年賀状画像撮影:篠山紀信
菅野美穂写真集「NUDITY」1997年8月
撮影:宮沢正明
インディペンデンス刊
1992年「写 狂人日記」エッグギャラリー(東京)でアラーキーこと荒木経惟が局部フォトを展示し問題になった。女性性器が写っていた作品8点が、わいせつ図画公然陳列の疑いで警視庁により押収、事情徴収、書類送検され、罰金刑を受けたのだ。翌年、パルコギャラリー「エロトス」(*「エロス」と「タナトス」の合成語)展ではヨーロッパ巡回展「AKT-TOKYO 1971-1991 Austria」図録を販売したかどでギャラリー担当者が逮捕されている。荒木自身は1970年の初期から「カルメンマリーの真相」など陰部をクローズアップにした作品を制作し続けているが。
「『これはどうなんだ?』っていわれたら、『ウン、ワイセツです』っていうしかない(笑)。オレはそれを芸術だとはいわないよ。それはワイセツで女陰が写ってるスケベな写真なんだけど、それをはずすとわたしの写真の全体が、例えばアートとかさ、写真ということに近づかないんだよ。全体の流れ、まとまりとしてみせてるものをね、中から抜き出してどうだこうだっていうほうがワイセツ行為(笑)」。このように開き直れるのは荒木経惟ならではだろう。
荒木経惟"AKT-TOKYO 1971-1991 Austria 1992 Documents"
1992
Photobook
荒木経惟AKT-TOKYO、
オーストリアでの展示風景(部分)
ここにおいてことは1962年の連載第一回目で述べた吉岡康弘の性器写真の次元にまた舞戻ったのだが、30年間法的解釈は何の変化もないばかりか、昨年7月「改正児童ポルノ法」が施行されたことでますますエロスの水際は規制されてきたといえる。昨年9月1日には児童ポルノ「単純所持」で全国初の逮捕者が出た。沖縄でネットからダウンロードしたという女児の全裸データを携帯電話内に所持した容疑で摘発されている。
ここで激しく抵触するのが前出の宮沢りえ問題だ。国会答弁中、これに関してある自民党議員はこんなことをいっている(*「衆院法務委員会」児ポ法改正審議 2009年6月26日で)。
「映画、出版物、大女優だろうと関係ない、今までの映画も本も写真も18歳以下のヌードなら全部捨てるように」 、「宮沢りえのサンタ・フェでも、法改正後は捨てないと逮捕する」、「宮沢りえのサンタ・フェは見たことがないが、規制する」、「過去作品のどれが児童ポルノかどうかは政府が調査して教えてくれるはず」、「顔が幼くて制服を着ていれば児童ポルノだと判断される」
宮沢りえの肉体は芸術ではなく、わいせつだというのだ。こんな美意識では芸術が成り立つわけがない。宮沢りえの「サンタ・フェ」で逮捕というならほとんどなんでも逮捕じゃないのか。別件容疑で家宅捜査が入って「サンタ・フェ」が出てくれば別件逮捕、ちょっといきすぎの感もある。
宮沢りえ「サンタフェ持ってると逮捕?」日刊スポーツ2015年8月17日
第23面
つまり広義には「ロリコン文化自体がわいせつ」ということなので、AKIBA文化、おたく文化を掲げるクールジャパンの国策と大矛盾する。おそらく、ロリコン系アート全般も打撃を受けることになる。この調子では、そのうちオールコスプレもヘタをするとできなくなるのではないか?
このことは大正デモクラシーや前衛芸術が昭和をむかえ急速に抑圧されて軍国主義・帝国主義化していった過程を連想させる。権力が施策で抑圧すると日本人というのは「見ざる、言わざる・・・」を決め込み、飼いならされた羊のように従属した。
近未来、いまよりも軍国化し、政府はロリコン、おたく系アートをナチではないが「退廃芸術」と抑圧・排除し写実アカデミズムを奨励する、あげく翼賛的リアリズムを是とするという展開にならなければいいのだが。
そのときは球体関節系の幼い裸人形はアウトかもしれない。新生・日展なんかは真っ先に少女っぽいヌード作を取らなくなるだろう。ゆくゆくはユルキャラも戦意喪失させるのでダメ、サブカル系文化人も排除という図式になりかねない危惧を予感する。
大体裸体像をみて、「大人っぽいか、少女っぽいか」などというのは主観だろうに。また、「わいせつか、芸術か」も主観だ。アートに無知な審議会が多数決で芸術か否かの判断をくだそうとでもいうのか(そういうことになる)。そこではジェンダーやフェミニズムアートが利用されるかもしれないのだ。
「わいせつか、芸術か」をめぐりアートと権力のせめぎあいは今後もえんえんと続いていくのだろう。(敬称略)
(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。
●今日のお勧め作品は、五味彬です。
五味彬「村上麗奈 CP vintage 1989-6」
1989年
ヴィンテージ・ゼラチンシルバープリント
14.2x10.8cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
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