<迷走写真館>一枚の写真に目を凝らす 第38回

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帰省するのだろうか、親子が地べたに座って列車を待っている。客の姿がほかに見えないところを見ると、列車の入線までまだだいぶ時間があるのだろう。用心深いお母さんはふたりの子どもの手を引いて早々とホームに降りて陣取りをしたのだ。荷物は布バッグに紙袋がふたつ。長丁場になるのを覚悟してか、彼女は靴を脱いで敷物の上に足を畳んで座っている。
人々がせわしなく歩いている足下にぺったりと座り込む。いまではもはやそうする人はいなくなったが、ある時期まで駅構内でふつうに見かける光景だった。それはいつ頃までだっただろうと考えてみると、1980年あたりを境に消えたような気がして画面を見まわすと、親子の右手後にメガネの男性がビニール傘を持って歩いているのに気づいて、あれ?と思った。
私の記憶では、ビニール傘を持ち歩く光景はホームに座り込むイメージと一致しない。ビニール傘のほうがずっと後で、時代がちがうという気がする。ところが、ウィキペディアで調べたところ、ビニール傘の人気は1970年代から1980年代にかけて爆発したとあり、意外とむかしなのに驚いた。座り込む姿にぎりぎり間に合っているというか、ビニール傘にバトンを渡すようにして時代が移っていったのだろう。
この親子は望んだとおりの席が取れて、ゆったりと座りながら目的地にむかったはずである。では、席にあぶれて座れなかった客はどうしたかというと、まちがいなく通路に新聞を敷いて腰を下ろしただろう。座る場所がなければ地べたに座ればいい、というのが当時の感覚だったのだ。
私だってそうしていた。しかも記憶を探ってみると、1980年代までそれをつづけていたことに思い当り、びっくりした。さすがに通路は遠慮したが、一番うしろの座席と壁のあいだのスペースや降車口のところに新聞を敷いてどっかりと座り込んだのである。当時は読むだけではない用途が新聞にあり、持っていれば何かと便利だろうという考えから、駅の売店でよく買ったものだ。
地べたに腰を下ろしたとき、いちばん最初に驚かされるのは視界が変わることである。隠されていた世界が扉がぱっと開いて眼前にそそり立ったような感じがする。単に視線が低くなったというだけでは言い尽くせない。立って歩いている人がいきなり「社会人」になり、座り込んだ自分は「社会から降りた人」になる。まわりとの物理的な距離は近くなったようですらあるのに、彼らのいる世界の意味はものすごい速度で遠ざかっていくのだ。視界が変わるとその眼が属する世界は一転する。人の認識力と価値意識の大方は目が見ているものでつくられている。
3人は新聞紙を敷いた上に、座布団ほど厚くはない布のようなものを重ねて座っている。お母さんが靴を脱いで正座しているためか、この敷物のスペースがお茶の間のようにも見えてくる。周囲に同じ眼の高さでものを見ている人はいない。ねえ、見てあそこ、とお兄ちゃんがホームの向かいを指さして言う。ほかのふたりも言われるまま目を向ける。お母さんの表情は静かで落ち着いているが、弟のほうは口が半ば開いて放心状態だ。男の子を夢中にさせるものがそこにあるのだろう。
3という数字が付いている前に、3人の人間が3つの荷物を持って座っている。3の偶然に気付かないまま、彼らは小さな茶の間から同じ方に目をむけて同じものに視線を注いでいる。透明なカプセルに包まれて永遠の時空のなかにいる3人は、そこだけ光が当たったように周囲から浮き上がっている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
本橋成一
〈上野駅〉より
1981年撮影(2015年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 29.3x44.8cm
Sheet size: 40.5x50.5cm
■本橋成一 Seiichi MOTOHASHI
写真家・映画監督 1940年東京生まれ。63年自由学園卒業。65年東京綜合写真専門学校卒業。68年「 炭鉱〈ヤマ〉 」で第5回太陽賞受賞。95年『無限抱擁』で日本写真協会賞年度賞、写真の会賞を受賞。98年「ナージャの村」で第17回土門拳賞受賞。
ドキュメンタリー映画 「ナージャの村」(1997)、「アレクセイと泉」(2002)、「ナミイと唄えば」(2006)、「バオバブの記憶」(2009)を監督、「水になった村」「祝の島」「ある精肉店のはなし」をプロデュース。2015年に最新監督作「アラヤシキの住人たち」を公開した。
主な個展に「本橋成一 ナジェージダ–希望」東京都写真美術(2002)、「本橋成一 写真・映像展:ナジェージダ–希望」松本市美術館(2006)など。主な写真集に『ナージャの村』(平凡社、1998)、『アレクセイと泉』(小学館、2002)、『屠場』(平凡社、2011)、『上野駅の幕間』(新版、平凡社、2012)、『サーカスの時間』(新版、河出書房新社、2013)、『炭鉱〈ヤマ〉 』(新版、海鳥社、2015)などがある。
●展覧会のお知らせ
IZU PHOTO MUSEUMで、本橋成一さんの展覧会「在り処(ありか)」が開催されています。上掲の作品も出品されています。
本橋成一写真展「在り処(ありか)」
会期:2016年2月7日[日]~7月5日[火]
会場:IZU PHOTO MUSEUM
〒411-0931 静岡県長泉町東野クレマチスの丘(スルガ平)347-1
時間:2月・3月/10:00~17:00、4月・5月・6月・7月・8月/10:00~18:00
水曜休館(祝日の場合は営業、その翌日休み)
本橋成一(1940年– )は1960年代から市井の人々の姿を写真と映画という二つの方法で記録してきたドキュメンタリー作家です。写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞、映画「アレクセイと泉」で第12回サンクトペテルブルグ国際映画祭グランプリを受賞するなど国内外で高い評価を受けています。
本橋は炭鉱、大衆芸能、サーカス、屠場、駅など人々の生が息づく場をフィールドとし、社会の基底にある人間の営みの豊かさを写し出してきました。また、チェルノブイリ原発事故の後もかの地で暮らす人々の日々を主題としてこれまで写真集3冊と映画2作品を制作しています。2016年はチェルノブイリの事故からちょうど30年目の節目の年になりますが、被曝した故郷をテーマとした本橋の写真は、3・11を経たわれわれによりいっそう切実なメッセージを投げかけてきます。
本展では、本橋の原点となる未発表の初期作品から代表作を含めた200点以上を展示し、半世紀にもおよぶ写真家としての軌跡をご紹介します。
(IZU PHOTO MUSEUM HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。

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帰省するのだろうか、親子が地べたに座って列車を待っている。客の姿がほかに見えないところを見ると、列車の入線までまだだいぶ時間があるのだろう。用心深いお母さんはふたりの子どもの手を引いて早々とホームに降りて陣取りをしたのだ。荷物は布バッグに紙袋がふたつ。長丁場になるのを覚悟してか、彼女は靴を脱いで敷物の上に足を畳んで座っている。
人々がせわしなく歩いている足下にぺったりと座り込む。いまではもはやそうする人はいなくなったが、ある時期まで駅構内でふつうに見かける光景だった。それはいつ頃までだっただろうと考えてみると、1980年あたりを境に消えたような気がして画面を見まわすと、親子の右手後にメガネの男性がビニール傘を持って歩いているのに気づいて、あれ?と思った。
私の記憶では、ビニール傘を持ち歩く光景はホームに座り込むイメージと一致しない。ビニール傘のほうがずっと後で、時代がちがうという気がする。ところが、ウィキペディアで調べたところ、ビニール傘の人気は1970年代から1980年代にかけて爆発したとあり、意外とむかしなのに驚いた。座り込む姿にぎりぎり間に合っているというか、ビニール傘にバトンを渡すようにして時代が移っていったのだろう。
この親子は望んだとおりの席が取れて、ゆったりと座りながら目的地にむかったはずである。では、席にあぶれて座れなかった客はどうしたかというと、まちがいなく通路に新聞を敷いて腰を下ろしただろう。座る場所がなければ地べたに座ればいい、というのが当時の感覚だったのだ。
私だってそうしていた。しかも記憶を探ってみると、1980年代までそれをつづけていたことに思い当り、びっくりした。さすがに通路は遠慮したが、一番うしろの座席と壁のあいだのスペースや降車口のところに新聞を敷いてどっかりと座り込んだのである。当時は読むだけではない用途が新聞にあり、持っていれば何かと便利だろうという考えから、駅の売店でよく買ったものだ。
地べたに腰を下ろしたとき、いちばん最初に驚かされるのは視界が変わることである。隠されていた世界が扉がぱっと開いて眼前にそそり立ったような感じがする。単に視線が低くなったというだけでは言い尽くせない。立って歩いている人がいきなり「社会人」になり、座り込んだ自分は「社会から降りた人」になる。まわりとの物理的な距離は近くなったようですらあるのに、彼らのいる世界の意味はものすごい速度で遠ざかっていくのだ。視界が変わるとその眼が属する世界は一転する。人の認識力と価値意識の大方は目が見ているものでつくられている。
3人は新聞紙を敷いた上に、座布団ほど厚くはない布のようなものを重ねて座っている。お母さんが靴を脱いで正座しているためか、この敷物のスペースがお茶の間のようにも見えてくる。周囲に同じ眼の高さでものを見ている人はいない。ねえ、見てあそこ、とお兄ちゃんがホームの向かいを指さして言う。ほかのふたりも言われるまま目を向ける。お母さんの表情は静かで落ち着いているが、弟のほうは口が半ば開いて放心状態だ。男の子を夢中にさせるものがそこにあるのだろう。
3という数字が付いている前に、3人の人間が3つの荷物を持って座っている。3の偶然に気付かないまま、彼らは小さな茶の間から同じ方に目をむけて同じものに視線を注いでいる。透明なカプセルに包まれて永遠の時空のなかにいる3人は、そこだけ光が当たったように周囲から浮き上がっている。
大竹昭子(おおたけあきこ)
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●紹介作品データ:
本橋成一
〈上野駅〉より
1981年撮影(2015年プリント)
ゼラチンシルバープリント
Image size: 29.3x44.8cm
Sheet size: 40.5x50.5cm
■本橋成一 Seiichi MOTOHASHI
写真家・映画監督 1940年東京生まれ。63年自由学園卒業。65年東京綜合写真専門学校卒業。68年「 炭鉱〈ヤマ〉 」で第5回太陽賞受賞。95年『無限抱擁』で日本写真協会賞年度賞、写真の会賞を受賞。98年「ナージャの村」で第17回土門拳賞受賞。
ドキュメンタリー映画 「ナージャの村」(1997)、「アレクセイと泉」(2002)、「ナミイと唄えば」(2006)、「バオバブの記憶」(2009)を監督、「水になった村」「祝の島」「ある精肉店のはなし」をプロデュース。2015年に最新監督作「アラヤシキの住人たち」を公開した。
主な個展に「本橋成一 ナジェージダ–希望」東京都写真美術(2002)、「本橋成一 写真・映像展:ナジェージダ–希望」松本市美術館(2006)など。主な写真集に『ナージャの村』(平凡社、1998)、『アレクセイと泉』(小学館、2002)、『屠場』(平凡社、2011)、『上野駅の幕間』(新版、平凡社、2012)、『サーカスの時間』(新版、河出書房新社、2013)、『炭鉱〈ヤマ〉 』(新版、海鳥社、2015)などがある。
●展覧会のお知らせ
IZU PHOTO MUSEUMで、本橋成一さんの展覧会「在り処(ありか)」が開催されています。上掲の作品も出品されています。
本橋成一写真展「在り処(ありか)」
会期:2016年2月7日[日]~7月5日[火]
会場:IZU PHOTO MUSEUM
〒411-0931 静岡県長泉町東野クレマチスの丘(スルガ平)347-1
時間:2月・3月/10:00~17:00、4月・5月・6月・7月・8月/10:00~18:00
水曜休館(祝日の場合は営業、その翌日休み)
本橋成一(1940年– )は1960年代から市井の人々の姿を写真と映画という二つの方法で記録してきたドキュメンタリー作家です。写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞、映画「アレクセイと泉」で第12回サンクトペテルブルグ国際映画祭グランプリを受賞するなど国内外で高い評価を受けています。
本橋は炭鉱、大衆芸能、サーカス、屠場、駅など人々の生が息づく場をフィールドとし、社会の基底にある人間の営みの豊かさを写し出してきました。また、チェルノブイリ原発事故の後もかの地で暮らす人々の日々を主題としてこれまで写真集3冊と映画2作品を制作しています。2016年はチェルノブイリの事故からちょうど30年目の節目の年になりますが、被曝した故郷をテーマとした本橋の写真は、3・11を経たわれわれによりいっそう切実なメッセージを投げかけてきます。
本展では、本橋の原点となる未発表の初期作品から代表作を含めた200点以上を展示し、半世紀にもおよぶ写真家としての軌跡をご紹介します。
(IZU PHOTO MUSEUM HPより転載)
◆大竹昭子のエッセイ「迷走写真館 一枚の写真に目を凝らす」は毎月1日の更新です。
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