夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」

第九回◇消えたスワンベリ―謎のコレクターK氏とディープな仙台の蛸壺文化

極北のエロティシズム―。スウェーデンの北方の小都市マルメのアトリエに閉じこもり、過剰とも思える装飾的な技法と奔放な造形で、太古の黄金時代にもつながるエロスを追求した画家スワンベリ(スワンベルクともいう)。描かれた作品のすべてが女性で、精神の深奥に眠る古代の女神たちがこの世に召喚される。この凍りついたエロスの燐光を放つ北方の不思議な絵師の魅力に取り憑かれて久しい。 
スウェーデンのマルメに生まれたスワンベリ(1912-1994)は、17歳のころ、ヴァイオリン職人を目指したがうまくいかず、映画の看板描きの仕事をしながら、夜は工芸学校に通った。22歳の時、ポリオにかかり、生涯このときの障害が残る。1940年、運命の女性グンニと結婚、絵のモチーフになるとともに、彼女はスワンベリを献身的に支えた。1953年、パリで開かれたグループ展に出品していたスワンベリの作品をシュルレアリスムの指導者アンドレ・ブルトンが見て惚れ込み、シュルレアリスムの機関紙「メディオム」(3号)で特集、表紙の絵を飾り、ブルトンが序文「スワンベリ頌」を寄せた。その後パリの「封印された星」画廊で個展。1958年、ランボーの詩『イリュミナシオン』の挿絵画集『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』をスウェーデンで出版、ブルトンに絶賛された。1960年、ニューヨークの国際シュルレアリスム展に出品し、多くのシュルレアリストらから評価を得た。

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装飾的な技法と奔放な造形で極北のエロスを追求したスワンベリの絵(『空の薄青色の蘭とスターの十頭の欲望』<左>1969年と、『女の発光力のもとで』<右>1975年)


「おんなは虹いろの部屋に住むこの孤独なもの、その肌は蝶の群れの奇異な色とりどりの衣裳のしたに、またさまざまな出来事、匂い、朝の薔薇の指たち、澄んだ太陽たち、黄昏時の青い恋人たち、大きな眼をした夜の魚たち、といったもののしたに秘めているのだ」(スワンベリ『おんなに憑かれて』 瀧口修造訳)と喝破するスワンベリとシュルレアリスムの接近は必然であった。シュルレアリスムの魔術的手法「自動筆記」を発明したブルトンがスワンベリの描く世界に見たものは、エロスのオートマティスムであったのかもしれない。

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シュルレアリスムの機関紙『メディオム』(1954年3号)でスワンベリが特集され、表紙の絵を飾った。


20年近く前だったろうか、東京の古書街・神保町のとある若手が始めた古書店で、1958年にスウェーデンで出版された『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』のサイン本を見つけ、大変高価であったが、スワンベリの署名本はめったになく躊躇なく即決した。家に帰って、仔細にチェックすると、なんと三か所にスワンベリのサインがあったのには驚いた。書物の精霊の粋な計らいか、はたまたフーリエの「情念引力」の手助けだろうか。

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アンドレ・ブルトンに絶賛されたランボーの詩『イリュミナシオン』の挿絵画集『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)のサイン本。


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)の扉の献呈署名。


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)の巻末署名


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)から。リトグラフ右下にスワンベリのサイン


ランボーの詩『イリュミナシオン』は難解といわれる。しかしスワンベリはイマジネールの力によってその詩境の高みに絵画の表現で、やすやすと到達している。ヘンリー・ミラーは『ランボー論』で、「墓の彼方で彼はいまなお『伝達』している」と述べているが、スワンベリは地下からの詩霊ランボーの言葉を、増殖する詩的エロスのイメージの現像として受信したのではないだろうか。

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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)から『大売出し』
「売り出しだ。大衆向きの無秩序、高価な愛好家向きのこたえられない満足、信者や恋人向きのむごたらしい死!」(『大売出し』-『ランボー全詩集』 青土社 中地義和訳 1994年)


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『Arthur Rimbaud ILLUMINATIONER』(1958年)から『夜明け』
「ぼくは夏の夜明けを抱いた。宮殿の正面ではまだ動くものはなかった。…ぼくは歩いた。すると宝石たちが目を凝らし、翼が音もなく舞い上がった。」(『夜明け』-同 中地義和訳)


スワンベリがランボーの詩を通して幻視したものはなんであっただろうか?ユイスマンスが『さかしま』で称揚した人工的なエロスの身振りか、はたまたエロスのマニエリスムか。瀧口修造は「詩に秘んでいる生殖力としての一種の行為乃至は身振りの要素に、画家は敢えて直面した」(『骰子7の目』別巻 河出書房新社 1976年-「水晶の腕に」)とランボーの構築した言葉の水晶宮にスワンベリが到達した美の道筋を明かす。

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スワンベリのポートレート(スウェーデン・マルメ市のアトリエ)


アンドレ・ブルトンはスワンベリの描く女たちについて「ここにはまさしく、《いまだかつて見たことのないもの》のありとあらゆる矢にねらわれた、宇宙の中心をなす女がいる」(『骰子7の目』別巻 河出書房新社 1976年-『ヴァイキングの女』 巖谷國士訳)と述べている。北極光に貫かれ、凍えた美の楽園のルネサンスを謳歌するスワンベリの女たち。エロスの曼陀羅がそこにある。

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スワンベリ関係の蔵書の一部


下の写真<11>のフランス装の一冊の本には苦い思い出がある。アンドレ・ブルトンらによる『FAROUCHE A QUATRE FEUILLES』(1954 édition Bernard Grasset)。だ。

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ブルトンの『FAROUCHE A QUATRE FEUILLES』(1954)


シンプルなフランス装の装丁だが、この版は限定版で、スワンベリ、Simon Hantaï らシュルレアリストによる署名入りのオリジナル版画が四点入っている。この本を見つけたのは仙台に赴任していたころ、よく昼休みに足しげく通っていたカルトなレコードと古本の店「S」だ。ある日、訪ねてみると、店の入り口近くの壁に入ったばかりというこの本が飾られていた。まさかこんな稀少本がこんなところにと思って手に取りページを繰ったところ、四枚あるはずの版画のうち巻頭のスワンベリの版画だけがない。値段を聞くと市場価格の十分の一の「ウン万円」。コレクション本としては価値が落ちるがそれでも三枚の署名入りオリジナル版画がある。この本の出所はだいたい想像できたので、消えた一葉のスワンベリはいつかこの本の中に舞い戻るであろうと買い求めた。「S」の店主にこっそり聞くと、案の定、友人のコレクターK氏所有のもので、スワンベリ好きのK氏がスワンベリの版画だけを本から抜き取り、額装して寝室に飾っているとのことだった。あれから十数年、ことあるたびに消えたスワンベリの版画をK氏に譲ってほしいと言うのだが、いまだに巻頭のスワンベリはコピーのままだ。「不在」のものに対する愛惜ほどトラウマになるものはない。

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ブルトンの『FAROUCHE A QUATRE FEUILLES』の切り取られた空白のページとオリジナル版画のコピー


この本の元所有者である謎のコレクターK氏との出会いはある取材で自宅を訪れた時のこと。なにかのきっかけで映画の話になり「ゴダールの映画では何が一番好きか」と問われ、マイナーな作品『男性・女性』と答えると、同じ映画が好きだったK氏とぐっと距離が縮まった。仙台は「よそ者」をちょっとやそっとのことでは受け入れてもらえない街と聞いてはいたが、まったくその通りで五年たってやっと懐に飛び込めた気がする。仙台は文化も表面的に際立ったものが目立ちにくいが、K氏や「S」の店主のように個人個人が「蛸壺的に」ばらばらに文化的にディープなものをそれぞれ抱え込んでいる。仙台を蛸壺文化の街と思う所以である。

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謎のコレクターK氏。シュルレアリスムをはじめ、内外の前衛芸術のコレクションは素晴らしい。自身のコレクションを公開するため私設美術館を開いたこともある。


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K氏と打ち解けるきっかけとなったゴダールの映画『男性・女性』(1966年)のLD。歌手としても知られるシャンタル・ゴヤがアンニュイな時代に生きる女性を好演。


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仙台にある魔窟のレコード屋「S」で蒐集したレアなレコードの一部。会社の昼休みに立ち寄ってはせっせと実験音楽などレアな盤を片っ端から聞かせてもらっていた。唐十郎劇中歌集『四角いジャングルで唄う』、フリージャズ奏者・阿部薫の『OVERHANG PARTY』『なしくずしの死』、山谷初男『はっぽん』『新宿』などなど。


スワンベリとともに、仙台在住時代に関心を寄せていたのが、不思議なイメージを小空間に閉じ込めた「箱の魔術師」ジョゼフ・コーネル(1903-1972)。コレクションした雑誌の切り抜きや骨董、古い写真など身近にあるものを箱の中に縮小したインスタレーションのようにして配置し、シュルレアリスティックで静謐なイメージの小宇宙を創り出した。

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ジョゼフ・コーネルのポートレート(自宅の庭で)。コーネルは幼少時、父親の死とともに家計が苦しくなり職業を転々とした。コーネルは人見知りで引きこもりがちな性格だったと言われ、母親と小児脳性麻痺の弟と米国ニューヨーク州の小さな家でひっそりと暮らした。箱の作品のほか、コラージュ、実験映画も手掛けている


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ジョゼフ・コーネルの作品


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コーネルのアトリエに置かれたジャンヌ・モローのLPジャケット


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書斎に飾っている同じジャンヌ・モローのLPジャケット。奇しくもコーネルと趣向が一致していたのがうれしい。


スワンベリにせよコーネルにせよ、世の美術界の動向など頓着せず、ひたすらアトリエに籠り、日常から隔絶された創造のガラスの城から作品を生み出し続けた孤高の美の求道者であった。スワンベリとコーネル、彼らもまた美のイマジネールを駆使する幻視者に連なる人たちであろう。

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ジョゼフ・コーネル関係の蔵書の一部


作成日: 2016年11月23日(水)
よるの ゆう

■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。

●本日のお勧め作品は、ジョセフ・コーネルです。
20161205_cornell_01ジョセフ・コーネル
「アンドレ・ブルトン」
1960年頃
Collage by Joseph CORNELL on the photo by Man Ray
24.6x17.9cm
サインあり


マン・レイが撮影したブルトンの肖像のうちでもっとも著名なソラリゼーションによる写真に、コーネルがブルーの水彩で縁どりを施したもの。 裏面全体もブルーに塗られ、コーネルによるサインとタイトルが記されている。
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本日の瑛九情報!
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何事も平均化され、うやむやにされがちな現状にとって、山田光春氏の多年にわたる瑛九探求が『瑛九』として刊行されることはうれしい。瑛九の周辺に熱い友情と支持のサークルがあることも注目してよいことだが、本書はそうした地層の結実であるのみならず、ひとりの芸術家の生死についての記録の集成に異例な情熱を傾けてきた山田氏の瑛九論はおそらく世上の跳ね返った天才芸術論ではなく、私たちにはまだ身近な存在であり、決して鬼面人を驚かす謳い文句つきの画家に陥らぬものをもち、しかも彼を絶えず動かしつづけながら倒れた人間像の在りかを身近かに示してくれるはずである。ふたたび「やあ」といってふと訪ねてくれる瑛九を想うとき、少くとも私にはこの本からあらたに学びたい多くのものがあるはずである
瀧口修造【『瑛九』を待ちながら】山田光春著『瑛九』青龍洞内容見本1976年6月より)~~~
瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で始まりました(11月22日~2017年2月12日)。ときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。

◆夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。