森本悟郎のエッセイ その後
第33回 井上洋介(1931~2016)(3) 井上さんを介して
昨年12月29日にこんなツィートがあった。
「トムズボックスの店、2015年12月28日にて閉店しました。閉店というのは閉店で29日から、来ていただいてもやっておりませんからね。来ないでくださいね。だから30日もやっておりませんよ。お正月もやりません。ずーっと閉店ですからね。本当に有難うございました。土井章史」
絵本の編集者で出版人でもある土井さんが、1993年から続けてきた絵本の書店を閉じたのだった。トムズボックスは品揃えが個性的で、コアな大人のファンも多かった。ギャラリースペースとなる壁面もあり、月替わりで土井さん好みの絵本作家やイラストレーターたちの作品を展示販売していた。ラインナップは荒井良二、井上洋介、宇野亞喜良、片山健、スズキコージ、長新太、和田誠ほかそうそうたる作家たちで、なかでも長さんと井上さんは別格だった。ちなみに店のロゴマークは井上さんの手になるもの。入り口にはその木製看板が下がっていた。
トムズボックスのロゴマーク
トムズボックスという存在を知ってはいたが、ぼくが初めて訪ねたのは井上洋介展が決まってからで、井上さんから土井さんを紹介されてのことである。以後、ぼくは上京するとしばしば訪れることになる。店番はいつも土井さんというわけではないが、たまに店主がいるときは、〈洋介さん〉の近況を訊ねるところから話がはじまるのだった。
井上さんは散歩好きで、一人浅草や江東地区を歩いてはスケッチするのだが、遠方へのひとり旅は苦手なようで、C・スクエアでの個展の際は土井さんを伴って現れた。井上さんは心から土井さんを信頼していたのだった。その土井さんが店じまいをしてから1カ月ちょっと後の2月3日、井上さんは亡くなった。
「井上洋介 絵画作品展」が渋谷のギャラリーで開かれた(アツコバルー、2016年11月26日~12月25日)。会期中にアリス研究家の桑原茂夫氏と土井章史さんの対談があり、展示を見がてら聴講した。ぼくの井上洋介像と重なるところがたくさんあり、情景を思い浮かべながら頷いたものだが、土井さんから新たに学ぶことも多かった。
※今後の井上洋介展覧会情報はこちら。
『こんなにすごい画家がいた!井上洋介さんのこと』
桑原茂夫(左)×土井章史(右)
(2016年12月21日)
同会場でお目に掛かった長女の井上真樹さん
横浜在住で神奈川県職員(司書)だった大内順さんも、井上洋介展を機に井上さんから紹介された一人だった。大内さんはぼくと同世代で、コレクションしている作家が秋山祐徳太子、吉野辰海、美濃瓢吾と、その嗜好が重なることからすぐにうち解け、親しくなった。大の井上洋介ファンで、コレクションの柱はむろん井上作品だった。ぼくたちはたいてい「井上さん」とか「洋介さん」と呼んでいたが、彼は「洋介先生」としか言わなかった。それほど敬愛していたのである。
大内さんは2005年に癌で亡くなった。その通夜の席で見た井上さんの打ちひしがれた姿は忘れられない。まるで最愛の息子を失ったかのような落ち込み方だった。
※「野毛地区街づくり会」のホームページで大内さんが書いた文章を見つけた。
http://noge-town.net/?p=9010
ドイツ文学者で評論家の種村季弘さんは井上さんを介して知り合ったわけではないが、井上さんを語る上で外すことができない。
種村さんが平素から井上さんに畏敬の念を抱いていたことを知っていたので、展覧会リーフレットに紹介文を依頼したところ、「橋と坂の妖怪画家」という画家・井上洋介の姿をくっきりと浮かび上がらせる、珠玉の小文を寄せていただいた。
井上展初日に中京大学・総長室で
(左から種村季弘さん、井上洋介さん、梅村清弘総長・理事長〈当時〉)
その後、種村さんの美術家論集『奇想の展覧会 戯志画人伝』出版を記念して、書中取り上げた実作品で展覧会をしようということになり、31人に及ぶ作家の作品を集め「種村季弘 奇想の展覧会 戯志画人伝【実物大】」展を開いた(C・スクエア、1999年)。展覧会取材に訪れたNHK「新日曜美術館」スタッフの「どこでインタビューを?」との問いに、すかさず種村さんは井上作品の前を指定した。取材に立ち会いながら、「種さんほんとうに井上さんが好きなんだな」と感じ入ったものだ。
※種村さんも2004年に亡くなった。いずれ種村さんについても書くことがあろう。
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
●今日のお勧め作品は、元永定正です。
元永定正
「のびるしろ」
1981年 シルクスクリーン
36.0×57.0cm
Ed.150 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本日の瑛九情報!
~~~
今回の近美の展示物のメインは山田光春さん旧蔵の作品・資料群です。
山田さんの功績のひとつは膨大な資料を集め、人々にインタビューして瑛九の評伝を刊行したことですが、そのもととなったのが瑛九の会の機関誌『眠りの理由』への連載でした。
瑛九の会の設立趣意書をお読みください。

発起人の筆頭は瀧口修造、ついで久保貞次郎、杉田正臣、杉田都、オノサト・トシノブ、山田光春、宇佐美兼吉、木水育男の8人。事務所は当初は東京の尾崎正教宅に置かれ、のちに福井県勝山の原田勇さんが担当されました。
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<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
第33回 井上洋介(1931~2016)(3) 井上さんを介して
昨年12月29日にこんなツィートがあった。
「トムズボックスの店、2015年12月28日にて閉店しました。閉店というのは閉店で29日から、来ていただいてもやっておりませんからね。来ないでくださいね。だから30日もやっておりませんよ。お正月もやりません。ずーっと閉店ですからね。本当に有難うございました。土井章史」
絵本の編集者で出版人でもある土井さんが、1993年から続けてきた絵本の書店を閉じたのだった。トムズボックスは品揃えが個性的で、コアな大人のファンも多かった。ギャラリースペースとなる壁面もあり、月替わりで土井さん好みの絵本作家やイラストレーターたちの作品を展示販売していた。ラインナップは荒井良二、井上洋介、宇野亞喜良、片山健、スズキコージ、長新太、和田誠ほかそうそうたる作家たちで、なかでも長さんと井上さんは別格だった。ちなみに店のロゴマークは井上さんの手になるもの。入り口にはその木製看板が下がっていた。
トムズボックスのロゴマークトムズボックスという存在を知ってはいたが、ぼくが初めて訪ねたのは井上洋介展が決まってからで、井上さんから土井さんを紹介されてのことである。以後、ぼくは上京するとしばしば訪れることになる。店番はいつも土井さんというわけではないが、たまに店主がいるときは、〈洋介さん〉の近況を訊ねるところから話がはじまるのだった。
井上さんは散歩好きで、一人浅草や江東地区を歩いてはスケッチするのだが、遠方へのひとり旅は苦手なようで、C・スクエアでの個展の際は土井さんを伴って現れた。井上さんは心から土井さんを信頼していたのだった。その土井さんが店じまいをしてから1カ月ちょっと後の2月3日、井上さんは亡くなった。
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「井上洋介 絵画作品展」が渋谷のギャラリーで開かれた(アツコバルー、2016年11月26日~12月25日)。会期中にアリス研究家の桑原茂夫氏と土井章史さんの対談があり、展示を見がてら聴講した。ぼくの井上洋介像と重なるところがたくさんあり、情景を思い浮かべながら頷いたものだが、土井さんから新たに学ぶことも多かった。
※今後の井上洋介展覧会情報はこちら。
『こんなにすごい画家がいた!井上洋介さんのこと』桑原茂夫(左)×土井章史(右)
(2016年12月21日)
同会場でお目に掛かった長女の井上真樹さん*
横浜在住で神奈川県職員(司書)だった大内順さんも、井上洋介展を機に井上さんから紹介された一人だった。大内さんはぼくと同世代で、コレクションしている作家が秋山祐徳太子、吉野辰海、美濃瓢吾と、その嗜好が重なることからすぐにうち解け、親しくなった。大の井上洋介ファンで、コレクションの柱はむろん井上作品だった。ぼくたちはたいてい「井上さん」とか「洋介さん」と呼んでいたが、彼は「洋介先生」としか言わなかった。それほど敬愛していたのである。
大内さんは2005年に癌で亡くなった。その通夜の席で見た井上さんの打ちひしがれた姿は忘れられない。まるで最愛の息子を失ったかのような落ち込み方だった。
※「野毛地区街づくり会」のホームページで大内さんが書いた文章を見つけた。
http://noge-town.net/?p=9010
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ドイツ文学者で評論家の種村季弘さんは井上さんを介して知り合ったわけではないが、井上さんを語る上で外すことができない。
種村さんが平素から井上さんに畏敬の念を抱いていたことを知っていたので、展覧会リーフレットに紹介文を依頼したところ、「橋と坂の妖怪画家」という画家・井上洋介の姿をくっきりと浮かび上がらせる、珠玉の小文を寄せていただいた。
井上展初日に中京大学・総長室で(左から種村季弘さん、井上洋介さん、梅村清弘総長・理事長〈当時〉)
その後、種村さんの美術家論集『奇想の展覧会 戯志画人伝』出版を記念して、書中取り上げた実作品で展覧会をしようということになり、31人に及ぶ作家の作品を集め「種村季弘 奇想の展覧会 戯志画人伝【実物大】」展を開いた(C・スクエア、1999年)。展覧会取材に訪れたNHK「新日曜美術館」スタッフの「どこでインタビューを?」との問いに、すかさず種村さんは井上作品の前を指定した。取材に立ち会いながら、「種さんほんとうに井上さんが好きなんだな」と感じ入ったものだ。
※種村さんも2004年に亡くなった。いずれ種村さんについても書くことがあろう。
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年愛知県に生まれる。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。
●今日のお勧め作品は、元永定正です。
元永定正「のびるしろ」
1981年 シルクスクリーン
36.0×57.0cm
Ed.150 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本日の瑛九情報!
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今回の近美の展示物のメインは山田光春さん旧蔵の作品・資料群です。
山田さんの功績のひとつは膨大な資料を集め、人々にインタビューして瑛九の評伝を刊行したことですが、そのもととなったのが瑛九の会の機関誌『眠りの理由』への連載でした。
瑛九の会の設立趣意書をお読みください。

発起人の筆頭は瀧口修造、ついで久保貞次郎、杉田正臣、杉田都、オノサト・トシノブ、山田光春、宇佐美兼吉、木水育男の8人。事務所は当初は東京の尾崎正教宅に置かれ、のちに福井県勝山の原田勇さんが担当されました。
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<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆森本悟郎のエッセイ「その後」は毎月28日の更新です。
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