<前川先生が亡くなったのは1988年なので、もう30年ちかくも経つことになる。
その当時ボクは岩手大学の前川教室で専攻科生だった。
先生は約20年にわたって学生を指導してきた。この度、MORIOKA第一画廊において、前川先生の作品と卒業生の作品を展示することになり、光栄なことにボクも声をかけていただいた。恐れ多い事ではあったが、ご縁に感謝をして参加することにした。新作の小品を3点出品している。
「絵は教えるものではない」
前川先生はそう仰言って、テクニック的なことはほとんど聞いた憶えがない。課題を出された記憶もない。学生は自ら課題を立て、表現と向き合い制作をした。わからないことは自分で調べたり先輩から教わった。そのためもあって世代を超えてつながりができているのだと思う。
前川先生の門下としては、ボクはほとんど最年少ということになる。先輩には、活躍を続ける作家たちが名前を連ねる。ボクは彼らにあこがれ、刺激を受けてきた。身近にこの先輩たちがいてくれたから今日までかろうじて制作を続けてこれたのではないかと思っている。
会場のMORIOKA第一画廊は、あこがれの画廊だ。ここに作品が展示されるのはボクにとっては夢だった。
昨年、画廊主の上田さんが亡くなり、現在は娘さんらが運営を引き継いでいる。たくさんのことを教わった上田さんがいなくなったのは、とても寂しい。そしてこのタイミングというのも複雑な気持ちではある。
しかし、これから新しく画廊が展開していくであろう予感が漂う中、ほんの少しでも関われたことは、ボクにとっては大きい喜びだ。
【1+9人展】は、2月4日(土)まで
MORIOKA第一画廊で開催されています。
寒さ厳しき折ですが、お足許に気をつけて、是非たくさんの方にいらしていただきたいと思います。
岩渕俊彦 記(紙町銅版画工房さんのfacebookより)>


展示写真は岩渕靖子さんのfacebookの画像からお借りしました。
1+9人展
会場:MORIOKA第一画廊
019-622-7935
会期:2017年1/11(水)~2/4(土)
※日曜休廊
出品:前川直、阿部陽子、戸村茂樹、菊地健一、田村晴樹、尾崎行彦、飯坂真紀、橋本尚恣、叶悦子、岩渕俊彦
吉行淳之介、安部公房らの著書装釘を多数手がけた前川直さんの作品と、教え子たちの展覧会を見に、雪のちらつく盛岡に行ってきました。
岩手大学の版画研究室で前川さんに出逢い表現の道に入った9人の作家たち。それぞれの作品からは師への思いと、表現に対する真摯な姿勢が伝わってきます。
昨年亡くなられた上田浩司さんのMORIOKA第一画廊には盛岡の名士が集まり、夜な夜な大宴会を繰り広げていました。
その中心に前川直(1929~88)さんという画家で岩手大学の名物先生がいました。
繊細な線描で描くペン画を見れば、あっと気づく人もいるはず。
吉行淳之介さんは前川さんの絵が好きで「薔薇販売人」はじめ、吉行さんの本の装幀を前川さんが多数担当しています。
MORIOKA第一画廊での前川さんの個展には吉行さんが文章を寄せ、「繊細過ぎて弱いと見る人もいるかもしれないが、じつは強靱な絵である」と述べています。
九州佐世保生まれの前川さんは東京美術学校を卒業し、自由美術家協会などに出品、最初は工業デザインなども手掛けていたようです。
30歳ごろから装幀に携わり「新潮日本文学全集全64巻」で装幀賞を受賞した翌1969年、岩手大学に迎えられ、多くの学生を指導し、盛岡の文化人としても名を馳せました。
吉行淳之介著・限定版『鞄の中身』
装画・装丁:前川直
外箱:10.5×13.8×2.6cm
46頁 著者サイン入り
昭和58年4月10日発行 潮出版社刊

前川直の銅版画3点が挿入され、限定118部刊行された。
銅版3点には前川直の自筆サイン入り


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
夜の宴席で繰り広げられる豪放で、どこまでが本当か法螺なのかわからない抱腹絶倒の自慢話の数々と、あの細かな線で画面を埋めていくペン画の作者が同一人物とはどうしても思えず、いつも笑いこげ、楽しいひと時を過ごしたのでした。
前川さんが亡くなった後、やはり夜の宴会の常連だった市立図書館長が奔走して、木立の中に建つ小さな木造の図書館で遺作展が開かれ、吉行さんはじめ、三島由紀夫、太宰治、宮柊二、安部公房らの装幀仕事が展観され、あらためて装丁家としての前川さんの仕事の素晴らしさに感嘆したものでした。
今回の展覧会で久しぶりに前川さんの仕事に接し、お弟子さんたちの作品でいくつか気にいったものを購入しました。いずれご紹介しましょう。
展覧会は2月4日までなので、急ぎご案内する次第です。お近くの方、ぜひどうぞ。

戸村茂樹
「晩夏IV」
インク・紙
19.0x13.5cm サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本日の瑛九情報!は、瑛九の銅版画について少し紹介しましょう。
このブログでは、意識的に瑛九の版画(銅版画、リトグラフ、木版画)について書くことを避けてきました。
瑛九版画の市場での評価は著しく低い。特に銅版画は後刷りが膨大に市場にあふれヤフーで時には1円スタートで出品されています。一点や二点だったらまだしも、画商として市場で戦うにも多勢に無勢、亭主の生きているうちは市場の回復は無理だろうと半分あきらめています。
瑛九は1951年から1958年までの僅か足掛け8年の間に350点もの銅版を制作しました。おそるべき集中力と言わねばなりません。しかし時代が早すぎて売れるはずもなく、その多くが数部しか刷られませんでした。
そこで、瑛九の支援者たちによって没後二度にわたりほぼ全作品が後刷りされました。
最初は1969~70年 に久保貞次郎(版画友の会の創立者、後に町田市立国際版画美術館の初代館長)らによって比較的大判の代表作50点が南天子画廊を版元として各限定50部が、池田満寿夫刷りで刊行されました(マスオ刷り)。これはベスト50を選んだこともあり、マスオの刷りもよく、当時からよく売れ、今ではめったに市場に出ません。
問題は2回目の後刷りです。1974~1983年にかけて、前述の50点以外の 278点を、林グラフィックプレス(版画工房)が自ら版元となり後刷りしました(一部重複あり)。
このときの限定部数はほとんどが各60部で、一部が10部、または45部の限定でした。
これを全部合算すると数万点にのぼります。
これは実はあまり売れなかった。林さんが亡くなったあと、大量に残っていた在庫が投売りされたらしい。その結果がヤフーの1円スタートです。
これほどの大規模な後刷りを快挙というべきか、市場を無視した無謀な暴挙というべきか・・・・・
瑛九
《サーカス》
1955年
銅版(1970年池田満寿夫による後刷り)
23.7×18.0cm
Ed.50
スタンプサイン
~~~
<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
その当時ボクは岩手大学の前川教室で専攻科生だった。
先生は約20年にわたって学生を指導してきた。この度、MORIOKA第一画廊において、前川先生の作品と卒業生の作品を展示することになり、光栄なことにボクも声をかけていただいた。恐れ多い事ではあったが、ご縁に感謝をして参加することにした。新作の小品を3点出品している。
「絵は教えるものではない」
前川先生はそう仰言って、テクニック的なことはほとんど聞いた憶えがない。課題を出された記憶もない。学生は自ら課題を立て、表現と向き合い制作をした。わからないことは自分で調べたり先輩から教わった。そのためもあって世代を超えてつながりができているのだと思う。
前川先生の門下としては、ボクはほとんど最年少ということになる。先輩には、活躍を続ける作家たちが名前を連ねる。ボクは彼らにあこがれ、刺激を受けてきた。身近にこの先輩たちがいてくれたから今日までかろうじて制作を続けてこれたのではないかと思っている。
会場のMORIOKA第一画廊は、あこがれの画廊だ。ここに作品が展示されるのはボクにとっては夢だった。
昨年、画廊主の上田さんが亡くなり、現在は娘さんらが運営を引き継いでいる。たくさんのことを教わった上田さんがいなくなったのは、とても寂しい。そしてこのタイミングというのも複雑な気持ちではある。
しかし、これから新しく画廊が展開していくであろう予感が漂う中、ほんの少しでも関われたことは、ボクにとっては大きい喜びだ。
【1+9人展】は、2月4日(土)まで
MORIOKA第一画廊で開催されています。
寒さ厳しき折ですが、お足許に気をつけて、是非たくさんの方にいらしていただきたいと思います。
岩渕俊彦 記(紙町銅版画工房さんのfacebookより)>


展示写真は岩渕靖子さんのfacebookの画像からお借りしました。
1+9人展会場:MORIOKA第一画廊
019-622-7935
会期:2017年1/11(水)~2/4(土)
※日曜休廊
出品:前川直、阿部陽子、戸村茂樹、菊地健一、田村晴樹、尾崎行彦、飯坂真紀、橋本尚恣、叶悦子、岩渕俊彦
吉行淳之介、安部公房らの著書装釘を多数手がけた前川直さんの作品と、教え子たちの展覧会を見に、雪のちらつく盛岡に行ってきました。
岩手大学の版画研究室で前川さんに出逢い表現の道に入った9人の作家たち。それぞれの作品からは師への思いと、表現に対する真摯な姿勢が伝わってきます。
昨年亡くなられた上田浩司さんのMORIOKA第一画廊には盛岡の名士が集まり、夜な夜な大宴会を繰り広げていました。
その中心に前川直(1929~88)さんという画家で岩手大学の名物先生がいました。
繊細な線描で描くペン画を見れば、あっと気づく人もいるはず。
吉行淳之介さんは前川さんの絵が好きで「薔薇販売人」はじめ、吉行さんの本の装幀を前川さんが多数担当しています。MORIOKA第一画廊での前川さんの個展には吉行さんが文章を寄せ、「繊細過ぎて弱いと見る人もいるかもしれないが、じつは強靱な絵である」と述べています。
九州佐世保生まれの前川さんは東京美術学校を卒業し、自由美術家協会などに出品、最初は工業デザインなども手掛けていたようです。
30歳ごろから装幀に携わり「新潮日本文学全集全64巻」で装幀賞を受賞した翌1969年、岩手大学に迎えられ、多くの学生を指導し、盛岡の文化人としても名を馳せました。
吉行淳之介著・限定版『鞄の中身』装画・装丁:前川直
外箱:10.5×13.8×2.6cm
46頁 著者サイン入り
昭和58年4月10日発行 潮出版社刊

前川直の銅版画3点が挿入され、限定118部刊行された。
銅版3点には前川直の自筆サイン入り


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
夜の宴席で繰り広げられる豪放で、どこまでが本当か法螺なのかわからない抱腹絶倒の自慢話の数々と、あの細かな線で画面を埋めていくペン画の作者が同一人物とはどうしても思えず、いつも笑いこげ、楽しいひと時を過ごしたのでした。
前川さんが亡くなった後、やはり夜の宴会の常連だった市立図書館長が奔走して、木立の中に建つ小さな木造の図書館で遺作展が開かれ、吉行さんはじめ、三島由紀夫、太宰治、宮柊二、安部公房らの装幀仕事が展観され、あらためて装丁家としての前川さんの仕事の素晴らしさに感嘆したものでした。
今回の展覧会で久しぶりに前川さんの仕事に接し、お弟子さんたちの作品でいくつか気にいったものを購入しました。いずれご紹介しましょう。
展覧会は2月4日までなので、急ぎご案内する次第です。お近くの方、ぜひどうぞ。

戸村茂樹
「晩夏IV」
インク・紙
19.0x13.5cm サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本日の瑛九情報!は、瑛九の銅版画について少し紹介しましょう。
このブログでは、意識的に瑛九の版画(銅版画、リトグラフ、木版画)について書くことを避けてきました。
瑛九版画の市場での評価は著しく低い。特に銅版画は後刷りが膨大に市場にあふれヤフーで時には1円スタートで出品されています。一点や二点だったらまだしも、画商として市場で戦うにも多勢に無勢、亭主の生きているうちは市場の回復は無理だろうと半分あきらめています。
瑛九は1951年から1958年までの僅か足掛け8年の間に350点もの銅版を制作しました。おそるべき集中力と言わねばなりません。しかし時代が早すぎて売れるはずもなく、その多くが数部しか刷られませんでした。
そこで、瑛九の支援者たちによって没後二度にわたりほぼ全作品が後刷りされました。
最初は1969~70年 に久保貞次郎(版画友の会の創立者、後に町田市立国際版画美術館の初代館長)らによって比較的大判の代表作50点が南天子画廊を版元として各限定50部が、池田満寿夫刷りで刊行されました(マスオ刷り)。これはベスト50を選んだこともあり、マスオの刷りもよく、当時からよく売れ、今ではめったに市場に出ません。
問題は2回目の後刷りです。1974~1983年にかけて、前述の50点以外の 278点を、林グラフィックプレス(版画工房)が自ら版元となり後刷りしました(一部重複あり)。
このときの限定部数はほとんどが各60部で、一部が10部、または45部の限定でした。
これを全部合算すると数万点にのぼります。
これは実はあまり売れなかった。林さんが亡くなったあと、大量に残っていた在庫が投売りされたらしい。その結果がヤフーの1円スタートです。
これほどの大規模な後刷りを快挙というべきか、市場を無視した無謀な暴挙というべきか・・・・・
瑛九《サーカス》
1955年
銅版(1970年池田満寿夫による後刷り)
23.7×18.0cm
Ed.50
スタンプサイン
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<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
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