ナムジュン・パイクの版画制作始末記
「これであなたも蔵が建つよ」とパイクは冗談をとばした。
――― 岡部徳三
第1回
巨星がひとつ消えた。偶然とはいえ、新聞でパイクさんの計報を知ったのは、私たちがたまたま2月1日からショールームKORINOで、催すナムジュンパイク展の為、作品展示の準備中のことだった。まさにパイクさんがあの細い腕で、私たちの背中を押してくれているとしか思えないのである。
1973年の春、わたしは休暇のためにNYへでかけた。NYに長く住む友人のアーチスト、キムラ・リサブローが、面白い人物がいるから会ってみたらと、さかんにすすめるアーチストがナムジュン・パイクだった。そこでリサブローとマンハッタンにある有名なウエストベス(芸術家たちのためのアパートメント) に仕事場を借りているパイクを訪れた。壊れかけたTVや、新品(中古か)のTVがところ狭しと積まれているスタジオで、彼は今実験的な仕事をやっているが、糖尿病を患っていて体調がすぐれないなどと喋っていた。しかし本人はいたって元気そうだった。目の前でTVの映像がどんな変化をもたらすとしても、彼がいうTVのアートはありうるのか、わたしには予想もつかない。そこで、その場で切り取ってしまう(版画にする)のはどうかと提案をしてみた。すると自分はシルクスクリーン版画というものを知らないがやってみようということになった。いちど日本に来てもらって打ち合わせをすることになり、彼は「これであなたも蔵が建つよ」と冗談をとばしながら、三人は握手をして分かれた。すでに彼はビデオアートを開拓していく自信に、満ちみちていたのだろう。
(おかべ とくぞう)

ナム・ジュン・パイク
「マクルーハンの肖像」
1978年
シルクスクリーン 5版5色、クレヨン描き込み
刷り:岡部徳三・岡部版画工房
45.3x115.1cm
MO紙
Ed.75
*画像提供:岡部版画出版
■ナム・ジュン・パイク Nam June Paik 白南準(1932年7月20日 - 2006年1月29日)
1932年日本統治下の韓国京城(ソウル)に生まれる。1949年朝鮮戦争の戦禍を逃れて香港に移住、その後日本に渡り東京大学文学部美学美術史学科を卒業。西ドイツへ渡りミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。ジョン・ケージと知り合い大きな影響を受ける。1961年フルクサス運動の創始者ジョージ・マチューナスと出会い、以後、フルクサス運動の中心的存在として活動。1963年テレビ画面を磁石で操作した世界初のビデオ・アート作品を発表。
1964年アメリカに移住。パフォーマンス「ロボット・オペラ」をシャーロット・モーマンと共演する。1977年ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚する。1993年第45回ヴェネチア・ビエンナーレにドイツ館代表として参加、金獅子賞を受賞。1998年京都賞受賞。2000年ニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展開催。2006年マイアミの自宅で死去、享年73。
■岡部徳三(おかべ・とくぞう 1932~2006)
版画刷り師。東京都出身。1964年岡部版画工房を設立。日本のシルクスクリーン版画刷り師の草分けとして、靉嘔、オノサト・トシノブ、草間彌生、横尾忠則をはじめ、多くの現代作家たちの作品を手がけた。ジョン・ケージやナム・ジュン・パイク、ジョナス・メカスなど版画に縁の無かった作家達にも積極的にアプローチして彼らの版画誕生に寄与し、美学校のシルクスクリーン教室の講師としても石田了一はじめ多くの英才を育てた。
『画譜 創刊準備号』表紙 1974年3月
全国版画コレクターの会(仮称)準備会 発行
(1974年5月現代版画センターとして正式発足)
表紙の写真:当時の岡部版画工房と岡部徳三さん
*画廊亭主敬白
版画を制作する現代作家にとって、版画工房、刷り師の存在は重要である。単に刷りを行なう職人という以上に、作家への助言者としてしばしば大きな役割を果たしてきました。
日本におけるシルクスクリーン版画のパイオニアが岡部徳三さんでした。
この原稿は2006年に岡部さんがナム・ジュン・パイクとの想い出を綴ったエッセイです。
残念ながら氏の遺稿となってしまいました。
岡部版画工房のサイトに、当初は連載4回で終了する予定が、書き進めていくうちに追加されていき最終的には全6回になる予定でしたが、5回で中断した原稿です。
岡部さんが74歳で亡くなったのはパイクの死後、半年も経たない2006年6月9日のことでした。
後を継いだ岡部版画出版の許可を得て、このブログで、今日から全5回を集中連載します(再録)。
◆「今週の特集展示:白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)」
会期=2017年8月8日[火]―8月19日[土] 11:00-18:00 ※日・月・祝日休廊
白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)の作品約10点をご覧いただきます。
●夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは8月20日(日)~8月28日(月)まで夏季休廊となります。
◆ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>
日時:2017年9月2日(土)16時~
長年クリストとジャンヌ=クロードのスタッフをつとめてきた柳さんが、世界各地で実現された大規模なプロジェクトを紹介しながら、短期間しか存在しない作品を、アーティスト自身がいかに記録に纏めていったかを、参考映像を交えて語ります。
*要予約/参加費1,000円
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
同時に8月29(火)~9月9日(土)「特集展示:クリストとジャンヌ=クロード」を開催します。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

「これであなたも蔵が建つよ」とパイクは冗談をとばした。
――― 岡部徳三
第1回
巨星がひとつ消えた。偶然とはいえ、新聞でパイクさんの計報を知ったのは、私たちがたまたま2月1日からショールームKORINOで、催すナムジュンパイク展の為、作品展示の準備中のことだった。まさにパイクさんがあの細い腕で、私たちの背中を押してくれているとしか思えないのである。
1973年の春、わたしは休暇のためにNYへでかけた。NYに長く住む友人のアーチスト、キムラ・リサブローが、面白い人物がいるから会ってみたらと、さかんにすすめるアーチストがナムジュン・パイクだった。そこでリサブローとマンハッタンにある有名なウエストベス(芸術家たちのためのアパートメント) に仕事場を借りているパイクを訪れた。壊れかけたTVや、新品(中古か)のTVがところ狭しと積まれているスタジオで、彼は今実験的な仕事をやっているが、糖尿病を患っていて体調がすぐれないなどと喋っていた。しかし本人はいたって元気そうだった。目の前でTVの映像がどんな変化をもたらすとしても、彼がいうTVのアートはありうるのか、わたしには予想もつかない。そこで、その場で切り取ってしまう(版画にする)のはどうかと提案をしてみた。すると自分はシルクスクリーン版画というものを知らないがやってみようということになった。いちど日本に来てもらって打ち合わせをすることになり、彼は「これであなたも蔵が建つよ」と冗談をとばしながら、三人は握手をして分かれた。すでに彼はビデオアートを開拓していく自信に、満ちみちていたのだろう。
(おかべ とくぞう)

ナム・ジュン・パイク
「マクルーハンの肖像」
1978年
シルクスクリーン 5版5色、クレヨン描き込み
刷り:岡部徳三・岡部版画工房
45.3x115.1cm
MO紙
Ed.75
*画像提供:岡部版画出版
■ナム・ジュン・パイク Nam June Paik 白南準(1932年7月20日 - 2006年1月29日)
1932年日本統治下の韓国京城(ソウル)に生まれる。1949年朝鮮戦争の戦禍を逃れて香港に移住、その後日本に渡り東京大学文学部美学美術史学科を卒業。西ドイツへ渡りミュンヘン大学で音楽史を学ぶ。ジョン・ケージと知り合い大きな影響を受ける。1961年フルクサス運動の創始者ジョージ・マチューナスと出会い、以後、フルクサス運動の中心的存在として活動。1963年テレビ画面を磁石で操作した世界初のビデオ・アート作品を発表。
1964年アメリカに移住。パフォーマンス「ロボット・オペラ」をシャーロット・モーマンと共演する。1977年ビデオ・アーティスト久保田成子と結婚する。1993年第45回ヴェネチア・ビエンナーレにドイツ館代表として参加、金獅子賞を受賞。1998年京都賞受賞。2000年ニューヨーク、グッゲンハイム美術館で回顧展開催。2006年マイアミの自宅で死去、享年73。
■岡部徳三(おかべ・とくぞう 1932~2006)
版画刷り師。東京都出身。1964年岡部版画工房を設立。日本のシルクスクリーン版画刷り師の草分けとして、靉嘔、オノサト・トシノブ、草間彌生、横尾忠則をはじめ、多くの現代作家たちの作品を手がけた。ジョン・ケージやナム・ジュン・パイク、ジョナス・メカスなど版画に縁の無かった作家達にも積極的にアプローチして彼らの版画誕生に寄与し、美学校のシルクスクリーン教室の講師としても石田了一はじめ多くの英才を育てた。
『画譜 創刊準備号』表紙 1974年3月全国版画コレクターの会(仮称)準備会 発行
(1974年5月現代版画センターとして正式発足)
表紙の写真:当時の岡部版画工房と岡部徳三さん
*画廊亭主敬白
版画を制作する現代作家にとって、版画工房、刷り師の存在は重要である。単に刷りを行なう職人という以上に、作家への助言者としてしばしば大きな役割を果たしてきました。
日本におけるシルクスクリーン版画のパイオニアが岡部徳三さんでした。
この原稿は2006年に岡部さんがナム・ジュン・パイクとの想い出を綴ったエッセイです。
残念ながら氏の遺稿となってしまいました。
岡部版画工房のサイトに、当初は連載4回で終了する予定が、書き進めていくうちに追加されていき最終的には全6回になる予定でしたが、5回で中断した原稿です。
岡部さんが74歳で亡くなったのはパイクの死後、半年も経たない2006年6月9日のことでした。
後を継いだ岡部版画出版の許可を得て、このブログで、今日から全5回を集中連載します(再録)。
◆「今週の特集展示:白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)」
会期=2017年8月8日[火]―8月19日[土] 11:00-18:00 ※日・月・祝日休廊
白南準(ナム・ジュン・パイク)と文承根(ムン・スングン)の作品約10点をご覧いただきます。●夏季休廊のお知らせ
ときの忘れものは8月20日(日)~8月28日(月)まで夏季休廊となります。
◆ギャラリートークのご案内
柳正彦が語る<プロジェクトとその記録、クリストとジャンヌ=クロードの隠れたライフワーク>
日時:2017年9月2日(土)16時~
長年クリストとジャンヌ=クロードのスタッフをつとめてきた柳さんが、世界各地で実現された大規模なプロジェクトを紹介しながら、短期間しか存在しない作品を、アーティスト自身がいかに記録に纏めていったかを、参考映像を交えて語ります。
*要予約/参加費1,000円
必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記の上、メールにてお申し込みください。
info@tokinowasuremono.com
同時に8月29(火)~9月9日(土)「特集展示:クリストとジャンヌ=クロード」を開催します。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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