森本悟郎のエッセイ その後
第44回 種村季弘(1933~2004) (1)シブとタネ
ぼくが種村季弘という名をはじめて知ったのは大学生になってからで、その初めが西洋美術史の講義※1で聞きかじったマニエリスムへの興味から読んだG・R・ホッケの『迷宮としての世界』訳者としてだったか、『血と薔薇』執筆者のひとりとしてだったか、今となっては判然としないが、タネムラスエヒロという名前だけは銘記した(秋山祐徳太子さんを通じて種村さんと知己を得たのだが、それは金沢で脳梗塞を患った ’95年以降のことである)。
グスタフ・ルネ・ホッケ著、種村季弘・矢川澄子共訳『迷宮としての世界』美術出版社、1965
ともあれ『血と薔薇』購読を機に、澁澤・種村両作品を対のように愛読していて、読書傾向の似た友人たちとは二人を〈シブタネ(澁種)〉などと呼びならわしていた。ともに達意の文章家だが、種村さんを読みはじめた頃は、その語り口から澁澤さんより年長かと思っていた。晩年自らを〈徘徊老人〉と称した種村さんだが、若い時分から老成した印象だった。
「この人とは読むものがずいぶん一致しているな」※2というのが種村さんの澁澤さんについての第一印象だった。たしかに澁澤さんと種村さんの嗜好には文学によらず、美術でも映画・演劇でも重なるところは多い。しかし二人を対比させてみると、〈フランス文学 対 ドイツ文学〉〈シュルレアリスム 対 ダダイスムあるいはマニエリスム〉〈マルキ・ド・サド 対 L・ザッヘル=マゾッホ〉〈幼児性 対 老人性〉〈ノンシャラン 対 勤勉〉等々といった具合で、その違いが大きいことに気づかされる。
25歳と27歳の2度、肺結核を患った澁澤さんには蒲柳の質という印象がつきまとうが、27歳で種村さんがA型肝炎を患ったのは大阪の《釜ヶ崎でへんなもの食ってたため》※3である。私生活でも澁澤さんは子をなさなかったが、種村さんには二人の息子がいる。長じてから、澁澤さんは鎌倉市小町から市内の山ノ内に越しただけだが、種村さんは都内はもとより神奈川・埼玉など十数回引っ越しをしている。〈生活〉についての考え方・姿勢がまるで異なるのだ。種村さんはひとりで海外に出かけたし、ふらりと場末の居酒屋を訪れもしたたが、澁澤さんはしないだろうしできなかっただろう。
澁澤さんは小説を書いたが、種村さんは書かなかった。しかしその種村さんにも〈創作〉の癖(へき)はあるようで、《種村さんに事実と違うことを書かれた》と赤瀬川原平さんから聞いたことがある。この件は赤瀬川さんが文章にも書いていて※4、ことの委細は省くが、《でも、種さんが書くとそっちの方が本当みたいでね》というのには笑った。エッセイや評論のなかにフィクションを忍ばせることで、種村さんは創作願望を満たそうとしていたのではないだろうか。〈フェイク〉が〈ファクト〉を凌駕するという昨今の社会を、種村さんは哄笑しながら先取りしていたように思う。
それでも二人ともに畏敬をもって親交を深めていたことは、相互に書いたものを読めば伝わってくる。種村さんは澁澤さんの死去に際して「出棺の辞」を読み、その後『澁澤龍彥全集』全22巻・別巻2(河出書房新社)と『澁澤龍彥翻訳全集』全15巻・別巻1(同)の編集委員、『澁澤龍彥文学館』全12巻(筑摩書房)の編集協力をしている。その種村さんには『種村季弘のラビリントス』全10巻(青土社)と『種村季弘のネオ・ラビリントス』全8巻(河出書房新社)という2種の著作集はあるが全集はない。これがぼくには不満だ。
種村季弘『澁澤さん家で午後五時にお茶を』河出書房新社、1994
トークを了え、名古屋での関係者による打ち上げ会の席でのことだ。種村さんから、7月に日本人美術家たちについて書いたエッセイ集を出版し、それに合せて本に登場する作家たちのグループ展を銀座の画廊春秋※8で開くことになっているが、ついてはその拡大版をC・スクエアで開くことはできないだろうか、と打診を受けた。展覧会の内容は種村さんならではのラインナップで、文句なく面白いものだったから実現したいと思ったが、ぼくの権限で即断できることではないので、その場では実現に向けて努めるとだけにとどめた。何よりまずいことに、その年のスケジュールは前年に決まっており、話を聞いた2日前に運営委員会が開かれたため、翌年の企画も決定済だったのである。どうしたものかと、頭をめぐらせることになった。
※1 中森義宗武蔵野美術大学講師(当時)の講義である。
※2 種村季弘・出口裕弘「対談 澁澤龍彥の幸福な夢」(種村季弘『澁澤さん家で午後五時にお茶を』河出書房新社、’94)
※3 種村季弘╳渡辺一考「対談 茶利放談会」(『別冊幻想文学 怪人タネラムネラ 種村季弘の箱』アトリエOCTA、’02)
※4 種村季弘「包装の論理──赤瀬川原平」(『奇想の展覧会 魏志画人伝』河出書房新社、’98)のことであり、そのいきさつは赤瀬川原平「ゲスト・エッセイ 覚醒する徘徊老人」(『種村季弘のネオ・ラビリントス 6 食物読本』河出書房新社、’99)参照。
※5 堂本正樹「『血と薔薇』の時代」(『別冊幻想文学 澁澤龍彥スペシャル Ⅰ シブサワ・クロニクル』幻想文学出版局、’88)
※6 「水晶と模型の夢 鼎談・高橋睦郎╳松岡正剛╳朝吹真理子」(『文學界』2017年8月号)
※7 当ブログ「第21回 赤瀬川原平とライカ同盟 ⑶ 三重視」(2016年2月)参照。この展覧会について種村は「三重視」という文章を残している(種村季弘『雨の日はソファで散歩』ちくま書房、’05)。
※8 もとはコレクターでもあった浅川邦夫がオーナーだったが、’95年に種村季弘の子息品麻のパートナーである幸子が経営権を譲り受けたもの。’99年銀座2丁目に移転するとともに、スパンアートギャラリーと名称を変え、現在にいたる。浅川のコレクションは足利市立美術館に寄託されている。
(もりもと ごろう)
■森本悟郎 Goro MORIMOTO
1948年名古屋市生まれ。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーC・スクエアキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。現在、表現研究と作品展示の場を準備中。
●今日のお勧め作品は、南桂子です。
南桂子
《日本の茂み》
銅版 1977年
イメージサイズ:35.0×28.2cm
シートサイズ:55.9×37.8cm
Ed.50 サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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会期:2017年11月28日(火)~12月2日(土)
出品100点のリストは11月11日ブログに掲載しています。
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。
事前の作品予約が80点を超え、ほとんどの作品に複数の申し込みがあり抽選となりました。おかげで一点もお買いになれない方が40人も。嬉しいのか、惜しいのか・・・・・
◆銀座のギャラリーせいほうで宮脇愛子展が開催されています。
「宮脇愛子展 last works(2013~14)」
会期=2017年11月20日[月]~12月2日[土] ※日・祝日休廊
会場=ギャラリーせいほう
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10-7 東成ビル1F
電話:03-3573-2468
最後の新作である油彩を中心に立体(ガラス、真鍮)、ドローイング、版画など。
●書籍のご案内
『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。
『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
(NA建築家シリーズ 特別編 日経アーキテクチュア)
価格:2,700円+税 *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
安藤先生のサイン本をときの忘れもので扱っています。
六本木の国立新美術館では「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]~12月18日[月]
番頭おだちのオープニング・レポートはコチラを、光嶋裕介さんのエッセイ「安藤忠雄展を見て」と合わせてお読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

第44回 種村季弘(1933~2004) (1)シブとタネ
ぼくが種村季弘という名をはじめて知ったのは大学生になってからで、その初めが西洋美術史の講義※1で聞きかじったマニエリスムへの興味から読んだG・R・ホッケの『迷宮としての世界』訳者としてだったか、『血と薔薇』執筆者のひとりとしてだったか、今となっては判然としないが、タネムラスエヒロという名前だけは銘記した(秋山祐徳太子さんを通じて種村さんと知己を得たのだが、それは金沢で脳梗塞を患った ’95年以降のことである)。
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25歳と27歳の2度、肺結核を患った澁澤さんには蒲柳の質という印象がつきまとうが、27歳で種村さんがA型肝炎を患ったのは大阪の《釜ヶ崎でへんなもの食ってたため》※3である。私生活でも澁澤さんは子をなさなかったが、種村さんには二人の息子がいる。長じてから、澁澤さんは鎌倉市小町から市内の山ノ内に越しただけだが、種村さんは都内はもとより神奈川・埼玉など十数回引っ越しをしている。〈生活〉についての考え方・姿勢がまるで異なるのだ。種村さんはひとりで海外に出かけたし、ふらりと場末の居酒屋を訪れもしたたが、澁澤さんはしないだろうしできなかっただろう。
澁澤さんは小説を書いたが、種村さんは書かなかった。しかしその種村さんにも〈創作〉の癖(へき)はあるようで、《種村さんに事実と違うことを書かれた》と赤瀬川原平さんから聞いたことがある。この件は赤瀬川さんが文章にも書いていて※4、ことの委細は省くが、《でも、種さんが書くとそっちの方が本当みたいでね》というのには笑った。エッセイや評論のなかにフィクションを忍ばせることで、種村さんは創作願望を満たそうとしていたのではないだろうか。〈フェイク〉が〈ファクト〉を凌駕するという昨今の社会を、種村さんは哄笑しながら先取りしていたように思う。
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澁澤さんは種村さんのことを密かに〈スーパー・インテリ〉と呼んでいたらしい※5。博覧強記で知られる澁澤さんが種村さんに一目置いていたというのは興味深いことだ。さらに澁澤さんと親交が深かった三島由紀夫が《澁澤は出典とかネタの出所が全部わかるんだよ(中略)そういう意味では、出所がわからないだけに、俺は種村(季弘)が好きだな》と言っていたという詩人・高橋睦郎の証言もある※6。それはつまり、種村さんが書物のみならず足で稼ぎ、市井に紛れ込んで聞き耳をたて、しっかと情景を目に焼きつける、あるいは興味ある人物には直接会って取材する、というフィールドワークを加えることでネタの出所を突き止めにくくさせたということではないか。それでも二人ともに畏敬をもって親交を深めていたことは、相互に書いたものを読めば伝わってくる。種村さんは澁澤さんの死去に際して「出棺の辞」を読み、その後『澁澤龍彥全集』全22巻・別巻2(河出書房新社)と『澁澤龍彥翻訳全集』全15巻・別巻1(同)の編集委員、『澁澤龍彥文学館』全12巻(筑摩書房)の編集協力をしている。その種村さんには『種村季弘のラビリントス』全10巻(青土社)と『種村季弘のネオ・ラビリントス』全8巻(河出書房新社)という2種の著作集はあるが全集はない。これがぼくには不満だ。
種村季弘『澁澤さん家で午後五時にお茶を』河出書房新社、1994*
これは前に書いたことだが、1998年4月、津市の三重県立美術館で「ライカ同盟展『三重視』」を開催し、初日のトークイベントに種村さんをゲストに招いた※7。ライカ同盟の赤瀬川・秋山・高梨3同盟員と種村さんは旧知の仲であり、三重県は御尊父の出身地でもあることから、ふさわしい人選だった。トークを了え、名古屋での関係者による打ち上げ会の席でのことだ。種村さんから、7月に日本人美術家たちについて書いたエッセイ集を出版し、それに合せて本に登場する作家たちのグループ展を銀座の画廊春秋※8で開くことになっているが、ついてはその拡大版をC・スクエアで開くことはできないだろうか、と打診を受けた。展覧会の内容は種村さんならではのラインナップで、文句なく面白いものだったから実現したいと思ったが、ぼくの権限で即断できることではないので、その場では実現に向けて努めるとだけにとどめた。何よりまずいことに、その年のスケジュールは前年に決まっており、話を聞いた2日前に運営委員会が開かれたため、翌年の企画も決定済だったのである。どうしたものかと、頭をめぐらせることになった。
※1 中森義宗武蔵野美術大学講師(当時)の講義である。
※2 種村季弘・出口裕弘「対談 澁澤龍彥の幸福な夢」(種村季弘『澁澤さん家で午後五時にお茶を』河出書房新社、’94)
※3 種村季弘╳渡辺一考「対談 茶利放談会」(『別冊幻想文学 怪人タネラムネラ 種村季弘の箱』アトリエOCTA、’02)
※4 種村季弘「包装の論理──赤瀬川原平」(『奇想の展覧会 魏志画人伝』河出書房新社、’98)のことであり、そのいきさつは赤瀬川原平「ゲスト・エッセイ 覚醒する徘徊老人」(『種村季弘のネオ・ラビリントス 6 食物読本』河出書房新社、’99)参照。
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※7 当ブログ「第21回 赤瀬川原平とライカ同盟 ⑶ 三重視」(2016年2月)参照。この展覧会について種村は「三重視」という文章を残している(種村季弘『雨の日はソファで散歩』ちくま書房、’05)。
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1948年名古屋市生まれ。1971年武蔵野美術大学造形学部美術学科卒業。1972年同専攻科修了。小学校から大学までの教職を経て、1994年から2014年3月末日まで中京大学アートギャラリーC・スクエアキュレーター。展評、作品解説、作家論など多数。現在、表現研究と作品展示の場を準備中。
●今日のお勧め作品は、南桂子です。
南桂子《日本の茂み》
銅版 1977年
イメージサイズ:35.0×28.2cm
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆本日から5日間「メキシコ地震被災地支援・チャリティー頒布会」を開催します。

会期:2017年11月28日(火)~12月2日(土)
出品100点のリストは11月11日ブログに掲載しています。
全作品、一律8,000円で頒布し、売上金全額を被災地メキシコに送金します。
事前の作品予約が80点を超え、ほとんどの作品に複数の申し込みがあり抽選となりました。おかげで一点もお買いになれない方が40人も。嬉しいのか、惜しいのか・・・・・
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「宮脇愛子展 last works(2013~14)」会期=2017年11月20日[月]~12月2日[土] ※日・祝日休廊
会場=ギャラリーせいほう
〒104-0061 東京都中央区銀座8丁目10-7 東成ビル1F
電話:03-3573-2468
最後の新作である油彩を中心に立体(ガラス、真鍮)、ドローイング、版画など。
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『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別)*送料別途250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。
『安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言』2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
(NA建築家シリーズ 特別編 日経アーキテクチュア)
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亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
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会期:2017年9月27日[水]~12月18日[月]
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