佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」

第15回 インドのプロジェクトについて、石山修武さんとのやりとり

インド・シャンティニケタンの家づくりの仕事をひとまず終えて日本へ帰国した後しばらくして、師である石山修武さんへその報告をした。できあがった写真数枚と掲載された新聞を見せ、若干の説明を言葉で加えただけであるが、石山さんはやはり透かして見ているかのようにその核心を突き止めてくる。その批評を、すぐに自身のウェブサイトに載せていただいている。(2018年4月4日現在、計10の文章)http://setagaya-mura.net/jp/top.html#sato-india-10

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自分がインドで仕事を成したかったのは、何となく今まで生きてきた日本、特に東京という馴染みある環境に、自分自身の思考や手の動き、デザインの幅をはめ込みたくなかったからである。ともすれば、今自分が置かれている環境に順応し、満足してしまう自身の甘さを知っているので、自分を律するためにインドでの仕事を求めた。自分を律するとは、必ずしも自律、インディペンデントな振る舞いではなく、インドという巨大な未知に依っていきながら、むしろ閉塞しがちで固まりがちな自分の思考を解そうとしたのである。

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石山さんが指摘するように、インド・シャンティニケタンで出来上がった家は、現地の鉄筋コンクリートの躯体と日本の木工技術の並存こそが重要である。本来、建築設計は施工全体を監理し、その施工の精度に配慮すべきでもあるが、シャンティニケタンの家では鉄筋コンクリートの躯体工事には私は現地に行かずにメールのやりとりのみの遠隔的な介入にとどまった。もちろん基本的な形状、平面形はあらかじめこちらで設計した図面によって指示を出しているが、特に構造的に必要となる梁と柱の接合部や、壁や床との取り合いなどについては現場の職人あるいは現地のコンストラクターらによる判断によって決められた。現場も小さかったため、いわゆる現場の監理は施主自らがほぼ毎日現場に通って、コンストラクターと協議をしてもいた。つまり、原形は作っていたにせよ、鉄筋コンクリート躯体の部分は私の手からはかなり遠く離れたところで現れ出たのである。なので、その後の日本の木工技術の付加は、鉄筋コンクリートと木造の周到な組み合わせのデザインというよりかは、いわゆるリノベーションのような、鉄筋コンクリートという既に存在する躯体に対して、取り付くように木造を内部に付加した。であるから、現場での判断は欠かすことはできず、木造、内部造作の工事段階では、私は現場に寝泊まりして滞在し、同じく滞在していた日本からのチームメンバーと共にほぼ一からデザインを組み立て直したのであった。

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石山さんからの、「それ故に写真で見る限り、柱、梁が内部に露出して線状の構造が少しばかりうるさい。日本的大工の線状形態の家具や、装置群とハレーションをおこしている。」(「佐藤研吾のインドでの仕事 6」)という指摘は、まさにその通りで、インドの現場が作り上げたあまり洗練されてはいない野暮な鉄筋コンクリートの造形に対して、抽象的で慎ましい表情の木工造作を対置するわけにも行かず、むしろハレーションを起こし、その内部空間においてそれぞれの造形がストラグルしながら応答するようなデザインを選んだ。設計段階においては、大江宏の香川県立文化会館を特に参照し、その鉄筋コンクリートと内部木造の同居からうまれる荘厳さを生み出そうとも試みたが、スケールの違いゆえに、実際の現場ではモノの質感と量感よりかはそれらの外形線、造形のぶつかり合いが強く出すぎてしまった感もあり、それは口惜しい。

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次に続く、「安藤忠雄のコンクリートは柱、梁の線をすべて壁や床に埋め込んだところが特色である。佐藤研吾はまだそのコンクリートの状態を充分に身体化していない。すでに安藤のボキャブラリーは共有財産であるから、学んだ方が良い。」のアドバイスは粛々と受けて、次の現場で取り組まなければいけないことである。実はちょうど、今回のシャンティニケタンの家を見学に来た別のインドの人から、安藤忠雄のような家を作りたい、と相談を受けていたところであったので、インドの場当たり的な現場をどのように対峙し、洗練と野暮の同居をコントロールしていくか、次の課題である。

やはりインドの仕事をやっているときには、他者をもって自分自身を律しているのがより強く自覚できる。特に建築という具体的なモノを扱いながら、自分の思考を確かめることができるのは何よりも嬉しいことだと改めて実感している。
さとう けんご

■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。

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新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
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