明日8月24日より、ときの忘れものは「吉田克朗 LONDON 1975 」を開催します。
玄関で出迎えるのは、吉田克朗が宣伝美術を担当した劇団乱気流のポスター。
吉田克朗
劇団乱気流 旗上げ公演「幻飛行散華」
(作=中山幹雄・岡倉俊彦、演出=岡倉俊彦、全国労音会館ホール)
オフセット 79.0×54.6cm
*ポスターには年が記載されていないのですが、恐らくは1983年のものと思われます。
21日のブログでご紹介した通り、出品は1975年に青画廊で発表展示された銅版画集『LONDON II』シリーズ12点が中心ですが、同じ頃に制作されたシルクスクリーンとリトグラフも展示します。
特に珍しいのが「Work "46"」(1975年、リトグラフ)です。

吉田克朗「Work "46"」 1975年 リトグラフ
イメージサイズ:44.8×29.3cm、シートサイズ :65.6×50.4cm
Ed.100 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
いくら40数年前の作品とはいえ、限定100部も作ったんだから珍しいはずはないだろう、と皆さんお思いでしょうが、いくら100部もつくっても流通しなければ「無い」と同じです。
この作品、制作されてから40数年間、某所にそっくり眠っていました。
版元は久保貞次郎先生です。
「Work "46"」に関しては「久保エディション第3回」で以前ご紹介しました。
いわゆる久保銘柄ではない吉田克朗先生の版画をなぜエディションしたか、詳しいことは亭主もわかりません。推測はできるのですが、確信が持てないので、これは次回の課題とします。
「支持することは買うことだ」を信条とした久保先生ですが、このように大枚投じてエディションしたにもかかわらず、売らずに(売る暇もないうちに)そのまま眠ってしまったものも少なくありません。いかにも久保先生らしいのですが・・・・。
今回展示する作品は従って1975年制作ですが、新品です。
■吉田克朗 (1943-1999)
1943(昭和18)年9月23日 埼玉県深谷生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。 1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年第8回現代日本美術展、69年「現代美術の動向」展、70年「現代美術の一断面」展、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。 また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞受賞。
以後、72年クラコウ国際版画ビエンナーレほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。
1999(平成11)年9月5日、鎌倉で死去。周囲から惜しまれた55歳の若すぎる死でした。

1978年7月10日青山ラミアにて
関根伸夫ヨーロッパ巡回展に向けての歓送会
関根伸夫(左)と、当日の司会役を勤めた吉田克朗(右)
◆ときの忘れものは「吉田克朗 LONDON 1975 」を開催します。
会期:2018年8月24日[金]―9月8日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
吉田克朗(1943-1999)は「もの派」の中心作家として物性の強い立体作品を制作する一方、風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画を精力的に制作しました。本展では『LONDON II』シリーズなど15点をご紹介します。

玄関で出迎えるのは、吉田克朗が宣伝美術を担当した劇団乱気流のポスター。
吉田克朗劇団乱気流 旗上げ公演「幻飛行散華」
(作=中山幹雄・岡倉俊彦、演出=岡倉俊彦、全国労音会館ホール)
オフセット 79.0×54.6cm
*ポスターには年が記載されていないのですが、恐らくは1983年のものと思われます。
21日のブログでご紹介した通り、出品は1975年に青画廊で発表展示された銅版画集『LONDON II』シリーズ12点が中心ですが、同じ頃に制作されたシルクスクリーンとリトグラフも展示します。
特に珍しいのが「Work "46"」(1975年、リトグラフ)です。

吉田克朗「Work "46"」 1975年 リトグラフ
イメージサイズ:44.8×29.3cm、シートサイズ :65.6×50.4cm
Ed.100 サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
いくら40数年前の作品とはいえ、限定100部も作ったんだから珍しいはずはないだろう、と皆さんお思いでしょうが、いくら100部もつくっても流通しなければ「無い」と同じです。
この作品、制作されてから40数年間、某所にそっくり眠っていました。
版元は久保貞次郎先生です。
「Work "46"」に関しては「久保エディション第3回」で以前ご紹介しました。
いわゆる久保銘柄ではない吉田克朗先生の版画をなぜエディションしたか、詳しいことは亭主もわかりません。推測はできるのですが、確信が持てないので、これは次回の課題とします。
「支持することは買うことだ」を信条とした久保先生ですが、このように大枚投じてエディションしたにもかかわらず、売らずに(売る暇もないうちに)そのまま眠ってしまったものも少なくありません。いかにも久保先生らしいのですが・・・・。
今回展示する作品は従って1975年制作ですが、新品です。
■吉田克朗 (1943-1999)
1943(昭和18)年9月23日 埼玉県深谷生まれ。1968年多摩美術大学絵画科卒。斎藤義重教室で学ぶ。 1968年から70年代にかけて、「もの派」の中心作家として《Cut-off》シリーズをはじめとする物性の強い立体作品を制作。1968年第8回現代日本美術展、69年「現代美術の動向」展、70年「現代美術の一断面」展、71年「パリ青年ビエンナーレ」などに出品した。 また、1969年から風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画の制作を始め、70年第1回ソウル国際版画ビエンナーレで大賞受賞。
以後、72年クラコウ国際版画ビエンナーレほか国内外の版画展に出品。1973年-74年文化庁芸術家在外研修員としてイギリスに滞在。さらに1980年代からは絵画の制作を始め、平面的な色彩の《かげろう》シリーズ、黒鉛と指を使った《蝕》シリーズほかを制作した。1982年鎌倉中央公民館の壁画を制作。1997年から武蔵野美術大学教授を務めた。
1999(平成11)年9月5日、鎌倉で死去。周囲から惜しまれた55歳の若すぎる死でした。

1978年7月10日青山ラミアにて
関根伸夫ヨーロッパ巡回展に向けての歓送会
関根伸夫(左)と、当日の司会役を勤めた吉田克朗(右)
◆ときの忘れものは「吉田克朗 LONDON 1975 」を開催します。
会期:2018年8月24日[金]―9月8日[土] 11:00-19:00※日・月・祝日休廊
吉田克朗(1943-1999)は「もの派」の中心作家として物性の強い立体作品を制作する一方、風景や人物のスナップ写真を使ったシルクスクリーン(後にフォトエッチング)による版画を精力的に制作しました。本展では『LONDON II』シリーズなど15点をご紹介します。

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