松本竣介研究ノート 第14回
作品『街』の話
小松﨑拓男
図1『街』
1938年8月
油彩・板
131.0×163.0cm
第25回二科展出品
(公財)大川美術館
1938年8月制作のサインの入った『街』(図1)は第25回二科展に出品された。さまざまな階調の青を基調に背景には線描で俯瞰的なビルなどの都会風景が描かれ、さらにその前景には街を行き交い、都会に暮らす人々の姿が同じく線描で重なり合うように描かれている。中央やや左寄りに描かれたピンク色の衣装の女性の立像が青の色彩の中で印象的なイメージを作り出す。モダンな都会風景を建物と人物を重なり合うように描くモンタージュの技法によって描いた最初の作品として松本竣介の代表作のひとつと言えるだろう。
この作品の成立過程については、すでに第7回の連載で触れているが、作品についてもう少し詳しく見てみよう。
図2 松本竣介『街』部分
背景のビル群はおおよそ三つに分かれている。以後の作品では建物などの重なりが大きくなり、抽象的で構成的な要素が強くなっていくのだが、まだこの作品では建物などが個別的に描写され、独立した風景画のような扱いになっている。そして中央右上の建物群の中には、青と白のストライプの屋根の建物(図2)が描かれており、これは『郊外』の中で描かれていた建物の表現と類似し、前作との繋がりをよく表している。注目しておくべき点だろう。
図3 素描
図4 素描
ところで、この中に描かれた人物像は、ジョージ・グロスの作品の模写から取られたものであり、その下絵となっていく素描も複数残っている。この素描の原画を特定しようという試みもかなり前から行われている。その一つに岩手県立美術館の学芸員だった佐々木一成さんの研究がある。(注1)
段ボールの山の中に埋もれてしまい、所在が行方知れずになっている佐々木さんの論文を, 先日久しぶりに佐々木さんと連絡を取り、改めてメールで送ってもらった。
その論文によれば、松本竣介のグロスを模写した素描は、当時岩手県立博物館所蔵の1点に、総合工房版の『松本竣介素描』に所載の2点(図3、4)に、手を模写したものが2点(図5)ある。佐々木さんは、例の鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』の中の図版と比べて、ひとつひとつの素描の原画を確かめている。
結果、ほぼ、ほとんど全ての素描が原画と照応でき、さらには、手を模したものの中にある1929年に刊行された『藤田嗣治画集』からの模写の同定も行われた。この時、わからなかったのは、グロスの作品の顔を模したはずのものの一部の出典が不明であったことと、ドーミエの模写(図6)と思われるものが何に依ったのかがわからなかったことである、とある。
図5 素描
図6 ドーミエの模写の素描
図7 院生時代に作成した資料
さて、実はここからが今回の本題である。佐々木さんの研究論文は1983年に書かれたものである。ちょうど私が修士論文を提出し、大学院の修士課程を修了し、博士後期課程に進学した頃である。
実は、この時、私も佐々木さんと全く同じことをやっていた。その資料が、舟越先生のインタヴューのメモの資料が綴じられていたルーズ・リーフのファイルの中から出てきた。(図7)鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』をコピーしたファイル(図8、9)もある。当時の岩手県博が所蔵していた資料は、この時、手にしていなかったが、『松本竣介素描』は手元にあった。結論は、ほぼ佐々木さんと一致している。つまり、特定できない「顔」の素描がいくつかあったのだ。
しかし、ドーミエの模写については違った。松本竣介が何から模写していたかは、既に当時調べがついていた。(図10)私の資料のメモには、『みづゑ』406、1938年12月号の雑誌名が記されている。もう一度調べてみないと確認はできない。だが、何れにせよ、すべての出典が明らかになっている。
図8 鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』をコピーしたファイル
図9 鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』をコピーしたファイルの中
図10 ドーミエの素描の原画を特定した時の資料
そしてもうひとつ、特定できていなかった顔の素描に関しても、どこから取られたか、今回、このエッセーを書くにあたって、調べ直していたら、偶然にも見つけることができた。
結論を言えば、鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』にはない『あゝ、狂気の世界よ、汝は至福の異常者博覧会』と題された作品(図11)から模写されたもので、『ECCE HOMO』にカラーで所載されている。(注2)
図11 ジョージ・グロス『あゝ、狂気の世界よ、汝は至福の異常者博覧会』1916年
とはいうものの、2つの顔が未だに典拠不明のままである。子どもと落書きのような男の顔だ(図12、13)。誰かこの2点について知るものはいるだろうか。
図12 出典不明な素描1
図13 出典不明な素描2
学問の業績に関しては、どうしても先陣争いになる。確かどこかでドーミエについては誰かがやっていたような気がする。グロスはどうであろうか?どちらか、あるいは両方とも、もしも誰もまだ、言及していないようであれば、あながちこの指摘も無駄ではないということだ。
だが、両方とも、もう誰かがしていたら。それは仕方がない。学問の先陣争いとは結果であるので、プロセスがどうであろうと、早い者勝ちなのだ。もう一度また「未踏の荒野」に立てばいいだけの話である。(頑張れ、自分!←心の声)
注1 佐々木一成「『人物を主とせる構想画』の成立―松本竣介とゲオルグ・グロッス」『岩手県立博物館研究報告』第1号1983年3月 pp.102~113
注2 「特集=ゲオルク・グロッス」『ART VIVANT』29号 西武美術館 1988年7月25日p28
なお、『ECCE HOMO』のオリジナルは1923年ドイツで出版され、直ちに警察に没収され、破棄、罰金が課せられている。日本には村山知義が持ち帰ったとされる。この『ART VIVANT』に復刻されている。
(こまつざき たくお)
●小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。
■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2018年07月26日|《柳正彦「クリスト新作報告会」》ギャラリートーク・レポート
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作品『街』の話
小松﨑拓男
図1『街』1938年8月
油彩・板
131.0×163.0cm
第25回二科展出品
(公財)大川美術館
1938年8月制作のサインの入った『街』(図1)は第25回二科展に出品された。さまざまな階調の青を基調に背景には線描で俯瞰的なビルなどの都会風景が描かれ、さらにその前景には街を行き交い、都会に暮らす人々の姿が同じく線描で重なり合うように描かれている。中央やや左寄りに描かれたピンク色の衣装の女性の立像が青の色彩の中で印象的なイメージを作り出す。モダンな都会風景を建物と人物を重なり合うように描くモンタージュの技法によって描いた最初の作品として松本竣介の代表作のひとつと言えるだろう。
この作品の成立過程については、すでに第7回の連載で触れているが、作品についてもう少し詳しく見てみよう。
図2 松本竣介『街』部分背景のビル群はおおよそ三つに分かれている。以後の作品では建物などの重なりが大きくなり、抽象的で構成的な要素が強くなっていくのだが、まだこの作品では建物などが個別的に描写され、独立した風景画のような扱いになっている。そして中央右上の建物群の中には、青と白のストライプの屋根の建物(図2)が描かれており、これは『郊外』の中で描かれていた建物の表現と類似し、前作との繋がりをよく表している。注目しておくべき点だろう。
図3 素描
図4 素描ところで、この中に描かれた人物像は、ジョージ・グロスの作品の模写から取られたものであり、その下絵となっていく素描も複数残っている。この素描の原画を特定しようという試みもかなり前から行われている。その一つに岩手県立美術館の学芸員だった佐々木一成さんの研究がある。(注1)
段ボールの山の中に埋もれてしまい、所在が行方知れずになっている佐々木さんの論文を, 先日久しぶりに佐々木さんと連絡を取り、改めてメールで送ってもらった。
その論文によれば、松本竣介のグロスを模写した素描は、当時岩手県立博物館所蔵の1点に、総合工房版の『松本竣介素描』に所載の2点(図3、4)に、手を模写したものが2点(図5)ある。佐々木さんは、例の鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』の中の図版と比べて、ひとつひとつの素描の原画を確かめている。
結果、ほぼ、ほとんど全ての素描が原画と照応でき、さらには、手を模したものの中にある1929年に刊行された『藤田嗣治画集』からの模写の同定も行われた。この時、わからなかったのは、グロスの作品の顔を模したはずのものの一部の出典が不明であったことと、ドーミエの模写(図6)と思われるものが何に依ったのかがわからなかったことである、とある。
図5 素描
図6 ドーミエの模写の素描
図7 院生時代に作成した資料さて、実はここからが今回の本題である。佐々木さんの研究論文は1983年に書かれたものである。ちょうど私が修士論文を提出し、大学院の修士課程を修了し、博士後期課程に進学した頃である。
実は、この時、私も佐々木さんと全く同じことをやっていた。その資料が、舟越先生のインタヴューのメモの資料が綴じられていたルーズ・リーフのファイルの中から出てきた。(図7)鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』をコピーしたファイル(図8、9)もある。当時の岩手県博が所蔵していた資料は、この時、手にしていなかったが、『松本竣介素描』は手元にあった。結論は、ほぼ佐々木さんと一致している。つまり、特定できない「顔」の素描がいくつかあったのだ。
しかし、ドーミエの模写については違った。松本竣介が何から模写していたかは、既に当時調べがついていた。(図10)私の資料のメモには、『みづゑ』406、1938年12月号の雑誌名が記されている。もう一度調べてみないと確認はできない。だが、何れにせよ、すべての出典が明らかになっている。
図8 鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』をコピーしたファイル
図9 鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』をコピーしたファイルの中
図10 ドーミエの素描の原画を特定した時の資料そしてもうひとつ、特定できていなかった顔の素描に関しても、どこから取られたか、今回、このエッセーを書くにあたって、調べ直していたら、偶然にも見つけることができた。
結論を言えば、鉄塔書院版の『無産階級の画家 ゲオルグ・グロッス』にはない『あゝ、狂気の世界よ、汝は至福の異常者博覧会』と題された作品(図11)から模写されたもので、『ECCE HOMO』にカラーで所載されている。(注2)
図11 ジョージ・グロス『あゝ、狂気の世界よ、汝は至福の異常者博覧会』1916年とはいうものの、2つの顔が未だに典拠不明のままである。子どもと落書きのような男の顔だ(図12、13)。誰かこの2点について知るものはいるだろうか。
図12 出典不明な素描1
図13 出典不明な素描2学問の業績に関しては、どうしても先陣争いになる。確かどこかでドーミエについては誰かがやっていたような気がする。グロスはどうであろうか?どちらか、あるいは両方とも、もしも誰もまだ、言及していないようであれば、あながちこの指摘も無駄ではないということだ。
だが、両方とも、もう誰かがしていたら。それは仕方がない。学問の先陣争いとは結果であるので、プロセスがどうであろうと、早い者勝ちなのだ。もう一度また「未踏の荒野」に立てばいいだけの話である。(頑張れ、自分!←心の声)
注1 佐々木一成「『人物を主とせる構想画』の成立―松本竣介とゲオルグ・グロッス」『岩手県立博物館研究報告』第1号1983年3月 pp.102~113
注2 「特集=ゲオルク・グロッス」『ART VIVANT』29号 西武美術館 1988年7月25日p28
なお、『ECCE HOMO』のオリジナルは1923年ドイツで出版され、直ちに警察に没収され、破棄、罰金が課せられている。日本には村山知義が持ち帰ったとされる。この『ART VIVANT』に復刻されている。
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■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。
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