松本竣介研究ノート 第15回

画家が影響を受けるということ 上


小松﨑拓男


 松本竣介が影響を受けた画家は多い。最初期のアメデオ・モジリアニ、ジョルジュ・ルオーから、前回取り上げたジョージ・グロッスなど個性的で多彩な画家たちからさまざまな影響を受けている。
 佐々木一成の論文(注1)にあるように、残された素描から明らかにジョージ・グロッス、オノレ・ドーミエや藤田嗣治の模写を行なっていたことがわかる。
 さらに村上博哉は1998年から1999年にかけて行われた『没後50年松本竣介』展のカタログ(図1)の中で、松本竣介の油彩画、素描にみられる、西欧の画家たちの作品からの顔の模写や写しを丹念に調査し、作品の元になった原画を図版とともに紹介して何が原画になったかを指摘している。アトリエに残された蔵書の中の画集や雑誌なども丁寧に調べながらのもので、労作と言えるだろう。(注2)

図1 『没後50年 松本竣介』展図録表紙 図1 『没後50年 松本竣介』展図録表紙

 これに従えば、上記の西欧の画家4人に加えて、サンドロ・ボッティチェリ(図2)、エル・グレコ、レンブラント・ファン・レイン、ウジェーヌ・ドラクロア、ピエール・ボナール、パブロ・ピカソのほか、アンリ・マチス、ジャン=フランソワ・ミレー、ファン・ゴッホ、アントニオ・デル・ポッライオーロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンティ、ティツィアーノ・ヴェチェリオ、ディエゴ・ベラスケスと実に多くの、そしてさまざまな画家たちの名前が登場する。

図2 村上博哉「写す画家、松本竣介」掲載図版 図2 村上博哉「写す画家、松本竣介」掲載図版

 しかも、これらは単なる模写ではなく、転写や転用など、作品へのエクササイズのようなさまざまなバリエーションで行われており、松本竣介の熱心な探求の跡がうかがわれるものだ。また、村上博哉などの指摘によれば、単に小品や素描のためだけのものではなく、1941年制作の『画家の像』(図3)や1942年の『立てる像』、さらにはそれに続く1943年の『三人』(図4)『五人』(図5)の二科展への出品画の制作と密接な関係があったのではないかという。確かかなり早くから朝日晃も著書『松本竣介』の中で、群像作品に関してはピエロ・デラ・フランチェスカの引用といった指摘もしている。(注3)

図3画家の像 図3
「画家の像」
 1941年
 油彩・板
 162.4×112.7cm
 第28回二科展(1941年9月)
 宮城県美術館

図4 三人 図4
「三人」
 1943年
 油彩・画布
 162.0×113.0cm
 第30回二科展(1943年9月)
 個人蔵

図5 五人 図5
「五人」
 1943年
 油彩・画布
 162.0×130.0cm
 個人蔵

 こうした画家たちに対する興味や研究の切掛けになったことは、モジリアニなら周囲の友人たちからの知識であったろうし、ルオー体験は当時評判を呼んだ福島コレクションの展観でルオーの実作を見たことであったろう。その他の画家たちに関しては実作を見る機会はほとんどなかっただろうと思われ、多くが画集や美術雑誌の図版を介してだったろう。しかし、その関心の幅の広さは、松本竣介の図抜けた読書量とさまざまなジャンルに対する興味の結果であり、教養を求める知的な探究心がそれを可能なものにしたと言える。このことは、まさに松本竣介が「知性の画家」だったという証左のように思えるのである。
 一方、こうした西洋美術への古今を問わない参照に対して、日本人画家からの影響は少ない。唯一指摘されているのは、野田英夫と藤田嗣治の二人だろう。
 野田英夫との邂逅については朝日晃が前掲書の中で触れている。(注4)また藤田嗣治からの影響も同書で指摘している。(注5)しかし、この指摘のように藤田に対する興味が技法にあったことは論を待たないだろうと思われるが、野田英夫と松本竣介の関係については、構想や表現の類似性、野田の作品が展示され二科展に入選していたこと、さらには書架に画集があったことから、深く傾倒していたのだという読み込みや、単に影響があったとする考え方については、もう少し慎重に検討すべきではないかという気がしている。なぜかというと、確かに画面に現れた俯瞰的な都会風景と、そこに人物がモンタージュされるという様子は絵画的な造形としての意味では類似性を感じるかもしれない。しかし、何か野田英夫と松本竣介の絵画には、根本的な、かつ本質的な違いがあり、私には強い類似性よりも、むしろ、画面を見ていると何か違和感のようなものがあるように感じられてならないのだ。この辺りは今後研究すべき私にとっての一つの課題かもしれない。
 さて、もう一人の藤田嗣治に関しては、藤田の絵画技法に対する興味と関心であったことは、間違いがない。また手の模写などの成果は、確かに作品上に明瞭に見て取ることができるだろう。だが、そうしたことよりも、実は私にはもう一点、長く藤田の作品との関連で気になっていることがある。この点については次回少し考えてみたいと思う。(続く)



注1 佐々木一成「『人物を主とせる構想画』の成立―松本竣介とゲオルグ・グロッス」『岩手県立博物館研究報告』第1号1983年3月 pp.102~113
注2 村上博哉「写す画家、松本竣介」『没後50年松本竣介』展図録 共同通信社 1998年 pp.175~187
注3 朝日晃『松本竣介』日動出版 1977年 p178
注4 同上 pp.103~104、p143
注5 同上 pp.178~179

参考 野田英夫『都会』1934年 東京国立近代美術館蔵
こまつざき たくお

小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。

小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

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2017年
木彫 楠木、アクリル
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