「私が出会ったアートな人たち」第3回

「桐生つながりで出会ったアートな人たち」

アートフル勝山の会 荒井由泰


1300年の歴史を誇る織都(しょくと)桐生はまさに織物で栄えた都市だ。福井県の織物も同じぐらいの歴史があるが、先に織都と言われてしまうと桐生のブランド力が上回る。時代は下って、明治の20年代に福井の先人たちが礼を尽くして当時、欧米で人気の絹「羽二重(はぶたえ)」織物の製造技術を桐生から学んだ。気候風土や進取の精神がフォローの風となり、明治の終わりから大正にかけて、福井県が日本一の「羽二重」織物の産地となり、福井県の製造業の基盤をつくるとともに、欧米に輸出され、外貨を稼ぐ大きな力となった。

私が会長をつとめるケイテー株式会社も1911年に羽二重織物の製造・販売で創業している。ちなみに当時の社名は勝山機業兄弟合資会社で、13社と一名が合同して創業した。他人同士の集まりの事業だったことから、「兄弟友愛(けいていゆうあい)」を社是にし、企業名となった。

とにかく、懐が大きい桐生のおかげで、現在の福井の産業の基礎がつくられたと思っている。私自身、仕事の関係も含めて、何度も桐生の地に足を運び、桐生の人たちとの交流をもった。そこで感動したことは地域文化に対する強い想いと広い視野に基づくアクションだった。「桐生」には今なお、嫉妬の気持ちとともに、深い敬愛の念を感じている。そんな桐生とのアートな出会いの一端を「新井淳一先生」をスタートにご紹介したい。

①「新井淳一」(テキスタイル・プランナー 1932-2017)
新井淳一(あらいじゅんいち)氏は桐生出身の世界的テキスタイルプランナーであり、1970年~80年代にはデザイナーの三宅一生や川久保玲らに魅力的な素材を提供した。また彼はテキスタイルをアートの世界に引き上げたパイオニアでもあった。先生との出会いは1984年ごろにさかのぼる。勝山市にある中上邸イソザキホールで先生の作品を見る小イベントがあった。先生の布に対する愛情や熱意にやられてしまった。先生はアートにも造詣が深く、私が主宰していた「アートフル勝山の会」と桐生との交流にも広がった。桐生出身のオノサト・トシノブや当時桐生にアトリエを構えていた彫刻家の掛井五郎とのご縁も深めさせてもらった。

202012荒井由泰001‗新井淳一 「進化する布」展にて(2005年 群馬県立近代美術館)


202012荒井由泰002新井淳一 「進化する布」展にて(2005年 群馬県立近代美術館)


202012荒井由泰003‗新井淳一 「進化する布」展にて(2005年 群馬県立近代美術館)

仕事の面では新井先生とのコラボで新しい布づくりに挑戦した。経糸(たていと)にポリエステルのフイルムにアルミニュームなどの金属を真空蒸着させた糸(スリットヤーンで金糸・銀糸と言われる)を使い、緯糸(よこいと)にナイロンやポリエステルなど・様々な糸を水で飛ばす革新織機で製織し、軽くて輝く織物を作った。先生はこの布を「しぼり」や「板締め」などの伝統的な手法で金属部分を残したり、溶かしたりして斬新で魅力的な布を創造された。まさに手仕事とテクロノロジーとの融合ともいうべき布であった。この布はテキスタイル・アートとして世界中の美術館や博物館から高い評価を受け、アメリカのニューヨーク近代美術館や英国のヴィクトリア・アンド・アルバートミュージアムほか世界中でコレクションされている。


1990年には弊社(ケイテー)の80周年記念として講演を依頼するとともに「布ストリーム展」を開催し、布の持つ魅力と可能性を市民に発信させてもらった。また、同年、FTT(フクイ・テキスタイル・トゥモロー)主催で福井県立美術館を会場に「繊維新展」を開催したが、この時プロデュサーとして協力いただいた。この時のコンセプトは「民族衣裳・テキスタイル・現代美術の融合」であり、福井産のテキスタイルの可能性を全国・県民に発信した。

202012荒井由泰008‗繊維新展案内パンフレット(FTT主催 会場 福井県立美術館) 1990年


202012荒井由泰004‗創業80周年記念事業の記録・1990年(ケイテー創業100年史より)


202012荒井由泰005Kaytayの布の前で アムステルダム ワークショップ(1995)

先生は数々の大病を患いながらお元気で活躍されていたが、2017年に9月に85歳で亡くなった。桐生での通夜に駆け付けさせてもらった。先生との思い出は尽きない。奥様のリコさん(画家)とともに勝山左義長まつりを楽しんでいただいたこと、ニューヨークでご一緒させていただき、民族衣裳の魅力や価値を教えてもらったこと、彫刻家の掛井五郎夫妻とともに富山県の利賀村での演劇祭を楽しんだことなどが思い出される。

2011年に英国王立芸術大学院(ローヤル・カレッジ・オブ・アート)の名誉博士号が授与され、その記念のパーティに出席させてもらった。三宅一生氏ら、ファッション関係者も集い、記念すべき会となった。先生は車いすであったが、晴れがましい笑顔が思い出される。

202012荒井由泰007新井淳一氏の布 英国王立芸術大学院名誉博士号授与記念パーティにて 2011年


202012荒井由泰009‗新井淳一夫妻 英国王立芸術大学院名誉博士号授与記念パーティにて 2011年


202012荒井由泰010‗三宅一生氏、小池一子氏 記念パーティにて 2011年


202012荒井由泰011‗名誉博士号証書名誉博士号証書

「まだ見ぬ布をつくる」ことに邁進された先生には布づくりの面白さを再発見させてもらった。また、好奇心溢れ、アートや文学への造詣の深い先生はまさに、人生の師でもあった。

本年、桐生の大川美術館で「新井淳一の仕事」展が開催された。コロナ禍のため、残念ながら見逃してしまったが、多摩美の名誉教授・わたなべひろこ氏から寄贈された作品群による展示であった。後日知ったのだが、2019年に新井先生宅で火事があり、自宅で保管されていた大量の作品が消失したとのことだ。貴重な作品群がなくなったことは本当に残念だ。そんな背景もあり、わたなべ氏がコレクションした作品群をふるさと桐生に寄贈されたようだ。先生の魂が大川美術館に残されたのはせめてもの救いだ。

布をアートの世界に押し上げる仕事をされた新井先生の業績に心から敬意を表したい。

202012荒井由泰012‗新井淳一氏の写真新井淳一氏の写真

②「オノサト・トシノブ」(画家 1912-86)
私がオノサト作品と真正面から対面したのは1970年、市内のアートコレクターから持ち込まれた20号の油彩作品だった。幾重もの円の中に巴が描かれた作品だ。ブルーの環が印象的で美しい。南画廊で同じサイズの作品を2点購入され、その内の一点をすすめられた。その作品に魅了され、両親に購入を促し、我が家のコレクションとなった。

瑛九の盟友でもあったオノサトは創造美育運動を熱心に参加されていた先生方が応援していた瑛九とともに、一目置いた存在であり、小コレクター運動を通じ、彼の版画は地域においては身近なものとなっていた。

1981年に「福井オノサトの会」(中上光雄・原田勇)と私が主宰していた「アートフル勝山の会」の共催で「オノサト・トシノブ展」を開催したが、その折には奥様と息子さんとともに勝山市に足を運んでいただいた。ほとんど桐生からでないオノサト先生が足を運んでくれたのは創美時代からの福井の支援者たちとの深い絆のゆえに実現できた。この展覧会では油彩20点、版画60点が並んだ。さらに85年には「オノサト・トシノブ展 新作油彩と版画」にオノサト先生に再度来勝いただき、83年に完成した磯崎新設計の「中上邸イソザキホール」を会場に新作油彩の小品・30点を中心に展覧会を開催した。コンクリート打ちっぱなしのホールに清新で愛らしい油彩の小品群が星のようにきらめいていた。

202012荒井由泰021‗現代絵画の巨匠 オノサト・トシノブ展 ポスター 1981年 サイン入り


202012荒井由泰014‗オノサト・トシノブ展 シンポジュームにて 1981年、集う人とオノサト先生


202012荒井由泰015‗オノサト先生とアートフルのメンバー達


202012荒井由泰016‗中上邸イソザキホールに展示された油彩の小品群


202012荒井由泰022‗オノサト・トシノブ展 新作油彩と版画 ポスター 1985年 サイン入り


202012荒井由泰023‗アートフル勝山の会に提供された水彩


202012荒井由泰018‗来勝された藤岡氏とオノサト夫妻来勝された藤岡氏とオノサト夫妻


202012荒井由泰019‗依頼した水彩を描くオノサト先生と中上陽子氏


202012荒井由泰020‗中上邸の前でのスナップ

久しぶりに私のコレクションしているオノサト作品を並べ、じっくり見てみた。新井淳一氏からいただいた1958年の桐生織物会館での案内状(最初のリト作品が使われている)をはじめ、60年代のリトやシルク、70年代以降のシルク作品、小品も多く、サイズもバラエティに富んでいる。どの作品にも鮮やかな色彩の中に円(丸といった方が良いが)が時には目立たぬように密やかに、またある時は堂々と存在している。様々に分割された色のなかに、オノサトが集中して描いたオリジナルな世界があり、改めてオノサトの偉大さを実感できた。

202012荒井由泰024‗新井淳一氏からいただいた1958年の個展の案内状(リトグラフ)


202012荒井由泰025‗新井淳一氏からいただいた1958年の個展の案内状(リトグラフ)


202012荒井由泰015‗オノサト先生とアートフルのメンバー達

オノサト先生が我々との交流を楽しまれている当時の写真の姿を見ると先生の素晴らしい人柄と笑顔が懐かしく思い出される。

202012荒井由泰026‗コレクションルームのオノサト作品コレクションルームのオノサト作品

最後にどうしても大川美術館の創設者の大川栄二氏についても書き加えたい。

③「大川栄二」(大川美術館創設者・初代館長 1924-2008)
大川美術館は1989年に開館されたが、新井先生の声掛けで開館記念の展覧会に足を運び、大川館長とお話をする機会を得た。大川氏はダイエーの中内社長の片腕として活躍された実業家であり、アートに深い関心を持ってコレクションに邁進され(本人曰く、サラリーマンコレクター)、美術館まで作ってしまった人物である。松本竣介や野田英夫との出会いにはじまるアートそしてコレクションに対する熱い想いにはただただ敬服する。私にとってはあこがれの存在だ。桐生に出向いた時には必ず美術館を訪れるが大川氏が情熱をこめて蒐集した作品群に出会える素敵な空間に心が癒される。美術館を造り、運営していくためにはお金も含め、苦労も多い。桐生市や多くの関係者の協力のおかげで現在まで立派に運営されていることに敬意をはらいたい。

202012荒井由泰027‗大川栄二氏大川栄二氏


202012荒井由泰028‗大川美術館大川美術館

次回は「小コレクター運動で出会ったアートな人たち」と題し、アートフル勝山の会を運営していく際に深く影響を受けた人たちのことを書いてみたいと思う。
あらい よしやす

●荒井由泰のエッセイ「私が出会ったアートな人たち」は偶数月の8日に掲載します。次回は12月8日の予定です。

■荒井由泰(あらいよしやす)
1948年(昭和23年)福井県勝山市生まれ。会社役員/勝山商工会議所会頭/版画コレクター
1974年に「現代版画センター」の会員になる
1978年アートフル勝山の会設立 小コレクター運動を30年余実践してきた
ときのわすれものブログに「マイコレクション物語」等を執筆

『福井の小コレクター運動とアートフル勝山の歩み―中上光雄・陽子コレクションによる―』図録
NC_cover_6002015年 96ページ 25.7x18.3cm
発行:中上邸イソザキホール運営委員会(荒井由泰、中上光雄、中上哲雄、森下啓子)
出品作家:北川民次、難波田龍起、瑛九、岡本太郎、オノサト・トシノブ、泉茂、元永定正、 木村利三郎、丹阿弥丹波子、吉原英雄、靉嘔、磯崎新、池田満寿夫、野田哲也、関根伸夫、小野隆生、舟越桂、北川健次、土屋公雄(19作家150点)
執筆:西村直樹(福井県立美術館学芸員)、荒井由泰(アートフル勝山の会代表)、野田哲也(画家)、丹阿弥丹波子(画家)、北川健次(美術家・美術評論)、綿貫不二夫
ときの忘れもので扱っています(頒価:1,000円+税)。メールにてお申し込みください。

●本日のお勧め作品は、中村潤です。
nakamura-12中村潤 Megu NAKAMURA
《積む》
2020

70.0×65.0×43.0cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


11月28日ブログで新連載・塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」が始まりました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
Water Music 青ラベル、白ラベル塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」は毎月28日掲載です。
連載に合わせて作品も特別頒布させていただきます。


●『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』が刊行されました。
『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』小執筆:ジョナス・メカス、井戸沼紀美、吉増剛造、井上春生、飯村隆彦、飯村昭子、正津勉、綿貫不二夫、原將人、木下哲夫、髙嶺剛、金子遊、石原海、村山匡一郎、越後谷卓司、菊井崇史、佐々木友輔、吉田悠樹彦、齊藤路蘭、井上二郎、川野太郎、柴垣萌子、若林良
*ときの忘れもので扱っています。メール・fax等でお申し込みください。

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。