<知らない作品を楽しみにしております。
私のお小遣いでなんとかなりそうな 大特価大歓迎です。
私の部屋には傷をつけられた作品、日焼けした作品、カビ付を処理して頂いた作品も預かっています。今はみんな楽しそうにしております。
(20210202/KYさんからのメールより)>
昨日も書きましたが、HPやブログへのアクセスが増えています。
塩見允枝子先生、堀江敏幸先生など、ここでしか読めないエッセイが人気です。
毎年、年末になるといろいろなところからカレンダーをいただいたものでした(昔話)。
大日本印刷、凸版印刷などのカレンダー担当者は一年がかりで大手企業のカレンダー製作に取り組んでいました。私たちもそのお手伝いをン十年前にしておりました。
思い出深いのは、某漁網会社のカレンダー。遠洋漁業の船に乗せるので9月には出来上がっていないと間に合わない。大沢昌助など高名な画家に12枚の絵を描いてもらい、それも漁師はゲンを担ぐので(大安など)365枚の日めくりカレンダーでなければならない。担当だった総務課長さんは後に社長になられました。
某化粧品会社の卓上カレンダーは、パリの人気画家を口説くのが一苦労でした。
どの社も狙っていたのがジャン=ミシェル・フォロン、この人はなかなか捕まらない、本人に会うのが至難の業でした。
とまあ、書き出すときりがないのですが、日本の版画家たちにとって、カレンダーは年越し費用のために必須で、個人、グループなど昔から「版画カレンダー」は数多く作られてきました。
本日の「一日限定! 破格の掘り出し物」は、戦時中の1943年の日本版画協会、戦後1988年の東京藝術大学版画教室のそれぞれの版画カレンダーをご紹介します。
●「日本版画協会 昭和18年木版カレンダー」


「日本版画協会 昭和18年カレンダー」
1943年 木版(12作家)
カレンダー:250×127mm
作家のことば:255×135mm
▼1月 畦地梅太郎


▼2月 石崎重利


▼3月 前川千帆


▼4月 山林文子


▼5月 川上澄生


▼6月 平塚運一


▼7月 川西英


▼8月 柿原俊男


▼9月 岩田覚太郎


▼10月 恩地孝四郎


▼11月 前田政雄


▼12月 山口進


●「東京藝術大学版画研究室 1988年銅版カレンダー」


「東京藝術大学版画研究室 1988年銅版カレンダー」
1987年 銅版画(14作家)
シートサイズ:52.5×71.0cm
Ed.300 参加14作家全員のサインあり
東京藝術大学版画研究室の助手を中心として、教授や関係作家が参加して制作されたカレンダー。C-126とは、研究室発足当時のアトリエ・ナンバーに由来しています。
最初は1967年頃だと思いますが(資料が見つからない)、制作の中心になったのは中林忠良先生。1959年東京藝大美術学部絵画科油絵専攻に入学し、三年生のときの集中講義で駒井哲郎先生に銅版画を学び、大学院卒業後に副手に採用されます。1966年非常勤講師。「アトリエC-126」を今井治男、小作青史、野田哲也、吉田東、清塚紀子らと結成。のちに田村文雄、原健らが参加しました。
年末になるとカレンダーを制作し、銀座・みゆき画廊で展覧会をするのが恒例でした。
1988年のカレンダーには14作家が参加しました。
野見山暁治先生は100歳を超えて新作個展をするなどご健在ぶりは皆さんご承知の通り。
現職教授のまま52歳の若さで亡くなられたのは榎倉康二先生、あれほど学生さんから慕われた方もいないでしょう。
▼野見山暁治

▼大沼映夫

▼榎倉康二

▼中林忠良

▼野田哲也

▼原健

▼鎌谷伸一

▼島州一

▼赤塚祐二

▼山中現

▼山口純寛

▼渋谷和良

▼筆塚稔尚

▼清野泰行

*日、月曜は休廊日なので、抽選とお知らせは明々後日(火曜日)になります。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。
もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
私のお小遣いでなんとかなりそうな 大特価大歓迎です。
私の部屋には傷をつけられた作品、日焼けした作品、カビ付を処理して頂いた作品も預かっています。今はみんな楽しそうにしております。
(20210202/KYさんからのメールより)>
昨日も書きましたが、HPやブログへのアクセスが増えています。
塩見允枝子先生、堀江敏幸先生など、ここでしか読めないエッセイが人気です。
毎年、年末になるといろいろなところからカレンダーをいただいたものでした(昔話)。
大日本印刷、凸版印刷などのカレンダー担当者は一年がかりで大手企業のカレンダー製作に取り組んでいました。私たちもそのお手伝いをン十年前にしておりました。
思い出深いのは、某漁網会社のカレンダー。遠洋漁業の船に乗せるので9月には出来上がっていないと間に合わない。大沢昌助など高名な画家に12枚の絵を描いてもらい、それも漁師はゲンを担ぐので(大安など)365枚の日めくりカレンダーでなければならない。担当だった総務課長さんは後に社長になられました。
某化粧品会社の卓上カレンダーは、パリの人気画家を口説くのが一苦労でした。
どの社も狙っていたのがジャン=ミシェル・フォロン、この人はなかなか捕まらない、本人に会うのが至難の業でした。
とまあ、書き出すときりがないのですが、日本の版画家たちにとって、カレンダーは年越し費用のために必須で、個人、グループなど昔から「版画カレンダー」は数多く作られてきました。
本日の「一日限定! 破格の掘り出し物」は、戦時中の1943年の日本版画協会、戦後1988年の東京藝術大学版画教室のそれぞれの版画カレンダーをご紹介します。
●「日本版画協会 昭和18年木版カレンダー」


「日本版画協会 昭和18年カレンダー」
1943年 木版(12作家)
カレンダー:250×127mm
作家のことば:255×135mm
▼1月 畦地梅太郎


▼2月 石崎重利


▼3月 前川千帆


▼4月 山林文子


▼5月 川上澄生


▼6月 平塚運一


▼7月 川西英


▼8月 柿原俊男


▼9月 岩田覚太郎


▼10月 恩地孝四郎


▼11月 前田政雄


▼12月 山口進


●「東京藝術大学版画研究室 1988年銅版カレンダー」


「東京藝術大学版画研究室 1988年銅版カレンダー」
1987年 銅版画(14作家)
シートサイズ:52.5×71.0cm
Ed.300 参加14作家全員のサインあり
東京藝術大学版画研究室の助手を中心として、教授や関係作家が参加して制作されたカレンダー。C-126とは、研究室発足当時のアトリエ・ナンバーに由来しています。
最初は1967年頃だと思いますが(資料が見つからない)、制作の中心になったのは中林忠良先生。1959年東京藝大美術学部絵画科油絵専攻に入学し、三年生のときの集中講義で駒井哲郎先生に銅版画を学び、大学院卒業後に副手に採用されます。1966年非常勤講師。「アトリエC-126」を今井治男、小作青史、野田哲也、吉田東、清塚紀子らと結成。のちに田村文雄、原健らが参加しました。
年末になるとカレンダーを制作し、銀座・みゆき画廊で展覧会をするのが恒例でした。
1988年のカレンダーには14作家が参加しました。
野見山暁治先生は100歳を超えて新作個展をするなどご健在ぶりは皆さんご承知の通り。
現職教授のまま52歳の若さで亡くなられたのは榎倉康二先生、あれほど学生さんから慕われた方もいないでしょう。
▼野見山暁治

▼大沼映夫

▼榎倉康二

▼中林忠良

▼野田哲也

▼原健

▼鎌谷伸一

▼島州一

▼赤塚祐二

▼山中現

▼山口純寛

▼渋谷和良

▼筆塚稔尚

▼清野泰行

*日、月曜は休廊日なので、抽選とお知らせは明々後日(火曜日)になります。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。
もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント