王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」第18回
渋谷区立松濤美術館開館40周年記念「白井晟一 入門」展
「第1部 白井晟一クロニクル」を訪れて
渋谷区立松濤美術館は建築家・白井晟一(1905-1983)が晩年に設計し実現した美術館建築のうちの一つで、地方から上京してきた筆者にとっては近隣のギャラリーTOM(1984、設計:内藤廣)とともに巡礼した建築の一つです。建築、特に公共的な施設は、建物の受電(*1)や竣工は建築の誕生の起点でしかなく、市民と職員が活動することで空間が育まれるものですが、松濤美術館は1980年に竣工し、1981年の開館以来、時にスペースの用途や調度品を更新しながら40年間を歩み、今なおメンテナンスの行き届いた姿を見て、大切にされ綺麗に保たれていることに敬意を感じます。
*1:工事の終盤に建物が電力を受け入れること。受電すると建物に付帯する照明が点灯する。
今回同館で開催された「白井晟一 入門」展 第一部はクロニクル(編年史)という副題の下で、白井の書家・デザイナー・蒐集家としての資料にも触れ、解説文や図録の論考で人物像、人間関係、言説を記述しつつも、主には建築家として手がけた建築作品がカタログのように紹介された展覧会でした。本稿では、終章の後に添えられ、白井の代名詞でもある《原爆堂計画》から始まる「アンビルトの未来計画」コーナーの展示作品について、筆者にとって初見だった美術館計画案を追ってみたいと思います。
《渋谷区立松濤美術館》外観 写真:©村井修
アンビルトとは、実際には建っていない建築や都市の計画を指しますが、アンビルトのままである理由はさまざまです。建築家が思想を示すためのバーチャルアーキテクチュアや構想で必ずしも実現を目的としていないもの、設計競技など競合する中で提案されたもの、設計契約が途中で解除されたもの、施工の入札不調・予期せぬ災害や株価変動・政治的な理由で中止や凍結に至ったものなどが考えられます。しかし、近年も「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「原爆堂」展が開催されたように、未完の建築案の放つ思想や訴えは多くの鑑賞者を魅了してきました。
本展では、大多数を占める実作品の展示ーテクスチャーの表現にエネルギーが注がれた饒舌な図面や写真が並ぶーに対し、「アンビルトの未来計画」コーナーの素描は、鑑賞者側の顔が綻ぶほど柔らかく、図面は全体的に飾り気のない素朴なものでした。それゆえ形態に目がいくと言えるかもしれません。
1、《大村道場計画》
白井のアンビルトは『白井晟一全集』の中の『図集VI: 計画案』に編まれており、全集に付属する別巻『白井晟一の眼』に白井が蒐集した器物、家具、美術品等の図版が収められています。蒐集品の一部を白井は「教材コレクション」と呼び、書斎など身の回りに置いていました。《大村道場計画》は、1975年の計画案で、それらのコレクションを収蔵・展示するプライベートギャラリーのような場所として検討されていたようです。
平面図と立面図が展示されていますが、平面図からは、建物内のメインホールやサロンに加え、エントランスホールと廊下でもコレクションを賞でることができる十分なスペースが用意されています。そして、六角形の平面形状をしたメインホールの周りにエントランスホール、作業室、食堂、廊下が配置されたホール棟と、一部に半円の平面形状をもつサロン棟を内部テラスが結ぶ構成であることが読み取れます。こうした求心的な空間に直接諸室を接続させる構成は、本計画案の前年1974年に竣工した茨城県のキャンパス内の礼拝堂である《サンタキアラ館》に類似点が見られます。第三章で紹介されている《サンタキアラ館》では、円形のギャラリーの周りにエントランスホールと複数のゼミナール室のある南側ボリュームが、半円型の祭壇をもつチャペルのある北側のボリュームと階段室で繋がれているのです。また、《大村道場計画》立面図から、開口部は限定的で、メインホールが六角屋根の塔として突き出ていることは見逃せません。
《サンタ・キアラ館》 茨城キリスト教大学チャペル 1973~74年
2、《N美術館計画》
《N美術館計画》は前述の《大村道場計画》の3年後、1978年の計画案で、洋画家・中川一政の美術館と考えられています。こちらは平面図はなく、配置図と立面図が展示されています。
配置図からは、建物が道路に面し、山間部の森林に囲まれた場所で、敷地の三方向が急斜面になっていること、建物は複数の六角形を組み合わせて構成された平面形状に、六角形を折った形の切り妻屋根がかかっていることが読み取れます。立面図からは、見晴らしが良いことが想像される立地に対し、美術品を守るために開口部が極めて少ないことがわかります。ここでは八角屋根の塔が突き出ています。
3、《北村徳太郎美術館計画》
《N美術館計画》の更に2年後の1980年に計画された《北村徳太郎美術館計画》は、親和銀行の頭取・北村徳太郎に関する美術館で長崎県佐世保市に計画されていたと考えられています。
展示された立面図からはエントランスが付随する八角屋根の棟と八角(または六角)柱状の棟で構成された建物であることが読み取れます。
《渋谷区立松濤美術館》中央吹き抜け 写真:©村井修
これら1~3の実現しなかった美術館計画に共通する、多角形屋根、塔状のボリューム、2つ以上の棟を象徴的な何かで繋ぐという建築言語は、実現した2つの美術館に引き継がれていると考えます。そのことを意識しながら「静岡市立芹沢銈介美術館(石水館)」(1981年竣工)の八角屋根の展示室、「渋谷区立松濤美術館」の水盤の上のブリッジや、楕円の柱状の塔になっている螺旋階段に足を踏み入れると、これまでと違った意識が働くのではないでしょうか。
図面、ドローイング、建築模型、写真、映像が必須アイテムのように並ぶ建築展、それは1920年代に自らの建築を示すメディアとして展覧会を選んだ「分離派建築会」(エッセイ第11回)や、ニューヨークのMoMAの最初の建築展である「Modern Architecture : International Exhibition」展(1932年開催)で図面、ドローイング、模型が展示された時代から大きく発展は遂げていません。オリジナルが移動可能な類の美術作品に対し、建築作品を物理的に展示する方法は、第一に現地での保存、第二に明治村、江戸東京たてもの園、軽井沢タリアセンといった場所への移築、第三に建築展のように資料(*2)を用いた部分・断片の展示ということになるからでしょうか。どうしたら建築展が(で)伝えられるのか模索する一方で、建築展において「その資料は何を語るのか?」を自問自答し鑑賞することが、現時点での筆者の関心ごとになっています。
*2:現時点での資料は、図面、ドローイング、模型、写真、映像、模型、証言、テキスト、材料のサンプルや部分の試作品を指す。AR、VRを試験的に導入する試みも見られている。
※「第1部 白井晟一クロニクル」は12月12日に終了し、2022年1月4日から「第2部 Back to 1981 建物公開」では渋谷区立松濤美術館の建築そのものが公開されます。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。
■王 聖美 Seibi OH
WHAT MUSEUM 学芸員(建築)。1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody -“超移動社会”がもたらす新たな変容-」(2018)、「UNBUILT : Lost or Suspended」(2018)など。
●展覧会のお知らせ
『渋谷区立松濤美術館開館40周年記念「白井晟一 入門」展 』
会期=
第1部/白井晟一クロニクル 2021年10月23日(土)~12月12日(日)
第2部/Back to 1981 建物公開 2022年1月4日(火)~1月30日(日)
会場=渋谷区立松濤美術館
休館日=月曜日(ただし、1月10日は開館)、11月4日(木)、1月11日(火)
●本日のお勧めは佐藤研吾です。
佐藤研吾 Kengo SATO
《囲い込むためのハコ2》
2018年
クリ、アルミ、柿渋
H115cmこちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●冬季休廊のお知らせ
ときの忘れものは、12月26日(日)~1月3日(月)まで冬季休廊いたします。
休廊中にいただいたメールには1月4日(火)以降に順次ご返信いたします。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
渋谷区立松濤美術館開館40周年記念「白井晟一 入門」展
「第1部 白井晟一クロニクル」を訪れて
渋谷区立松濤美術館は建築家・白井晟一(1905-1983)が晩年に設計し実現した美術館建築のうちの一つで、地方から上京してきた筆者にとっては近隣のギャラリーTOM(1984、設計:内藤廣)とともに巡礼した建築の一つです。建築、特に公共的な施設は、建物の受電(*1)や竣工は建築の誕生の起点でしかなく、市民と職員が活動することで空間が育まれるものですが、松濤美術館は1980年に竣工し、1981年の開館以来、時にスペースの用途や調度品を更新しながら40年間を歩み、今なおメンテナンスの行き届いた姿を見て、大切にされ綺麗に保たれていることに敬意を感じます。
*1:工事の終盤に建物が電力を受け入れること。受電すると建物に付帯する照明が点灯する。
今回同館で開催された「白井晟一 入門」展 第一部はクロニクル(編年史)という副題の下で、白井の書家・デザイナー・蒐集家としての資料にも触れ、解説文や図録の論考で人物像、人間関係、言説を記述しつつも、主には建築家として手がけた建築作品がカタログのように紹介された展覧会でした。本稿では、終章の後に添えられ、白井の代名詞でもある《原爆堂計画》から始まる「アンビルトの未来計画」コーナーの展示作品について、筆者にとって初見だった美術館計画案を追ってみたいと思います。
《渋谷区立松濤美術館》外観 写真:©村井修アンビルトとは、実際には建っていない建築や都市の計画を指しますが、アンビルトのままである理由はさまざまです。建築家が思想を示すためのバーチャルアーキテクチュアや構想で必ずしも実現を目的としていないもの、設計競技など競合する中で提案されたもの、設計契約が途中で解除されたもの、施工の入札不調・予期せぬ災害や株価変動・政治的な理由で中止や凍結に至ったものなどが考えられます。しかし、近年も「インポッシブル・アーキテクチャー」展、「原爆堂」展が開催されたように、未完の建築案の放つ思想や訴えは多くの鑑賞者を魅了してきました。
本展では、大多数を占める実作品の展示ーテクスチャーの表現にエネルギーが注がれた饒舌な図面や写真が並ぶーに対し、「アンビルトの未来計画」コーナーの素描は、鑑賞者側の顔が綻ぶほど柔らかく、図面は全体的に飾り気のない素朴なものでした。それゆえ形態に目がいくと言えるかもしれません。
1、《大村道場計画》
白井のアンビルトは『白井晟一全集』の中の『図集VI: 計画案』に編まれており、全集に付属する別巻『白井晟一の眼』に白井が蒐集した器物、家具、美術品等の図版が収められています。蒐集品の一部を白井は「教材コレクション」と呼び、書斎など身の回りに置いていました。《大村道場計画》は、1975年の計画案で、それらのコレクションを収蔵・展示するプライベートギャラリーのような場所として検討されていたようです。
平面図と立面図が展示されていますが、平面図からは、建物内のメインホールやサロンに加え、エントランスホールと廊下でもコレクションを賞でることができる十分なスペースが用意されています。そして、六角形の平面形状をしたメインホールの周りにエントランスホール、作業室、食堂、廊下が配置されたホール棟と、一部に半円の平面形状をもつサロン棟を内部テラスが結ぶ構成であることが読み取れます。こうした求心的な空間に直接諸室を接続させる構成は、本計画案の前年1974年に竣工した茨城県のキャンパス内の礼拝堂である《サンタキアラ館》に類似点が見られます。第三章で紹介されている《サンタキアラ館》では、円形のギャラリーの周りにエントランスホールと複数のゼミナール室のある南側ボリュームが、半円型の祭壇をもつチャペルのある北側のボリュームと階段室で繋がれているのです。また、《大村道場計画》立面図から、開口部は限定的で、メインホールが六角屋根の塔として突き出ていることは見逃せません。
《サンタ・キアラ館》 茨城キリスト教大学チャペル 1973~74年2、《N美術館計画》
《N美術館計画》は前述の《大村道場計画》の3年後、1978年の計画案で、洋画家・中川一政の美術館と考えられています。こちらは平面図はなく、配置図と立面図が展示されています。
配置図からは、建物が道路に面し、山間部の森林に囲まれた場所で、敷地の三方向が急斜面になっていること、建物は複数の六角形を組み合わせて構成された平面形状に、六角形を折った形の切り妻屋根がかかっていることが読み取れます。立面図からは、見晴らしが良いことが想像される立地に対し、美術品を守るために開口部が極めて少ないことがわかります。ここでは八角屋根の塔が突き出ています。
3、《北村徳太郎美術館計画》
《N美術館計画》の更に2年後の1980年に計画された《北村徳太郎美術館計画》は、親和銀行の頭取・北村徳太郎に関する美術館で長崎県佐世保市に計画されていたと考えられています。
展示された立面図からはエントランスが付随する八角屋根の棟と八角(または六角)柱状の棟で構成された建物であることが読み取れます。
《渋谷区立松濤美術館》中央吹き抜け 写真:©村井修これら1~3の実現しなかった美術館計画に共通する、多角形屋根、塔状のボリューム、2つ以上の棟を象徴的な何かで繋ぐという建築言語は、実現した2つの美術館に引き継がれていると考えます。そのことを意識しながら「静岡市立芹沢銈介美術館(石水館)」(1981年竣工)の八角屋根の展示室、「渋谷区立松濤美術館」の水盤の上のブリッジや、楕円の柱状の塔になっている螺旋階段に足を踏み入れると、これまでと違った意識が働くのではないでしょうか。
図面、ドローイング、建築模型、写真、映像が必須アイテムのように並ぶ建築展、それは1920年代に自らの建築を示すメディアとして展覧会を選んだ「分離派建築会」(エッセイ第11回)や、ニューヨークのMoMAの最初の建築展である「Modern Architecture : International Exhibition」展(1932年開催)で図面、ドローイング、模型が展示された時代から大きく発展は遂げていません。オリジナルが移動可能な類の美術作品に対し、建築作品を物理的に展示する方法は、第一に現地での保存、第二に明治村、江戸東京たてもの園、軽井沢タリアセンといった場所への移築、第三に建築展のように資料(*2)を用いた部分・断片の展示ということになるからでしょうか。どうしたら建築展が(で)伝えられるのか模索する一方で、建築展において「その資料は何を語るのか?」を自問自答し鑑賞することが、現時点での筆者の関心ごとになっています。
*2:現時点での資料は、図面、ドローイング、模型、写真、映像、模型、証言、テキスト、材料のサンプルや部分の試作品を指す。AR、VRを試験的に導入する試みも見られている。
※「第1部 白井晟一クロニクル」は12月12日に終了し、2022年1月4日から「第2部 Back to 1981 建物公開」では渋谷区立松濤美術館の建築そのものが公開されます。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。
■王 聖美 Seibi OH
WHAT MUSEUM 学芸員(建築)。1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody -“超移動社会”がもたらす新たな変容-」(2018)、「UNBUILT : Lost or Suspended」(2018)など。
●展覧会のお知らせ
『渋谷区立松濤美術館開館40周年記念「白井晟一 入門」展 』会期=
第1部/白井晟一クロニクル 2021年10月23日(土)~12月12日(日)
第2部/Back to 1981 建物公開 2022年1月4日(火)~1月30日(日)
会場=渋谷区立松濤美術館
休館日=月曜日(ただし、1月10日は開館)、11月4日(木)、1月11日(火)
●本日のお勧めは佐藤研吾です。
佐藤研吾 Kengo SATO《囲い込むためのハコ2》
2018年
クリ、アルミ、柿渋
H115cmこちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●冬季休廊のお知らせ
ときの忘れものは、12月26日(日)~1月3日(月)まで冬季休廊いたします。
休廊中にいただいたメールには1月4日(火)以降に順次ご返信いたします。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
コメント