石原輝雄のエッセイ「美術館でブラパチ」─13

『中之島でシャンパン』


展覧会 Hello! Super Collection 超コレクション展 99のものがたり 
    大阪中之島美術館
    2022年2月2日(水)~3月21日(月)

BP13-01 美術館北面・アプローチ。上部ガラス窓5階展望ロビー

 水都大阪のシンボル中之島エリアに巨大な美術館が登場した。核となる美術品を大阪市が受贈してから39年、バブル崩壊後の財政難、規模を縮小した計画案の白紙撤回、様々な困難を経ての開館である。美術ファンとして当初の潤沢な資金による蒐集規模や調査研究の領域に関心を持ち、心斎橋展示室や京近美で拝見する度に全貌を知りたいと願ってきた。開館時点で寄託品を除き6000点以上のコレクションを有すると云う。1月28日(金)のプレス内覧会に参加させていただいたので報告したい。

 やっと「美術館でブラパチ」の本領発揮となるか、期待を膨らませ阪急梅田駅から歩く。およそ20分、堂島川沿いに進むと黒い箱が目に入った。黒土を固めたような巨大なモニュメント、景観への配慮は主観の問題として、鉄骨造地上5階建。設計は遠藤克彦と大阪市公共建築課、施工は錢高組などの共同事業体。養生中の木立を抜け近づくとヤノベケンジの巨大な猫が迎えてくれた。ノアの方舟を連想したわたしには、水先案内人のように思えた。

BP13-02 ヤノベケンジ『シップス・キャット(ミューズ)』2021年

 館内はパッサージュと称する南北に抜ける歩道とゆったりしたホール、大階段と上層階へ観客を運ぶ巨大なエスカレーターからなり、祝祭性を高めた仕掛けとなっている。展示室は4・5階に別れて5室、延床面積3090平方メートル。一般的な美術館が2つ入る規模で、帝都に対する大大阪の気概、MAXではありませんか。

BP13-03 4階への巨大エスカレーター

BP13-04 吹き抜け

 館長の菅谷富夫は、建設準備室設置直後からの学芸員で30年にわたり準備を進めてこられた。内覧会での挨拶は開館の喜びが表情などからも伝わり、近代デザイン、写真、現代美術の分野を担当する氏は地元大阪の新興写真にも詳しく、都度の研究報告に接してきたわたしも嬉しい。なによりも美術資料を公開するアーカイブ機能を備えられたようで、在野の研究者として有り難い。また、外部の専門家や機関とも協力しあって「新しい視点」を導き出すと云う。さらに「東京という国家の中心が明治期以来培ってきた美術の見方やあり方に対して、そうではない美術があることを示す」(展覧会カタログ9頁 以下頁数のみ表記)意気込みに関西人として感謝したい気分。
 開館展の担当学芸員・高柳有紀子は蒐集活動をスタートした頃、新興写真の「浪華写真倶楽部、丹平写真倶楽部に属した写真家たちの作品は、すでに活動の地・大阪を離れ東京などへ流出する傾向にあったため、早期に重点的な収集がなされた」(13頁)と振り返る。彼女は「美術館の根本はコレクションであるという姿勢をもとに」、建物を持たなかった準備期間中に国内外に貸し出した作品を中心に開館展を構成、他の美術館ですでに観た人たちに「ここが彼らのホームだと知らせたかった」と言う。これは愛ですな。

 「Hello! Super Collection」と題して、コレクション形成史の源となる作品─166点、代表的な近代・現代美術作品─25点、デザイン作品─212点の3章に分けた展示は、作品にまつわる「99のものがたり」として詳細も紹介し、来館者がそれぞれの1点を見つけ「100のものがたり」とする開館への思いを込めている。館長の菅谷が「鑑賞には2時間以上必要です」とアドバイスする量と質なので、本稿で個別に言及するのは不可能。気楽なブラパチで、わたし好みの壁面を掲げることで、お許し願いたい。では、4階・展示室1から…


13-1 第1章: Hello! Super Collectors (コレクション形成史の源)

BP13-05 佐伯祐三『郵便配達夫』1928年

 佐伯祐三の『郵便配達夫』がやっと落ち着き、ポーズを取っている印象に目を細める。左壁に並ぶ油彩のポスターや看板の文字が蒐集家・山本發次郎(1887-1951)の墨跡に連なる好みを反映するようで、鑑賞のアプローチは白隠慧鶴や仙厓義梵、良寛に、より親密度を増す仕掛け。ガラスケースの手前に広げられた上衣の紺地花柄など秀逸。メリヤス業で財を成した実業家の強烈な個性、ゆるぎない審美眼で美術の専門家に恐れられた山本は「蒐集もまた創作なり」と語り、コレクションを死蔵せず、「作品の真価を世に問いかけ公開した」。氏の美術館建設の夢は太平洋戦争の影響で実現しなかったが、戦火をまぬがれた美術品(多くは戦火で焼失)を、今、わたしたちは観ている。山本の外孫にあたる故河﨑晃一は、「大阪商人たちにとっては、江戸時代に隆盛を極めた武家や貴族階級と同じように、茶の湯や蒐集を通じて芸術に親しみ、文化に眼を向けた生活を築くことが、真の商人の姿であると考えていた」のではないかと指摘した(『山本發次郎コレクション : 遺稿と蒐集品にみる全容』淡交社2006年、258頁)。阪神間には早くから多くの個人美術館が建てられた、豊かなのである。

BP13-06 右から白隠慧鶴『維摩像』1755年、『大黒天鼠師槌子図』1764-68年頃、慈雲飲光『不識(達磨画賛)』、仙厓義梵『布袋画賛』など

BP13-07 平織・機械捺染、羊毛『上衣(紺地葉文衣装)』


 コレクターの末席にいるつもりのわたしも、作品は公的なものだと考える。そして、河﨑が記したように「蒐集は、一個人の好みの主張であり、理論的に収まるものではない」。大阪中之島美術館建設の契機となった山本蒐集品の魅力も、そうしたもので、凡夫は先人の「眼」を借りて、時代の移り変わりを学ぶ。山本がマン・レイと同時代人であるのも、何かの縁だろう、会場には佐伯が「蒐集家筋には無名の画家だった」1932年頃、出入りの額縁屋の紹介で持ち込まれた『煉瓦焼』が掛けられている、不思議な愛くるしさを持つ形と色彩、ここから佐伯蒐集が始まったと云う。

BP13-08 左から高畠アートコレクション旧蔵、モーリス・ユトリロ『グロレーの教会』1909年頃、キスリング『オランダ娘』1922年、ジュール・パスキン『サロメ』1930年

BP13-09 左から鍋井克之『兜島の熊野灘』1965年、黒田重太郎『静物・デッセール』1934年、国枝金三『中之島風景』1927年、青木宏峰(大乗) 『中之島風景』1923年

 日新製鋼(現・日本製鉄)の会長を務めた田中徳松や画廊経営者の高畠良朋の寄贈コレクションを抜けて中之島の風景を拝見する。昭和初期の洋画もさることながら、池田遙邨の二曲一隻屏風『雪の大阪』の美しさは、数日来の降雪情報と相まって、展示室を静寂に包む、ここに「いとさん」がいるわけです。女性画家・島成園と木谷(吉岡)千種の作品が、夏の夕暮れから冬の朝まで繋がって、ケースの中の船場言葉を耳にしたい気分。

BP13-10 左から梅阪鶯里『里の雪』1936年、花和銀吾『複雑なる想像』1938年、『カメラマン佐溝勢光君』1932年

BP13-11 平井輝七『題不詳(砂の造形)』『作品』1940年頃他

BP13-12 瑛九フォト・デッサン左から『作品』1950-55年頃、『顔(1)』1950年


 さて、写真のコレクションに花和銀吾の『複雑なる想像』が含まれているのを知って嬉しくなった。花和はドイツ語が堪能で、新興写真の動向に詳しく「ダダの動きを知っていた可能性は十分にあったでしょう」(306頁)と指摘されており、本作は歯車や物差し、格子越しの裸体などから時代の雰囲気を過分に伝えてくれている。大阪中之島美術館が確保した新興写真は、昭和初期の富裕層や知識層が手にしたカメラが、アマチア故の自由な表現に向かった諸相を示し、帝都の職業写真家に対抗する意識も感じさせる。クローズアップやソラリゼーション、対象の選択や光の表現が「浪速」や「丹平」などの写真倶楽部を通した交流の中で切磋琢磨したと実感する。安井仲治らと揃って神戸のユダヤ人移民事務所を撮影し『流氓ユダヤ』として仲間とともに発表した椎原治のプリントが、オブジェなどの作品と並ぶ。「写真」パート最後の壁面に瑛九のフォト・デッサンが2点掛けられていたのでパチリ。これは、デモクラート美術家協会の繋がりから、ここにあるのだろうか。しかし、指導的立場にあった安井のプリントが含まれていないのは、残念至極。── 忖度が蔓延する寄贈などではなくマーケットに出品されたものを、正当な値段(これが難しい)で購入される日がくることを願う。

BP13-13  前田藤四郎『屋上運動』1931年

 心斎橋展示室時代に拝見したもので、記憶に残るひとつは前田藤四郎の版画『標本採集』。後に名古屋市美術館の展覧会で紙本着彩の『落下傘』を観たものだから、画家の人生を振り返り、今日は伸びやかで明るい『屋上運動』に惹かれる。広告図案の仕事に就いていた前田、カタログの解説から場所は「中央区の船場ビルディング」の屋上と知り、さらに魅力が増した。「ものがたり」それぞれに人生がありますな、追いかけたい画家なのです。

BP13-14 左から北辻良央『作品』1971年、植松奎二『石、人、ロープ』『板、人、ロープ』1973/2014年、野村仁『Dryice』1969/2007年。手前に今村輝久『作品』1978年

BP13-15 鴨居玲『街の音楽師』1972年

 会場は70年代の現代美術作家たちの紹介へと続き、わたしにも親しい(作品という意味で)、植松奎二、北辻良央、野村仁らの仕事が並ぶ。館蔵は植松、北辻で野村のみ寄託。蒐集の物語と展示品の選択は興味つきない。などと思いつつ異様な闇を抱える鴨居玲の『街の音楽師』を、見つめてしまった。


BP13-16 左から吉原治良『作品(White Circle on Red)』1963年、『作品』1965年、『作品』1965年

BP13-17 左から今井俊満『磔刑』1954年、『創生』1968年

 この先の壁面は黒一色で、美術館近くにあった具体美術協会の展示施設・グタイピナコテカの黒壁に由来すると云う。「具体」を率いた吉原治良の『縄をまとう男』に迎えられて進み、しばらくすると、巨大な禅画のような円相3点に包まれた。吉原の作品は一筆書きではないが、最晩年の画家の自己との対話の場に居合わせる感覚。実業と芸術家の共生が、どのように展開していたのか、早い指導者の死で協会は解散したが、近年の「GUTAI」美術への脚光・再評価のアプローチを知るにつけ、改めて先人の仕事に心打たれるのである。開館が遅れたための評価の逆輸入など「許さない」、そんな気持ちなのである。


13-2 第2章: Hello! Super Stars (代表的な近代・現代美術作品)

BP13-18 吹き抜け

BP13-19 レイモン・デュシャン=ヴィヨン『大きな馬』1914/1966年

 第1章の鑑賞を終えてパッサージュに出るとレイモン・デュシャン=ヴィヨンのブロンズ『大きな馬』が置かれている。この位置は、吹き抜けの開放感に押され、作品の躍動感を半減させていると感じる。それから、エスカレーターで5階に上がり第2章の「代表的な近代・現代美術作品」と対面した。

BP13-20 5階・展示室5入口

BP13-21 アメデオ・モディリアーニ『髪をほどいた横たわる裸婦』1917年

BP13-22 左からルネ・マグリット『レディ・メイドの花束』1957年、ジャン(ハンス)・アルプ『植物のトルソ』1959年

 山本發次郎旧蔵のアメデオ・モディリアーニの『髪をほどいた横たわる裸婦』は、福島繁太郎がパリで購入した来歴や、国内唯一の「裸婦」像、加えて購入価格が約19億円だったなど、話題性の多い油彩。先入観で眼が曇り、ブラパチの手も震える(ハハ)。また、左隣りに掛けられたジョルジオ・デ・キリコの『複音書的な静物』は、MOMAが手放した重要作だがパチリには制限がかかっている。対向壁のダリやエルンストやコーネルもパチリ不可、ジョージ・シーガルの大作『ストリート』も同様で困惑。気楽なパチリも難しい。──前述の「裸婦」と同等作品は2015年11月のクリスティーズ・ニューヨークで約200億円だった。蒐集品の選択は個人の好みから始まり、後世に伝えようとする「愛」に向かう。錬金術は別にして鑑賞も好みの反映、教科書的視点からの購入・名品パレードには、食傷の感もあります。


13-3 第3章: Hello! Super Visions (デザイン作品)

BP13-23 左からチャールズ・レニー・マッキントッシュ『グラスゴー美術協会』1895年、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ』1891年、ジュール・シェレ『ムーラン・ルージュの舞踏会』1889年 サントリーポスターコレクション寄託

BP13-24  手前エミール・ガレ『ベルリューズ(鶴首花器)』1890年頃、シルエットになった椅子は年代のみ記す、左から1902年、1865-75年頃、1869年、1900年

 会場は緩やかに第3章に続き、日常生活の中で触れ合う家具や食器、ポスターや美術資料などへと展開する。カタログによると蒐集を始めたのは1992年からで、20世紀初頭のドイツ語文化圏に注力された印象。ウィーン工房系の作品群にロシアのプロパガンダ資料が重なって見応えのある展示となっている。担当学芸員の平井直子は「ただの古ぼけた椅子にもかかわらず、数百万円の値段がついて、座るという用途から離れ鑑賞されるものとして美術館に収蔵されることは、ある意味不可解な現象といえるかもしれない」(16頁)とした後、「デザインは、コレクションされる以前には『作品』ではない。誰かが集めなければ、失われてもおかしくないものである」(19頁)と指摘する。「物好き、人好きが学芸員の資質」だと内覧会の冒頭で熱く語った平井は「家具の展示を、シルエットで示したいと思った」と打ち明けてくれた。わたしもエミール・ガレの『ベルリューズ(鶴首花器)』越しに19世紀と20世紀の椅子たちの昔語りに耳を傾ける。ハート型に切り抜かれたアームチェアのオーク・イグサの尻ざわり(品のない物言いだけど)が、拙宅のYチェアと繋がる感覚。

BP13-25 倉俣史朗『ミス・ブランチ』1988/89年、後方『引き出しの家具(ソファー、椅子、棚)』1967年

 「新たな日常生活には、どういうデザインがふさわしいのか」と云う問も平井の発言。倉俣史朗の美しすぎるローズ・セラヴィ、アクリル製の尻ざわりを体験に持たないわたしにとって、「美」でありすぎる椅子『ミス・ブランチ』が、台の上に置かれている。こちらでは影が深い。倉俣の木製家具や可動式ケースを参考にして、量販店にあふれる家具たちから、残すべきデザインと出会う幸せの「眼」を持ちたいと思う。

 サントリーポスターコレクションからの寄託品(約18000点)やバウハウス関係等の文献資料などについても紹介したかったが、ブラパチの制限もあり、本稿では詳細には立ち入らなかった。


13-4 コンセッション方式

 気楽なブラパチとはいえ400点を越えるときつい。ロビーに出て外を見ると隣接する国立国際美術館のモニュメントが目に入った。あちらは地下に広がるブラックキューブ、こちらは地上に積み上げた膨大な黒土。関根伸夫の『位相─大地』ではありませんか。どこかで帝都と大大阪は繋がっているのだろうな。新しい美術館はコレクションの傾向としてニューヨークのMOMA、建物としてロンドンのTate Modernではなかろうか。

 ゆるやかな階段を降りるとヤノベケンジの『ジャイアント・トらやん』が眼を光らせている。「子供の命令にのみ従い、歌って踊り、火を噴く子供の夢の守護神」だそうで、作者が取材を受けていた。猫もトらやんも鎧で防御しなくちゃならない世界。自由に呼吸がしたいですな。

BP13-26  ヤノベケンジ『ジャイアント・トらやん』2005年

 「大阪中之島美術館」と命名された黒い方舟は、シャンパンのボトルを船体に叩きつける儀式を終え、内装を整え、すべての「芸術」のつがいを招き入れた。これが、館内に作品が隙間なく展示された理由。3月、室外に目をやると、風は強まり雨は降り止まず、地上全てが水没する予兆。わたしは水の中の人だけど、浮きあがった方舟は『シップス・キャット(ミューズ)』に助けられ、アララト山にたどり着けるのか、今年の恵方は北北西と云うが、猫ちゃんは北北東に向いております。

BP13-27  グタイピナコテカのあった通り側から美術館を見上げる

BP13-28  堂島川を望む『シップス・キャット(ミューズ)』

 新しい美術館はコンセッション方式で運営される。「コンセッション」は「公共施設等運営権」の意味で、建物や作品は大阪市博物館機構が所有。自由度の高い方法らしいが、「館長と学芸員は機構から運営会社に出向する形」だと云う。収益確保と裁量、新しい美術館は未知の航路を進む訳である。
 美術館では本展の後に、特別展『モディリアーニ 愛と創作に捧げた35年』、国立国際美術館との共同企画で『すべて未知の世界へ──GUTAI分化と統合』など、わたしが関心を持つ展示も予定されている。アーカイブス情報室の利用も期待するし、リピーターにならなくちゃ。
 
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 最後に、開館展を鑑賞した友人から、『郵便配達夫』など一部作品は撮影可能だと聞いた。また別の友人からは、ミュージアムショップで現金支払が出来なかったと聞いた。後者はコロナ禍での対応で決済カード・非接触推奨かと思ったが、2037年迄の運営権を持つ株式会社大阪中之島ミュージアムが作成した『大阪中之島美術館を中心とする文化観光拠点計画』には、事業計画としてインバウンド客を念頭に「日本円不要とする利便性向上の為の『キャッシュレスシステム』」導入がうたわれている。また、事業の「目標の達成状況の評価」方法として「チケットの発売状況、来場者数の把握により、イベント単位での来館者を把握」「商業店舗でも利用者数、売上高をモニタリングする」とある。小銭の使用が閉め出される世の中の流れはビッグデータからの個人情報抜き取りを危惧し、カードを持たないわたしには不便。150円の絵葉書を買うのに、小銭が使えない、「そら、せっしょでっせ」絵葉書のリアリテイが切手と離れ、鑑賞だけになってしまう。「消印がなくちゃ、SNSで十分」と、だれもが、思いますやろね。 


(いしはら てるお)

●石原輝雄さんのエッセイ「美術館でブラパチ」は隔月・奇数月の18日に更新します。次回は5月18日です、どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は瑛九です。
qei17-005《題不詳》
1936~39年頃
フォト・デッサン
30.3×25.2cm
裏面にサインあり
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