松本竣介研究ノート 第37回

「真似る」ということ、「学ぶ」ということ


小松﨑拓男
 
 さて、今回は、前回の番外編から再び松本竣介の話に戻ることにしよう。
 松本竣介の画風の変遷と他の画家からの影響については、比較的分かり易く、その分析はそれほど難しくないようにみえる。確かに二科会への初入選頃の作品には、太い輪郭線によってかたどられたビルや建物が描かれ、人物にも同様の太い線が使われている。これがジョルジュ・ルオーからの影響だと言っても、ただの憶測のようには思われない。しかも、実際にルオーの作品に触れることができた福島コレクションの展覧会を見に行っていた事実もあるのだから、あまり疑問に思うことはないかもしれない。
 だが、そもそもルオーの影響とはっきりと指摘したのは誰だったのだろうか。私はてっきり朝日晃が著書『松本竣介』(日動出版、1977年)の中で指摘していたものと思っていたが、明確にそのように書かれた記述は見当たらなかった。ただ、本書が出版された同じ年の秋、新宿の小田急百貨店の11階にあったグランドギャラリーで開催された展覧会『松本竣介展』(日経新聞社主催)の図録の中の朝日晃の文章の中に「やがて、モディリアニ、ルオーを表面的に把えた時代から転回させていっている」(注1)という記述があり、やはり朝日晃による指摘であったかもしれない。さらに同じ1977年、その展覧会の後に東京都美術館で開催された『靉光・松本竣介そして戦後美術の出発』展の図録の朝日晃の文章の中で、ルオーからの影響を明快に指摘されていたのは実は松本竣介ではなく、靉光であった(注2)。私はこれを勘違いしていたのだろうか。
 だが、現在、松本竣介がジョルジュ・ルオーから影響を受けたとされるのは定説になっている。例えば2012年に開催された『生誕100年 松本竣介展』の図録の中で長門佐季が「初期作品の特徴である骨太の輪郭線は、モディリアニーやルオー(1871-1958)からの影響と指摘される」(注3)と書いている。従って、誰がそう言いだしたのかは一旦置くとして、二科会初入選の頃の松本竣介の画風は、ジョルジュ・ルオーから影響を受けたというのは定説ということになる。

 ところで、今年2022年に大阪に新しい美術館が開館した。大阪中之島美術館である。今、この美術館の開館記念特別展として『モディリアーニ ー愛と創作に捧げた35年ー』展が開催されているが、展覧会のホーム・ページでその宣伝の画像を何気なく眺めていたら、ひろしま美術館所蔵の作品が目に入ってきた。それが『青いブラウスの婦人像』(1910年頃)(図1)である。

20210706_2273592図1
アメデオ・モディリアーニ
《青いブラウスの婦人像》
1910年頃
ひろしま美術館蔵

 私はフランス近代絵画の専門家でもないし、モディリアーニを詳しく見てきた訳でもないので、多くを語ることはできない。そしてこのような画風の絵を描いていたことがあったのだということも、初めて知った。1910年頃とあるのでモディリアーニにとっては初期の、まだ彫刻をしていた時期の作品で、いわゆるよく知られたモディリアーニの作風とは異なる。
 一見してこの『青いブラウスの婦人像』の描き方は、ルオーの影響を受けたという松本竣介の人物像に似てはいないだろうか。色調や黒い輪郭線をそのように感じる。現物は見たことがないのでネットの画像資料からだけだが、青のトーンや背景の暗さ、あるいは細くはあるが黒の輪郭線、顔の描写に使われる絵具の色など、「松本竣介のアトリエから見つかった習作です」と言われても、そうかもしれないと納得しそうな気がする。
 現在、この作品はひろしま美術館の所蔵となっている。ということは、もしかするとかなり前から日本にあったかもしれない。松本竣介が見ていた可能性はあるのだろうか。来歴が気になる。ただ今のところ、確かめるすべがないので、これは妄想の域、ただなんとなく雰囲気が似ているなというぐらいが、確かなところではあるのだが……。
 松本竣介が、もし画集などを通じて、こうした初期のモディリアーニの作品を知っていたとするならば、ルオーだけではなく、むしろモディリアーニのそれを真似たのかもしれない。しかし、これも確たる証拠はない。(図2、3)

IMG_0495図2
松本竣介《婦人像》
1936年頃

IMG_0494図3
松本竣介《少女》1935年

 今、「真似る」と書いたが、昨今の美術教育の現場では、よく人の真似をしてはいけない、自分らしい絵を描くために、自分の個性をだしなさいと指導される。これは近代の美術の歩みが、個性という、その人にしかできない表現を求めてきた結果だから、そう教育される。そのこと自体は誤りではない。だがしかし、これは簡単には実現できないし、また松本竣介のように、有名な画家たちの画風を「真似」してはいけないのだろうか。教育の中で「真似ること」はあまり推奨されないが、実は語源的には学習するという意味の「学ぶ」は、この真似るに由来しており、真似る、まねぶ、学ぶと変化したのだという。ならば、自分の個性的な表現に到達していない初学者であるならば、やはり「真似る」ことは学習の一過程としては一概に悪いとは言えないような気がする。
 モディリアーニ、ルオーだけではなく、この後も松本竣介は多くの画家の描き方を「真似」て、トレースした。だがそれは、単に真似た画家のように描きたいと思って真似ていた訳ではない。自分らしい世界を、自分にしかできない表現を目指して試行錯誤していた結果であって、ひとつの実験としてそうしていたのだろう。その証拠に松本竣介の画風は、その後も何度も変化を繰り返して、長くひとつところに留まることはなかった。つまり「真似る」が本当の意味での「学ぶ」になるならば、一時的に「真似る」ことも許されるということのように思う。

注1 朝日晃「松本竣介=その線の思考と展開」『松本竣介展』図録、日本経済新聞社、1977年(本書にはノンブルが振られていないのでページ数未記載)
注2 朝日晃「靉光、松本竣介そしてー」『靉光・松本竣介そして戦後美術の出発』展図録、 東京都美術館、1977年(本書にもノンブルなし)ここで松本竣介については「ルオーの太い線の表出した時代」と記されてはいるが、靉光に関しては福島コレクション展を見に行きルオーの作品に魅了されたという記述が数行続いている。
注3 長門佐季(署名はS.N.)「都会:黒い線」『生誕100年松本竣介展』図録、NHK東北プラネットNHKプロモーション、2012年、p26

(こまつざき たくお)

小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。

小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。著書に『TOKYO POPから始まる 日本現代美術1996‐2021』(平凡社、2022年)。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

●ときの忘れものは5月1日(日)~5月5日(木曜、祝日)まで休廊します

生誕110年 松本竣介展
会期=2022年5月10日(火)~5月28日(土)※日・月・祝日休廊
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