松井裕美のエッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」第9回
「研究資料編――控えめな足跡をたどる」
松井裕美
前衛的な立場にいることを自認していたキュビスムの芸術家たちのなかには、ピカソのように制作を通して新たな表現を模索し続ける者もいれば、グレーズやロートのように、確立した自らの理論を周囲の人々へと普及させるべく、熱心に執筆活動や講演会を行う者もいた。
ジャック・ヴィヨンについては、そうした他のキュビスムの芸術家の中では、やや控えめな印象を受ける。彼が1937年に構想した「明日の芸術」展(前回の記事で触れた)の会場風景には、モンドリアンやマティス、マルセル・デュシャンの作品はあるのに、彼自身の作品は描かれていない(ピカソやグレーズ、あるいはロートが同じ企画を考えることがあれば、おそらく自らの作品を含めたことだろう)。また彼は、1912年のセクシオン・ドール展の開催には尽力したが、自らの作品の出品数は少数にとどめている。
弟のレイモンやマルセル、妹のシュザンヌを含む他の芸術家たちの作品を版画化している点も、ことごとく他者との違いを強調しオリジナリティを追求しようとした他のキュビストたちとの違いを際立たせている。彼が版画化した作品はさまざまだ。16世紀にフランスで活躍した北方出身の画家ジャン・クルーエの肖像画《フランソワ一世》(ルーヴル美術館)のように古典的なものから、マネやピカソのようにモダニズムを代表する芸術家たちの作品まで、幅広い。そこには、ピエール・ボナールやマリー・ローランサンのように、当時のコレクターたちに人気の画家たちの作品も含まれている。

ジャック・ヴィヨン《花(ピエール・ボナール)》1942~46年
さらにヴィヨンは、理論的な面を非常に強く感じさせる作風であるにもかかわらず、理論的著述を多くは残していない。彼の文章が出版されたのは、第二次世界大戦前には、『アプストラクシオン・クレアシオン』誌第二号(1933年)掲載の論考「抽象絵画について」のみである。戦後は、彼の美学と思想を伝える幾つかの言葉を紙面上で発信しているものの、その数は決して多くはない。
そうした、ある種の謙虚さを感じさせる姿勢ゆえだろうか、彼についてのモノグラフィックな研究書についても、その数は決して多くない。ドラ・ヴァリエが1957年に出版した著書(Jacques Villon: œuvres de 1897 a 1956)は、その一つである。だが本格的な美術史研究におけるモノグラフィーとしては、2011年11月にアンジェで開幕したこの版画家の回顧展に際して、企画者ジェルマン・ヴィアットが出版した展覧会カタログを待たねばならない。それは彼の生涯と様式変遷、理論とをもっとも詳細に論じた著書だった。

2011年~2012年にアンジェ美術館で開催された際の展覧会カタログ
1979年に出版された版画のカタログ・レゾネ(全版画集)も、ヴィヨン研究には欠かせない重要な資料である。幾つかの作品にはヴィヨン自身が残した作品についての覚書が添えられている。この著書の初版のうち、75冊の限定版には、ヴィヨンによるオリジナルのエッチング作品《地球儀》が付録として添えられた。
このレゾネの優れた点は、それぞれの作品が完成するまでの複数の版を可能な限り集めて掲載していることだ。このことによって、ヴィヨンが版画を作成するにあたりどのようなプロセスで線を引いたのかが手に取るようにわかる。例えば彼がマネの《オランピア》の模写版画を作成するにあたってドライポイントで作成した第二版を見てみると、彼が驚くほど理知的な眼差しで、モダン・アートのメルクマールともなるこの絵画作品を幾何学的に分析していたことがわかる。それはマネの作品のキュビスム版ともいって良い様相を呈しているのだ。アクアチントによる完成作では、そうした複雑な線は、優しい濃淡の表現と淡い色彩に置き換えられている。
ヴィヨンに魅せられる批評家や研究者たちには、おそらくヴィヨンのこうした密かな二面性に惹かれるところがあるのかもしれない。彼の制作プロセスにおいては、理知的なものと感覚的なものが、交互に現れては、対立し、調和し、融合する。他の芸術家が描いた絵画を従順になぞるように見える彼の版画の下層にも、線による新しい解釈が潜んでいる。大胆なキュビストたち、雄弁なキュビストたちの中では控えめに見える彼も、その制作プロセスのなかでは、密かに大胆なステップをふみ、律動を生み出すことがある。ヴィヨンにおけるそうした一面に目を向ける研究者は多くはない。しかしそこにこそヴィヨンの特性を見出したジェルマン・ヴィアットが、同時に日本の民藝にも関心を寄せている研究者でもあることは、興味深い(彼は2008年にケ・ブランリー美術館で民藝展を企画している)。その根底には、オリジナリティ崇拝に根ざした単線的なモダン・アートのナラティヴへの疲弊と、名もなき職人技の中に息づく大胆さへの穏やかな憧れがあるようにも思われるのだ。
ヴィアット氏がそうした憧憬を、近代化が進む大正期の日本に起こった工芸運動と共有していたとすれば、ヴィヨン自身にとっても、日本は密やかな憧憬の的だったようだ。私は一度、博士論文の調査の際に、デュシャン兄弟についての質問をすべくヴィアット氏のお宅にお邪魔したことがある。ポンピドゥー・センターにあるヴィヨンとデュシャン=ヴィヨンのアーカイヴには、日本人をモチーフにした絵葉書に残されたメモ書きがいくつかあるのだが、こうした関心がどこから来たのかヴィアット氏と互いに意見を交わしたのも、今ではとても良い思い出である。
(まつい ひろみ)
■松井 裕美(まつい ひろみ)
著者紹介:1985年生まれ。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(パリ第10大学)博士課程修了。博士(美術史)。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は近現代美術史。単著に『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)、共編著に『古典主義再考』(中央公論美術出版社、2020年)、編著に『Images de guerres au XXe siecle, du cubisme au surrealisme』(Les Editions du Net, 2017)、 翻訳に『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。
・松井裕美さんの連載エッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」は毎月25日の更新です。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
「研究資料編――控えめな足跡をたどる」
松井裕美
前衛的な立場にいることを自認していたキュビスムの芸術家たちのなかには、ピカソのように制作を通して新たな表現を模索し続ける者もいれば、グレーズやロートのように、確立した自らの理論を周囲の人々へと普及させるべく、熱心に執筆活動や講演会を行う者もいた。
ジャック・ヴィヨンについては、そうした他のキュビスムの芸術家の中では、やや控えめな印象を受ける。彼が1937年に構想した「明日の芸術」展(前回の記事で触れた)の会場風景には、モンドリアンやマティス、マルセル・デュシャンの作品はあるのに、彼自身の作品は描かれていない(ピカソやグレーズ、あるいはロートが同じ企画を考えることがあれば、おそらく自らの作品を含めたことだろう)。また彼は、1912年のセクシオン・ドール展の開催には尽力したが、自らの作品の出品数は少数にとどめている。
弟のレイモンやマルセル、妹のシュザンヌを含む他の芸術家たちの作品を版画化している点も、ことごとく他者との違いを強調しオリジナリティを追求しようとした他のキュビストたちとの違いを際立たせている。彼が版画化した作品はさまざまだ。16世紀にフランスで活躍した北方出身の画家ジャン・クルーエの肖像画《フランソワ一世》(ルーヴル美術館)のように古典的なものから、マネやピカソのようにモダニズムを代表する芸術家たちの作品まで、幅広い。そこには、ピエール・ボナールやマリー・ローランサンのように、当時のコレクターたちに人気の画家たちの作品も含まれている。

ジャック・ヴィヨン《花(ピエール・ボナール)》1942~46年
さらにヴィヨンは、理論的な面を非常に強く感じさせる作風であるにもかかわらず、理論的著述を多くは残していない。彼の文章が出版されたのは、第二次世界大戦前には、『アプストラクシオン・クレアシオン』誌第二号(1933年)掲載の論考「抽象絵画について」のみである。戦後は、彼の美学と思想を伝える幾つかの言葉を紙面上で発信しているものの、その数は決して多くはない。
そうした、ある種の謙虚さを感じさせる姿勢ゆえだろうか、彼についてのモノグラフィックな研究書についても、その数は決して多くない。ドラ・ヴァリエが1957年に出版した著書(Jacques Villon: œuvres de 1897 a 1956)は、その一つである。だが本格的な美術史研究におけるモノグラフィーとしては、2011年11月にアンジェで開幕したこの版画家の回顧展に際して、企画者ジェルマン・ヴィアットが出版した展覧会カタログを待たねばならない。それは彼の生涯と様式変遷、理論とをもっとも詳細に論じた著書だった。

2011年~2012年にアンジェ美術館で開催された際の展覧会カタログ
1979年に出版された版画のカタログ・レゾネ(全版画集)も、ヴィヨン研究には欠かせない重要な資料である。幾つかの作品にはヴィヨン自身が残した作品についての覚書が添えられている。この著書の初版のうち、75冊の限定版には、ヴィヨンによるオリジナルのエッチング作品《地球儀》が付録として添えられた。
このレゾネの優れた点は、それぞれの作品が完成するまでの複数の版を可能な限り集めて掲載していることだ。このことによって、ヴィヨンが版画を作成するにあたりどのようなプロセスで線を引いたのかが手に取るようにわかる。例えば彼がマネの《オランピア》の模写版画を作成するにあたってドライポイントで作成した第二版を見てみると、彼が驚くほど理知的な眼差しで、モダン・アートのメルクマールともなるこの絵画作品を幾何学的に分析していたことがわかる。それはマネの作品のキュビスム版ともいって良い様相を呈しているのだ。アクアチントによる完成作では、そうした複雑な線は、優しい濃淡の表現と淡い色彩に置き換えられている。
ヴィヨンに魅せられる批評家や研究者たちには、おそらくヴィヨンのこうした密かな二面性に惹かれるところがあるのかもしれない。彼の制作プロセスにおいては、理知的なものと感覚的なものが、交互に現れては、対立し、調和し、融合する。他の芸術家が描いた絵画を従順になぞるように見える彼の版画の下層にも、線による新しい解釈が潜んでいる。大胆なキュビストたち、雄弁なキュビストたちの中では控えめに見える彼も、その制作プロセスのなかでは、密かに大胆なステップをふみ、律動を生み出すことがある。ヴィヨンにおけるそうした一面に目を向ける研究者は多くはない。しかしそこにこそヴィヨンの特性を見出したジェルマン・ヴィアットが、同時に日本の民藝にも関心を寄せている研究者でもあることは、興味深い(彼は2008年にケ・ブランリー美術館で民藝展を企画している)。その根底には、オリジナリティ崇拝に根ざした単線的なモダン・アートのナラティヴへの疲弊と、名もなき職人技の中に息づく大胆さへの穏やかな憧れがあるようにも思われるのだ。
ヴィアット氏がそうした憧憬を、近代化が進む大正期の日本に起こった工芸運動と共有していたとすれば、ヴィヨン自身にとっても、日本は密やかな憧憬の的だったようだ。私は一度、博士論文の調査の際に、デュシャン兄弟についての質問をすべくヴィアット氏のお宅にお邪魔したことがある。ポンピドゥー・センターにあるヴィヨンとデュシャン=ヴィヨンのアーカイヴには、日本人をモチーフにした絵葉書に残されたメモ書きがいくつかあるのだが、こうした関心がどこから来たのかヴィアット氏と互いに意見を交わしたのも、今ではとても良い思い出である。
(まつい ひろみ)
■松井 裕美(まつい ひろみ)
著者紹介:1985年生まれ。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(パリ第10大学)博士課程修了。博士(美術史)。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は近現代美術史。単著に『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)、共編著に『古典主義再考』(中央公論美術出版社、2020年)、編著に『Images de guerres au XXe siecle, du cubisme au surrealisme』(Les Editions du Net, 2017)、 翻訳に『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。
・松井裕美さんの連載エッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」は毎月25日の更新です。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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