連載「瑛九 - フォト・デッサンの射程」
第2回「You get these words wrong-第23回瑛九展」(その1)
You get these words wrong, 私を不意打ちにした「Age of Consent」で幕を開けるニュー・オーダーのセカンド・アルバム『Power, Corruption & Lies』(1983)の最後を飾る名曲「Leave Me Alone」の終盤、前回、第1回を書き終えた時の私の気持ちを代弁するかのようなフレーズが響いている。「You get these words wrong」、そう、「フォト・デッサン」という言葉を間違って解釈している全ての人に、このフレーズを贈りたい。そして、頼むから、私のことは放っておいてほしい、お願いだから構わないでくれないか、その気持ちを「Leave me alone」に託す、身勝手なことは承知の上で。
第23回瑛九展(2013)におけるギャラリー・トークの記録
前回、悔恨の念とともに記したように、私は2013年の「第23回瑛九展」の会期中に開催されたギャラリー・トークの記録をまとめる作業を10年以上も放置してしまった。まずは、このトークのテープ起こしをしてくださった城山萌々さんに、この場を借りて、お礼とお詫びを申し上げます。
ギャラリー・トークの直後から、できるだけ早くトークの記録を公開しましょうと綿貫夫妻からご提案いただき、城山さんが、迅速にテープ起こしをしてくださいました、深く感謝申し上げます。それにも関わらず、校正作業が全くできず、進捗についての報告も、作業が進まず公開に至らないことのお詫びも、城山さんにお伝えできないままの10年である。この間、何もできなかったこと、ようやくの公開までに10年もかかってしまったことを、城山さんに深くお詫び申し上げます。
以下、城山さんがテープ起こしをしてくださった記録をもとに、この時のギャラリー・トークの記録を紹介します。
ギャラリー・トーク「装置としての瑛九」(前編)
2013年5月31日 ときの忘れもの(青山)にて開催
今、ご紹介いただきました埼玉県立近代美術館の梅津です。今日はよろしくお願い致します。目の前に大谷省吾さんがいらっしゃって、直接対決しようかと思っておりますが、まず綿貫さんを始め、ときの忘れものの皆さんにお礼を申し上げたいと思います。私も仕事の関係で調査・作品借用等、大変お世話になっておりますし、色々いつも教えて頂いて、時にはお叱りを頂いたりしておりますので、そういった形でこういう機会を与えて頂いて、少し緊張しているところもありますが、頑張ってやってみたいと思います。
資料の方を配らせて頂きました。ペーパーとカラーコピーのものとあります。では順次進めていきたいと思います。

当日配布したレジュメ(全 4 ページ)の 1 ページ目
私は埼玉の美術館に勤めて大体20年くらいですけれど、勤めた時は正直に告白すれば瑛九というのは知らなかったですね。浦和に未亡人、奥様の都さまが住んでいらっしゃって、初代館長の本間正義さんは、瑛九が亡くなった後の「四人の作家展」を手掛けた方で、そういう経緯が綿々と続いていて、瑛九は埼玉の美術館では非常に重要な作家です。この3月で、私の同僚であり、先輩学芸員であった大久保静雄さんが退職されましたけれども、大久保さんが1980年代に「瑛九とその周辺展」という展覧会を手掛けられて、その後、私も「光の化石」という展覧会を担当しました。また、巡回展ですけれども「デモクラート 1951-1957」があり、2011年の「生誕100年記念 瑛九展」があり、私も大久保学芸員に色々教えていただいて、仕事を引き継いで、埼玉の美術館で瑛九の担当(厳密に決まっているわけではないのですが)という形で、この仕事をやっています。
フォト・デッサンの天地について
ひとつ、先に申し上げておきたいのは、今回大谷さんもカタログで書かれていますけれど、「光の化石」の時に資料編で書いたフォト・デッサンの「天地について」という項目についてです。ありがたいことに、その短いコメントが引用されることもあり、それ自体は光栄なことですが、「天地が分かってない」ということについて、まず瑛九自身が決めていなかった、未定、ということがありますね、ひとつは。それから、決めたけれども現在では不明になってしまったということ、そして、瑛九自身の天地の決定が変わっているということ、このように、3パターンくらいあるわけです。
例えば、『眠りの理由』も、横浜美術館が持っているものと宮崎県立美術館が持っているものと、両方ともスタンプが押してあるのですが、それに従っても、すでに天地が違っているわけです。そうすると、サインやスタンプは、真贋の判断の助けにはなるけれども、天地の決定には寄与しない、というのが私の考えです。
ただ、全てのフォト・デッサンについて、天地がないとか、瑛九が天地を決めてないとか、そう言いたいわけではないのです。ですから具象的なものもあるし、はっきり決めているものもある、ただ、多くのものが、制作された時点で、果たして天地が決まっていたかどうか、ということを言いたかったのです。
それで、これを書いた時のことを思い出してみると、美術史的に何もかも確定させようとするアカデミックな欲求、ある種の正しさのような、ひとつの正しいものに対して他の可能性が排除されるということに対して、不満を抱いていました。ですから、天地が決まってないということを言いたかったというよりも、これが正しい天地だという決め方に反発していた、正しさへの懐疑ということが、私の「天地について」という短い文章を書いた時の動機だった、ということを最初にお話ししておきたいと思います。
「生誕100年記念 瑛九展」の展示構成について
もうひとつ、うらわ美術館の名誉のために、綿貫さんのご批判にお応えしておかねばなりません。ときの忘れもののブログで「生誕100年記念 瑛九展」の感想を綿貫さんが書いて下さっていて、私どもの埼玉近美の展示の方を非常に評価して下さり、それに対してうらわ美術館の展示が、やや物足りないというご批判を書かれています。今日の課題にもなりますが、今回のカタログで大谷さんも書かれているとおり、『眠りの理由』の表紙の別ヴァージョンや、『眠りの理由』と同イメージの別な作品が、東京国立近代美術館に収蔵されているのですが、そのことについての言及も少し足りないのではないか、というお叱りがありました。
少し複雑なのでお話ししておきますと、この展覧会は8つのトピックで構成されていて、宮崎県立美術館では、すべてのセクションを、別会場も使って、展覧会2本分のすごいボリュームで開催していました。そして、埼玉近美とうらわ美術館では、同時開催でトピックを4つずつ分けるという展示をしました。それぞれを単独で観ても、ある程度、瑛九の全体性が見えるように配慮しながら開催したわけです。
つまり、埼玉近美で展示した4つのトピックを埼玉近美が作って、うらわ美術館に展示された4つのトピックをうらわ美術館が作った、というわけではないのです。8つのトピック全てを宮崎、埼玉、うらわの担当者で、一応担当は決めましたけれど、3館で全体を作って、最終的に埼玉近美とうらわ美術館では、4つずつトピックを振り分けました。
綿貫さんが批判をされています『眠りの理由』を含む最初の「文筆家:杉田秀夫から瑛九へ」というセクションは非常に複雑で、宮崎での著述活動は宮崎県美の小林さんが担当、美術評論のセクションはうらわ美術館の山田さんが担当、写真評論のセクションは私、という構成になっています。ですので、綿貫さんがうらわ美術館へのやや批判的なトーンを含めて書かれた内容は、私に対して向けられているということになります。そのことを、ここで申し上げて、うらわ美術館の名誉を回復していただき、私が綿貫さんの批判に応える立場にあるという前提で、これから本題に入りたいと思います。
「瑛九のフォト・デッサンをめぐる3つのメモ」をめぐる3つのメモ
まず、真正面にいらっしゃるので話しにくいところがありますが、これも綿貫さんの深謀遠慮ではないかと感じますが、今回のカタログに、東京国立近代美術館の大谷さんがテキストを書かれています。今日、話をするにあたって読まざるを得ないですし、読んで何も触れないわけにもいきません。ですので、大谷さんの「瑛九のフォト・デッサンをめぐる3つのメモ」に対して、私は「<瑛九のフォト・デッサンをめぐる3つのメモ>をめぐる3つのメモ」という言葉で、話を始めたいと思います。

当日配布したレジュメ(全 4 ページ)の2ページ目
さきほど、綿貫さんからの批判にも出てきました、『眠りの理由』の表紙の別ヴァージョン(fig.1)、これは本当に歴史的な大発見だと思います。大谷さんも書かれていらっしゃるように、サイズが少し大きいのですが、今回の展示では、玄関の入口の所に掛かっている作品です。

fig.1:『眠りの理由』表紙別ヴァージョン 1936年
綿貫氏
あの…梅津先生はもちろん専門家だから、とんとん話進めてしまいますけど、聞いている方の中には訳が分からない人がいらっしゃると思うので、ちょっと。
梅津 補足してください。
綿貫氏
瑛九が『眠りの理由』というのでデビューするのですけれど、実は『眠りの理由』というのは40部限定で作られて、宮崎とか完全セットを持っているのは横浜だけなのですが、あとはみんな1点欠けていたりするのです。うちも9点しかないのですが、実はそれ、リプロダクションなのです。オリジナルをカメラに撮ってそれを40枚複製したわけです。ですから、フォト・デッサンそのものではないのです。ただまあ、その辺は混同されてしまうことがありますけれど、その元となった作品が、実はそうは確定できていないですね。まだね。
梅津 できていないですね。
綿貫氏 ということを今ちょっと。
梅津 はい。
綿貫氏
その別ヴァージョンというのは、おそらくこれは瑛九のフォト・デッサンの『眠りの理由』の表紙の別ヴァージョンなのですね。これそのものではなくて、これとは違う作品が表紙に使われているのですが、こういうものが出てきたということが、なかなか珍しいことだというのを今、梅津先生が。
梅津 はい。
綿貫氏 すいません横から。
梅津
いえいえ。今、補足して頂いたとおりで、『眠りの理由』は複写で作られた作品集なので、その原版、いわゆるヴィンテージ、オリジナルのプリントが、どこかに存在していたはずなのです。未だにそれが出てこないのが不思議なのですが、この表紙の別ヴァージョンは、オリジナルの確率が非常に高いのです。ただ、厳密に言うと、『眠りの理由』の表紙と微妙に違っているので、テスト的に作られたものではないか、ということになります。この作品に関しては、非常に重要な発見であると言えると思います。
次に、東京国立近代美術館に収蔵されている、『眠りの理由』とほぼ同じ図柄の作品2点ですが、これらが複写の元になったオリジナルのプリントであるかどうかというのは、非常に難しい問題です。この点は、収蔵している美術館が調査をされて、判断をなさるのだろうと思いますが、私も瑛九展の時に調査をさせていただくことができました。大谷さんも、書きたいけど書ききれないことが色々とおありなのではと思いますので、他館の人間が勝手に色々言いますが…。
こちらが『眠りの理由』に含まれている作品(fig.2)、そして、こちらが東京国立近代美術館に収蔵されている作品(fig.3)です。見ていただくとわかる通り、図柄が同じですが、プリントのサイズを比べると、表紙の別ヴァージョンと同じく、東京国立近代美術館に収蔵されている作品の方が少し大きいのです。しかし、大きいという理由だけでは、オリジナルプリントであるという可能性には直結しません。余白というか、周囲の部分が少し大きくて、型紙を使ったモチーフの図柄の部分を比べるとほぼ同寸なので、プリントのサイズだけで、オリジナルとは言い切れない部分があるのです。印画紙の質感が少し違うので、『眠りの理由』を作るにあたり、複写したものをプリントする過程で、印画紙を選ぶテストしていた時のピースの可能性が高いのではないか、という判断ができるかと思います。

fig.2:《フォト・デッサン(『眠りの理由』より)》 1936 年
(中央やや左の縦の反射と歪みは図録複写によるもの)

fig.3:《フォト・デッサン(その 1)》 1936 年 東京国立近代美術館蔵
さらに丁寧に見ていくと、色々デリケートな問題もあります。この型紙の部分、真ん中の模様をくり抜くときに、カッターナイフで切ったのではなくて、どこかにハサミを入れて裁断したように見える箇所があります。『眠りの理由』に収録されている作品の方では、その部分を見ると、裁断されたと思われる箇所がきれいで、エッジがフラットになっています。ところが東京国立近代美術館に収蔵されている作品を見ると、その箇所がずれているように見えます。複写の時の問題なのか、複写したガラスの原版をレタッチして修正し、きれいな状態でプリントしたのか、その辺は、テクニカルことが分かる方の見極めが必要で、私はそこまで追いきれません。ただ、判断をするための様々な情報が含まれていることは確かで、そういったところを大谷さんはもちろんお調べになっていると思いますし、私も色々と調べて頭を悩ませているというのが現状です。
それと、もうひとつ興味深いことがあります。こちらも『眠りの理由』に含まれている1点なのですが、ここに半円状のモチーフが写り込んでいます(fig.4)。そして、こちらは、骨みたいな形がくり抜かれているものは、埼玉県立近代美術館に収蔵されている、奥様から寄贈していただいた型紙の中の一枚ですが、同じモチーフが写っています(fig.5)。36年の年記と瑛九のサインも入っているので、型紙としてくり抜かなければ、立派な作品として評価し得る、プリントの精度も非常に良い作品です。おそらく、『眠りの理由』の10点を選ぶときに選から漏れた、同時期の作品と思われます。

fig.4:《フォト・デッサン(『眠りの理由』より)》 1936 年

fig.5:《フォト・デッサン型紙》 1936 年 埼玉県立近代美術館蔵
型紙として切り抜かれている方は複写ではなくオリジナルのプリントですが、『眠りの理由』に収録されている作品と図柄を比較すると、このモチーフの寸法が完全に一致していることが分かります。そうすると、『眠りの理由』は、複写による作品集ですが、オリジナルのプリントと同じサイズで制作された確率が高まるのです。今回出品されている表紙の別ヴァージョンは少し大きいことがはっきりしていますが、表紙は、おそらく別に作っているのではないかと思われます。
このように、『眠りの理由』には含まれていないけれども、『眠りの理由』の収録作品と同じモチーフ、同じ型紙が使われている作品が、あちこちにありますので、複写の際の寸法の違いなどを調べてみると、作品を同定する時の材料になるのではないかと思います。他にも、宮崎県立美術館が収蔵している作品の中に、『眠りの理由』と同じようなモチーフが見られる作品があります(fig.6)。真ん中に見える、鳥のような不思議な形は、『眠りの理由』の収録作品に見られる型紙の形です。

fig.6:《題不明》 1936 年 宮崎県立美術館蔵
こちらの宮崎県美に収蔵されている作品は、複写ではなくてオリジナルのプリントなので、同じ型紙が使われている『眠りの理由』の収録作品と、図柄の部分の寸法を調査すれば、またひとつ、判断材料が増えて、確証に近づくのでは、というところがあります。以上が、「3つのメモ」のひとつ目についての、私の考えです。
次に、大谷さんの「3つのメモ」のふたつ目として取り上げられている、『カメラアート』の1936年6月号に掲載された作品についてです。この作品の別ヴァージョンが、今回の展示で1点出品されています。この点についてですが、まず、限りなく同じに近いフォト・デッサンが複数存在する、ということは、瑛九の場合、まま見受けられることです。

fig.7:《空きよなる朝》別ヴァージョン
印画紙の上に透明なガラスの板などを敷いて、その上にモチーフを置いて、光をあてて、フォトグラムを作る。次に、印画紙を差し替えて、新しい印画紙を敷いて、同じ方法で光をあてれば、限りなく同じフォトグラムが、確かにできます。そのような方法論自体は、大谷さんのご指摘の通りで、その方法は可能であると私も思います。
ただ、この作品に限定して言いますと、私は、これはフォトグラムの技法で作られた印画紙を、もう一回フォトグラムにすることで、ネガポジを反転させているのだろうと思っています。というのは、印画紙に光をあてると、光を遮ったモチーフの部分は白く抜け、感光した部分は黒くなるので、物体のところが白く抜けた、ネガ像のようなフォトグラムができます。次に、その印画紙を版画の版のようにして、コンタクトにして、もう一回強い光を当てると、ネガポジが反転した画像が出現することになります。
つまり、全体のベースが白地になっていて、モチーフの部分が、実体を帯びた黒味を帯びているということは、最初に作ったフォト・デッサンを、もう一回コンタクトにして感光させることで、ポジ像のフォト・デッサンが作られたことを示していると思うのです。この方法では、最初にできたフォト・デッサンが、ネガの役割を果たすので、いくらでも量産ができます。それが、この問題についての、私の見解となります。
もう1点、例を挙げると、埼玉県立近代美術館と福岡市美術館に、ほぼ同じ図柄の作品が収蔵されています。モチーフの配列をほとんど変えず、限りなく似たものを作ることは非常に難しいので、一度出来上がったフォト・デッサンを版のように使って、白いベースのポジ像のフォト・デッサンが複数作られたのではないか、というのが私の見解です。試しにネガポジを反転すると、モチーフが白く抜けて、ベースが黒くなります。
ところで、では、印画紙を密着焼き付けしてポジ像を作るということが、果たして技術的にそんなに簡単なのだろうか?という疑問が当然湧いて来ます。この問題に関しては、「光の化石-瑛九とフォトグラムの世界」という展覧会を開催した時に、杉浦邦恵さんに、教えていただきました。杉浦さんは、ニューヨーク在住で、フォトグラムを手がける作家ですが、この展覧会の現代のセクションということで、出品していただきました。
例えば、花をモチーフにしてフォトグラムを作ると、感光したところが黒くなり、光を遮る花がおいてあったところが白く抜けたフォトグラムができます。それで、このフォトグラムを使って、ネガポジを反転させて、白いベースのポジ像のフォトグラムを作ることができますと、杉浦さんが、私の質問に答えて、教えてくださいました。この工程を繰り返し、ネガポジを次々と反転させ、ノイズが増幅されるようなアナログな転写を繰り返した、花をモチーフとした作品が、実際に制作されています。
他にも、色彩も導入されていますが、ネガ像のフォトグラムのネガポジを反転させて、ポジ像のフォトグラムを作る作業が行われています。印画紙は光を通すので、技術的に可能だということを杉浦さんが教えてくださったので、瑛九の作品に含まれている、白いベースのフォト・デッサンは、この方法で、ネガポジを反転させて制作されたものではないかと思います。この方法であれば、同じ図柄のフォト・デッサンを、複数制作することが可能性になります。これが、「3つのメモ」のふたつ目についての、私の見解です。
そして、「3つのメモ」の三つ目が、今日の本題に入っていくことにもなりますが、大谷さんも指摘されている、『みづゑ』1936年3月号の掲載作品についてです。瑛九のフォト・デッサンの中で、非常に毛色の違ったものがあるということなのですが、今回の展覧会にも、近いタイプの作品が展示されています(fig.8、fig.9)。実物を見ることができて、何と贅沢なギャラリー・トークでしょうか、という感じがします。

fig.8 :《バリカン》(仮題) 1936 年

fig.9 :《面影》 1936 年
フォトグラムは、一般に、カメラを使わない写真と呼ばれるように、印画紙の上に物を置いて、光をあててその物の影を写しますけれども、このタイプは、フォトグラムではないわけです。この時代は、フィルムはガラスの乾板ですのでカメラで撮影するとガラスの乾板上にネガが出来て、それを拡大して焼き付けして、写真ができます。なので、このタイプの作品は、そのガラスの乾板自体に加工してしまう、例えば、ある部分を塗りつぶすとか、細いものでひっかくように削ぎ落とすとか、普通に焼き付けすればストレートフォトとなるべきものを、かなり攻撃的な加工をして拡大焼き付けするわけです。さらに、焼き付けされた印画紙の上からペンで描画するなど、瑛九の創作性が、色々な階層に入っているわけです。
瑛九のフォト・デッサンの中には、このタイプのものがあるわけです。大谷さんも指摘されたように、『みづゑ』の1936年3月号で、瑛九のフォト・デッサンが紹介されたときに、はっきりと、瑛九氏のフォト・デッサンには二つの傾向がある、と示されているのです。(注:本連載の第1回を参照ください。)これが、「3つのメモ」の三つ目となります。
図版出典
fig.2, fig.3, fig.4, fig.5, fig.6:『生誕 100 年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011 年
(うめづ げん)
■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。
・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」。次回更新は2023年12月9日を予定しています。どうぞお楽しみに。
*画廊亭主敬白
<ご連絡ありがとうございます。梅津さんの伝説のレクチャーがついに活字化されるのですね。これは瑛九研究史上もっとも重要な文献になりますので、一言一句そのまま掲載されるべきです。私への言及部分など全くおかまいなしで結構です。(中略)
お話の当日、2枚のアクリル板が重ねられたときに、鳥肌がたったのを今でも鮮明に覚えています。本当に本当に貴重なレクチャーの記録です。読むことができて嬉しいです。
(2023年11月10日 大谷省吾先生からのメールより)>
大谷先生に「伝説のレクチャー」とおっしゃっていただいたギャラリートークは青山時代のときの忘れもので2013年5月31日に開催しました。
当日の様子は2013年6月2日ブログをご覧ください。
当日参加されたのは20人ほど、歴史的な一夜の記念写真が残っています。
それは瑛九のもとに10代から通い続けた細江英公先生から常々「集まったら必ずきちんと記念写真を撮りなさい」と言われていたからです。
●本日のお勧め作品は、瑛九です。

《三人のバレリーナ》
1953年
フォト・デッサン
27.3x21.9cm
裏面にタイトルと年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●臨時休業のお知らせ
誠に勝手ながら、12月2日(土)は臨時休業とさせていただきます。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。

建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
第2回「You get these words wrong-第23回瑛九展」(その1)
梅津 元
You get these words wrong, 私を不意打ちにした「Age of Consent」で幕を開けるニュー・オーダーのセカンド・アルバム『Power, Corruption & Lies』(1983)の最後を飾る名曲「Leave Me Alone」の終盤、前回、第1回を書き終えた時の私の気持ちを代弁するかのようなフレーズが響いている。「You get these words wrong」、そう、「フォト・デッサン」という言葉を間違って解釈している全ての人に、このフレーズを贈りたい。そして、頼むから、私のことは放っておいてほしい、お願いだから構わないでくれないか、その気持ちを「Leave me alone」に託す、身勝手なことは承知の上で。
第23回瑛九展(2013)におけるギャラリー・トークの記録
前回、悔恨の念とともに記したように、私は2013年の「第23回瑛九展」の会期中に開催されたギャラリー・トークの記録をまとめる作業を10年以上も放置してしまった。まずは、このトークのテープ起こしをしてくださった城山萌々さんに、この場を借りて、お礼とお詫びを申し上げます。
ギャラリー・トークの直後から、できるだけ早くトークの記録を公開しましょうと綿貫夫妻からご提案いただき、城山さんが、迅速にテープ起こしをしてくださいました、深く感謝申し上げます。それにも関わらず、校正作業が全くできず、進捗についての報告も、作業が進まず公開に至らないことのお詫びも、城山さんにお伝えできないままの10年である。この間、何もできなかったこと、ようやくの公開までに10年もかかってしまったことを、城山さんに深くお詫び申し上げます。
以下、城山さんがテープ起こしをしてくださった記録をもとに、この時のギャラリー・トークの記録を紹介します。
ギャラリー・トーク「装置としての瑛九」(前編)
2013年5月31日 ときの忘れもの(青山)にて開催
今、ご紹介いただきました埼玉県立近代美術館の梅津です。今日はよろしくお願い致します。目の前に大谷省吾さんがいらっしゃって、直接対決しようかと思っておりますが、まず綿貫さんを始め、ときの忘れものの皆さんにお礼を申し上げたいと思います。私も仕事の関係で調査・作品借用等、大変お世話になっておりますし、色々いつも教えて頂いて、時にはお叱りを頂いたりしておりますので、そういった形でこういう機会を与えて頂いて、少し緊張しているところもありますが、頑張ってやってみたいと思います。
資料の方を配らせて頂きました。ペーパーとカラーコピーのものとあります。では順次進めていきたいと思います。

当日配布したレジュメ(全 4 ページ)の 1 ページ目
私は埼玉の美術館に勤めて大体20年くらいですけれど、勤めた時は正直に告白すれば瑛九というのは知らなかったですね。浦和に未亡人、奥様の都さまが住んでいらっしゃって、初代館長の本間正義さんは、瑛九が亡くなった後の「四人の作家展」を手掛けた方で、そういう経緯が綿々と続いていて、瑛九は埼玉の美術館では非常に重要な作家です。この3月で、私の同僚であり、先輩学芸員であった大久保静雄さんが退職されましたけれども、大久保さんが1980年代に「瑛九とその周辺展」という展覧会を手掛けられて、その後、私も「光の化石」という展覧会を担当しました。また、巡回展ですけれども「デモクラート 1951-1957」があり、2011年の「生誕100年記念 瑛九展」があり、私も大久保学芸員に色々教えていただいて、仕事を引き継いで、埼玉の美術館で瑛九の担当(厳密に決まっているわけではないのですが)という形で、この仕事をやっています。
フォト・デッサンの天地について
ひとつ、先に申し上げておきたいのは、今回大谷さんもカタログで書かれていますけれど、「光の化石」の時に資料編で書いたフォト・デッサンの「天地について」という項目についてです。ありがたいことに、その短いコメントが引用されることもあり、それ自体は光栄なことですが、「天地が分かってない」ということについて、まず瑛九自身が決めていなかった、未定、ということがありますね、ひとつは。それから、決めたけれども現在では不明になってしまったということ、そして、瑛九自身の天地の決定が変わっているということ、このように、3パターンくらいあるわけです。
例えば、『眠りの理由』も、横浜美術館が持っているものと宮崎県立美術館が持っているものと、両方ともスタンプが押してあるのですが、それに従っても、すでに天地が違っているわけです。そうすると、サインやスタンプは、真贋の判断の助けにはなるけれども、天地の決定には寄与しない、というのが私の考えです。
ただ、全てのフォト・デッサンについて、天地がないとか、瑛九が天地を決めてないとか、そう言いたいわけではないのです。ですから具象的なものもあるし、はっきり決めているものもある、ただ、多くのものが、制作された時点で、果たして天地が決まっていたかどうか、ということを言いたかったのです。
それで、これを書いた時のことを思い出してみると、美術史的に何もかも確定させようとするアカデミックな欲求、ある種の正しさのような、ひとつの正しいものに対して他の可能性が排除されるということに対して、不満を抱いていました。ですから、天地が決まってないということを言いたかったというよりも、これが正しい天地だという決め方に反発していた、正しさへの懐疑ということが、私の「天地について」という短い文章を書いた時の動機だった、ということを最初にお話ししておきたいと思います。
「生誕100年記念 瑛九展」の展示構成について
もうひとつ、うらわ美術館の名誉のために、綿貫さんのご批判にお応えしておかねばなりません。ときの忘れもののブログで「生誕100年記念 瑛九展」の感想を綿貫さんが書いて下さっていて、私どもの埼玉近美の展示の方を非常に評価して下さり、それに対してうらわ美術館の展示が、やや物足りないというご批判を書かれています。今日の課題にもなりますが、今回のカタログで大谷さんも書かれているとおり、『眠りの理由』の表紙の別ヴァージョンや、『眠りの理由』と同イメージの別な作品が、東京国立近代美術館に収蔵されているのですが、そのことについての言及も少し足りないのではないか、というお叱りがありました。
少し複雑なのでお話ししておきますと、この展覧会は8つのトピックで構成されていて、宮崎県立美術館では、すべてのセクションを、別会場も使って、展覧会2本分のすごいボリュームで開催していました。そして、埼玉近美とうらわ美術館では、同時開催でトピックを4つずつ分けるという展示をしました。それぞれを単独で観ても、ある程度、瑛九の全体性が見えるように配慮しながら開催したわけです。
つまり、埼玉近美で展示した4つのトピックを埼玉近美が作って、うらわ美術館に展示された4つのトピックをうらわ美術館が作った、というわけではないのです。8つのトピック全てを宮崎、埼玉、うらわの担当者で、一応担当は決めましたけれど、3館で全体を作って、最終的に埼玉近美とうらわ美術館では、4つずつトピックを振り分けました。
綿貫さんが批判をされています『眠りの理由』を含む最初の「文筆家:杉田秀夫から瑛九へ」というセクションは非常に複雑で、宮崎での著述活動は宮崎県美の小林さんが担当、美術評論のセクションはうらわ美術館の山田さんが担当、写真評論のセクションは私、という構成になっています。ですので、綿貫さんがうらわ美術館へのやや批判的なトーンを含めて書かれた内容は、私に対して向けられているということになります。そのことを、ここで申し上げて、うらわ美術館の名誉を回復していただき、私が綿貫さんの批判に応える立場にあるという前提で、これから本題に入りたいと思います。
「瑛九のフォト・デッサンをめぐる3つのメモ」をめぐる3つのメモ
まず、真正面にいらっしゃるので話しにくいところがありますが、これも綿貫さんの深謀遠慮ではないかと感じますが、今回のカタログに、東京国立近代美術館の大谷さんがテキストを書かれています。今日、話をするにあたって読まざるを得ないですし、読んで何も触れないわけにもいきません。ですので、大谷さんの「瑛九のフォト・デッサンをめぐる3つのメモ」に対して、私は「<瑛九のフォト・デッサンをめぐる3つのメモ>をめぐる3つのメモ」という言葉で、話を始めたいと思います。

当日配布したレジュメ(全 4 ページ)の2ページ目
さきほど、綿貫さんからの批判にも出てきました、『眠りの理由』の表紙の別ヴァージョン(fig.1)、これは本当に歴史的な大発見だと思います。大谷さんも書かれていらっしゃるように、サイズが少し大きいのですが、今回の展示では、玄関の入口の所に掛かっている作品です。

fig.1:『眠りの理由』表紙別ヴァージョン 1936年
綿貫氏
あの…梅津先生はもちろん専門家だから、とんとん話進めてしまいますけど、聞いている方の中には訳が分からない人がいらっしゃると思うので、ちょっと。
梅津 補足してください。
綿貫氏
瑛九が『眠りの理由』というのでデビューするのですけれど、実は『眠りの理由』というのは40部限定で作られて、宮崎とか完全セットを持っているのは横浜だけなのですが、あとはみんな1点欠けていたりするのです。うちも9点しかないのですが、実はそれ、リプロダクションなのです。オリジナルをカメラに撮ってそれを40枚複製したわけです。ですから、フォト・デッサンそのものではないのです。ただまあ、その辺は混同されてしまうことがありますけれど、その元となった作品が、実はそうは確定できていないですね。まだね。
梅津 できていないですね。
綿貫氏 ということを今ちょっと。
梅津 はい。
綿貫氏
その別ヴァージョンというのは、おそらくこれは瑛九のフォト・デッサンの『眠りの理由』の表紙の別ヴァージョンなのですね。これそのものではなくて、これとは違う作品が表紙に使われているのですが、こういうものが出てきたということが、なかなか珍しいことだというのを今、梅津先生が。
梅津 はい。
綿貫氏 すいません横から。
梅津
いえいえ。今、補足して頂いたとおりで、『眠りの理由』は複写で作られた作品集なので、その原版、いわゆるヴィンテージ、オリジナルのプリントが、どこかに存在していたはずなのです。未だにそれが出てこないのが不思議なのですが、この表紙の別ヴァージョンは、オリジナルの確率が非常に高いのです。ただ、厳密に言うと、『眠りの理由』の表紙と微妙に違っているので、テスト的に作られたものではないか、ということになります。この作品に関しては、非常に重要な発見であると言えると思います。
次に、東京国立近代美術館に収蔵されている、『眠りの理由』とほぼ同じ図柄の作品2点ですが、これらが複写の元になったオリジナルのプリントであるかどうかというのは、非常に難しい問題です。この点は、収蔵している美術館が調査をされて、判断をなさるのだろうと思いますが、私も瑛九展の時に調査をさせていただくことができました。大谷さんも、書きたいけど書ききれないことが色々とおありなのではと思いますので、他館の人間が勝手に色々言いますが…。
こちらが『眠りの理由』に含まれている作品(fig.2)、そして、こちらが東京国立近代美術館に収蔵されている作品(fig.3)です。見ていただくとわかる通り、図柄が同じですが、プリントのサイズを比べると、表紙の別ヴァージョンと同じく、東京国立近代美術館に収蔵されている作品の方が少し大きいのです。しかし、大きいという理由だけでは、オリジナルプリントであるという可能性には直結しません。余白というか、周囲の部分が少し大きくて、型紙を使ったモチーフの図柄の部分を比べるとほぼ同寸なので、プリントのサイズだけで、オリジナルとは言い切れない部分があるのです。印画紙の質感が少し違うので、『眠りの理由』を作るにあたり、複写したものをプリントする過程で、印画紙を選ぶテストしていた時のピースの可能性が高いのではないか、という判断ができるかと思います。

fig.2:《フォト・デッサン(『眠りの理由』より)》 1936 年
(中央やや左の縦の反射と歪みは図録複写によるもの)

fig.3:《フォト・デッサン(その 1)》 1936 年 東京国立近代美術館蔵
さらに丁寧に見ていくと、色々デリケートな問題もあります。この型紙の部分、真ん中の模様をくり抜くときに、カッターナイフで切ったのではなくて、どこかにハサミを入れて裁断したように見える箇所があります。『眠りの理由』に収録されている作品の方では、その部分を見ると、裁断されたと思われる箇所がきれいで、エッジがフラットになっています。ところが東京国立近代美術館に収蔵されている作品を見ると、その箇所がずれているように見えます。複写の時の問題なのか、複写したガラスの原版をレタッチして修正し、きれいな状態でプリントしたのか、その辺は、テクニカルことが分かる方の見極めが必要で、私はそこまで追いきれません。ただ、判断をするための様々な情報が含まれていることは確かで、そういったところを大谷さんはもちろんお調べになっていると思いますし、私も色々と調べて頭を悩ませているというのが現状です。
それと、もうひとつ興味深いことがあります。こちらも『眠りの理由』に含まれている1点なのですが、ここに半円状のモチーフが写り込んでいます(fig.4)。そして、こちらは、骨みたいな形がくり抜かれているものは、埼玉県立近代美術館に収蔵されている、奥様から寄贈していただいた型紙の中の一枚ですが、同じモチーフが写っています(fig.5)。36年の年記と瑛九のサインも入っているので、型紙としてくり抜かなければ、立派な作品として評価し得る、プリントの精度も非常に良い作品です。おそらく、『眠りの理由』の10点を選ぶときに選から漏れた、同時期の作品と思われます。

fig.4:《フォト・デッサン(『眠りの理由』より)》 1936 年

fig.5:《フォト・デッサン型紙》 1936 年 埼玉県立近代美術館蔵
型紙として切り抜かれている方は複写ではなくオリジナルのプリントですが、『眠りの理由』に収録されている作品と図柄を比較すると、このモチーフの寸法が完全に一致していることが分かります。そうすると、『眠りの理由』は、複写による作品集ですが、オリジナルのプリントと同じサイズで制作された確率が高まるのです。今回出品されている表紙の別ヴァージョンは少し大きいことがはっきりしていますが、表紙は、おそらく別に作っているのではないかと思われます。
このように、『眠りの理由』には含まれていないけれども、『眠りの理由』の収録作品と同じモチーフ、同じ型紙が使われている作品が、あちこちにありますので、複写の際の寸法の違いなどを調べてみると、作品を同定する時の材料になるのではないかと思います。他にも、宮崎県立美術館が収蔵している作品の中に、『眠りの理由』と同じようなモチーフが見られる作品があります(fig.6)。真ん中に見える、鳥のような不思議な形は、『眠りの理由』の収録作品に見られる型紙の形です。

fig.6:《題不明》 1936 年 宮崎県立美術館蔵
こちらの宮崎県美に収蔵されている作品は、複写ではなくてオリジナルのプリントなので、同じ型紙が使われている『眠りの理由』の収録作品と、図柄の部分の寸法を調査すれば、またひとつ、判断材料が増えて、確証に近づくのでは、というところがあります。以上が、「3つのメモ」のひとつ目についての、私の考えです。
次に、大谷さんの「3つのメモ」のふたつ目として取り上げられている、『カメラアート』の1936年6月号に掲載された作品についてです。この作品の別ヴァージョンが、今回の展示で1点出品されています。この点についてですが、まず、限りなく同じに近いフォト・デッサンが複数存在する、ということは、瑛九の場合、まま見受けられることです。

fig.7:《空きよなる朝》別ヴァージョン
印画紙の上に透明なガラスの板などを敷いて、その上にモチーフを置いて、光をあてて、フォトグラムを作る。次に、印画紙を差し替えて、新しい印画紙を敷いて、同じ方法で光をあてれば、限りなく同じフォトグラムが、確かにできます。そのような方法論自体は、大谷さんのご指摘の通りで、その方法は可能であると私も思います。
ただ、この作品に限定して言いますと、私は、これはフォトグラムの技法で作られた印画紙を、もう一回フォトグラムにすることで、ネガポジを反転させているのだろうと思っています。というのは、印画紙に光をあてると、光を遮ったモチーフの部分は白く抜け、感光した部分は黒くなるので、物体のところが白く抜けた、ネガ像のようなフォトグラムができます。次に、その印画紙を版画の版のようにして、コンタクトにして、もう一回強い光を当てると、ネガポジが反転した画像が出現することになります。
つまり、全体のベースが白地になっていて、モチーフの部分が、実体を帯びた黒味を帯びているということは、最初に作ったフォト・デッサンを、もう一回コンタクトにして感光させることで、ポジ像のフォト・デッサンが作られたことを示していると思うのです。この方法では、最初にできたフォト・デッサンが、ネガの役割を果たすので、いくらでも量産ができます。それが、この問題についての、私の見解となります。
もう1点、例を挙げると、埼玉県立近代美術館と福岡市美術館に、ほぼ同じ図柄の作品が収蔵されています。モチーフの配列をほとんど変えず、限りなく似たものを作ることは非常に難しいので、一度出来上がったフォト・デッサンを版のように使って、白いベースのポジ像のフォト・デッサンが複数作られたのではないか、というのが私の見解です。試しにネガポジを反転すると、モチーフが白く抜けて、ベースが黒くなります。
ところで、では、印画紙を密着焼き付けしてポジ像を作るということが、果たして技術的にそんなに簡単なのだろうか?という疑問が当然湧いて来ます。この問題に関しては、「光の化石-瑛九とフォトグラムの世界」という展覧会を開催した時に、杉浦邦恵さんに、教えていただきました。杉浦さんは、ニューヨーク在住で、フォトグラムを手がける作家ですが、この展覧会の現代のセクションということで、出品していただきました。
例えば、花をモチーフにしてフォトグラムを作ると、感光したところが黒くなり、光を遮る花がおいてあったところが白く抜けたフォトグラムができます。それで、このフォトグラムを使って、ネガポジを反転させて、白いベースのポジ像のフォトグラムを作ることができますと、杉浦さんが、私の質問に答えて、教えてくださいました。この工程を繰り返し、ネガポジを次々と反転させ、ノイズが増幅されるようなアナログな転写を繰り返した、花をモチーフとした作品が、実際に制作されています。
他にも、色彩も導入されていますが、ネガ像のフォトグラムのネガポジを反転させて、ポジ像のフォトグラムを作る作業が行われています。印画紙は光を通すので、技術的に可能だということを杉浦さんが教えてくださったので、瑛九の作品に含まれている、白いベースのフォト・デッサンは、この方法で、ネガポジを反転させて制作されたものではないかと思います。この方法であれば、同じ図柄のフォト・デッサンを、複数制作することが可能性になります。これが、「3つのメモ」のふたつ目についての、私の見解です。
そして、「3つのメモ」の三つ目が、今日の本題に入っていくことにもなりますが、大谷さんも指摘されている、『みづゑ』1936年3月号の掲載作品についてです。瑛九のフォト・デッサンの中で、非常に毛色の違ったものがあるということなのですが、今回の展覧会にも、近いタイプの作品が展示されています(fig.8、fig.9)。実物を見ることができて、何と贅沢なギャラリー・トークでしょうか、という感じがします。

fig.8 :《バリカン》(仮題) 1936 年

fig.9 :《面影》 1936 年
フォトグラムは、一般に、カメラを使わない写真と呼ばれるように、印画紙の上に物を置いて、光をあててその物の影を写しますけれども、このタイプは、フォトグラムではないわけです。この時代は、フィルムはガラスの乾板ですのでカメラで撮影するとガラスの乾板上にネガが出来て、それを拡大して焼き付けして、写真ができます。なので、このタイプの作品は、そのガラスの乾板自体に加工してしまう、例えば、ある部分を塗りつぶすとか、細いものでひっかくように削ぎ落とすとか、普通に焼き付けすればストレートフォトとなるべきものを、かなり攻撃的な加工をして拡大焼き付けするわけです。さらに、焼き付けされた印画紙の上からペンで描画するなど、瑛九の創作性が、色々な階層に入っているわけです。
瑛九のフォト・デッサンの中には、このタイプのものがあるわけです。大谷さんも指摘されたように、『みづゑ』の1936年3月号で、瑛九のフォト・デッサンが紹介されたときに、はっきりと、瑛九氏のフォト・デッサンには二つの傾向がある、と示されているのです。(注:本連載の第1回を参照ください。)これが、「3つのメモ」の三つ目となります。
図版出典
fig.2, fig.3, fig.4, fig.5, fig.6:『生誕 100 年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011 年
(うめづ げん)
■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。
・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」。次回更新は2023年12月9日を予定しています。どうぞお楽しみに。
*画廊亭主敬白
<ご連絡ありがとうございます。梅津さんの伝説のレクチャーがついに活字化されるのですね。これは瑛九研究史上もっとも重要な文献になりますので、一言一句そのまま掲載されるべきです。私への言及部分など全くおかまいなしで結構です。(中略)
お話の当日、2枚のアクリル板が重ねられたときに、鳥肌がたったのを今でも鮮明に覚えています。本当に本当に貴重なレクチャーの記録です。読むことができて嬉しいです。(2023年11月10日 大谷省吾先生からのメールより)>
大谷先生に「伝説のレクチャー」とおっしゃっていただいたギャラリートークは青山時代のときの忘れもので2013年5月31日に開催しました。
当日の様子は2013年6月2日ブログをご覧ください。
当日参加されたのは20人ほど、歴史的な一夜の記念写真が残っています。
それは瑛九のもとに10代から通い続けた細江英公先生から常々「集まったら必ずきちんと記念写真を撮りなさい」と言われていたからです。
●本日のお勧め作品は、瑛九です。

《三人のバレリーナ》
1953年
フォト・デッサン
27.3x21.9cm
裏面にタイトルと年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●臨時休業のお知らせ
誠に勝手ながら、12月2日(土)は臨時休業とさせていただきます。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。

建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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