慶應義塾大学アートセンターで 2024年1月26日 (金) まで開催中の「Artist Voice III: 駒井哲郎──線を刻み、線に遊ぶ」と連動したトークイベント「駒井哲郎を語る家族のまなざし」に参加してきたので、ご報告いたします。

登壇者:駒井亜里氏(駒井哲郎長男)と渡部葉子氏(慶応義塾大学アート・センター教授/キュレーター)の2名
日時:2023年11月29日
場所:慶応大学三田キャンパス東館6階 G-Lab

亜里氏が書き起こされた駒井哲郎との思い出の資料をもとに、渡部氏がインタビュー形式で内容を掘り下げていくというトークセッションです。衝撃的なエピソードも多く、あっという間の90分間でした。トーク内容は主に下記の3点です。

父としての駒井哲郎
・駒井哲郎両足骨折
亜里氏が生まれた1963年、駒井哲郎は両足を骨折する大事故で7か月ほど入院を余儀なくされたそう。ようやく退院した頃には亜里氏は父の顔を覚えておらず、見覚えの無い大人が自宅に寝泊まりしている事実に、しばらく眠れない夜を過ごしたそうです(渡部氏「繊細なお子さんだったのですね」)。
≪おもちゃ箱の中の孤独≫は、駒井哲郎が家で孤独に遊んでいるであろう亜里氏を想い、入院中に創った作品だそうです。
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≪おもちゃ箱の中の孤独≫『第1回 資生堂ギャラリーとそのアーティスト達 没後15年 銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展』図録より

・駒井哲郎タクシーから追い出される
駒井哲郎はお酒が大好物で、亜里氏の幼少期、青柳瑞穂の私邸で主催されていた文士や芸術家の会合「阿佐ヶ谷会」に参加しては、泥酔して帰宅されていたとのこと。亜里氏が5歳の頃、「子供同伴なら無茶な酔い方はしないだろう」という奥様の計らいで会に同行させられましたが、結局は酔った哲郎がタクシー運転手と言い合いになり乗車途中で放り出されたそうです。このまま父とはぐれるのでは?という恐怖は今でも鮮明だと笑っておられました。

・大阪万博の思い出
1970年、ご家族で大阪万博へ。人気の館には目もくれず、万国美術館とフランス館のビュッフェへ向かわれました。亜里氏は「子供の時分には退屈に感じたが、大人になった今なら楽しかっただろうに」と当時を振り返られていました。

仕事をする駒井哲郎
亜里氏は時折アトリエへの出入りが許されており、金子光晴の詩集『よごれてゐない一日』の制作現場を間近に見たそうです。駒井哲郎といえば繊細なタッチのエッチングが多い印象ですが、その時は珍しく太く曲がった大胆な面を描いていました。「うんちだ、、!」と大はしゃぎしたと楽しそうに語っておられました。
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詩画集 よごれてゐない一日-E-1
『よごれてゐない一日』 山星書店HPより

駒井哲郎は一度だけ舞台美術と衣装デザインを手掛けており(劇団俳優座『一目見て憎め』)、当時のアトリエはジオラマのような舞台セットの模型や怪獣の衣装など、子供心をくすぐる品々で溢れていたそうです。この時ほど父の仕事に憧れたことは無いと熱弁されていました。
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≪劇団俳優座『一目見て憎め』≫ポスター 劇団俳優座HPより

駒井哲郎の作品について
亜里氏にとって特に印象深い作品が≪帽子とビン≫。亜里氏が12~13歳の頃、駒井哲郎が亡くなる直前に帰宅して制作したエッチング作品です。亜里氏曰く、専門家の中には帽子が労働、ビンが休息の象徴で、労働者の1日を表現していると見る方もいます。
しかし、哲郎自身は亜里氏に「帽子の穴が顔に見えて面白いだろ!」と楽し気に語ったそうです。ほかにも「顔」(のように見える造形)は駒井哲郎作品の中にいくつも潜み、案外遊び心のある作家だったと振り返られます。
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≪帽子とビン≫ 言われてみれば、確かに帽子の中央に2つ目のような穴が配置されています。

渡部葉子氏は、安東次男の詩集の挿絵を例に挙げて、同じ詩集の挿絵でも作風が全く変わってくるのは珍しく、駒井哲郎の引き出しの多さがうかがえると評価されていました。
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≪人それを呼んで反歌という≫ 安東次男氏詩画集『人それを呼んで反歌という』より

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≪腐刻画≫ 安東次男詩画集『人それを呼んで反歌という』より

今回のイベントでは、ご家族の目線から見た人間としての駒井哲郎のお話を伺うことができました。その作品は今でも新刊の表紙等に使われる機会も多く、亡くなって40年以上経つ今でも様々な場所で父のことを身近に感じることができるとおっしゃっており、駒井哲郎の作品の時代を超えた魅力を感じました。
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●「Artist Voice III: 駒井哲郎──線を刻み、線に遊ぶ」
会期:2023年10月10日 (火) - 2024年1月26日 (金) *土日祝・休館
会場:慶應義塾アートセンター(三田キャンパス 南別館 1階)
   アート・スペース[KUAS]

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 小さな展示室1 室という施設の特性を生かして、作家の呟きや生の声を感じ取れるような展示を目指す「Artist Voice」シリーズ第3 回展では、駒井哲郎(1920-1976)を取り上げます。駒井は慶應義塾普通部在学時に版画の制作を始め、銅版画による表現を生涯一貫して探求し、日本における銅版画のパイオニアと評されています。本展覧会では、慶應義塾の所蔵品より、版画作品のほか、駒井が本学の機関誌『三田評論』『塾』に提供した挿図原画や駒井哲郎関連資料を展示します。思索を重ね、線を刻んだ硬質な版画作品に対し、ペンや筆によるのびやかなスケッチからは、作家の解放的で遊び心のある一面を垣間見ることができます。
 作家の線の軌跡をたどりながら、インクと紙が織り成す詩情とユーモア漂う世界をご堪能ください。

●本日のお勧め作品は、駒井哲郎です。
0907-02《顔(びっくりしている少女)》
1975年
銅版
23.0×21.0cm
Ed.60
サインあり
※レゾネNo.312(美術出版社)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

*画廊亭主敬白
駒井哲郎先生(1920年6月14日 - 1976年11月20日)は、ご存命なら103歳、47年前、56歳の若さで亡くなられました。
亭主にとっては最晩年の新作発表全国展を開催できたことは貴重な思い出です。
ときの忘れものを1995年に開廊してからは初日の客、福原義春さんの駒井コレクションをお手伝いすることになり、数多くの駒井作品を扱わせていただきました(福原コレクションは世田谷美術館に寄贈されました)。
ブログの「駒井哲郎を追いかけて」はその記録でもあります。
生前の駒井先生を知る方も少なくなりましたが、作家を直接は知らない若い世代に駒井作品の魅力を感じて欲しいと思い、今回は新人スタッフに聴講してもらいました。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。下は昨年2月の「春の小展示/松本竣介と駒井哲郎」の会場写真です。
08建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。