昨日掲載(毎月28日更新)した三上豊先生の連載「今昔画廊巡り」が好評です。
もともとは二年前の今日、「第七画廊のこと」という記事が予想外の反響で、だったら半世紀前から銀座界隈の画廊をつぶさに歩いてきた三上先生に「昔あった画廊」について書いてくださいとお願いし連載となりました。

1969年6月第七画廊で第二回個展開催。難波田史男(28歳)、三和アルテ記念室『難波田史男作品集』(1999年)所収写真
本日1月29日は難波田史男の命日です(1941年4月27日 - 1974年1月29日)。
<1974(昭和49)年1月29日未明、兄・紀夫とともに出かけた九州旅行の帰路、瀬戸内海にて、小倉発神戸行きフェリー「はりま」のデッキから転落し、消息を絶つ。3月7日、香川県三豊市の箱崎沖にて、漁船により遺体が収容され、死亡が確認された。享年32歳。(2014年世田谷美術館『難波田史男の世界ーイメージの冒険』展図録所収の略年譜より)>
亭主が現代版画センターを創立したのは1974年春でした。
その年の1月に亡くなられた難波田史男さんにはですからお会いしたことはありません。
その少しあとに経堂のお宅に伺い、父の難波田龍起先生に銅版画の制作を依頼したのですが、今思うと、難波田先生ご夫妻は息子さんの死をまだまだ冷静には受け止められず悲しみの日々を送っておられたに違いありません。
難波田龍起先生の銅版画については追悼集に拙い文章を寄せたのでお読みいただきたいのですが、あるとき先生が小さくて不定形な銅版(原版)を何枚も見せてくださいました。
「史男が作っていた銅版でね、ちゃんと刷ってあげたい」とおっしゃっていたのですが、亭主は龍起先生の版画制作の方に夢中で、史男さんの方にまでは手がまわらなかった。
後に別の画廊から限定30部のポートフォリオが刊行され、史男さんの銅版が日の目をみたことは嬉しいことでした。
史男さんが亡くなられて50年が経ちました。
32歳の短い生涯に2000点余の作品を制作し、その多くは初台のオペラシティギャラリーや世田谷美術館などに収蔵されています。
ときの忘れものでは、ご遺族から託された史男さんの油彩、水彩、デッサンによる「没後50年 難波田史男遺作展」を今春開催いたします。ご注目いただければと思います。
ちょっと中断していますが、中尾美穂さんによる連載「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」もぜひお読みください。
■難波田史男プロフィール
1941年東京都に生まれ、小学生の頃から教師のすすめで油絵を試みる。高校時代に絵画の道を志向し大学進学を断念、1960年文化学院美術科に入学するが、指導方針になじめず2年後に中退、以後孤独のうちに制作に没頭する。1965年早稲田大学第一文学部美術専攻科に入学。1967年岡本謙次郎のすすめで、第七画廊で初の個展を開く。1973年には龍起と親子二人展を開催。1974年、瀬戸内海で行方不明となり、1ヵ月余経って遺体が発見された。享年32。画業10年間に、2000点を越える作品を制作した。
■作品紹介

≪門≫
1972年
水彩、インク
26.9x38.0cm
サインあり

≪野と空≫
1971年
水彩、インク
27.0x38.1cm
サインあり
※作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。

建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
もともとは二年前の今日、「第七画廊のこと」という記事が予想外の反響で、だったら半世紀前から銀座界隈の画廊をつぶさに歩いてきた三上先生に「昔あった画廊」について書いてくださいとお願いし連載となりました。

1969年6月第七画廊で第二回個展開催。難波田史男(28歳)、三和アルテ記念室『難波田史男作品集』(1999年)所収写真
本日1月29日は難波田史男の命日です(1941年4月27日 - 1974年1月29日)。
<1974(昭和49)年1月29日未明、兄・紀夫とともに出かけた九州旅行の帰路、瀬戸内海にて、小倉発神戸行きフェリー「はりま」のデッキから転落し、消息を絶つ。3月7日、香川県三豊市の箱崎沖にて、漁船により遺体が収容され、死亡が確認された。享年32歳。(2014年世田谷美術館『難波田史男の世界ーイメージの冒険』展図録所収の略年譜より)>
亭主が現代版画センターを創立したのは1974年春でした。
その年の1月に亡くなられた難波田史男さんにはですからお会いしたことはありません。
その少しあとに経堂のお宅に伺い、父の難波田龍起先生に銅版画の制作を依頼したのですが、今思うと、難波田先生ご夫妻は息子さんの死をまだまだ冷静には受け止められず悲しみの日々を送っておられたに違いありません。
難波田龍起先生の銅版画については追悼集に拙い文章を寄せたのでお読みいただきたいのですが、あるとき先生が小さくて不定形な銅版(原版)を何枚も見せてくださいました。
「史男が作っていた銅版でね、ちゃんと刷ってあげたい」とおっしゃっていたのですが、亭主は龍起先生の版画制作の方に夢中で、史男さんの方にまでは手がまわらなかった。
後に別の画廊から限定30部のポートフォリオが刊行され、史男さんの銅版が日の目をみたことは嬉しいことでした。
史男さんが亡くなられて50年が経ちました。
32歳の短い生涯に2000点余の作品を制作し、その多くは初台のオペラシティギャラリーや世田谷美術館などに収蔵されています。
ときの忘れものでは、ご遺族から託された史男さんの油彩、水彩、デッサンによる「没後50年 難波田史男遺作展」を今春開催いたします。ご注目いただければと思います。
ちょっと中断していますが、中尾美穂さんによる連載「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」もぜひお読みください。
■難波田史男プロフィール
1941年東京都に生まれ、小学生の頃から教師のすすめで油絵を試みる。高校時代に絵画の道を志向し大学進学を断念、1960年文化学院美術科に入学するが、指導方針になじめず2年後に中退、以後孤独のうちに制作に没頭する。1965年早稲田大学第一文学部美術専攻科に入学。1967年岡本謙次郎のすすめで、第七画廊で初の個展を開く。1973年には龍起と親子二人展を開催。1974年、瀬戸内海で行方不明となり、1ヵ月余経って遺体が発見された。享年32。画業10年間に、2000点を越える作品を制作した。■作品紹介

≪門≫
1972年
水彩、インク
26.9x38.0cm
サインあり

≪野と空≫
1971年
水彩、インク
27.0x38.1cm
サインあり
※作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。

建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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