栗田秀法「現代版画の散歩道」

第20回 北川民次

北川民次《二人の女の顔》

本作品は、72才の北川民次が1966年の第6回東京国際版画ビエンナーレに《グロキシニア》《陶工》とともに出品した大判の石版画作品である。『北川民次版画全集』によれば、刷りは女屋勘左衛門で、9版が刷り重ねられたという。北川は国際版画ビエンナーレに1957年の第1回展から出品しており、この年が最後の出品となった。第6回のビエンナーレでは、若き日の野田哲也が写真映像を用いた作品で国際大賞を受賞するなど、現代版画界に新たなうねりが生じた年でもある。

二人の女性の顔が肩を寄せるように並置され、黒く大きな髪の量塊が画面上部を覆っている。背景は黄褐色の淡い色面として処理され、人物の顔貌が画面から切り取られるように浮かび上がっている。顔は写実的描写から距離を置き、単純化された線と面によって構築されている。左の人物はほぼ正面に向きながら、鼻梁と口元の処理によって横顔的要素を含み、正面と側面が同時に示される両義的な表現となっている。右の人物は顔をわずかに斜めに向け、視線は静かに落ち着いている。頬には淡い紅色や緑味を帯びた陰影が置かれ、抑制された色調のなかに柔らかな血色が添えられている。本作の大きな色面による構成や柔らかな色調の重なりは、石版画がもつ面と濃淡の表現力を生かしたものであり、民次の単純化された人物造形はこの技法とよく響き合っている。

北川民次の人物像では厚みのある唇が明確に描かれる例が多いが、本作では左手の女性の口元は最小限の線によって示されるにとどまる。このような処理は、《平和な闘争》(1964年、刈谷市美術館)中景中央の人物や版画《教会のある母子像》(1964年)などにも見いだされ、1960年代半ばに見られる造形の簡潔化の傾向と関係づけることができる。また、民次にはバストアップの人物像も少なくないが、多くの場合そこには室内や風景などの背景が与えられる。本作のように背景をほとんど排し、人物の顔貌のみを画面いっぱいに提示した例は比較的珍しい。

こうした単純化された形態や明快な面構成には、戦後の北川が関心を寄せていたレジェピカソの造形的思考に加え、日本で実際に制作したモザイク壁画の経験もどこかで響いているように思われる。名古屋のCBC(中部日本放送)に残るモザイク壁画1959)に見られるような、太い輪郭と大きな面によって人物を構成する方法は、本作の顔貌の整理にも通じている。当時の北川民次の制作は、メキシコを想起させる人物像や労働者像、静物画を主題とするものが多いが、本作はそうした主題から距離を置き、顔の構造そのものを前景化した点でやや異色の作例といえる。古希を越えた画家によるささやかな冒険と見ることもできるだろう。なお、本作品の派生作品として銅版画の《二人の女の顔》(1970)が制作されている。

また、北川民次の版画制作の背景には、美術評論家で版画普及運動の推進者でもあった久保貞次郎の存在がある。久保は戦後、日本の版画を広く社会に普及させるため「小コレクター運動」を提唱し、手頃な価格のエディション版画を通じて美術を生活の中に広げようとした。そのなかで北川民次の版画制作を積極的に支援し、自らエディション出版を行うとともに作品目録(レゾネ)を刊行するなど、作家の版画活動を体系的に紹介した。また両者は、子どもの自由な表現を重視する美術教育運動「創造美育」にも深く関わっており、民次の造形に見られる単純化された形態や明快な線には、そうした教育思想とも響き合う側面が認められる。本作もまた、このような戦後日本における版画普及運動と美術教育運動の広がりの中で生まれた作品の一つと位置づけることができる。民次の版画というと、戦前期の木版画作品の評価が高いのは事実である。実際、2024年に名古屋、世田谷、郡山で開催された民次の回顧展でも、戦後の版画には焦点が当てられていない。戦後における版画の隆盛の端緒に、棟方志功や恩地孝四郎らの木版画家、駒井哲郎や浜田知明の銅版画家の活躍があったことはよく知られているが、しばしば久保がプロデューサーとなった石版画の普及活動の果たした役割にも再評価が望まれる。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2026年4月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、共編訳『アンドレ・フェリビアン「王立絵画彫刻アカデミー講演録」註解』(中央公論美術出版、2025)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

北川民次 Tamiji KITAGAWA
1894年静岡県生まれ。早 稲田大学を中退して1914(大正3)年渡米。ニューヨークのアート・スチューデ ンツ・リーグでジョン・スローンに師事、学友に国吉康雄がいた。1923(大正 12)年メキシコに渡り、シケイロス、リベラ等と交友、メキシコ・ルネサンス を標榜する壁画運動に賛同、またメキシコ郊外のトラルパムで児童美術教育に携わる。1931(昭和6)年タスコに野外美術学校を移して校長となる。1936(昭和 11)年帰国。翌年の第29回二科展に《タスコの祭》ほかを出品し注目を浴びる。
メキシコの風土や人々を描く独特の画風は多くのファンを集め、二科展、日本国際美術展で活躍した。1979(昭和53)年二科会会長となるも同会を退会、以後、悠々自適の生活を送り、明治、大正、昭和、平成の四代を見事に生き抜き、1989年瀬戸で歿した。
まさに大人の風格をもった作家でした。生涯に400点近い版画を制作しています。

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