ポンピドゥー・センター 「シュルレアリスム展」レポート その3 7~9章


中原千里




第7章:母胎の王国 続き
部屋に入ってすぐ左手に壁があり、その後「くの字型」に続く。
ここに連続して5点の作品が並んでいるところに注目してしまって先に進めないので、ともかく画像を載せよう。

サルヴァドール・ダリ(1904-1989)、「試作:蜂蜜は血より甘く(Étude pour ≪ Le miel est plus doux que le sang ≫, 1927, 37,8x46,2cm)」、ダリ/ガラ財団収蔵
1) Dali Le miel est plus doux


サルヴァドール・ダリ 「不毛な努力 (Les efforts stériles, 1927-28, 64x48cm)」、ソフィア王妃芸術センタ-(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)収蔵。
2) Dali Les eforts stériles

会場風景
3) 会場風景

サルヴァドール・ダリの絵といえば読者の方にもイメージが何となく沸くだろう。グニャっと曲がった時計などだろうか。その画風になる前の小ぶりの2点。
シュルレアリスムの思想に創意を求め、無意識に立ち上がるイメージを一つ、二つ、と手探りで配置していった感じだ。構成上引かれた地平線はあるが、この空間では重力は希薄であり、それぞれのモチーフが夢の子宮に浮遊する様はいかにもリリカルに、微妙な表情を見せる。ダリはこのとき23歳、その瑞々しい若さが画面から迸るようだ。
ダリはこの後自分のスタイルを身につけると同時に有名になる過程でここに見る微妙な世界は消えていく。(注1)

イヴ・タンギー、「ママ、パパが怪我をしたよ!(Maman, papa est blessé !, 1927, 92x73cm,)」
参考資料:「イヴ・タンギー:作品集」、ピエール・マチス、1963、n°38、MoMA収蔵
4) Tanguy Maman, papa

イヴ・タンギー 「嵐、または黒い風景(L’orage ou le paysage noir, 1926, 81.6x65.4cm)」
参考資料:「イヴ・タンギー:作品集」、ピエール・マチス、1963、n°25、シモーヌ・コリネ収蔵
5) Tanguy l'orage

イヴ・タンギー「風(Vent, 1928, 92x73cm)」
参考資料:「イヴ・タンギー:作品集」、ピエール・マチス、1963、n°63、フィラデルフィア美術館収蔵
6) Tanguy Vent

会場風景
7) 会場風景

ブルトンはタンギーの作品を殊に推奨し、いくつかの紹介文を残している。「母胎の王国(Royaume des Mères)」は、その文章の中から取ったものだ。
海底とも砂浜とも言えぬ風景はタンギーの心の奥底にあり、ほのかに漂う小石や骨のような物体は果たして硬いのか?ため息のように漏れてくる煙は火のように熱いのか?(注2)

シュルレアリスムが最初に生み出した「絵画(Peinture )」のエッセンス一滴が落ちてきたようだ。
13章に分かれた展示は時間軸をシャッフルし、一次世代と二次世代が混淆しているので、それが功を奏していることもあるが(困ったものだ)と思うところもあり、そんな中この「5点連続展示」に心からほっとしたのも確かなのだ。(注3)

アーシル・ゴーキー(Arshile Gorky, 1904-1948)、「風景-テーブル(Landscape-Table, 1945)」
8) Gorky

母胎の王国の部屋で行き合った。しきりと懐かしく、写真を撮る。岡田隆彦がどこかに書いていたのだろうか、失念して出典を示すことができない。
ブルトンの英語訳詩集「桜の若木をノウサギから守る (Young cherry trees secured against hares, 1946)」にゴーキーが挿画しており、本展カタログにはブルトンが妻エリザに献呈した部が記載されている。

会場風景
9) 会場風景IMG_8141

会場風景
10) 会場風景IMG_8145

第8章 メリュジーヌ(半女半蛇)
1945年に刊行された「秘法17(Arcane 17)」でブルトンが言及しているメリュジーヌという伝説上の人物で、上半身が人間、下半身が蛇の女性をヒントに構成されている部屋のようだ。

メレット・オッペンハイム(Meret Oppenheim, 1913-1985, 139x79cm)、「ダフネとアポロン(Daphne and Apoll, 1943)」
11) Oppenheim melusineIMG_8752

筆者は(ミスター・じゃがいもとミス・にんじん)と呼ぶ。
オッペンハイムと言えば毛の生えたティーカップ、マン・レイが彼女を写した美しいヌードが有名で、どちらかというとモダンなイメージなのだが、この作品は素朴画家の絵のようで(誰だろう)と表記に近づき、初めてオッペンハイムとわかった。

資料

ポール・デルヴォー(1897-1994)、「曙 ( L’Aurore, 120x150,5cm)」
14) Delvaux IMG_8346

アンドレ・ブルトン著「秘法17(Arcane 17, 1945年発行)」直筆原稿(1944年8月20日-10月20日)、装丁リュシエンヌ・タレメール(Lucienne Talheimer)。
15) Arcane 17 IMG_8166 2

作品自体は「賢者の石」の部屋に置かれているがここで紹介する。
・・・ポツンと陳列台に置かれているだけでは到底想像できない<オブジェ>なのだ。ブルトンは直筆原稿ノートに自ら表紙を考案して友人のタレメール(注4)に装丁を依頼した。
ハート型に切られた葉っぱから少女のような面を覗かせるのは1943年末にブルトンが出会ったばかりのエリザ(注5)。愛の葉でできた蓑をまとって横たわり、その謎めいた眼差しをこちらに向けているところへ、グリーンのフィルムが掛かっている。
装丁だけでなく中も迫力たっぷりなので、再びandrebreton.frから画像を転載する。ブルトンとエリザが結んだ愛の世界をこの一冊の本が多元的な形で表しているように思えるのだ。
できれば展示でも背を立てて、表紙と中身が見えるようにして欲しかった—-惜しい。

16) Arcane 17 IMG_3611

17) Arcane 17 IMG_3614

18) Arcane 17 IMG_3610

19) Arcane 17 IMG_3605

20) Arcane 17 IMG_3606

21) Arcane 17 IMG_3607

22) Arcane 17 IMG_3608

23) Arcane 17 IMG_3609

扉の献詩を拙訳してみた:
エリザ、おまえを前にする度に私は“ベアタ・ベアトリクス”に向けた15歳の眼差しを取り戻す
あの1943年12月9日か10日の
永遠に輝きを増す星によって
おまえの国に向けられたあのボナヴァンチュール島にいる美しい鳥の翼によって
憶えているか、私たちが“白鰹鳥(Gannets)”は8月の半ばにはもうチリへ飛び立つと聞いた時、
その言葉(Gannets)が長いこと波間に揺れていたのを
この野外学校のノートをおまえに
1945年1月3日
アンドレ


(注6)

第9章:森(Forets)

会場風景:外の遠景も巧みに展示に組み込んでしまう。
24) 会場風景IMG_8156

会場風景:部屋を一望。
25) 会場風景IMG_8158

部屋が大きくなってきたせいか、理由はよくわからないが撮った写真の数が多い。この辺りから画像中心にしていこう。

上の画像中央に見える木彫右手に位置する:
マックス・エルンスト(Max Ernst,1891-1976 )、「大きな森(La grande Forêt, 1927, 113,8x145,9cm)」。
26) Ernst La Grande Foret

エルンストは1927年、フロッタージュの技術を駆使して多くの制作をしており、その中に於ける森シリーズの代表作だ。


マックス・エルンスト、「朝日に光る森羅万象(La Nature dans la lumière de l’aube, 1936, 25x35cm)」
27) Ernst Foret IMG_8161

会場風景
28) 会場風景IMG_8767

「森羅万象」は小さなタブローだが、堂々たる空間をもらっている。

会場風景 :ジョゼフ・コーネルの梟。森を演出して上の方に展示されている。
29) 会場風景IMG_8163

ちょっと声をかけて降りてきてもらった。

ジョゼフ・コーネル(Joseph Cornell, 1903-1972)、「梟ボックス(Owl Box, 1945-1946, 63,5x36x16cm)」
30) Cornell OwlIMG_8163 2

トワイヤン(Toyen, 1902-1981) 、「森の声(La voix de la forèt, 1934, 100x72,5cm)」
31) Toyen foret



ブログスペースが尽きたので今回はここで終わらせていただく。次回で最終回となる。

注1)
ダリは若い頃からその画才を自他ともに認められ、マドリードの美術学院に通う。古典巨匠を意識しながらも、「エスプリ・ヌーボー(L’Esprit Nouveau)」というフランスの文芸誌でピカソに注目し、その画法を研究する。
1927年、ミロの紹介状によってマックス・ジャコブとアンドレ・ブルトンに面会、合わせてピカソを訪問することに成功した。
年譜を精読すると1927-28年にブニュエルと共に映画「アンダルシアの犬」のシナリオと撮影(29年パリで上映と同時にブレイクし、ブニュエルとダリの名が知れ渡る)を行い、同時に「蜂蜜は血より甘く」と「不毛の努力」を仕上げたことになる。この2点は「ダリによる最初の超現実主義的作品」とされる。

注2)
イヴ・タンギー(1900-1955)
ダリと対照的にタンギーはいわゆる美術教育を全く受けていない。しかし高校で同級の友人にアンリ・マチスの息子ピエールがおり、マチスの絵には触れていて、クロッキーも高校の頃から始めている。1922年ジャック・プレヴェールに、1924年にブルトンに出会い、1926年には制作に没頭した。展示されているのはタンギーが最初のエネルギーを投影するタブローである。

注3)
ここでは特別に収蔵、参考資料を併記した。
ダリ2点は作者の生地スペインに戻り、タンギー3点はいずれもピエール・マチスによる1963年刊行の作品集で既に収録され、内2点はこの時点で現収蔵美術館記載、残る1点はシモーヌ・コリネ(ブルトンの最初の妻)・コレクション収蔵、各々秘蔵の作品群だ。なかなか一堂に見られる機会はないだろう。

注4)
リュシエンヌ・タレメール(Lucienne Thalheimer 1906-1988)、特にシュルレアリストたちの著作を装丁したこと、本書もそうだが鱈の皮を使用したことで有名。苗字はタルハイマーと読めそうだがフランスで生・没しているのでフランス語読みをカナ表記した。

注5)
エリザ・ブルトン、旧姓ビンドッフ(Bindhoff, 1906-2000)、数奇な運命によって1944年12月のある日ニューヨークでブルトンに出会い、二人は見初め合う。「秘法17」の執筆・入稿を待つようにして1945年1月に結婚、生涯添い遂げる夫婦となる。

注6)この短い詩に多数の注があるので一つにまとめた。
「ベアタ・ベアトリクス(Beata Beatrix, 1964)」、ラファエル前派の画家ガブリエル・ロセッティによる作品のこと。モデルはロセッティの愛する亡妻エリザベスと言われる。ブルトンが15歳でこの絵に出会った時の印象が蘇る、と読める。
「1943年12月9日か10日の」、二人が初めて出会った日。
「おまえの国」、エリザはチリで生まれた。
「ボナヴァンチュール島」、カナダにあるガスペ半島の先に浮かぶ島。シロカツオドリの群生することで知られる。原語 Bonaventure は固有名詞だが、普通名詞の Bonne aventure(未来、運勢)と掛けている。
「白鰹鳥」、ブルトンは“Gannets”と英語で記している。フランス語では
“Fou de Bassan ”。“Gannets”という文字が波間に揺れた、と読める。ちなみに扉のコラージュは大きく羽ばたくシロカツオドリのシルエットと星の形を掛けているように見えまいか。
「野外学校」、原語は“École buissonnière”。今のフランス人にとっては「不登校」という意味になっているが、元は1561年、マーティン・ルター牧師がローマ皇帝の許可を得ずにプロテスタントを教えたため皇帝から禁止令を渡された後、野外で学校を続けたという史実に引っ掛けているようだ。秘密の反骨ノート、ということか。


(なかはら ちさと)

●自己紹介
1960年生まれ(東京)
1974年:現代詩手帖で瀧口修造とシュルレアリスムを知る。
1976年:サド公爵・澁澤龍彦訳「悪徳の栄え」を読みこれを哲学書と解釈しフランス語を学ぶことにする。
1983-84年
多摩美大学在学中研究生として渡仏、ソルボンヌの「大学コース」とヘイターの版画工房アトリエ・17に通う。アンドレ・フランソワ・プチギャラリーの店主とサドの話をしたところ後日エリザ・ブルトン、アニー・ル・ブラン、ラドヴァン・イヴジックを招待したディナーに添加される。あまりのことに緊張してほぼ何も覚えていない。
1984年渋谷パルコにて「ベルメール写真展」企画参加。
2023年ジャン・フランソワ・ボリー、ジャック・ドンギー共著「北園克衛評伝」執筆協力。
戦前・戦後のシュルレアリスム研究がライフワークである。

●パリのポンピドゥー・センターで開催中のシュルレアリスム展(2024年9月4日~2025年1月13日)にはときの忘れものも出品協力しています。展覧会についてはパリ在住の中原千里さんに4回にわたってレポートをお願いしました。シュルレアリスム研究をライフワークとする中原さんならではの詳細かつ濃密な観覧記をお読みください。
その1/2024年10月8日
その2/2024年11月12日
その3/2024年12月23日
その4/2025年01月04日

●本日のお勧め作品は瀧口修造です。
瀧口修造スケッチブック_表紙 (18)瀧口修造
V-92
1961年
水彩、インク、紙(スケッチブック)
イメージサイズ:37.0x28.3cm
シートサイズ:37.0x28.7cm

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◆「生誕90年 倉俣史朗展 Cahier
会期=2024年12月13日(金)~12月28日(土) ※日・月・祝日休廊
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75_Kuramata Shiro_案内状 表面
(映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也)
※クリックすると再生します。
※右下の「全画面」ボタンをクリックすると動画が大きくなります。

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
倉俣史朗展 鏡と階段
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。