『ジャック・スタージス展』を見て A.秋山
ときの忘れものでスタージス展を見るのは今回で2回目です。
前回は2008年8月でしたから。もう2年も経っているのですね。
作品を見た感想は前回と比べて何か雰囲気のようなものが変わっているのだが、それが何かが説明出来ないとういう事で、それでもいいじゃないかと言えばその通り。
それでも前回と印象は違っている‥ という我ながら情けない状況は変わらないわけで、そんな自分に対し、もやもやしたものを感じていました。
ときの忘れものでは過去に五味彬、植田正治、マン・レイ、そして『The NUDE 展』など色々なヌード写真を見てきて、自分なりに感じた事をまとめてみれば、もやもやの理由がはっきりするかと思い、振返って見ることにしました。
まず五味彬氏の写真については”人体標本”とう表現で(恐らく)誰も異論は無いと思う。
植田正治の“砂丘ヌード”では女性をデッサンで使われるトルソーのような逞しささえ感じられ強さのようなものは感じるが、正直エロスは余り感じない。
むしろ演出の妙という言葉を思い浮かべる。(これが植田調なのだろうか?)
マン・レイの写真は女性の美しさを素直に表現した王道のヌードと言って良いかなと‥
『ザ・ヌード展』ではたくさんの方が来廊されたそうですが、色々な作家の写真が展示され違った表現や個性を感じつつ、素直に楽しみながら見て廻ったように記憶しています。
今回のスタージス展から自宅に戻り、まず考えたのは今日の判然としない感覚はどこから来るのか? でありました。
そこで思い出したのが三浦氏の説明の中で出てきた“ナチュリスト”という言葉と、教えて頂いた情報でした。
まずはモデルがそういった場所に定住している訳でなく、服装もヌードである必要は無いという事実。そして自分にとって、一番自然で楽に思える格好をしているらしいという事。
それらを併せて考えてみると、私は見えるままヌードとして見ているが、実はそういう見方では正しく無さそうだという気がしてきました。
被写体はあくまで自分自身にとって自然な服装(服を着ないという選択も含めて)であるから、見る側もヌードとして見るのでは無く服を着ているような感覚で捉えるべきであるが、そこに思い至らなかった。
そのため違和感や整理出来ない思い(もやもや)が消せなかったのではないか?
私自身とても高潔な人間とは言えないのに、不思議とエロチックな感情が湧き上がらない事に対する自分なりの回答?が出せたのかもしれないと思ったりします。
そういった事を考えさせてくれた、ある意味悩ましい写真展だったと思います。
三浦氏も10点弱の作品をお持ちとだか。
スタージス氏の場合、その1点だけで満足する代表作というもの自体が存在するか否か存知ませんが、どうも複数点の作品を持ちたくなる作家ではないかという感じがします。
とは言いつつも、今も別の作品の支払に四苦八苦している我が身ですから、せめて1点という所が、ぎりぎりの落とし所かもしれません。
甚だまとまらず散漫な文章に終始しましたが、お付き合い頂き有難う御座いました。

「ジョック・スタージス新作写真展」
会期:2010年8月10日[火]―8月21日[土]
ジョック・スタージス「E437C」
2009年
Digital Pigment Print
47.0x37.5cm サインあり
ジョック・スタージス「E363C」
2009年
Digital Pigment Print
27.8x47.0cm サインあり
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■ジョック・スタージス Jock STURGES
1947年ニューヨーク生まれ。マールボロ大学およびサンフランシスコ・アート・インスティテュートで写真を専攻。北カリフォルニアやフランスのビーチでヌーディストの家族のポートレートをその美しい自然の中で撮り続けている。8×10の大型カメラで撮影されたモノクロームおよびカラーのプリントは、少女の清冽な美しさ、家族の愛情、自然の詩情を湛えた作品として高い評価を得ている。
ときの忘れものでスタージス展を見るのは今回で2回目です。
前回は2008年8月でしたから。もう2年も経っているのですね。
作品を見た感想は前回と比べて何か雰囲気のようなものが変わっているのだが、それが何かが説明出来ないとういう事で、それでもいいじゃないかと言えばその通り。
それでも前回と印象は違っている‥ という我ながら情けない状況は変わらないわけで、そんな自分に対し、もやもやしたものを感じていました。
ときの忘れものでは過去に五味彬、植田正治、マン・レイ、そして『The NUDE 展』など色々なヌード写真を見てきて、自分なりに感じた事をまとめてみれば、もやもやの理由がはっきりするかと思い、振返って見ることにしました。
まず五味彬氏の写真については”人体標本”とう表現で(恐らく)誰も異論は無いと思う。
植田正治の“砂丘ヌード”では女性をデッサンで使われるトルソーのような逞しささえ感じられ強さのようなものは感じるが、正直エロスは余り感じない。
むしろ演出の妙という言葉を思い浮かべる。(これが植田調なのだろうか?)
マン・レイの写真は女性の美しさを素直に表現した王道のヌードと言って良いかなと‥
『ザ・ヌード展』ではたくさんの方が来廊されたそうですが、色々な作家の写真が展示され違った表現や個性を感じつつ、素直に楽しみながら見て廻ったように記憶しています。
今回のスタージス展から自宅に戻り、まず考えたのは今日の判然としない感覚はどこから来るのか? でありました。
そこで思い出したのが三浦氏の説明の中で出てきた“ナチュリスト”という言葉と、教えて頂いた情報でした。
まずはモデルがそういった場所に定住している訳でなく、服装もヌードである必要は無いという事実。そして自分にとって、一番自然で楽に思える格好をしているらしいという事。
それらを併せて考えてみると、私は見えるままヌードとして見ているが、実はそういう見方では正しく無さそうだという気がしてきました。
被写体はあくまで自分自身にとって自然な服装(服を着ないという選択も含めて)であるから、見る側もヌードとして見るのでは無く服を着ているような感覚で捉えるべきであるが、そこに思い至らなかった。
そのため違和感や整理出来ない思い(もやもや)が消せなかったのではないか?
私自身とても高潔な人間とは言えないのに、不思議とエロチックな感情が湧き上がらない事に対する自分なりの回答?が出せたのかもしれないと思ったりします。
そういった事を考えさせてくれた、ある意味悩ましい写真展だったと思います。
三浦氏も10点弱の作品をお持ちとだか。
スタージス氏の場合、その1点だけで満足する代表作というもの自体が存在するか否か存知ませんが、どうも複数点の作品を持ちたくなる作家ではないかという感じがします。
とは言いつつも、今も別の作品の支払に四苦八苦している我が身ですから、せめて1点という所が、ぎりぎりの落とし所かもしれません。
甚だまとまらず散漫な文章に終始しましたが、お付き合い頂き有難う御座いました。

「ジョック・スタージス新作写真展」
会期:2010年8月10日[火]―8月21日[土]
ジョック・スタージス「E437C」2009年
Digital Pigment Print
47.0x37.5cm サインあり
ジョック・スタージス「E363C」2009年
Digital Pigment Print
27.8x47.0cm サインあり
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■ジョック・スタージス Jock STURGES
1947年ニューヨーク生まれ。マールボロ大学およびサンフランシスコ・アート・インスティテュートで写真を専攻。北カリフォルニアやフランスのビーチでヌーディストの家族のポートレートをその美しい自然の中で撮り続けている。8×10の大型カメラで撮影されたモノクロームおよびカラーのプリントは、少女の清冽な美しさ、家族の愛情、自然の詩情を湛えた作品として高い評価を得ている。
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