御礼と報告2  原茂

前回の続き)
 次に、ギャラリーで写真を買うとどんな良いことがあるかということで、まずギャラリーの対応ががらりと変わるということをお話ししました。アジェを分割払いにしていただいたということで、「イル・テンポ」にはその後毎月というか、会期ごとに足を運ぶことになるのですが、二回目の支払いのために伺うと、奥のキャビネットが開いてコーヒーセットが登場し、「コーヒーがいいですか紅茶が良いですか」と声が掛かったのにびっくり。「ギャラリーでコーヒーが出てくるとは思わなかった」と漏らすと、「お客様にお飲物をお出しするのは当たり前じゃないですか」と返されて絶句。入館料を払うわけでもない来廊者が、慈善事業をしているわけではない(といっても単なる金儲けをしているわけではもっとない)ギャラリーの「客」ではないのは当たり前の話なのでした。

 大河原さんからは、オーナーの石原さんがあまりにもいい人なので、ただ話し相手が欲しくて連日通ってきて二三時間も愚痴ともつかない話をしていく困った「来廊者」にどうお引き取りいただいたかといった、お姫様を守る騎士のご活躍を(我が身を振り直しながら)お聞きしたことでした。

 たとえ最初は「来廊者」でも、一枚写真を買うと、手の平を返すというか、逆手の平返しというか、一気にギャラリーとの距離が縮まります。縮まるどころか、(これはこちらの勝手な思い込みかもしれませんが)「身内」とか「同志」とかいっていいくらいの雰囲気が生まれてきます。考えてみれば、作家さんがその作品に込めた思い、世界に向けて発したメッセージに共感し、その価値を確信するするからこそギャラリストは手間と暇とお金をかけてそれを世に問うわけで、作品を買うとは、そのギャラリストの「確信」を、よしわかったあとはまかせろ(とまで格好いいわけではないのですが)と受けとめ、大きな○印をつけることなのかも知れません。

 「支持するとは買うことだ」とは久保貞次郎先生の大金言ですが、作品を買うとは、作家とギャラリストの支持者(支援者と言うには資金が足りない・・・泣)となることなのでした。それは世界に対するものの見方考え方を変えたい、ひっくり返したいという作家とギャラリストの世界転覆の企ての共犯者となることだと言ったら言い過ぎでしょうか。私たちは、たとえ写真家のように写真が撮れなくても、評論家のように文章が書けなくても、写真というこの摩訶不思議で魅力的な錬金術の末裔に関わることができ、その無くてならない担い手の一人となることができるのです。ギャラリーとは私たちが写真と関わるためのもう一つの回路であり、私たちは作品を購入することで、その舞台に観客としてではなく出演者として立つのです。

 とはいえ、この悪巧み(?)は決して額にしわを寄せたしかつめらしいものではありません。煎れ立てのコーヒーとお茶うけをいただきながら(ちなみに「イル・テンポ」ではオーナーもスタッフも甘いものが苦手ということで、頂き物のお菓子はみんな「お客様」に廻っていたのだとか)、展示作品について、作家さんについて、あれこれとお話をうかがうという、なんとも贅沢なひとときでもあります。ギャラリーは写真をめぐる写真好きたち(写真憑きたち?)のサロン(文字通りの、また歴史的な意味での)でもあるのです。そう考えるなら、写真を買うとはこのサロンへの入会金であり会費であり本日のお会計ということになるでしょう。少なくとも、アルコールを出すお店で、これほど魅力的な方たちとこれほど楽しい会話を楽しみたいと思ったら、こんな値段ではとても足りないはずです。(と言ったら、これこれと大河原さんにたしなめられてしまいました。汗顔の至りであります。赤面。)

 とにかく申し上げたかったのは、ギャラリーとは私たちが思っているよりももっとずっと楽しいところで、ギャラリストもスタッフも私たちが思っているよりももっとずっと魅力的な方たちであるということです。一枚の写真を購入することで、「来廊者」のままではまだよくわからないその魅力を「お客」として、そして「同志」として味わって下さる方が一人でも増えてくださることを願ってやみません。(つづく)


御礼と報告3  原茂

 一枚写真を買って「来廊者」から「お客様」になることで起こるよいことというのは、飲み物が出てくるということだけではありません。そのギャラリーが取り扱っている(取り扱うことのできる)作品すべてが出てくるということです。

 メーカー系ギャラリーや貸ギャラリーであれば、そこで買えるのはそこに展示してある作品だけですが(もっとも、メーカー系ギャラリーの中には、商談禁止などというとんでもないところまであるわけですからびっくりです。「写真文化」というのは写真を撮って飾って見せてというだけではないはずなのですが・・・)、企画ギャラリーの売り物は展示作品だけではありません。むしろ、展示作品以外のものを売り買いすることによって企画ギャラリーは成り立っています。

 よくよく考えれば、よほど高額な作品でない限り、展示されている作品の売り上げだけで家賃や光熱費やスタッフの給与がまかなえるはずがありません。展示作品は氷山の一角で、水面下に隠されている部分の方がはるかに大きいのです。展示はデパートのショーウィンドウのようなものと言ったらもちろん言い過ぎですが、展示作品の背後に膨大なコレクションがあってこその企画ギャラリーなのです。

 大河原さんからは、あの「ツァイト・フォト」でさえ、最初は、というよりかなり長い間、写真の売り上げによってではなく、オーナーの石原悦郎さんのご専門だったフランスのアカデミズム絵画の売買によって支えられていたということをうかがいました。東京ステーションギャラリーで開催された「ラファエル・コラン」展の作品のほとんどは石原さんが納められたものだそうですし、ご自身いくつもの作品を美術館に寄贈されているそうです。思えば、「イル・テンポ」にも、棚の隅にはそういった絵画の台帳が並べられていて、一度見せていただいた時には、写真の価格とは桁の違う数字が並んでいてびっくりしたことを思い出しました。

 一般のギャラリーの場合ですと、こうしたギャラリーのコレクションを見せていただくためには、前もって連絡をして倉庫から出していただいたりといったことが必要になるのですが(文字通りのビューイングですね)、写真ギャラリーの場合には、多くの場合その場で見せてもらうことが可能です。ブックマットしていても十枚以上、プリントだけなら数十枚単位でミュージアムケースやストレージボックスに入ってしまう写真だからこそですが、展示されているもの以外の作品がいつもギャラリーの奥には用意されているのです。

 日本の場合、企画ギャラリーはそれほど大きくはありません。ですから展示できる作品の数は限られてしまいます。スペースの点で、また展示プランの関係で、壁に掛けることのできなかった作品は奥のストレージボックスの中で出番を待つことになります。「展示されている以外の作品も見せていただけますか」とお願いすれば、どこのギャラリーでも喜んで見せて下さるとは思いますが、「来廊者」の立場ではちょっと肩身が狭いのは致し方ありません。

 たとえ一点とはいえ、写真を購入すると、このギャラリーの宝箱とでもいうべきストレージボックスを開けていただくことにも罪悪感がなくなります。「ときの忘れもの」様では、スタージスの作品を展覧会終了後でも、誰でも自由に見ることができるようにしてくださっていますが、これは実に「太っ腹」なやり方といわなければなりません。

 私の場合、「イル・テンポ」に何度目かにうかがった際の「植田正治写真展ー1974年のヴィンテージ作品展」の時に、「他にもありますがご覧になりますか」と声をかけていただきました。1974年に「アサヒカメラ」誌に12回にわたって連載された「植田正治写真作法」(金子隆一編『植田正治 私の写真作法 』(TBSブリタニカ、2000年、所収)の中に登場した作品群でした。

 赤瀬川原平の「トマソン」がきっかけだったこともあって、「絶対非演出の絶対スナップ」主義の「ストレート一本槍」だった私にとって、「X氏」シリーズを含む「植田調」の作品群は、私のストライクゾーンを大きく離れた「見送って当然」の作品群だったわけですが、ストレージボックスから登場した、「一見らしくないというか、演出が見えないにもかかわらず、私たちの隣りに異世界への通路を一気に開いてしまう植田魔術を目の当たりにさせられる一枚」ということで、思わず「こ、これを、く、ください」ということになってしまいました。今では大切な私の<小>コレクションの一枚です。

 「来廊者」の皆様が「お客様」となって下さって、普段はなかなか見えない、水面下に隠されているギャラリーの豊かさを発見して下さり、ギャラリーの奥に隠されている「お宝」を掘り当てて下さるようにと願うことしきりです。(はらしげる)

10月8日(金)の午後7時から「写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」の第2回を開催予定です。要予約。詳細は近日中に発表します。

◆ときの忘れものは、9月28日(火)~10月16日(土)「マン・レイと宮脇愛子展」を開催します。
10月1日(金)17時~18時半、宮脇愛子さんを囲んでのレセプションを開催します。ぜひお出かけください。

また10月16日(土)17時より、巌谷國士さんを講師にギャラリー・トークを開催します(*要予約(参加費1,000円/1ドリンク付)
参加ご希望の方は、電話またはメールにてお申し込み下さい。
Tel.03-3470-2631/Mail.info@tokinowasuremono.com