先日終了した「The Gift あなたへ、わたしへ」で作品をお買い上げいただいた皆さんへのお届けもほとんど終わり、いよいよ2010年最後の企画「エドワード・スタイケン写真展」を明日15日から25日まで開催します(会期中無休)。
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ときの忘れものは瑛九はもちろんですが、ジョナス・メカスさんや細江英公先生の写真作品を以前から扱ってはいたのですが、本格的に写真に重点をおきだしたのは、あるコレクターの所蔵作品展「Eros&Khaos,X氏写真コレクション」がきっかけでした(2006年9月6日[水]~9月9日[土]の4日間)。
このときはお金が急に必要になったXさんの事情と私たちの潜在的な願望が合致し、短時間のうちに準備して企画展と企画展の隙間に急遽開催した展覧会でした(ですからこの展覧会はセールなどと同様、企画番号もついていません)。
ときの忘れもののスタッフが迷宮の如きXさんのご自宅の一室にうず高く積まれた作品の山から上から順番に運び出したものをそのまま展示したいわば泥縄の写真展だったのですが、いや実に凄いコレクションでした。以下がそのときの出品のラインナップです。

ハンス・ベルメール、ロベール・ドアノー、スティーブ・ガードナー、五味彬、ホンマ タカシ、イリナ・イオネスコ、ユーサフ・カーシュ、フランセス・マーレイ、ハーブ・リッツ、ジャネット・ルセック、エドワード・スタイケン、上田義彦、ジョエル=ピーター・ウィトキン、秋山庄太郎

僅か4日間の会期だったにもかかわらず反響は大きく(こういうのをビギナーズラックと言うんでしょうね)、初日に先ず五味彬の大作を細江英公先生がお買い上げになってくれ、いくつかの名品は東京都写真美術館に収蔵されました。
写真の力強い表現力、若い人への圧倒的な影響力に驚いた亭主は、不況で四苦八苦していたときの忘れものを建て直すには「写真だ」とおっちょこちょいにも思い込み(このあたりの軽薄さが亭主の弱点でもあり、運の強さかも知れません)、1974年以来、教えを受けてきた(はずの)細江英公先生のもとにあらためて駆け込んで、「以後改心して写真の普及販売に邁進します」と誓ったのでした。

今から振り返ってもこのたった4日間の展覧会の恩恵は深く、これが縁で五味彬先生に巡り会いましたし、ジョック・スタージスの個展も実現しました(聞いたこともない東京の画廊から個展の依頼状を貰ったスタージスさんがどうしたものかと思案しているとき、たまたま写真のワークショップで細江先生に再会し、そのヘンテコな画廊の名前を言うや否や「それは僕の画廊だよ」の一言。かくして翌年のスタージス展が実現しました)。
ここまで来れたのは細江先生はじめ、Xさんや原茂さんのご指南のおかげとあらためて御礼を申し上げます。

このときの出品作のひとつにエドワード・スタイケンの「Elizabeth Meyer」という作品がありました。この作品は売れなくても買い取って亭主の宝物にしたいと思っていた作品なのですが、やはり目をつける人はいるもので、売れてしまいました。
あれから4年、いつかはスタイケンの展覧会をしたいというのが亭主、及び写真担当の三浦の願いでした。
やっとそれが実現します。

スタイケン案内状600
196回企画
エドワード・スタイケン写真展
会期=2010年12月15日[水]―12月25日[土] 
12:00-19:00 *会期中無休

写真に興味のある方ならご承知の通り、エドワード・スタイケンは、20世紀のアメリカの写真にもっとも大きな影響を与えた写真家であるだけでなく、キュレーターとして数々の写真展を企画し、写真界の発展に多大な貢献をしました。
はじめヨーロッパ美術の影響を受けたピクトリアル(絵画的)写真を発表し、若くしてその存在を知られるようになります。
今回のスタイケン展について連載エッセイ(明後日から掲載)をご執筆いただいた小林美香さんが詳しく紹介してくださいますが、1904年の作品"The Pond-Moonlight"は、2006年のオークションで約3億5千万円という1枚の写真作品としては史上最高金額で落札され、いまだにその記録は破られていません。
第一次世界大戦で陸軍の航空写真班として従軍したことから、戦後は、シャープなストレートフォトになり、カメラの機能を駆使した実験的な作品にも取り組みます。1923年コンデナスト社と契約し、 『ヴォーグ』や『バニティ・フェア』のためにファッション写真を撮ったほか、広告写真でも第一人者となり、当時もっともギャラの高い写真家といわれました。
1911年に『Art et Decoration』に掲載された、スタイケンによるポール・ポワレがデザインしたガウンの写真は、歴史上初めてのファッション写真と見なされており、1920年代からのライティングを駆使したファッションやポートレート写真は、後進の写真家の手本となりました。
1947年ニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターに就任し、1955年に開催された写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」展は、日本を含む世界38カ国を巡回し、900万人が見たといわれます。
この歴史的な展覧会の冒頭に飾られたのがウイン・バロックの「Child in the forest」でした。

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今回のときの忘れものの展覧会では、1986年と1987年に写真家のジョージ・タイスによってオリジナルネガからプリントされ、出版されたポートフォリオから、1920年代から30年代の作品を中心に、ヌード、ファッション、風景、ポートレートなど17点を展示いたします。すべての作品にはプリンターと遺族のサインがされています。
2エドワード・スタイケン2.Edward STEICHEN
「Miss Fanny Haven Wicks, Newport, Phode Island」
1924(Printed in 1987)
Gelatin Silver Print
24.0x19.0cm 33/100
裏にプリンターと遺族のサイン有り
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ぜひこの機会に古典ともいうべきスタイケンの写真作品をコレクションに加えてください。
出品リスト及び価格はホームページに掲載しています。

正直言って、ときの忘れものの写真に関する力は、まだまだ非力です。先日の「The Gift あなたへ、わたしへ」でも写真を売ることはほとんどできませんでした。
どうぞお客様の力でときの忘れものを育ててください。
たくさんの方のご来場をお待ちしています。

エドワード・J・スタイケン(Edward STEICHEN)
1879年ルクセンブルグに生まれ、幼少時にアメリカに移住。16歳でカメラを手にし、ピクトリアル(絵画的)なソフトフォーカス写真作品を発表。1900年にアルフレッド・スティーグリッツと出会い、1902年フォトセセッションに参加、1905年の291ギャラリーの設立にも加わる。第一次世界大戦では陸軍航空隊の航空写真班の班長として従軍し、戦後、ストレート写真へのムーブメントを起こす。1923年から 『ヴォーグ』や『バニティ・フェア』のためにファッション写真を提供。第二次世界大戦では、再び従軍して航空写真班を率いるとともに、ドキュメンタリー映画「The Fighting Lady」を製作し、1945年のアカデミー賞を獲得。1947年ニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターに就任。1955年「ザ・ファミリー・オブ・マン」展を企画し、38カ国を巡回。1964年MoMAにエドワード・スタイケン・フォトグラフィー・センター開設。1973年93歳で死去。