2011年最後の企画展として「磯崎新銅版画展 栖十二」を12月16日から29日まで開催します(会期中無休)。

建築家・磯崎新の銅版画連作40点を展示します。全て作家自身により手彩色が施されています。
ときの忘れものが手がけたエディション作品ですが、実はときの忘れもので展示するのは今回が初めてです。
この「栖 十二」(すみか じゅうに)の連作発表展は、東京赤坂と福井県勝山で開催されました。
◇1999年9月21日~10月9日 
会場:Gallery Saka(赤坂にあった坂倉準三メモリアルギャラリー)

◇1999年10月15日~10月17日 
会場:中上邸イソザキ・ホール(福井県勝山市にある磯崎新設計の個人住宅)

Gallery Sakaの案内状には、<磯崎新がこの一年間、ひそかに極く少数の人々に向けて発信し続けていた書簡形式の画文集『栖 十二』。古今の建築家12人が設計した「栖」を描いた銅版画連作。>とあります。

この40点の連作は、先ず最初に12点の銅版画と書き下ろしエッセイによる書簡形式の連刊画文集として企画されました。
ことの発端は植田実さんが編集長を務める「住まい学大系」(住まいの図書館出版局)が全100巻を迎えるに際して、記念の第100巻目は磯崎新先生の書き下ろしで行きたいと考えたことです。
磯崎先生の著書は数あれど「空間へ」にしても「建築の解体」にしても内容は雑誌等に発表したものを編集したもので、書き下ろしは一冊もありませんでした。
建築家として世界を飛び回り多忙を極める磯崎先生に書き下ろし原稿を貰うなど何年かかるかわからない、確実に原稿を貰うには<締め切り>のあるメディア(新聞、雑誌など)を持っていればいいのですが、住まいの図書館出版局は定期刊行物はもっていない。
さてどうするか。
長年磯崎新先生に<伴走>してきた植田実さんが書き下ろし原稿をゲットするために編み出した秘策は、ご本人に語ってもらいましょう。
栖十二
1999年12月1日付で出版された磯崎新『栖十二』(住まいの図書館出版局)は256ページの奥付の後に、紙をかえて異例ともいえる45ページもの「栞(しおり)」が続きます。
その冒頭に植田さんが「編集註」を書いています。
それを再録させていただきます。

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編集註 植田実

ジャケットの呼び込み文には「書き下ろし」と書いたのだけれど、実は、第一信から十二回に分けて簡易印刷でつくられた「書簡」が、三五人の受取人に送られていた。でも一般には公開されていなかったので、あえて書き下ろしといわせてもらう。
 住まい学大系第100巻の著者はこのひと、と、前から決めて声をかけていた。いよいよその用件で磯崎アトリエを訪ねたとき、磯崎さんの構想はすでに固まっていた。十二人の建築家による十二の住宅の名を並べたメモを手渡されたのである。順序は自由に、この十二の建築家と住宅について、十二の章に分けたエッセイを書くというアイディアだった。よく見ると、住宅といいきれないものも入っている。そう、住宅ではちょっと意味合いが違う。すみか、に近いかな、と磯崎さんは言う。
 私のほうでは一も二もなく、このままでお願いすることにした。ある感慨もあった。六〇年代終り頃から七〇年代半ばにかけて、私は『都市住宅』という雑誌に関係していたが、その表紙を本文の第一頁として磯崎さんにおまかせした。そして創刊号から最初の一年間は、十二の住宅が選ばれた。
 ルドゥの耕地管理人の家 一八〇六
 コルビュジェのサヴォイ邸 一九二九-三一
 フラーのダイマクション・ハウス 一九四四-六
 リートフェルトのシュレーダー邸 一九二四
 ガウディのカサ・バトロ室内 一九〇五-七
 ヴェンチューリのフラグハウス(計画案)
 ジョンソンのガラスの家 一九四九
 パラディオのトリッシーノ邸 一五六七(?)
 キースラーのエンドレス・ハウス 一九五九
 ロースのトリスタン・ツアラの家 一九二六-七
 コルビュジェのショーダン邸 一九五二-六
 ライトの落水荘 一九三六

 杉浦康平さんが立体図法でアイソメを起こし(つまり立体眼鏡の付録つき)、磯崎さんが解説を書いた。三〇年前の一二選だが、すでに並のラインアップではない。建築家の「住」への過激な幻視が、近代的住宅を突きぬけた作品例ばかりを集めていたのだ。
 さて、『栖十二』と題は決められたが、一冊文を一挙に書き下ろすのは容易ではない。ましてや超多忙なひとである。雑誌で連載でもしないかぎり無理かな、という話でその日は終わったが、これは大問題である。私たちは雑誌をもたない。その晩、家に帰って考え直し、ひとつのアイディアを絵入りの手紙に描いて磯崎さんにファックスで送った。
 一時的に個人誌を発行する。一章分を書き上げるたびに、簡易印刷で小冊子にまとめ、何人かの読者に郵送する。無料配布では迫力がないし、第一経費もないので、全一二冊を予約購読してくれる人を募集する。そのためには毎回、とりあげる「栖」を、磯崎さんに銅版画に描いてもらって付録にする。
 つまりエディション企画である。原稿依頼に加えて銅版画も頼んじゃうという図々しさはさておいて、こんな企画に現実性があるのか、それをまず友人の綿貫不二夫に訊ねてみた。前にも磯崎さんの版画をプロデュースした男である。訊ねてみると、ファックスを読んだ磯崎さんからも逸早く打診があったという。決行することになり、磯崎新連刊画文集『栖十二』の書簡受取人募集のパンフレットがつくられた。予約定員三五人、ワンセット三十六万円である。
 無茶な企画ともいえた。「送り手の作家の創作と、受け手への作品頒布を同時進行的に進める、いささか冒険的なエディション企画ですが、これはかつて明治末から昭和初期に創作版画のエネルギーを支えた連刊版画集頒布の伝統を、楽しくかつ野心的に復活させたい」と募集パンフレットに書いたが、ひらたくいえば、作品はおろか見本もないが、これからつくるから大枚はたいて予約してくれ、なのだ。
 同じパンフレットに載せられた磯崎さんのすごい説得力のある一文が頼りだった。次のとおり。


 Uさん。 
 あなたがすばらしい持続力で『住まい学大系』を編集しつづけ、それが百冊目の区切りを迎えるので、これを私にふりあてよう、と提案されたとき、そうなんだな、
 “終の栖”
を私も考える年齢になってしまったと思ったのです。なにしろ三十年あまり昔、建築雑誌で私の仕事の特集がはじめて組まれたときに、Uさん、あなたが担当の編集者だった。それ以来、私の若い時代の過激な言説は、すべてあなたの編集する雑誌に発表された。そのもとラディカルが、相変わらず地球を追っかけて廻りつづけているけど、そろそろ、どうだね、“終の栖”でも考えてみたら、と暗にいわれていると私は受けとったのです。
 ペン・ステーションの便所で倒れ、身元不明者としてモルグに収容されたルイス・カーン、地中海で遊泳中に溺死したル・コルビュジェ、市電にはねられて死亡したガウディ。これに恋人の家の玄関前階段で死んでいたジュゼッペ・テラーニ、さらにはヘルニアの軽い手術の術後処理ミスで没したジム・スターリングを加えてもいい。
 これら、私の尊敬する建築家たちは、俗にいう畳の上では死ねなかった。なにしろ、いずれも家庭がないか、家出中かでした。大往生するための“終の栖”なんかなくて、駆けめぐるだけの人生だったのです。
 “終の栖”を建築家がみずから考えること、そしてこれを建築することは、いいかえると死場所を設計することでもあります。こんな芸当のできる建築家はめったにいません。フィリップ・ジョンソンぐらいですね。いまや彼はコネチカットの“ガラスの家”を死場所につくりあげようとしています。自邸を作品として設計し、半世紀間にこなしたスタイルの雛型をこのまわりに集めています。自己愛を貫徹している有様がよくわかるでしょう。トートロジィを生きています。徹頭徹尾、“終の栖”なのです。
 そこで、ついに“終の栖”を構築できなかった建築家たちが、それでも住宅と呼ばれるものを設計しているけど、作品としてまとめるなどと気負ったりせずにやったもののなかに、その人の裸の気分がふっとほころびてにじみでる、そんな住宅を十二えらんでみました。その建築家にとって、作品としてはマイナーなものばかりです。気負ってない。そこが私は気に入ったのです。
 現地を訪れてみました。スケッチもやったりしました。その時に気付いたことをお伝えしたいのですが、困ったことにこれらは“終の栖”ではなく、ただの“栖”なのです。みんな往生しきれないまんまに、誰か他人のために設計したのです。それでも、その建築家がふっともらすつぶやきのようなもの、がみえます。私はそのつぶやきに共感します。
 Uさん、
 絶え間ない漂泊にこの身を投じようと決心し、家出し、路上をさまよいはじめた、もとラディカルは、還暦をこえると、“終の栖”といかずとも、“栖”はほしい、と時に想うのです。そこで、Uさんの提案は、ただの“栖”でしかないもののなかに“終の栖”をさがす、という無理な仕事になりそうです。先まわりして言っておくと、そんな場所は、ノーホェアでしかない、という近代が組みたてたクリシェを反復することになるでしょう。こんな結論にみちびこうとするのも、やっぱり漂泊にひかれているのですね。帰還する場所の不在、それも語りつくされました。だから“栖”をさがして旅をするのです。旅にはスケッチと手紙が似つかわしい。それをフォーマットにしましょう。
         磯崎 新

 スケッチと手紙にすることを磯崎さんは思いついた。右の案内そのものがUという特定の人間に宛てた手紙になっているが、実際に郵送された一二信の手紙も「――さん、」と繰り返し呼びかける文体になった。この呼びかけ表記は、本書にまとめる際にとり外されたが、きわめて私信的に、とりあえずは書きはじめてみようといった手紙ふうの感触はそのままに残してある。この、くつろいだような文体がくせもので、現在、常套化した住宅観に対する思いがけない、しかも致命的な解体作用をもたらす。
 はなしが前後した。募集の結果は、あっというまに定員が埋まった。手紙が書かれ、銅版画がつくられる。銅版画を挟んだ冊子は、さらに、画帖のようなパッケージに挟まれる。その中面には磯崎新設計の住宅などの青焼図面が貼り込まれている。手紙でとりあげた「栖」と、磯崎さん自身の手がけたもののあいだに、それとない関係を見ようという遊びである。パッケージの表紙はスケッチがシルクスクリーンで刷られ、ここにまでサインが入る。パッケージにはさらに毎回違う手染めの色紐がかけられる。こうしてできた小包を、毎回違う場所から郵送した。結局、三五人宛に一二信、あわせて四二〇の小包が一二の郵便局から送り出されたことになる。
 採算のとれた企画だったかどうかは別として、月刊誌の連載より早いペースで一二章にわたる原稿を、やはりこういいたいのだが書き下ろし、してもらうことには成功した。というより磯崎さんの創作力と自己管理能力は依頼側の予想さえはるかにこえて、並はずれていたというほかはない。
 本書に再編集するにあたって、本文は全体の表記の統一にさらに配慮したていどで、基本的には画文集のそれと変わらない。銅版画は少しサイズは小さくしたが、各章に挿入した。
 もうひとつ、事務局からのお便りを毎回付けた。受取人とのさまざまな連絡を含めたいわば編集後記である。磯崎さんの老獪に計算された「書簡」と比べて、こちらは編集・発送作業の合間に綴ったそれこそ純朴な!手紙である。それを再録とはおこがましいが、本書が出来たプロセスを感じてもらいたいので、その一端をあえて以下に紹介させてもらう。(以下略)
栖十二_allパッケージ600
連刊画文集『栖十二』の構成は、オフセット印刷による本文冊子(写真左下)と銅版画1点(右上)を、画帖風のパッケージに挟み、紐をかける。パッケージの中面には磯崎新設計による建築青焼図面を貼り(冊子の下に敷かれている)、表紙は磯崎新のスケッチと受取人の住所氏名をシルクスクリーンで刷り、サインを入れている。画文集は35部限定だが、この宛名によって、パッケージだけは1点限りの限定になっている。
毎回取り上げられている「栖」(これは第十二信ルイジ・ノーノの墓)とパッケージ中面の磯崎作品(ここでは大友宗麟の墓)とはそれなりの対応をさせている。十二色の手染めの紐まで、それぞれの「栖」に見合うものを心掛けた。こうして出来た剥き出しのままの「アート作品」は郵便局に持ち込まれ、スタンプを押され、少々汚れてもいいじゃないかといったかたちで、受取人のもとに届けられた。

編集/住まいの図書館出版局・植田実 編集協力/磯崎アトリエ・網谷淑子
本文冊子基本デザイン/山口信博 パッケージ・デザイン/北澤敏彦
制作進行/綿貫不二夫 発行/ときの忘れもの・綿貫令子
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長い引用になってしまいましたが、亭主にとってもこのエディションほど作家(磯崎新)、プロデューサー(植田実)、刷り師やデザイナー、職人さんたち、版元の連携がうまくいった例はありません。
毎月、ただの一回も遅れることなく、上掲のパッケージに包まれた『栖 十二』のファーストエディションが35人の予約購読者に全国12箇所の別々の郵便局から簡易書留で郵送されました。
磯崎先生の原稿を書くスピードと、次から次へと制作される銅版画(ファーストエディションでは12点しか発表しませんでしたが、このとき磯崎先生は一年で50点もの銅版を制作されました)の試刷り、本刷りの対応に事務局(版元)は追われっぱなしで、1998~1999年はまさに「栖十二」に始まり、「栖十二」に終わった一年間でした。
亭主の30数年の版元人生でもこれほどうまくいった(制作も、発表も、売れ行きも)版画エディションはなく、奇跡ともいえる名作の誕生でした。
十二章のエッセイは、住まい学大系第100巻として出版されたが、この間、磯崎新先生が制作した銅版画は上述の通り50点にのぼります。
その中から40点(内12点はセカンド・エディション、28点は未発表)を選びまとめたのが『磯崎新銅版画集 栖 十二』です。

■磯崎新 Arata ISOZAKI
1931年大分に生まれる。1954年東京大学工学部建築学科卒業。1963年磯崎新アトリエ設立。国内外の客員教授、多くの国際コンペの審査員をつとめる。世界各地での講演・シンポジウムと並んで、建築展・美術展・個展と多彩な活動を展開している。
自らの建築観(コンセプト)を紙の上に表現することに強い意欲を示し、77年から既に200点もの版画を制作している。現在、ときの忘れものを版元に、版画とエッセイによる連刊画文集《百二十の見えない都市》に取り組んでいる。
代表作に[大分県立中央図書館][岩田学園][福岡相互銀行本店][つくばセンタービル][MOCA―ロサンゼルス現代美術館][バルセロナ市オリンピック・スポーツホール][ティーム・ディズニー・ビルディング][山口県秋吉台国際芸術村][トリノ冬季五輪アイスホッケーメーン会場]他多数。

◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催します(会期中無休)。
磯崎新展
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を展示します。全て作家自身により手彩色が施されています。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。