本日から「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催します(29日まで会期中無休)。
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュ。12人の建築家が手がけた12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉の全作品40点を展示します。
全て作家自身により手彩色が施されています。
1998年夏から一年間にわたり、磯崎新が住まいの図書館出版局(植田実編集長)の企画でひそかに発信し続けた書簡形式の連刊画文集『栖 十二』――十二章のエッセイと十二点の銅版画――は十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送されました。
十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されましたが、この間、磯崎新が制作した銅版画は50点にのぼります。
その中から40点(内12点はセカンド・エディション、28点は未発表)を選び『磯崎新 銅版画集 栖 十二』としてまとめたものです。
A版(手彩色)が限定8部(Ⅷ)、B版(単色刷り)が限定27部つくられました。
展示するのはA版(手彩色)ですが、在庫が最後の1セット(Ⅶ/Ⅷ)になりました。
40点セット価格:3,675,000円(税込)
●その他にAPが各1部あり、単品での販売を行ないます。
価格は@126,000円(税込)です。
出品リストをご参照の上、お早めにご注文ください。
●B版(単色版)
「栖十二」(単色)40点セット:1,000,000円(税込)
「栖十二」(単色)単品:42,000円(シート、税込)
この企画は1998年夏、「書簡受取人募集」と題してA4判4ページの要綱を皆さんに送ったことからスタートしました。募集にいたる経緯は先日のブログをお読みいただくとして、同年8月24日から翌1999年9月16日まで、きっかり1年で35人の書簡受取人に12信の磯崎新からの銅版画入り書簡が郵送されました。
その一年間の記録は今でしたらリアルタイムで皆様にお知らせできたのですが、当時はブログなんて便利なものはなかった。
一昔前のアルバムをひっくり返して、その1年を回顧してみましょう。
磯崎新『栖十二』より第一信クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ]
「栖十二」の記念すべき第一信パッケージ
表紙は磯崎新のスケッチがシルクスクリーン(刷り:石田了一)で刷られ、磯崎新が一通づつにサイン、記念切手をはり、毎回色違いの紐をかけた。
この中にエッセイと《挿画1》の単色版(刷り:白井四子男)が挿入された。
磯崎新〈栖 十二〉第一信より《挿画1》
クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ] 1938-40 カプリ島
磯崎新〈栖 十二〉第一信より《挿画2》
クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ] 1938-40 カプリ島
磯崎新〈栖 十二〉第一信より《挿画3》
クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ] 1938-40 カプリ島
第一信は、一九九八年八月二四日東京・赤坂郵便局より郵送されました。
同封された事務局からの「お便り」をそのまま再録します。
第一信・事務局連絡
連刊画文集・磯崎新『栖十二』の第一信をお送りします。
この段階ですでに、限定予約数を満たす三五組の皆様にお送りできることになりました。
ありがとうございました。
私たちが気にかけていますのは、無事な形でお手元に届いただろうかということです。書簡の本文冊子も銅版画も、実物を見ないままにご予約いただいた、いわば産直の郵送です。中味はできる限り吟味し、パッケージにもそれなりの工夫をこらしましたが、皆様にお渡しする途中に、郵送という見えざる手が介入しています。前以て私たちが試験的に同じ郵便物を送ってみた結果は、一部セロテープで手当てされていました。これがホッチキスに代わることもあるでしょうし、ローマ字の宛名を補う書き込みがされることもあると思います。磯崎さんのサインが入った、これもアート作品であるパッケージに第三者の手が加えられることを、私たちは心配もし、また楽しみにもしているわけですが(かつて、ある展覧会に参加した磯崎さんが、自分の作品に来場者が勝手に手を加えるという仕掛けをしたことがありました)、もし、いくらなんでもこれは、という場合があれば、お知らせください。
予約募集の段階で、詳細を説明していなかったパッケージの仕様がもうひとつあります。
中面の青図は、磯崎さん設計の軽井沢I荘の日影チャート図です。パッケージの補強に、磯崎アトリエから一二枚の設計原図をお借りして焼いた青図、それも今は廃れた、青の地に線や文字が白抜きになる青図を使うという、いわばお遊びの第一回ですが、これから扱われる一二の「栖」に、いままで磯崎さんが設計してきた、住宅・集合住宅・別荘の実施作品およびプロジェクトを、それとなく関連づけてみました。立地や手法や形態が似ているからではない。建築を見ること体験することと、計画し設計することとのあいまに通う、一筋縄ではいかない建築家の意識の位相を探ろうという目論見なわけです。だから、これは磯崎さんから提示された関係ではなく私たちの勝手な解釈というか見立てなのですが、磯崎さんは面白がって答案に満点をつけてくれました。
青図の褪色をおそれるより、そのライヴ感を優先して使うことを決めましたので、その辺については何とぞ御理解ください。以前、パリのエッフェル塔の脚元にある資料室を私たちが訪ねたときに、棚にぎっしりと保管されている当時の青図の、その変わらぬ青色の深さに驚いたことが、今回の発想に結びついているのかも知れません。
さて肝心の、磯崎さんの書簡本文と銅版画については、御自身で見ていただければ十分でしょう。第一信の生原稿に接して、私たちにとっても、この企画がますます楽しいものとなってきました。一二の栖に関する資料も私たちなりにあれこれと漁っていますが、今回のカサ・マラパルテに関しては、ゴダールの『軽蔑』のビデオを買ってきて見直すよい機会を得ました。これ必見です。
この住宅の設計者は、一般には、アダルベルト・リベラ (Adalberto Libera, 1903~1963)とクルツィオ・マラパルテの連名になっていますが、それをマラパルテの単独設計に変えています。理由は本文を読めば御理解いただけると思いますが、建築史では通常、ふたりの協同設計として、あるいはリベラの作品集などではマラパルテの名を落として記録されているものを、あえてこのようにした。そこに磯崎さんの建築の読み方が歴然としています。これからも、書簡が書き継がれる過程で、設計者名その他がまた再調整されることもありそうです。
もうひとつ。このエディションには、いくつかの日付けが入っています。
まず、パッケージおよび本文冊子の挿画に使われているスケッチの日付(入っていないばあいもありますが)は、磯崎さんの現実の旅の備忘です。
さらには、今回のエディションのために新たに作られた銅版画に書き込まれた日付。この銅版画には「インターナル・スケープ」IからXIIという作品名が付せられます。
さらにこれも今回か書き下ろしの書簡の日付が、本文冊子の奥付の日付となり、またパッケージに印される日付にも連動することになります。「表立った日付」といえましょうか。
そして、エディション発送直前にまとめたこの通信の日付が続き、パッケージには郵便局の消印が、皆様の手に届く日にほぼ重なっているはずです。
受取人の方々お顔がすべて見えているという出版は、編集者にはとって初めての体験です。それは逆に、数千数万の不特定多数の読者以上にひろがりのある、より多様な個性の読者を相手にしている、ということになりそうです。磯崎さんにとってはなおさら、新しい創作の引き金になるわけで、その兆候は、この第一信の画文に紛うことなく鮮やかに表れています。磯崎さんはいい。事務局からのお便りは、当たり前のことばかり書くなとか、建築専門の話ばかりで不親切だとか、いろいろお叱りを受けそうですが、その点は御寛如ください。
今後もお楽しみいただければ幸いです。
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1998年8月軽井沢での打ち合わせ。
左から宮脇愛子先生、磯崎新先生、35人の書簡受取人のひとりNさん、そして植田実さん。
一つ一つのパッケージにエッセイ、銅版画、事務局からのお便りをいれ、切手をはり、紐掛けをする、まるで内職仕事でした。
当時のときの忘れものギャラリーは靴を脱いであがる8畳間画廊。
床に並べた全35通の「栖十二」第一信。
背後の壁面は、左から長谷川潔、ブラック、オノサト・トシノブ。
1998年8月24日 第一信を磯崎新アトリエのある赤坂郵便局(ときの忘れものからも一駅)から郵送しました。
スタンプが絵にかからないよう捺されるのをじっと監視、さらに証拠写真まで撮るので、郵便局員さんから「あなたたち、いったい何を撮っているんですか!」と咎められたことも再三でありました。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。

磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュ。12人の建築家が手がけた12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉の全作品40点を展示します。
全て作家自身により手彩色が施されています。
1998年夏から一年間にわたり、磯崎新が住まいの図書館出版局(植田実編集長)の企画でひそかに発信し続けた書簡形式の連刊画文集『栖 十二』――十二章のエッセイと十二点の銅版画――は十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送されました。
十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されましたが、この間、磯崎新が制作した銅版画は50点にのぼります。
その中から40点(内12点はセカンド・エディション、28点は未発表)を選び『磯崎新 銅版画集 栖 十二』としてまとめたものです。
A版(手彩色)が限定8部(Ⅷ)、B版(単色刷り)が限定27部つくられました。
展示するのはA版(手彩色)ですが、在庫が最後の1セット(Ⅶ/Ⅷ)になりました。
40点セット価格:3,675,000円(税込)
●その他にAPが各1部あり、単品での販売を行ないます。
価格は@126,000円(税込)です。
出品リストをご参照の上、お早めにご注文ください。
●B版(単色版)
「栖十二」(単色)40点セット:1,000,000円(税込)
「栖十二」(単色)単品:42,000円(シート、税込)
この企画は1998年夏、「書簡受取人募集」と題してA4判4ページの要綱を皆さんに送ったことからスタートしました。募集にいたる経緯は先日のブログをお読みいただくとして、同年8月24日から翌1999年9月16日まで、きっかり1年で35人の書簡受取人に12信の磯崎新からの銅版画入り書簡が郵送されました。
その一年間の記録は今でしたらリアルタイムで皆様にお知らせできたのですが、当時はブログなんて便利なものはなかった。
一昔前のアルバムをひっくり返して、その1年を回顧してみましょう。
磯崎新『栖十二』より第一信クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ]
「栖十二」の記念すべき第一信パッケージ表紙は磯崎新のスケッチがシルクスクリーン(刷り:石田了一)で刷られ、磯崎新が一通づつにサイン、記念切手をはり、毎回色違いの紐をかけた。
この中にエッセイと《挿画1》の単色版(刷り:白井四子男)が挿入された。
磯崎新〈栖 十二〉第一信より《挿画1》クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ] 1938-40 カプリ島
磯崎新〈栖 十二〉第一信より《挿画2》クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ] 1938-40 カプリ島
磯崎新〈栖 十二〉第一信より《挿画3》クルツィオ・マラパルテ[カサ・マラパルテ] 1938-40 カプリ島
第一信は、一九九八年八月二四日東京・赤坂郵便局より郵送されました。
同封された事務局からの「お便り」をそのまま再録します。
第一信・事務局連絡
連刊画文集・磯崎新『栖十二』の第一信をお送りします。
この段階ですでに、限定予約数を満たす三五組の皆様にお送りできることになりました。
ありがとうございました。
私たちが気にかけていますのは、無事な形でお手元に届いただろうかということです。書簡の本文冊子も銅版画も、実物を見ないままにご予約いただいた、いわば産直の郵送です。中味はできる限り吟味し、パッケージにもそれなりの工夫をこらしましたが、皆様にお渡しする途中に、郵送という見えざる手が介入しています。前以て私たちが試験的に同じ郵便物を送ってみた結果は、一部セロテープで手当てされていました。これがホッチキスに代わることもあるでしょうし、ローマ字の宛名を補う書き込みがされることもあると思います。磯崎さんのサインが入った、これもアート作品であるパッケージに第三者の手が加えられることを、私たちは心配もし、また楽しみにもしているわけですが(かつて、ある展覧会に参加した磯崎さんが、自分の作品に来場者が勝手に手を加えるという仕掛けをしたことがありました)、もし、いくらなんでもこれは、という場合があれば、お知らせください。
予約募集の段階で、詳細を説明していなかったパッケージの仕様がもうひとつあります。
中面の青図は、磯崎さん設計の軽井沢I荘の日影チャート図です。パッケージの補強に、磯崎アトリエから一二枚の設計原図をお借りして焼いた青図、それも今は廃れた、青の地に線や文字が白抜きになる青図を使うという、いわばお遊びの第一回ですが、これから扱われる一二の「栖」に、いままで磯崎さんが設計してきた、住宅・集合住宅・別荘の実施作品およびプロジェクトを、それとなく関連づけてみました。立地や手法や形態が似ているからではない。建築を見ること体験することと、計画し設計することとのあいまに通う、一筋縄ではいかない建築家の意識の位相を探ろうという目論見なわけです。だから、これは磯崎さんから提示された関係ではなく私たちの勝手な解釈というか見立てなのですが、磯崎さんは面白がって答案に満点をつけてくれました。
青図の褪色をおそれるより、そのライヴ感を優先して使うことを決めましたので、その辺については何とぞ御理解ください。以前、パリのエッフェル塔の脚元にある資料室を私たちが訪ねたときに、棚にぎっしりと保管されている当時の青図の、その変わらぬ青色の深さに驚いたことが、今回の発想に結びついているのかも知れません。
さて肝心の、磯崎さんの書簡本文と銅版画については、御自身で見ていただければ十分でしょう。第一信の生原稿に接して、私たちにとっても、この企画がますます楽しいものとなってきました。一二の栖に関する資料も私たちなりにあれこれと漁っていますが、今回のカサ・マラパルテに関しては、ゴダールの『軽蔑』のビデオを買ってきて見直すよい機会を得ました。これ必見です。
この住宅の設計者は、一般には、アダルベルト・リベラ (Adalberto Libera, 1903~1963)とクルツィオ・マラパルテの連名になっていますが、それをマラパルテの単独設計に変えています。理由は本文を読めば御理解いただけると思いますが、建築史では通常、ふたりの協同設計として、あるいはリベラの作品集などではマラパルテの名を落として記録されているものを、あえてこのようにした。そこに磯崎さんの建築の読み方が歴然としています。これからも、書簡が書き継がれる過程で、設計者名その他がまた再調整されることもありそうです。
もうひとつ。このエディションには、いくつかの日付けが入っています。
まず、パッケージおよび本文冊子の挿画に使われているスケッチの日付(入っていないばあいもありますが)は、磯崎さんの現実の旅の備忘です。
さらには、今回のエディションのために新たに作られた銅版画に書き込まれた日付。この銅版画には「インターナル・スケープ」IからXIIという作品名が付せられます。
さらにこれも今回か書き下ろしの書簡の日付が、本文冊子の奥付の日付となり、またパッケージに印される日付にも連動することになります。「表立った日付」といえましょうか。
そして、エディション発送直前にまとめたこの通信の日付が続き、パッケージには郵便局の消印が、皆様の手に届く日にほぼ重なっているはずです。
受取人の方々お顔がすべて見えているという出版は、編集者にはとって初めての体験です。それは逆に、数千数万の不特定多数の読者以上にひろがりのある、より多様な個性の読者を相手にしている、ということになりそうです。磯崎さんにとってはなおさら、新しい創作の引き金になるわけで、その兆候は、この第一信の画文に紛うことなく鮮やかに表れています。磯崎さんはいい。事務局からのお便りは、当たり前のことばかり書くなとか、建築専門の話ばかりで不親切だとか、いろいろお叱りを受けそうですが、その点は御寛如ください。
今後もお楽しみいただければ幸いです。
----
1998年8月軽井沢での打ち合わせ。左から宮脇愛子先生、磯崎新先生、35人の書簡受取人のひとりNさん、そして植田実さん。
一つ一つのパッケージにエッセイ、銅版画、事務局からのお便りをいれ、切手をはり、紐掛けをする、まるで内職仕事でした。
当時のときの忘れものギャラリーは靴を脱いであがる8畳間画廊。床に並べた全35通の「栖十二」第一信。
背後の壁面は、左から長谷川潔、ブラック、オノサト・トシノブ。
1998年8月24日 第一信を磯崎新アトリエのある赤坂郵便局(ときの忘れものからも一駅)から郵送しました。スタンプが絵にかからないよう捺されるのをじっと監視、さらに証拠写真まで撮るので、郵便局員さんから「あなたたち、いったい何を撮っているんですか!」と咎められたことも再三でありました。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。

磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。
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