磯崎新『栖十二』より第三信アドルフ・ロース[ミュラー邸]
「磯崎新銅版画展 栖十二」は本日も開催しています(29日まで会期中無休)。
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げた銅版画連作〈栖十二〉の全40点は1998年夏から翌1999年9月にかけての僅か1年間に制作されました。
予め予約購読者を募り、書簡形式の連刊画文集『栖 十二』―十二章のエッセイと十二点の銅版画―を十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送するという、住まいの図書館出版局の植田実編集長のたくみな企画(アイデア)が磯崎先生の制作へのモチベーションを高めたことは間違いありません。
このとき書き下ろした十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されました。
その経緯は先日のブログをお読みいただくとして、1998~1999年の制作と頒布の同時進行のドキュメントを、事務局からの毎月(号)の「お便り」を再録することで皆様にご紹介しています。
三回目の本日は、第三信アドルフ・ロース[ミュラー邸](1928-30年 プラハ)です。
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画7》
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画8》
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画9》
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画10》
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画11》
アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
第三信・事務局連絡
一九九八年九月二一日東京・神楽坂郵便局より発送
第三信、アドルフ・ロースのミュラー邸です。
今回の本文冊子では挿画が増えました。ミュラー邸正面玄関のあるファサードのスケッチ(本書五〇〜五一頁)はペンですが、二階平面図とタンブラーの絵は、銅版画からの転写です。
このエディションのために磯崎さんがつくっている銅版画は、それぞれ一点ではありません。いくつもの場面やモノ、図面などをモチーフに数点ずつ手掛けたうちから選んでいるわけです。銅版画ですから当然のこと、刷り上がった絵柄は左右逆になる。これを慮って初めから左右逆の絵柄で、あるいは文字も裏返しに版を刻む作家もいます。しかし磯崎さんはこだわらずにそのまま版に描いている。建築、それも有名な作品ですから、これまでのカサ・マラパルテや『母の小さい家』の室内風景が裏返しになっていることにすでに気づかれたかも知れません。(住まい学大系版の本書では、それを更に反転して元に戻している)
パッケージの表紙の場合は磯崎さんの描いたスケッチをそのまま製版してシルクスクリーンで刷っています。平面図やタンブラーは、製版時点で銅版画をもう一度反転していますから、これも磯崎さんが描いたままの絵柄になっています。
平面図左側のいちばん広い部屋が居間です。この居間を左に見ながらまっすぐ階段を上がった、平面図では中央上部の部屋が食堂です。チポリーノ大理石貼りの壁を、柱と段状の形を残して切り抜き、居間、階段、食堂を立体的な一体の空間に組みこんだ、本文に書かれている「ラウムプラン」のもっとも典型的なシーンでもありますが、そこが銅版画に描かれている。(本書六四頁)
刷り上がった状態が左右逆でも構わない。建築の空間を瞬時にとらえることを優先してください。磯崎さんにはそのようにお願いしました。二階平面図をもう少し説明させていただくと、左端の階段を下りたところが一階玄関です。中央の、階段が錯綜している、磯崎さんの言葉を借りれば「迷路」の渦の只中に、じつに魅力的な婦人室があるわけですが、その辺には一階の階段まで紛れこんできているみたいな感じで、一、二階が重なった心象的な図面とさえいえそうなところが本当におもしろい。
このあたりは、伊藤哲夫著『アドルフ・ロース』(鹿島出版会)、川向正人『アドルフ・ロース』(住まいの図書館出版局)なども参照されると、読み取り方がまた違ってくるかも知れません。この二冊は、ロースのコンパクトな入門書でもあります。
ロースのタンブラー。これはじつは二〇数年前の『都市住宅』の表紙にも写真で紹介されたことがあります。「マニエリスムの相の下に」と題されたシリーズで、磯崎さんが構成と文をずっと手掛けられていたそのひとつですが、この小さなガラス器を見ても、ロースが「全生涯にわたって三〇年様式の核心に接する作業をしてきたことが理解できる」と書かれています。このタンブラーは、ロース設計のアメリカン・バーでも出されていたことがあります。フロートガラスのカウンターに光源が入っているので、タンブラーに酒を入れカウンターに置くと、底部の「きざみに屈折した光線がその表面に反映し、液体を透した底の影と二重にかさなって、ゆらめきつづける」(同右より)様子が増幅されるのでした。その頃、このバーは特別な職業の女性たちの根城になっていて、ウィーンに旅行に来る日本人の建築家たちと目指す相手は違うけれど一つ処に屯し、彼女たちが記念写真のシャッターを切ってくれることもありました。しかし日本人がここに寄るたびにタンブラーがひとつまたひとつと減っていき、とうとう使われなくなったとききます。私もひとつ大切にしまっていますが、くすねてきたのではなく、その頃磯崎さんにいただいたのでした。
この二〇数年、ロース・タンブラーへの磯崎さんの眼差しは変わらない。というより「ノイエザッハリッヒカイトとは、ミースのクロームメッキ柱、ブロイヤーのパイプ椅子、と考えて理解したつもりになっていたけど、ロースのタンブラーこそがその真髄なんだと私は考えることになる」(本書六〇頁)と、より大きな視座に変わってきたと思えます。
私が海外旅行で初めて訪れた都市はウィーンです。ご一緒した磯崎さんに、いの一番に連れて行かれたのがフィッシャー・フォン・エルラッハのカールスキルヒェです。この異様なまでに深く彫りこまれたバロックにはまったく圧倒され、それから見に行った、ロースやホラインの建築、またウィーンそのものの印象に重なりました。カールスキルヒェを建築の旅の出発点に据えてもらったために、私の古典から現代までの建築観はいっぺんに明快になりました。
前の第二信は、軽井沢郵便局から出しました。第一、二信のパッケージ中面青焼図面に使われたI荘の庭、というか深い森がふいに開かれた空地に、吹き抜けて、あるいは澱む風が見えてくるような、宮脇愛子さんの「うつろい」の線が交差するなかを、いづみ画廊の寺下信夫さんが、三五のパッケージをインスタレーションして下さり記念撮影もしました。ついでに彼は東京から軽井沢までの運び屋まで強要されたのですが、宮脇さんも寺下さんも、じつは書簡受取人なんです。(文責・植田)
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本文冊子が刷り上り、磯崎新先生のサインが完了すると、エッセイと銅版画を包んだパッケージの紐掛け作業がスタッフやお客様、植田実さんまで動員して行なわれた。

出来あがった35通の第三信をギャラリーの床に並べ、記念撮影して、郵便局へ。
壁面の作品は草間彌生のコラージュ作品。

第三信の発送は神楽坂郵便局からでした。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。

磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。
「磯崎新銅版画展 栖十二」は本日も開催しています(29日まで会期中無休)。
磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げた銅版画連作〈栖十二〉の全40点は1998年夏から翌1999年9月にかけての僅か1年間に制作されました。
予め予約購読者を募り、書簡形式の連刊画文集『栖 十二』―十二章のエッセイと十二点の銅版画―を十二の場所から、十二の日付のある書簡として限定35人に郵送するという、住まいの図書館出版局の植田実編集長のたくみな企画(アイデア)が磯崎先生の制作へのモチベーションを高めたことは間違いありません。
このとき書き下ろした十二章のエッセイは、1999年に住まい学大系第100巻『栖すみか十二』として出版されました。
その経緯は先日のブログをお読みいただくとして、1998~1999年の制作と頒布の同時進行のドキュメントを、事務局からの毎月(号)の「お便り」を再録することで皆様にご紹介しています。
三回目の本日は、第三信アドルフ・ロース[ミュラー邸](1928-30年 プラハ)です。
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画7》アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画8》アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画9》アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画10》アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
磯崎新〈栖 十二〉第三信より《挿画11》アドルフ・ロース[ミュラー邸] 1928-30年 プラハ
第三信・事務局連絡
一九九八年九月二一日東京・神楽坂郵便局より発送
第三信、アドルフ・ロースのミュラー邸です。
今回の本文冊子では挿画が増えました。ミュラー邸正面玄関のあるファサードのスケッチ(本書五〇〜五一頁)はペンですが、二階平面図とタンブラーの絵は、銅版画からの転写です。
このエディションのために磯崎さんがつくっている銅版画は、それぞれ一点ではありません。いくつもの場面やモノ、図面などをモチーフに数点ずつ手掛けたうちから選んでいるわけです。銅版画ですから当然のこと、刷り上がった絵柄は左右逆になる。これを慮って初めから左右逆の絵柄で、あるいは文字も裏返しに版を刻む作家もいます。しかし磯崎さんはこだわらずにそのまま版に描いている。建築、それも有名な作品ですから、これまでのカサ・マラパルテや『母の小さい家』の室内風景が裏返しになっていることにすでに気づかれたかも知れません。(住まい学大系版の本書では、それを更に反転して元に戻している)
パッケージの表紙の場合は磯崎さんの描いたスケッチをそのまま製版してシルクスクリーンで刷っています。平面図やタンブラーは、製版時点で銅版画をもう一度反転していますから、これも磯崎さんが描いたままの絵柄になっています。
平面図左側のいちばん広い部屋が居間です。この居間を左に見ながらまっすぐ階段を上がった、平面図では中央上部の部屋が食堂です。チポリーノ大理石貼りの壁を、柱と段状の形を残して切り抜き、居間、階段、食堂を立体的な一体の空間に組みこんだ、本文に書かれている「ラウムプラン」のもっとも典型的なシーンでもありますが、そこが銅版画に描かれている。(本書六四頁)
刷り上がった状態が左右逆でも構わない。建築の空間を瞬時にとらえることを優先してください。磯崎さんにはそのようにお願いしました。二階平面図をもう少し説明させていただくと、左端の階段を下りたところが一階玄関です。中央の、階段が錯綜している、磯崎さんの言葉を借りれば「迷路」の渦の只中に、じつに魅力的な婦人室があるわけですが、その辺には一階の階段まで紛れこんできているみたいな感じで、一、二階が重なった心象的な図面とさえいえそうなところが本当におもしろい。
このあたりは、伊藤哲夫著『アドルフ・ロース』(鹿島出版会)、川向正人『アドルフ・ロース』(住まいの図書館出版局)なども参照されると、読み取り方がまた違ってくるかも知れません。この二冊は、ロースのコンパクトな入門書でもあります。
ロースのタンブラー。これはじつは二〇数年前の『都市住宅』の表紙にも写真で紹介されたことがあります。「マニエリスムの相の下に」と題されたシリーズで、磯崎さんが構成と文をずっと手掛けられていたそのひとつですが、この小さなガラス器を見ても、ロースが「全生涯にわたって三〇年様式の核心に接する作業をしてきたことが理解できる」と書かれています。このタンブラーは、ロース設計のアメリカン・バーでも出されていたことがあります。フロートガラスのカウンターに光源が入っているので、タンブラーに酒を入れカウンターに置くと、底部の「きざみに屈折した光線がその表面に反映し、液体を透した底の影と二重にかさなって、ゆらめきつづける」(同右より)様子が増幅されるのでした。その頃、このバーは特別な職業の女性たちの根城になっていて、ウィーンに旅行に来る日本人の建築家たちと目指す相手は違うけれど一つ処に屯し、彼女たちが記念写真のシャッターを切ってくれることもありました。しかし日本人がここに寄るたびにタンブラーがひとつまたひとつと減っていき、とうとう使われなくなったとききます。私もひとつ大切にしまっていますが、くすねてきたのではなく、その頃磯崎さんにいただいたのでした。
この二〇数年、ロース・タンブラーへの磯崎さんの眼差しは変わらない。というより「ノイエザッハリッヒカイトとは、ミースのクロームメッキ柱、ブロイヤーのパイプ椅子、と考えて理解したつもりになっていたけど、ロースのタンブラーこそがその真髄なんだと私は考えることになる」(本書六〇頁)と、より大きな視座に変わってきたと思えます。
私が海外旅行で初めて訪れた都市はウィーンです。ご一緒した磯崎さんに、いの一番に連れて行かれたのがフィッシャー・フォン・エルラッハのカールスキルヒェです。この異様なまでに深く彫りこまれたバロックにはまったく圧倒され、それから見に行った、ロースやホラインの建築、またウィーンそのものの印象に重なりました。カールスキルヒェを建築の旅の出発点に据えてもらったために、私の古典から現代までの建築観はいっぺんに明快になりました。
前の第二信は、軽井沢郵便局から出しました。第一、二信のパッケージ中面青焼図面に使われたI荘の庭、というか深い森がふいに開かれた空地に、吹き抜けて、あるいは澱む風が見えてくるような、宮脇愛子さんの「うつろい」の線が交差するなかを、いづみ画廊の寺下信夫さんが、三五のパッケージをインスタレーションして下さり記念撮影もしました。ついでに彼は東京から軽井沢までの運び屋まで強要されたのですが、宮脇さんも寺下さんも、じつは書簡受取人なんです。(文責・植田)
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本文冊子が刷り上り、磯崎新先生のサインが完了すると、エッセイと銅版画を包んだパッケージの紐掛け作業がスタッフやお客様、植田実さんまで動員して行なわれた。

出来あがった35通の第三信をギャラリーの床に並べ、記念撮影して、郵便局へ。
壁面の作品は草間彌生のコラージュ作品。

第三信の発送は神楽坂郵便局からでした。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年12月16日[金]―12月29日[木]「磯崎新銅版画展 栖十二」を開催しています(会期中無休)。

磯崎新が古今東西の建築家12人に捧げたオマージュとして、12軒の栖を選び、描いた銅版画連作〈栖十二〉全40点を出品、全て作家自身により手彩色が施されています。
この連作を企画した植田実さんによる編集註をお読みください。
参考資料として銅版原版や書簡形式で35人に郵送されたファーストエディションも展示します。
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