光嶋裕介のエッセイ 第1回
『見たことあるかもしれない都市』(I/VIII)
はじめまして、こんにちは、
光嶋裕介(こうしまゆうすけ)です。
建築の設計を生業としています。
衣食住の「住む」に携わる仕事です。
建物や空間について何かを考える際に
それは当たり前のように存在するからこそ
固定観念が過度に働いてしまい、
クリエイティブなアイデアが生まれにくい状況を
自己暗示のようにかけてしまうことが多々あります。
ほとんどが「常識」という名の無意識のうちに。
自分の創造力を自由に開放し、
最大限に働かせるには、
とかく想像力を豊かにしないといけない。
建築家にとってその想像力を
カタチにするのは「手」だと思っています。
カタチのないものにカタチを与え、確認する。
そして、また手を加えます。
これの連続です。
どこにもない、
「見たことあるかもしれない都市」への
まさに終わりなき旅となるのです。
具体的には
僕は銅板に向かって
針で線を彫り、
銅版画を刷ります。
そうした心象風景をあぶり出す作業は
(落とし物を拾い集める感覚に近いかもしれない)
暗闇に包まれた深夜にすることが多い。
よく集中できるんです。
ほとんどの人が眠りについているであろう
深夜のこの時間帯こそ
自分の記憶の断片たちと対話するのに
最も適した時間だと感じています。
そして、
自ずと描いた風景も夜景になっていく。
(こうしまゆうすけ)
"Landscape at Night NO.001"
2008年
エッチング、アクアチント
イメージサイズ:12.0x30.0cm
シートサイズ 27.0x39.5cm
Ed.8 サインあり
画面が小さくて、光嶋さんの絵の面白さがわかりにくいかも知れません。
コチラをクリックしてのぞいてみてください。
*画廊亭主敬白
何年か前、石山修武先生の個展のオープニングでいきなり人懐っこい笑顔で(どうも彼は老人キラーらしい)「ボクも銅版画をつくりたいんですけれど」と話しかけてきた。
きけばドイツでは既にドローイングの展覧会もしたようだ。
亭主は若い人に冷たい、ちやほやしない。
新人を育てる、なんてことは口が裂けても言わない。
勝手にやったらと、白井版画工房だけは紹介しておいた。どうせ三日坊主だろうとたかを括っていたのですが、あにはからんや光嶋さん、しぶとかった。
昨年、個展の話が出て、つくっている銅版画を見せてもらった(それまでにもちょっとはのぞいていたのだが)。
驚いた、いいんですね。
エッチングとアクアチントの技法を見事に使い分けて、不思議な夜の世界を表現している。
それに(ここが重要)亭主が昔から唱えている「名作は連作からしか生まれない」という格言通り、最初に決めたサイズ、テーマを少しも変えずに延々と銅版に刻みつけてきた。
「ボクのライフワークにします」との連作宣言は泣かせます、亭主はコロリと参ってしまった。
版画の連作というのは、確乎としたテーマがあって、内面から湧きあがるような「描きたいもの」がなければ持続しません。
ルオーでもシャガールでも名作(連作)に幾十年もかけて取り組んだ。
それをコレクターたちとともに支えたボラールやテリアドたち版元たちの苦労がしのばれます。
亭主は中学生時代にオスカー・ニーマイヤーのブラジリアに出会って以来、建築家の描く夢に強く惹かれて、画商になってからは建築家の作品をもっぱら扱ってきました。
ポートフォリオ(版画集)をエディションした建築家は、磯崎新、安藤忠雄、石山修武の3人。そして今回4人目の建築家として光嶋裕介を迎えます。
5月末に予定している光嶋さんの個展では、ここ数年間に制作した「Landscape at Night」連作を15点+特別手彩色作品1点の16点組のポートフォリオを発表します。
一点だけのタブローと異なり、複数オリジナルの版画は、それがどんな名作(連作)であろうとそれを買ってくださるコレクターなしには成立しません。
近くポートフォリオの概要を発表しますので、皆さんのご支援ご協力を心よりお願い申し上げます。
光嶋裕介さんには毎月11日と22日の二回、このブログでエッセイを連載していただきます。どうぞご愛読ください。
『見たことあるかもしれない都市』(I/VIII)
はじめまして、こんにちは、
光嶋裕介(こうしまゆうすけ)です。
建築の設計を生業としています。
衣食住の「住む」に携わる仕事です。
建物や空間について何かを考える際に
それは当たり前のように存在するからこそ
固定観念が過度に働いてしまい、
クリエイティブなアイデアが生まれにくい状況を
自己暗示のようにかけてしまうことが多々あります。
ほとんどが「常識」という名の無意識のうちに。
自分の創造力を自由に開放し、
最大限に働かせるには、
とかく想像力を豊かにしないといけない。
建築家にとってその想像力を
カタチにするのは「手」だと思っています。
カタチのないものにカタチを与え、確認する。
そして、また手を加えます。
これの連続です。
どこにもない、
「見たことあるかもしれない都市」への
まさに終わりなき旅となるのです。
具体的には
僕は銅板に向かって
針で線を彫り、
銅版画を刷ります。
そうした心象風景をあぶり出す作業は
(落とし物を拾い集める感覚に近いかもしれない)
暗闇に包まれた深夜にすることが多い。
よく集中できるんです。
ほとんどの人が眠りについているであろう
深夜のこの時間帯こそ
自分の記憶の断片たちと対話するのに
最も適した時間だと感じています。
そして、
自ずと描いた風景も夜景になっていく。
(こうしまゆうすけ)
"Landscape at Night NO.001"2008年
エッチング、アクアチント
イメージサイズ:12.0x30.0cm
シートサイズ 27.0x39.5cm
Ed.8 サインあり
画面が小さくて、光嶋さんの絵の面白さがわかりにくいかも知れません。
コチラをクリックしてのぞいてみてください。
*画廊亭主敬白
何年か前、石山修武先生の個展のオープニングでいきなり人懐っこい笑顔で(どうも彼は老人キラーらしい)「ボクも銅版画をつくりたいんですけれど」と話しかけてきた。
きけばドイツでは既にドローイングの展覧会もしたようだ。
亭主は若い人に冷たい、ちやほやしない。
新人を育てる、なんてことは口が裂けても言わない。
勝手にやったらと、白井版画工房だけは紹介しておいた。どうせ三日坊主だろうとたかを括っていたのですが、あにはからんや光嶋さん、しぶとかった。
昨年、個展の話が出て、つくっている銅版画を見せてもらった(それまでにもちょっとはのぞいていたのだが)。
驚いた、いいんですね。
エッチングとアクアチントの技法を見事に使い分けて、不思議な夜の世界を表現している。
それに(ここが重要)亭主が昔から唱えている「名作は連作からしか生まれない」という格言通り、最初に決めたサイズ、テーマを少しも変えずに延々と銅版に刻みつけてきた。
「ボクのライフワークにします」との連作宣言は泣かせます、亭主はコロリと参ってしまった。
版画の連作というのは、確乎としたテーマがあって、内面から湧きあがるような「描きたいもの」がなければ持続しません。
ルオーでもシャガールでも名作(連作)に幾十年もかけて取り組んだ。
それをコレクターたちとともに支えたボラールやテリアドたち版元たちの苦労がしのばれます。
亭主は中学生時代にオスカー・ニーマイヤーのブラジリアに出会って以来、建築家の描く夢に強く惹かれて、画商になってからは建築家の作品をもっぱら扱ってきました。
ポートフォリオ(版画集)をエディションした建築家は、磯崎新、安藤忠雄、石山修武の3人。そして今回4人目の建築家として光嶋裕介を迎えます。
5月末に予定している光嶋さんの個展では、ここ数年間に制作した「Landscape at Night」連作を15点+特別手彩色作品1点の16点組のポートフォリオを発表します。
一点だけのタブローと異なり、複数オリジナルの版画は、それがどんな名作(連作)であろうとそれを買ってくださるコレクターなしには成立しません。
近くポートフォリオの概要を発表しますので、皆さんのご支援ご協力を心よりお願い申し上げます。
光嶋裕介さんには毎月11日と22日の二回、このブログでエッセイを連載していただきます。どうぞご愛読ください。
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