先日、ポーランドからスワヴォミール・ルミヤックさんが、井桁裕子さん、菅原多喜男さんと一緒に来廊されました。


ルミヤックさんはポーランドのアダム・ミツキェヴィチ研究所(ADAM MICKIEWICZ INSTITUTE 通称:IAM)の依頼で、日本でのポーランド芸術の紹介のために来日しています。
ポーランドと日本の交流展を企画されており、ときの忘れものも何かお手伝いができないかと色々お話を伺いました。
ハンス・ベルメールとショパン・コンクール以外に知っていることは皆無。
「ポーランドの美術」と聞くとクラコウの国際版画ビエンナーレ、「ポーランドの映画」と聞くと映画監督のアンジェイ・ワイダくらいしか知識がありませんでしたが、ルミヤックさんがお持ちになったポーランドの展覧会カタログを見ると、作品のクオリティは高く、ポーランドの作家たちが強い表現意欲を持っていることが分かります。
ルミヤックさんと親しい菅原さん(四谷シモンさんのマネージャー)が、フェイスブックにお書きになった文章をお許しを得て、転載させていただきます。
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菅原多喜男さんのFacebookより転載
アダム・ミツキェヴィチ研究所(http://www.iam.pl/en)の依頼で、ポーランド芸術の日本での紹介のために来日した友人スワヴォミール・ルミヤックさんと南青山の画廊・ときの忘れものでお会いし、現代ポーランドの芸術事情などについて、いろいろお話を伺いました。
綿貫さん、こちらこそとても有意義な時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございます。
ところで、今日、スワヴェクさんの話を聴いたり、ポーランドで実際に見たことを総合して、私なりに気がついたことがありますので、簡単にメモしておきます。
それはどういうことかというと、ポーランドには、産業(ビジネス)としてのアートの流通がほとんど存在せず、その育成の役割を担ったさまざまな文化振興団体が存在するということですね。
日本であれば、個人経営の小さな画廊がたくさんあって、そこが、美術館で個展を開催するにまで至っていない若いアーティストの作品を展示し、個人のコレクターに販売するということが、アートの基盤を形成しているわけですが、ポーランドには、おそらくこうした基盤がまだ存在しないのだとおもいます。
それは、共産主義政権の時代に、個人ビジネスが存在せず、国家がそうしたビジネスや流通を統制していたことの名残なのだとおもいますが、自由主義の時代になって、そうした芸術ビジネスがすぐに生まれたかというと、一般的な商店や工場と違い、アートの分野では、そう簡単にはビジネスとしての流通が生まれないということですね。これは、アーチストの側の表現意欲とはまた別の問題だとおもいます。
ただその一方で、国家なり地方自治体はアートを奨励し、才能のある若いアーティストもたくさん生まれてきているわけですから、日本であれば個人経営の画廊が担うような役割を、ポーランドでは文化振興団体が担っているのですね。
しかし、そうした文化振興を国家が直接行うと、アートと国家の関係がゆがんでしまうので、その関係がゆがまないように配慮しながらどのようにしてアートを盛んにしていくかというのが、現在ポーランドが抱えている問題なのだとおもいます。
また、アーチストの側でも自分たちの活動が社会に支えられているという状況を自覚しているので、いい意味で大人の感覚をもった素晴らしいアートが生まれてきているのではないでしょうか。
3年前に四谷シモンといっしょにワルシャワを散策したとき、二人とも、この街からはわれわれを震撼させるとてつもないようなアートが生まれてくるのではないかという予兆をひしひしと感じたのですが、日本で、そうした素晴らしいアートが観れる日がくるとよいなと切望しております。
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ポーランドと日本、お互いの違いを知ることにより、何か新しいものが生まれてきそうです。
ときの忘れもので何ができるかわかりませんが、これを機会にいろいろ学びたいと思っています。
◆ときの忘れものは2013年4月3日[水]―4月13日[土]「春暁のコレクション展」を開催しています(※日・月休廊)。
出品作家:山村昌明、植田正治、草間彌生、山口勝弘、難波田史男、永井桃子、エルンスト・ハース、アンディ・ウォーホル、ハインリッヒ・フォーゲラー、エド・ベイナード、ル・コルビュジエ、クリスト、マノロ・バルデス
出品作から山村昌明と永井桃子の作品をご紹介します。

山村昌明「作品」
1979年 版画
1991年2月51歳で逝った山村昌明のことをご存知でしょうか。
武蔵野音楽大学でチェロ専攻だった山村昌明は、1961年から池田満寿夫の助手を務め銅版画を学びます。明澄な色彩に富んだ多くの作品を遺しました。
いずれ遺作展をしたいというのが亭主の願いです。

永井桃子「HANASAKA」
2000 油彩
亭主が永井さんと知り合うきっかけとなった初めてのコレクション。たまには倉庫から引っ張り出し皆さんの眼に触れてもらいましょう。
詳細は出品リストをご覧ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから


ルミヤックさんはポーランドのアダム・ミツキェヴィチ研究所(ADAM MICKIEWICZ INSTITUTE 通称:IAM)の依頼で、日本でのポーランド芸術の紹介のために来日しています。
ポーランドと日本の交流展を企画されており、ときの忘れものも何かお手伝いができないかと色々お話を伺いました。
ハンス・ベルメールとショパン・コンクール以外に知っていることは皆無。
「ポーランドの美術」と聞くとクラコウの国際版画ビエンナーレ、「ポーランドの映画」と聞くと映画監督のアンジェイ・ワイダくらいしか知識がありませんでしたが、ルミヤックさんがお持ちになったポーランドの展覧会カタログを見ると、作品のクオリティは高く、ポーランドの作家たちが強い表現意欲を持っていることが分かります。
ルミヤックさんと親しい菅原さん(四谷シモンさんのマネージャー)が、フェイスブックにお書きになった文章をお許しを得て、転載させていただきます。
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菅原多喜男さんのFacebookより転載
アダム・ミツキェヴィチ研究所(http://www.iam.pl/en)の依頼で、ポーランド芸術の日本での紹介のために来日した友人スワヴォミール・ルミヤックさんと南青山の画廊・ときの忘れものでお会いし、現代ポーランドの芸術事情などについて、いろいろお話を伺いました。
綿貫さん、こちらこそとても有意義な時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございます。
ところで、今日、スワヴェクさんの話を聴いたり、ポーランドで実際に見たことを総合して、私なりに気がついたことがありますので、簡単にメモしておきます。
それはどういうことかというと、ポーランドには、産業(ビジネス)としてのアートの流通がほとんど存在せず、その育成の役割を担ったさまざまな文化振興団体が存在するということですね。
日本であれば、個人経営の小さな画廊がたくさんあって、そこが、美術館で個展を開催するにまで至っていない若いアーティストの作品を展示し、個人のコレクターに販売するということが、アートの基盤を形成しているわけですが、ポーランドには、おそらくこうした基盤がまだ存在しないのだとおもいます。
それは、共産主義政権の時代に、個人ビジネスが存在せず、国家がそうしたビジネスや流通を統制していたことの名残なのだとおもいますが、自由主義の時代になって、そうした芸術ビジネスがすぐに生まれたかというと、一般的な商店や工場と違い、アートの分野では、そう簡単にはビジネスとしての流通が生まれないということですね。これは、アーチストの側の表現意欲とはまた別の問題だとおもいます。
ただその一方で、国家なり地方自治体はアートを奨励し、才能のある若いアーティストもたくさん生まれてきているわけですから、日本であれば個人経営の画廊が担うような役割を、ポーランドでは文化振興団体が担っているのですね。
しかし、そうした文化振興を国家が直接行うと、アートと国家の関係がゆがんでしまうので、その関係がゆがまないように配慮しながらどのようにしてアートを盛んにしていくかというのが、現在ポーランドが抱えている問題なのだとおもいます。
また、アーチストの側でも自分たちの活動が社会に支えられているという状況を自覚しているので、いい意味で大人の感覚をもった素晴らしいアートが生まれてきているのではないでしょうか。
3年前に四谷シモンといっしょにワルシャワを散策したとき、二人とも、この街からはわれわれを震撼させるとてつもないようなアートが生まれてくるのではないかという予兆をひしひしと感じたのですが、日本で、そうした素晴らしいアートが観れる日がくるとよいなと切望しております。
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ポーランドと日本、お互いの違いを知ることにより、何か新しいものが生まれてきそうです。
ときの忘れもので何ができるかわかりませんが、これを機会にいろいろ学びたいと思っています。
◆ときの忘れものは2013年4月3日[水]―4月13日[土]「春暁のコレクション展」を開催しています(※日・月休廊)。
出品作家:山村昌明、植田正治、草間彌生、山口勝弘、難波田史男、永井桃子、エルンスト・ハース、アンディ・ウォーホル、ハインリッヒ・フォーゲラー、エド・ベイナード、ル・コルビュジエ、クリスト、マノロ・バルデス出品作から山村昌明と永井桃子の作品をご紹介します。

山村昌明「作品」
1979年 版画
1991年2月51歳で逝った山村昌明のことをご存知でしょうか。
武蔵野音楽大学でチェロ専攻だった山村昌明は、1961年から池田満寿夫の助手を務め銅版画を学びます。明澄な色彩に富んだ多くの作品を遺しました。
いずれ遺作展をしたいというのが亭主の願いです。

永井桃子「HANASAKA」
2000 油彩
亭主が永井さんと知り合うきっかけとなった初めてのコレクション。たまには倉庫から引っ張り出し皆さんの眼に触れてもらいましょう。
詳細は出品リストをご覧ください。
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