色の好みの究極は白である。白は学問的には色ではない。この色ではない色が色の好みの究極に坐しているということは他の人生万般に対しても趣致ある暗示であろう。すべての色線の全反撥である所に白が生れる。白には赤や青などのような感情的な支配力はない。ただ清浄への示唆があるのみである。

『恩地孝四郎版画芸術論集 抽象の表情』(1992年 阿部出版)291ページより

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恩地孝四郎 Koshiro ONCHI
白い花
1943年 木版
37.0x26.0cm

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恩地孝四郎 Koshiro ONCHI
Image Vol.3 (b) 赤い花
1946年 木版
34.5x26.5cm

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本日7月2日は亭主の敬愛する恩地孝四郎の誕生日であります。
なにをかくそう亭主も7月2日生まれ、偶然とはいえ昔から嬉しいことの一つでした。
美術業界に入る前、わが郷土の詩人・萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の挿画などを通じて恩地孝四郎や田中恭吉の作品に親しんでいましたが、最初に買った作品が何だったかもさだかではありません(余談ですが、亭主は朔太郎の孫弟子でありまして、そのあたりのことは別掲のエッセイをお読みください)。
丸善の画廊でまだ安く売っていた平井孝一摺りの後刷りを買った記憶もあるのですが、それがいつのことだったか。
1974年に現代版画センターを創立して間もない頃は事務所だけで画廊は持っていませんでした。かわりに行きつけの飲み屋、飯田橋にあった「憂陀」の壁面を借りて毎月小展示会を開いていました。
その何回目かに「田中恭吉展」を開催しました。といっても恭吉作品を持っていたわけではなく、一面識もない恩地三保子さん(孝四郎のご長女)にずうずうしくも手紙を書いて、田中恭吉作品の借用を申し込んだ次第。今思うと冷や汗もんですが、三保子さんはわざわざ大手町のトランクルームに連れて行ってくれ、「月映」所収の作品を選んで貸してくれたのでした。
それがきっかけで三保子さんにはしばしばお会いすることになりました。
その頃、三保子さんは父孝四郎の作品集の刊行に全力を挙げておられ、出版社もその刊行費用に苦慮されていました。
亭主のささやかな誇りは、つねづね「ボクの今までの大失敗は、生前何度も会いながら恩地孝四郎を認めることができず、一枚も買わなかったことだ」と後悔していた恩師・久保貞次郎先生に三保子さんをご紹介することができたことでした。
やがて久保先生の支援もあって形象社から豪華作品集(レゾネ)が刊行されたのでした。

◆ときの忘れものは6月25日(火)~7月6日(土)「恩地孝四郎展」を開催しています(*会期中無休)。
恩地DM創作版画運動の指導者、日本の抽象絵画のパイオニアであった恩地孝四郎の木版画、素描、水彩など約20点をご覧いただきます。