Q Ei Photo Dessin Exhibition "Search for Light"
ときの忘れものは今から20年前の1995年6月5日に開廊しました。
その三ヶ月前の3月10日、銀座の資生堂パーラーで、1990年から足掛け六年の歳月をかけて編集刊行された736ページの『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』の刊行記念パーティが開催されました。

編集チームを代表し挨拶する亭主
1995年3月10日
まだここが一軒家で、「資生堂ギャラリー史編纂室」には三上豊氏(現和光大学教授)、柴田卓氏(『三彩』の最後の編集長)など8人の編集チームが参加していたのですが、本の刊行に伴いそれまでに集めた膨大な資料やカードを資生堂に収め、チームを解散しました。
ヒトもモノもいなくなったガランとした事務所に残された夫婦は、さて何をしようかと思案したのですが、社長は長年の夢だった「好きなものだけを展示するギャラリー」をつくりたいと考え、亭主は次なる本の編集を構想し、二人だけのギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」を開くことになりました。


ときの忘れものの第一回展は社長好みの「銅版画セレクション1/長谷川潔、難波田龍起、瑛九、駒井哲郎」でした。
開廊したその日のことは、以前「舟越道子さんを送る」で書きました。
以来20年、南青山のこの場所で営業し続けてこられたのは作家や顧客の皆様、取引先の皆さんのおかげです。
現代版画センター時代を含めると40年を超す歳月を美術の仕事に携わってきたことになりますが、あらためてご愛顧いただいた皆様には厚く御礼を申し上げます。
特別のことはいたしませんが、20年をふりかえり、流行とは関係なく私たちが大事にしてきた作家の作品を展観いたします。
■「第26回瑛九展 光を求めて」2015年5月16日(土)~5月30日(土)
■「元永定正 もこもこワールド」2015年6月3日(水)~6月13日(土)
■「オノサト・トシノブ 初期具象から晩年まで」2015年7月25日(土)~8月8日(土)
瑛九については「社長と瑛九」をお読みいただければと思います。
元永定正、オノサト・トシノブのお二人については、版元として数多くの版画をエディションしてきたので、久しぶりに(ときの忘れものとしては初めて)それらを集中して展示いたします。
スタッフ一同力をあわせて、これからも同時代の優れた作家、作品の紹介に努めてまいります。
かわらぬご愛顧をお願いいたします。
◆「第26回瑛九展 光を求めて」

2015年5月16日[土]―5月30日[土]
*会期中無休
1960年48歳で亡くなった瑛九の生涯は「光の画家」の一生であったともいえます。
早くからカメラをもち写真を撮り始め、やがて印画紙に直接「光」をあてて感光させるフォトグラム(瑛九自身はフォトデッサン=光のデッサンと名づけています)の技法を確立し、亡くなるまで二千点以上の作品を制作したといわれます。
油彩や水彩の制作においても、常に「光」を求めた姿勢は一貫しており、最晩年の点描シリーズはその「光の画家」としての到達点であったのでした。
1995年の開廊以来、シリーズ企画として取り組んできた「瑛九展」ですが、第26回となる今回は「光を求めて」と題して、フォトデッサンを中心に、油彩、水彩、フォトデッサンの制作材料とした型紙など約30点を展示します。
■瑛九 Q Ei(1911-60)
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。1936年フォトデッサン作品集『眠りの理由』を刊行。1937年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、1951年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。1960年48歳で永逝。
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものは今から20年前の1995年6月5日に開廊しました。
その三ヶ月前の3月10日、銀座の資生堂パーラーで、1990年から足掛け六年の歳月をかけて編集刊行された736ページの『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』の刊行記念パーティが開催されました。

編集チームを代表し挨拶する亭主
1995年3月10日
まだここが一軒家で、「資生堂ギャラリー史編纂室」には三上豊氏(現和光大学教授)、柴田卓氏(『三彩』の最後の編集長)など8人の編集チームが参加していたのですが、本の刊行に伴いそれまでに集めた膨大な資料やカードを資生堂に収め、チームを解散しました。
ヒトもモノもいなくなったガランとした事務所に残された夫婦は、さて何をしようかと思案したのですが、社長は長年の夢だった「好きなものだけを展示するギャラリー」をつくりたいと考え、亭主は次なる本の編集を構想し、二人だけのギャラリー&編集事務所「ときの忘れもの」を開くことになりました。


ときの忘れものの第一回展は社長好みの「銅版画セレクション1/長谷川潔、難波田龍起、瑛九、駒井哲郎」でした。
開廊したその日のことは、以前「舟越道子さんを送る」で書きました。
以来20年、南青山のこの場所で営業し続けてこられたのは作家や顧客の皆様、取引先の皆さんのおかげです。
現代版画センター時代を含めると40年を超す歳月を美術の仕事に携わってきたことになりますが、あらためてご愛顧いただいた皆様には厚く御礼を申し上げます。
特別のことはいたしませんが、20年をふりかえり、流行とは関係なく私たちが大事にしてきた作家の作品を展観いたします。
■「第26回瑛九展 光を求めて」2015年5月16日(土)~5月30日(土)
■「元永定正 もこもこワールド」2015年6月3日(水)~6月13日(土)
■「オノサト・トシノブ 初期具象から晩年まで」2015年7月25日(土)~8月8日(土)
瑛九については「社長と瑛九」をお読みいただければと思います。
元永定正、オノサト・トシノブのお二人については、版元として数多くの版画をエディションしてきたので、久しぶりに(ときの忘れものとしては初めて)それらを集中して展示いたします。
スタッフ一同力をあわせて、これからも同時代の優れた作家、作品の紹介に努めてまいります。
かわらぬご愛顧をお願いいたします。
◆「第26回瑛九展 光を求めて」

2015年5月16日[土]―5月30日[土]
*会期中無休
1960年48歳で亡くなった瑛九の生涯は「光の画家」の一生であったともいえます。
早くからカメラをもち写真を撮り始め、やがて印画紙に直接「光」をあてて感光させるフォトグラム(瑛九自身はフォトデッサン=光のデッサンと名づけています)の技法を確立し、亡くなるまで二千点以上の作品を制作したといわれます。
油彩や水彩の制作においても、常に「光」を求めた姿勢は一貫しており、最晩年の点描シリーズはその「光の画家」としての到達点であったのでした。
1995年の開廊以来、シリーズ企画として取り組んできた「瑛九展」ですが、第26回となる今回は「光を求めて」と題して、フォトデッサンを中心に、油彩、水彩、フォトデッサンの制作材料とした型紙など約30点を展示します。
■瑛九 Q Ei(1911-60)
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。1936年フォトデッサン作品集『眠りの理由』を刊行。1937年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、1951年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。1960年48歳で永逝。
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