新連載・森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」 第1回
「犯罪者同盟からはじまった」
これから戦後、美術界に起こった事件について書きたいと思う。戦後の美術界のスキャンダルともいえるのは、まず、藤田嗣治の戦争画事件と彼の国外追放があった。内灘闘争や砂川闘争での山下菊二、中村宏、池田龍雄らルポルタージュ絵画の問題もあるだろう。山下菊二といえば天皇制批判コラージュ作品展示拒否という騒動もあった。騒動という意味では、今泉篤男とサロン・ド・メ論争やジョルジュ・マチューの日本橋・白木屋ウインドゥ、アクション・ぺインティングの一件も入るかもしれない。それに付随した具体や、ギュウちゃんこと篠原有司男のモヒカン・アクションもあった。しかし、美術が本格的に「事件」の様相を呈するようになるのはやはり60年代からなので、ここではそのあたりを軸としたいと考える。それは文字通り事件=イヴェントと呼ばれる芸術形式の成立と期を一にしている。(*海外ではアラン・カプロー、日本では具体あたりからそれは生じてきた)。
1961年には皇室批判とも思える深沢七郎「風流夢譚」掲載に絡み右翼少年が中央公論社長宅を襲撃、リアル殺傷事件を起こすというものがあった。同社は「思想の科学」天皇制特集の雑誌を廃棄している。60年安保闘争を挟んで時代がきな臭くなっていったのだ。
するとはじめに語らなくてはならないのは、のちにジャズ評論家となった平岡正明や評論家となる宮原安春が早稲田露文在学中に結成した、ブントから発展したと思われる文化的政治結社ともいうべき「犯罪者同盟」と彼らが自費出版した冊子「赤い風船 あるいは牝狼の夜」あたりだろう。
その前にそもそも美術におけるスキャンダルとは何なのか、を探ってみたい。まず挙げられるのが猥褻問題だ。
明治時代にフランス帰りの黒田清輝が裸体画を展示し、官憲より咎められ白い布を腰巻のように付してやっと展示したことなどもある。いわゆる今日まで継続している「芸術か猥褻か」事件だ。
これは昨年も鷹野隆大の写真に男性器が露出しているというので白い布を付した一件(愛知県美術館)まで何も変わっていない。また、最近ではろくでなし子の女性器アート逮捕事件などもある。
ほかに、もっとも顕著なものでは赤瀬川原平「ニセ千円札」事件。その一方では日本の公立美術館自体に数々のタブーが存在していることも事実である。展示拒否や撤去にいたる騒動は頻発している。大浦信行の天皇モチーフ版画撤去事件(1986年、2009年)、中垣克久、「安倍首相靖国参拝批判」作品での東京都美術館撤去騒動(2014年)。または、同美術館におけるキム・ソギョンとキム・ウンソン「朝鮮人慰安婦像」展示拒否(2012年)、あるいは反原発アートの展示拒否などもある。
キム・ソギョンとキム・ウンソン
「平和の少女像」
2011年、FRPに彩色、450×600×h1360mm
右側が東京都美術館から撤去されたブロンズ像。
2011年、75×85×h200mm
2015年1月「表現の不自由展」ギャラリー古藤より。
このブロンズ像は2012年8月東京都美術館「第18回JAALA国際交流展」に出品されたが慰安婦をテーマとした有名なこの像は、会期中に撤去された。大榎淳らが抗議を行った。
撮影:筆者
いってみれば、猥褻問題、天皇問題、政治問題、原発問題、社会問題、民族差別問題などに連座して美術スキャンダルは事件化してきたのだ。それらの多くは 日本特有の状況でもあって、海外に目をやればこれらを主題にした美術作品はざらにあり、それがもとで違法行為とみなされることはむしろ少ないことからみても、わが国の美術なるものが端から行政領域の管理下に根強く存在していることの証明でもあろう。中国もアイ・ウェイウェイ問題など共産党批判的作品にはうるさいのだが、概してこの国は美術を官主導下に置きたがり、社会構造上もマルクスが指摘した「上部構造」ではなくむしろ「下部構造」につき従えている。美術は人類の知的営みの結果であり崇高なのだといった当たり前の思考が「表現の自由」以前に原点で否認されているようでもある。
さて、前述した犯罪者同盟に関してだが、この一件は60年安保闘争の挫折と大きくかかわっている。戦後美術を俯瞰するとき、日本美術会結成、東宝争議や三井三池争議に絡んでの共産党的美術の台頭(戦前のプロレタリア美術運動の延長である社会主義リアリズム)、市民運動の発生、全共闘運動まで美術シーンは政治の季節と深いかかわりを持っていた。
50年代闘争から派生した動きとしては、花田清輝や岡本太郎の 「夜の会」(1948年発足)「世紀の会」(1949年発足)からスターリン批判を経て吉本隆明、埴谷雄高、谷川雁、栗田勇、森秀人らが講師の市民学習自主講座「自立学校」(1962)まで大まかに連続している。犯罪者同盟も自立学校と通底しているのだ。小杉武久、ハイレッド・センターも巻き込んでいる。このあたりはのちに現代思潮社、美学校に連なる同一線上にあるといえる。
50年代この線上に澁澤龍彦「悪徳の栄え」事件(いわゆるサド裁判)があり、このことは反体制運動と密接に連座している。60年安保闘争挫折によって左翼運動が分裂するなか、平岡正明らが新たな闘争として猥褻を確信犯的に標榜したとしても何の不思議もなかった。
犯罪者同盟という名称だが、当時現場中心にいた美術評論家、美術家の今泉省彦は「維新前夜の薩摩藩が江戸市中で火付け強盗を働いて、人心を騒然とさせたように、犯罪を激発させて、革命的情勢を作り出そうというのが狙いだった」といっている。のちに日本赤軍、京浜安保共闘に至る新左翼過激派、テロルの思想の始まりでもあった。ただし、犯罪者同盟は純粋な政治結社というよりも文化闘争的側面がそもそも強い。結成時の62年、すでにのちのハイレッド・センター となる高松次郎、中西夏之らと絡んでもいる。(*1962年11月22日早稲田大学大隈講堂で開催された「犯罪者同盟演劇公演」)。
1962年11月22日早稲田大学大隈講堂で開催された「犯罪者同盟演劇公演 黒くふちどられた薔薇の濡れたくしゃみ」。
中西夏之により赤く着色された大隈講堂男子便所の便器。
この時期、日本前衛芸術の砦となった「読売アンデパンダン」展もまた安保闘争挫折からの切り返しとして怒涛の「反体制美術家」を輩出していたが、彼らの多くが実際に反安保デモに参加していたことも事実だ。
犯罪者同盟が自費出版した冊子「赤い風船あるいは牝狼の夜」は1963年8月15日終戦記念日に発行される。ここに若き日の吉岡康弘、赤瀬川原平、ダダカンこと糸井寛二、小杉武久、高松次郎らが作品を寄稿している。この面子はいずれも読売アンパンつながりで今泉省彦が仲介していた。また、実験映画「鎖陰」で注目され、のちに日本赤軍に加わる足立正生らが周辺に存在したことも、政治的テロとアートテロの間に分かちがたく横たわる思想的連関を想起させる。
「赤い風船 あるいは牝狼の夜」
(1963年8月15日発行 犯罪者同盟/宮原安春・編 赤い風船・刊 近代印書館・印刷)
表紙。
「赤い風船あるいは牝狼の夜」の頁。
ハイレッド・センターのビックリマーク(!)、マルクスのテキストの上に、高松次郎が当時行っていた「抹消線のドローイング」も見受けられる。
「赤い風船あるいは牝狼の夜」
糸井寛二の頁。
トルコ帽をかぶり糸井寛の名で参加していた。
吉岡康弘
「変態周期と過渡現象」
1962年
写真
第14回読売アンデパンダン展出品作
展示4日目に撤去された。
足立正生「鎖陰」の上映。
1965年12月
ミューズ週間
モダンアートセンター・オブ・ジャパン
企画:ヨシダ・ヨシエ、参加:ゼロ次元、時間派、秋山祐徳太子、風倉匠、城之内元晴ほか
撮影:吉岡康弘
同書は、1963年11月、猥褻図書として摘発された。吉岡の作品が女性器のアップだったのだ。(吉岡は同様の作品を1962年読売アンパンにも出品していたし、撤去させられるとリベンジとして自主的に写真集まで出したがこれも猥褻容疑で発禁になってしまった。「赤い風船」は3度目のチャレンジだった。)
そもそもが、犯罪者同盟の一員、諸富洋治が高田馬場の本屋で万引きをやり(*この本が「悪徳の栄え」)戸塚警察署に連行。所持品検査の際、「赤い風船」 が見つけられたのだ。吉岡はこの件で拘留されたが結局注意のみで不起訴だった。本も吉岡の性器写真だけを除いて販売可となったのだった。
吉岡康弘という写真家はマン・レイに評価され、工藤哲巳、勅使河原宏、若松孝二、武満徹、土方巽からヨーコ・オノに至るまで60年代アヴァンギャルド・シーンに多様に介在した。さらに、大島渚のスチールカメラマン、および映画撮影者だった。横尾忠則、横山リエ、唐十郎出演「新宿泥棒日記」の撮影者だが、この映画がドロドロとした68年当時の新宿アングラシーンをふんだんに盛り込んでいるのにもかかわらず、どこかクールな印象を残すのは吉岡という作家の映像感覚に負うところが大きいと思われる。同棲相手の若林美宏をモデルに(*若林は新宿泥棒日記中で戸浦六宏に犯される女の役を演じている。期を同じくして日本テレビ「11PM」エロティックなベッド体操に抜擢された)「獣愛」という写真集(*若林はインタビューに答え、実際に行為していることを告白)を出し、結婚までした(*書類上の入籍かは定かではない)が1974年6月3日、若林は「仕事に疲れました」の一言を残し静岡県熱海市咲見町の中田ビル屋上より飛び降り自殺している。死の3日前、黒装束で胸に花一輪の写真を撮った。当日はバラ4本、カスミソウ9本を持ってビルの屋上に上がった。情緒不安定で睡眠薬を常用していたという。(*享年26。といわれているが28だったという説もある。戦後アートシーンでは86年の鈴木いづみ自死とスキャンダラスといった点では双璧だろう)。
若林美宏という女性は、60年代に何人かいた芸術家のミューズのようなところがあった。アートシアター新宿文化で開催された「新宿アートフェスティバル」にも飛び入り出演して振付師・竹邑類と踊っていたような人物だ。このとき若林はまだ芸能界デビュー前の湘南・白百合学園生である。まさに、アンファン・テリブル(恐るべき子供たち)の一味の一人だった。
吉岡康弘写真集「ヌード・ソドムの楽園」
1971
芳賀書店刊より
モデル:若林美宏(中央)ほか
吉岡康弘写真集「獣愛」
1971
芳賀書店刊より
モデル:若林美宏
吉岡康弘写真集「獣愛」
1971
芳賀書店刊より
モデル:若林美宏
こんな風にとかくスキャンダラスな話題に塗り込められてきた吉岡だが、ハイキーにトーンが分解されたキャンプ(*S・ソンタグ)ともいうべきその映像センスは先にも述べたように極めて鋭く、クールに何らかのエッセンスを画像に入れ込めていた、と思える。それはとかく誤解されがちだったこの稀代の写真家が 時代精神(ツァイトガイスト)を実は表現していたからなのだ。2002年に逝去されているが、今後の再評価に大いに期待したい。
さて、「赤い風船 あるいは牝狼の夜」(*現在同書は美術本として海外のコレクターからも羨望のアイテムと化している。そもそもこの案件自体の発端は海外コレクターからの「ときの忘れもの」への問い合わせから発している)は思いもかけない別件の契機をもともなっている。それは赤瀬川原平「ニセ千円札」事件へと発展することになるのだ。(敬称略)
(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。
●今日のお勧め作品は、浅田政志です。
浅田政志
「浅田家「唐人踊り」」
2010年
C-Print
イメージサイズ:27.4x35.1cm
A.P. Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
「犯罪者同盟からはじまった」
これから戦後、美術界に起こった事件について書きたいと思う。戦後の美術界のスキャンダルともいえるのは、まず、藤田嗣治の戦争画事件と彼の国外追放があった。内灘闘争や砂川闘争での山下菊二、中村宏、池田龍雄らルポルタージュ絵画の問題もあるだろう。山下菊二といえば天皇制批判コラージュ作品展示拒否という騒動もあった。騒動という意味では、今泉篤男とサロン・ド・メ論争やジョルジュ・マチューの日本橋・白木屋ウインドゥ、アクション・ぺインティングの一件も入るかもしれない。それに付随した具体や、ギュウちゃんこと篠原有司男のモヒカン・アクションもあった。しかし、美術が本格的に「事件」の様相を呈するようになるのはやはり60年代からなので、ここではそのあたりを軸としたいと考える。それは文字通り事件=イヴェントと呼ばれる芸術形式の成立と期を一にしている。(*海外ではアラン・カプロー、日本では具体あたりからそれは生じてきた)。
1961年には皇室批判とも思える深沢七郎「風流夢譚」掲載に絡み右翼少年が中央公論社長宅を襲撃、リアル殺傷事件を起こすというものがあった。同社は「思想の科学」天皇制特集の雑誌を廃棄している。60年安保闘争を挟んで時代がきな臭くなっていったのだ。
するとはじめに語らなくてはならないのは、のちにジャズ評論家となった平岡正明や評論家となる宮原安春が早稲田露文在学中に結成した、ブントから発展したと思われる文化的政治結社ともいうべき「犯罪者同盟」と彼らが自費出版した冊子「赤い風船 あるいは牝狼の夜」あたりだろう。
その前にそもそも美術におけるスキャンダルとは何なのか、を探ってみたい。まず挙げられるのが猥褻問題だ。
明治時代にフランス帰りの黒田清輝が裸体画を展示し、官憲より咎められ白い布を腰巻のように付してやっと展示したことなどもある。いわゆる今日まで継続している「芸術か猥褻か」事件だ。
これは昨年も鷹野隆大の写真に男性器が露出しているというので白い布を付した一件(愛知県美術館)まで何も変わっていない。また、最近ではろくでなし子の女性器アート逮捕事件などもある。
ほかに、もっとも顕著なものでは赤瀬川原平「ニセ千円札」事件。その一方では日本の公立美術館自体に数々のタブーが存在していることも事実である。展示拒否や撤去にいたる騒動は頻発している。大浦信行の天皇モチーフ版画撤去事件(1986年、2009年)、中垣克久、「安倍首相靖国参拝批判」作品での東京都美術館撤去騒動(2014年)。または、同美術館におけるキム・ソギョンとキム・ウンソン「朝鮮人慰安婦像」展示拒否(2012年)、あるいは反原発アートの展示拒否などもある。
キム・ソギョンとキム・ウンソン「平和の少女像」
2011年、FRPに彩色、450×600×h1360mm
右側が東京都美術館から撤去されたブロンズ像。
2011年、75×85×h200mm
2015年1月「表現の不自由展」ギャラリー古藤より。
このブロンズ像は2012年8月東京都美術館「第18回JAALA国際交流展」に出品されたが慰安婦をテーマとした有名なこの像は、会期中に撤去された。大榎淳らが抗議を行った。
撮影:筆者
いってみれば、猥褻問題、天皇問題、政治問題、原発問題、社会問題、民族差別問題などに連座して美術スキャンダルは事件化してきたのだ。それらの多くは 日本特有の状況でもあって、海外に目をやればこれらを主題にした美術作品はざらにあり、それがもとで違法行為とみなされることはむしろ少ないことからみても、わが国の美術なるものが端から行政領域の管理下に根強く存在していることの証明でもあろう。中国もアイ・ウェイウェイ問題など共産党批判的作品にはうるさいのだが、概してこの国は美術を官主導下に置きたがり、社会構造上もマルクスが指摘した「上部構造」ではなくむしろ「下部構造」につき従えている。美術は人類の知的営みの結果であり崇高なのだといった当たり前の思考が「表現の自由」以前に原点で否認されているようでもある。
さて、前述した犯罪者同盟に関してだが、この一件は60年安保闘争の挫折と大きくかかわっている。戦後美術を俯瞰するとき、日本美術会結成、東宝争議や三井三池争議に絡んでの共産党的美術の台頭(戦前のプロレタリア美術運動の延長である社会主義リアリズム)、市民運動の発生、全共闘運動まで美術シーンは政治の季節と深いかかわりを持っていた。
50年代闘争から派生した動きとしては、花田清輝や岡本太郎の 「夜の会」(1948年発足)「世紀の会」(1949年発足)からスターリン批判を経て吉本隆明、埴谷雄高、谷川雁、栗田勇、森秀人らが講師の市民学習自主講座「自立学校」(1962)まで大まかに連続している。犯罪者同盟も自立学校と通底しているのだ。小杉武久、ハイレッド・センターも巻き込んでいる。このあたりはのちに現代思潮社、美学校に連なる同一線上にあるといえる。
50年代この線上に澁澤龍彦「悪徳の栄え」事件(いわゆるサド裁判)があり、このことは反体制運動と密接に連座している。60年安保闘争挫折によって左翼運動が分裂するなか、平岡正明らが新たな闘争として猥褻を確信犯的に標榜したとしても何の不思議もなかった。
犯罪者同盟という名称だが、当時現場中心にいた美術評論家、美術家の今泉省彦は「維新前夜の薩摩藩が江戸市中で火付け強盗を働いて、人心を騒然とさせたように、犯罪を激発させて、革命的情勢を作り出そうというのが狙いだった」といっている。のちに日本赤軍、京浜安保共闘に至る新左翼過激派、テロルの思想の始まりでもあった。ただし、犯罪者同盟は純粋な政治結社というよりも文化闘争的側面がそもそも強い。結成時の62年、すでにのちのハイレッド・センター となる高松次郎、中西夏之らと絡んでもいる。(*1962年11月22日早稲田大学大隈講堂で開催された「犯罪者同盟演劇公演」)。
1962年11月22日早稲田大学大隈講堂で開催された「犯罪者同盟演劇公演 黒くふちどられた薔薇の濡れたくしゃみ」。中西夏之により赤く着色された大隈講堂男子便所の便器。
この時期、日本前衛芸術の砦となった「読売アンデパンダン」展もまた安保闘争挫折からの切り返しとして怒涛の「反体制美術家」を輩出していたが、彼らの多くが実際に反安保デモに参加していたことも事実だ。
犯罪者同盟が自費出版した冊子「赤い風船あるいは牝狼の夜」は1963年8月15日終戦記念日に発行される。ここに若き日の吉岡康弘、赤瀬川原平、ダダカンこと糸井寛二、小杉武久、高松次郎らが作品を寄稿している。この面子はいずれも読売アンパンつながりで今泉省彦が仲介していた。また、実験映画「鎖陰」で注目され、のちに日本赤軍に加わる足立正生らが周辺に存在したことも、政治的テロとアートテロの間に分かちがたく横たわる思想的連関を想起させる。
「赤い風船 あるいは牝狼の夜」(1963年8月15日発行 犯罪者同盟/宮原安春・編 赤い風船・刊 近代印書館・印刷)
表紙。
「赤い風船あるいは牝狼の夜」の頁。ハイレッド・センターのビックリマーク(!)、マルクスのテキストの上に、高松次郎が当時行っていた「抹消線のドローイング」も見受けられる。
「赤い風船あるいは牝狼の夜」糸井寛二の頁。
トルコ帽をかぶり糸井寛の名で参加していた。
吉岡康弘「変態周期と過渡現象」
1962年
写真
第14回読売アンデパンダン展出品作
展示4日目に撤去された。
足立正生「鎖陰」の上映。1965年12月
ミューズ週間
モダンアートセンター・オブ・ジャパン
企画:ヨシダ・ヨシエ、参加:ゼロ次元、時間派、秋山祐徳太子、風倉匠、城之内元晴ほか
撮影:吉岡康弘
同書は、1963年11月、猥褻図書として摘発された。吉岡の作品が女性器のアップだったのだ。(吉岡は同様の作品を1962年読売アンパンにも出品していたし、撤去させられるとリベンジとして自主的に写真集まで出したがこれも猥褻容疑で発禁になってしまった。「赤い風船」は3度目のチャレンジだった。)
そもそもが、犯罪者同盟の一員、諸富洋治が高田馬場の本屋で万引きをやり(*この本が「悪徳の栄え」)戸塚警察署に連行。所持品検査の際、「赤い風船」 が見つけられたのだ。吉岡はこの件で拘留されたが結局注意のみで不起訴だった。本も吉岡の性器写真だけを除いて販売可となったのだった。
吉岡康弘という写真家はマン・レイに評価され、工藤哲巳、勅使河原宏、若松孝二、武満徹、土方巽からヨーコ・オノに至るまで60年代アヴァンギャルド・シーンに多様に介在した。さらに、大島渚のスチールカメラマン、および映画撮影者だった。横尾忠則、横山リエ、唐十郎出演「新宿泥棒日記」の撮影者だが、この映画がドロドロとした68年当時の新宿アングラシーンをふんだんに盛り込んでいるのにもかかわらず、どこかクールな印象を残すのは吉岡という作家の映像感覚に負うところが大きいと思われる。同棲相手の若林美宏をモデルに(*若林は新宿泥棒日記中で戸浦六宏に犯される女の役を演じている。期を同じくして日本テレビ「11PM」エロティックなベッド体操に抜擢された)「獣愛」という写真集(*若林はインタビューに答え、実際に行為していることを告白)を出し、結婚までした(*書類上の入籍かは定かではない)が1974年6月3日、若林は「仕事に疲れました」の一言を残し静岡県熱海市咲見町の中田ビル屋上より飛び降り自殺している。死の3日前、黒装束で胸に花一輪の写真を撮った。当日はバラ4本、カスミソウ9本を持ってビルの屋上に上がった。情緒不安定で睡眠薬を常用していたという。(*享年26。といわれているが28だったという説もある。戦後アートシーンでは86年の鈴木いづみ自死とスキャンダラスといった点では双璧だろう)。
若林美宏という女性は、60年代に何人かいた芸術家のミューズのようなところがあった。アートシアター新宿文化で開催された「新宿アートフェスティバル」にも飛び入り出演して振付師・竹邑類と踊っていたような人物だ。このとき若林はまだ芸能界デビュー前の湘南・白百合学園生である。まさに、アンファン・テリブル(恐るべき子供たち)の一味の一人だった。
吉岡康弘写真集「ヌード・ソドムの楽園」1971
芳賀書店刊より
モデル:若林美宏(中央)ほか
吉岡康弘写真集「獣愛」1971
芳賀書店刊より
モデル:若林美宏
吉岡康弘写真集「獣愛」1971
芳賀書店刊より
モデル:若林美宏
こんな風にとかくスキャンダラスな話題に塗り込められてきた吉岡だが、ハイキーにトーンが分解されたキャンプ(*S・ソンタグ)ともいうべきその映像センスは先にも述べたように極めて鋭く、クールに何らかのエッセンスを画像に入れ込めていた、と思える。それはとかく誤解されがちだったこの稀代の写真家が 時代精神(ツァイトガイスト)を実は表現していたからなのだ。2002年に逝去されているが、今後の再評価に大いに期待したい。
さて、「赤い風船 あるいは牝狼の夜」(*現在同書は美術本として海外のコレクターからも羨望のアイテムと化している。そもそもこの案件自体の発端は海外コレクターからの「ときの忘れもの」への問い合わせから発している)は思いもかけない別件の契機をもともなっている。それは赤瀬川原平「ニセ千円札」事件へと発展することになるのだ。(敬称略)
(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。
●今日のお勧め作品は、浅田政志です。
浅田政志「浅田家「唐人踊り」」
2010年
C-Print
イメージサイズ:27.4x35.1cm
A.P. Signed
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