森下泰輔のエッセイ「戦後・現代美術事件簿」第9回
性におおらかだったはずの国のろくでなし子
昨年、永青文庫で春画展が開催されたが、20万人を超える観客が訪れた。その後京都・細見美術館へ巡回した。細川元首相が音頭取りしたこの展示、つつがなく会期を終了、図録の販売も無事であったかにみえる。だが、警察は会期前、永青文庫に対し「このまま公開すれば犯罪を構成する」と注意していたし、週刊誌ジャーナリズムに図版を掲載しないように指導し、「週刊文春」に至っては北斎、歌麿らの図版を掲載した編集長が謹慎処分になるという一幕もあった。警視庁が、8~9月に口頭指導を行ったのは、「週刊ポスト」(小学館)、「週刊現代」(講談社)、「週刊大衆」(双葉社)、「週刊アサヒ芸能」(徳間書店)の4誌である。最高裁・昭和48年4月12日判決〈国貞事件〉では春画は「わいせつ図画」に当たるとの見解だった。(*有光書房から江戸の春画や好色本を刊行。1960(昭和35)年より「艶本研究叢書」全13巻の刊行開始。その第1巻の林美一著「国貞」の特製本600部が、翌61年にわいせつ文書として摘発された)。春画展は大英博物館(ことにティム・クラーク英国側キュレーターの尽力が大きい)の後ろ盾があるため摘発には踏み切れないが現在でも真っ白というわけではなさそうだ。
春画展(永青文庫)。
2015
撮影:筆者
春画展内覧会での細川護熙永青文庫理事長。
2015
撮影:筆者
春画展内覧会でのティム・クラーク。
2015
撮影:筆者
明治期にイギリスの特派員が横浜にきた際、夏には庭先や玄関横で婦女子が行水を平気で行い、立小便などを見、外国人は倫理がないと日本を非難した。慌てた行政は早くも明治4年~5年に自治体単位で規制に入り、その後、鹿鳴館など国策欧化政策をとる。近年に入りヒッピー文化の感覚の解放やマルチカルチュアリズムを経て、西欧芸術が逆に性表現において日本化・アジア化していったのかもしれない。ポップ以降の民主化現象のひとつだ。
日本は江戸から大衆的だったので、ある意味、西欧に進んだ民衆中心の場だったかもしれないのである。表象文化的なアップサイドダウンが生じている。しかし、何人がそのことに気付いているのか?
今日的なジェンダースタディを行い身体論が専門である、平山満紀・明治大学准教授によれば、欧米人が特に驚いたのは、日本人が裸体や性について、羞恥心や罪悪感をまったく持っていなかったことだ。ペリー艦隊に珍しがって集まってくる人たちが、からかって大笑いしながら春画をそのボートに投げ込んでみたり、岸から性的な冗談を叫んだり、女性が着物をまくりあげたりもするので、ペリー一行はなんて野蛮なところだとショックを受けたという。
また、人々は路地で裸体をさらして行水をし、男女混浴の銭湯に平気で入るので、アダムとイブが追放される以前の楽園かなどといわれた。大人も子供も性的な冗談をいっては屈託なく笑ったり、女たちもまったく悪びれずに春画を見て楽しんでいること、遊女が蔑(さげす)まれていないことも、多くの西洋人が驚きをもって書き留めている。
歌川豊国
「Woman Bathing Under Flowers」
1812
ボストン美術館蔵
フェリーチェ・ベアト
「髪を梳く女性」
(1863年~1877年頃)
着色写真。ベアトは横浜に住み、高級娼婦、芸者、日常風景などを写真におさめた。
「ペリー提督日本遠征記」(1856年)より
「下田の公衆浴場の図」
このあたりは慶応年間に来日した五姓田義松、高橋由一、山本芳翠の師、チャールズ・ワーグマンやフェリーチェ・ベアト、ジョルジュ・ビゴーが残したスケッチや写真、談話を見ても確認できるだろう。高浜虚子も「行水の女に惚れる烏かな」(明治38年)という俳句を残しており、明治・大正まで無防備な行水が普通に行われたばかりか、通常の美意識ですらあったことがわかる。混浴は現在でも各地の温泉場で行われているだろう。
また、日本神話の開放的な性もあり、各地に残る信仰の対象としての道祖神やご神体が男女性器といったことは、古くから親しまれてもきた。
ひとつには日本が早急に国民国家を立ち上げ天皇を父とする国家家父長制、一夫一婦制を強化したのも欧米列強から野蛮国と見られたくなかったための政策だったこともある。いまひとつは官と庶民の道徳観の分離もあっただろう。(*江戸時代でも公の場では不道徳は必要以上に規制されている。たとえば姦通罪は重罪であった。)
現在でも日本はダブルスタンダードを敷いている。遊郭の伝統を引く性産業、性具を扱う店舗はいまでも大半がおとがめなしだ。また、性の最前線の問題としては肥大化したAV産業界の一件もあるだろう。ある統計によればすでに15万人がAV嬢になったという(*「週刊ポスト」2011年12月23日号)。これは19歳から55歳の日本女性の200人に1人が経験者ということだ。この数値は年々累積されつつある。「高校のクラスのうち目立つ3人がやがて経験している」とのAV関係者によるトンデモ統計すら存在する。
AV業界の中枢におけるわいせつ罪摘発では、2008年に性器のモザイク処理が薄いというので珍しくビデ倫が罪に問われている。
この連載の第4回でも述べたが、行為芸術における性器露出を伴うアート表現は60年代はむろん、今でも数多く存在している。AVの分野でいえば、高度資本主義化によりただのわいせつというよりは、アイデアを駆使し表現に類するレベルにまで突入している。たとえばソフト・オン・デマンド「人類史上初!!超ヤリまくり!イキまくり!500人SEX!!」などの商品がそれにあたる。250人ずつの男女がまぐわうといった、いわゆる企画ものだが、同様の方法を採用したといわれる写真作品がある。
第8回キャノン写真新世紀で荒木経惟選・優秀賞を受賞した大橋仁は、2012年「そこにすわろうとおもう」という写真集を刊行しているがその内容が300人の男女がスタジオや野外でセックスする集合写真なのだ。モデルの数はとてつもなく多い。ヘアは露出しているものの性器結合はしかとは確認できない。しかし本作は写真芸術上の快挙であろう。
大橋仁
「そこにすわろうとおもう」より。
2012
また、ネット社会はわいせつの基準が異なる海外から無料で無修正画像を平気で配信してしまう現状も一方ではある。これを岡田寿弁護士は現行法規ではネットという「物的インフラ全体をわいせつ物だとする」(「エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史」岡田寿、臺宏士・著 2016年 朝日新聞出版刊(朝日新書) p244を参照)ことも可能だと語った。この点を規制しようとはせずに見て見ぬふりだ(*法律が違うエリアからのものなので規制が難しいのもある)。つまりわが国は本音(事実)と建前(世間体)とに激しく分裂している状況ともいえようか。
日本でのわいせつ罪全般の摘発は平成24年度23116件と頻出しているが、このような状況下での今日のわいせつ概念を新たに考察せねばならない。
当然、いったん芸術の領域に入ればエロスはギリシア・ローマ時代より美のカノンとして存在している。もちろん、人類が芸術作品の制作をはじめた太古より性や裸体は様々な意味性を帯びて存在してきたのはジョルジュ・バタイユ「エロティシズム」「エロティシズムの歴史」を紐解くまでもない。
さて、今注目の話題として、珍しく女性でこうした一件に巻き込まれた、ろくでなし子事件があるので、それに関し考えてみたい。
この問題の核はわいせつ電磁記録・記録媒体頒布罪、わいせつ電磁的記録等送信頒布罪だろう。配信されたろくでなし子の性器データはわいせつか否か、が問われている。データと3Dプリンターを介した規制はデジタル社会が本格的に定着したあとのことなので、検察側も新たな判例をつくらなくてはいけない。3Dプリンター問題ではこれで拳銃をプリントした大学職員が2014年に銃刀法違反で逮捕されている。こうした新たな犯罪の解釈に関してはガイドラインを作らねばならないためことさら神経質になっているともいえるだろう。ろくでなし子はそこにひっかかったのである。
よって、「日本で差別されている女性器のイメージを明るく開放したかった」というろくでなし子側の主張も、検察から見たとき明るいか暗いかというイメージの問題ではないはずなのだ。
3Dスキャンするろくでなし子。
マンボートとろくでなし子。
最初の逮捕があって数か月後、今度はアダルトショップに性器から型取りしたオブジェを展示したところわいせつ物陳列罪で2度目の逮捕を受けている。
現行の官憲側ボーダーは「性器を複製しているかどうか」にあるため。赤瀬川千円札裁判時の判決内容のように、「たとえ芸術であったとしても刑法の範囲内のものである」と解釈すればどうだろう。芸術的であることは刑の軽減には役立つかもしれないが、現行刑法上、本質的判断の基準にはなりえないというのが官憲側の見解だろう。
よって、本質的問題は日本における刑法175条そのものの質となる。明治5年東京府の「違式註違条例」で始まり、40年に制定された現行刑法典第175条、この法規自体がいまの時代にもはや適合できにくいのではないのか?
いったん海外に目を移したとき、芸術では「フェミニズムアート」の文脈で次のようなことが起きている。ジュディ・シカゴは女性器を皿に盛り円卓上に並べた「Dinner Party(1979)」を制作発表し、この作品はフェミニズム美術史の重要な一点とされている。また、昨年のヴェネチア・ビエンナーレで英国代表となったサラ・ルーカスは型取りした人体の女性器に本物のタバコを突き立てるインスタレーションを発表している。あるいはまた、「週刊ポスト」「週刊現代」は男性作家だがジェイミー・マッカートニーの18歳以上の女性器型取りを並列した作品の写真を掲載したとして警視庁から注意を受けているが、英国ではむろんおとがめなしである(2012)。
ジュディ・シカゴ
"Dinner Party", 1979
インスタレーション。女性器には歴史上の著名人の名が付されている。
ジェイミー・マッカートニーのロンドンでの展示
「The Great Wall of Vagina」(2011)
しかし、こんなこともある。1988年まで公開されず、かのジャック・ラカンが所有していたとされるパリ、オルセー美術館のクールベ「世界の起源」(*2013年には切り離されたという頭部が出てきて大騒ぎとなった。真贋はいまだに決定せず)のまえで女性器をM字開脚でさらしたルクセンブルクの女性アーティスト、デボラ・ド・ロベルティはパリ市警に即座に逮捕されている(2014年5月)。「性器を描いた絵は芸術で本物はわいせつなのか」といった抗議だった。ついこの間もマネのオランピア前で全裸になり再び逮捕されている。概してフランスはこうした現代美術系の発表にかたくなな感じがする。アート行為であっても性器露出は公然わいせつ罪はまぬがれないといった解釈だ。だが、それにしても量刑は軽くすぐに釈放されているのだ。国によって基準が異なるのは無論だが、アートにおいて、性器を間接的に表現する場合はほとんどの先進国で寛容なのは一定の事実であろう。鑑みて、ろくでなし子の作品は型取り、もしくはデータスキャンであったとしても間接的表現といえる。その点で実体的性器を開陳する作品に比し、芸術性は高いと考えられよう。微妙だが現行の175条は芸術表現の場合、かなり緩やかに対処するように解釈を変更すべきではないのか? 5月9日に地裁で第一審判決が下るが、検察側の論告求刑では罰金80万円を求刑されている。 なおいっそうの減刑を期待したい。(敬称略)
パリ、オルセー美術館のクールベ「世界の起源」のまえで女性器をM字開脚でさらしたルクセンブルクの女性アーティスト、デボラ・ド・ロベルティ。2014年5月。
(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。本年2月、「林先生が驚く初耳学」(TBS系列)でゲストコメンテーターとして出演した 。
●今日のお勧め作品は、五味彬です。
五味彬
「SEnBa 05 仙葉由季」
1991 printed in 2009
Gelatin Silver Print
40.0x30.3cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
性におおらかだったはずの国のろくでなし子
昨年、永青文庫で春画展が開催されたが、20万人を超える観客が訪れた。その後京都・細見美術館へ巡回した。細川元首相が音頭取りしたこの展示、つつがなく会期を終了、図録の販売も無事であったかにみえる。だが、警察は会期前、永青文庫に対し「このまま公開すれば犯罪を構成する」と注意していたし、週刊誌ジャーナリズムに図版を掲載しないように指導し、「週刊文春」に至っては北斎、歌麿らの図版を掲載した編集長が謹慎処分になるという一幕もあった。警視庁が、8~9月に口頭指導を行ったのは、「週刊ポスト」(小学館)、「週刊現代」(講談社)、「週刊大衆」(双葉社)、「週刊アサヒ芸能」(徳間書店)の4誌である。最高裁・昭和48年4月12日判決〈国貞事件〉では春画は「わいせつ図画」に当たるとの見解だった。(*有光書房から江戸の春画や好色本を刊行。1960(昭和35)年より「艶本研究叢書」全13巻の刊行開始。その第1巻の林美一著「国貞」の特製本600部が、翌61年にわいせつ文書として摘発された)。春画展は大英博物館(ことにティム・クラーク英国側キュレーターの尽力が大きい)の後ろ盾があるため摘発には踏み切れないが現在でも真っ白というわけではなさそうだ。
春画展(永青文庫)。2015
撮影:筆者
春画展内覧会での細川護熙永青文庫理事長。2015
撮影:筆者
春画展内覧会でのティム・クラーク。2015
撮影:筆者
明治期にイギリスの特派員が横浜にきた際、夏には庭先や玄関横で婦女子が行水を平気で行い、立小便などを見、外国人は倫理がないと日本を非難した。慌てた行政は早くも明治4年~5年に自治体単位で規制に入り、その後、鹿鳴館など国策欧化政策をとる。近年に入りヒッピー文化の感覚の解放やマルチカルチュアリズムを経て、西欧芸術が逆に性表現において日本化・アジア化していったのかもしれない。ポップ以降の民主化現象のひとつだ。
日本は江戸から大衆的だったので、ある意味、西欧に進んだ民衆中心の場だったかもしれないのである。表象文化的なアップサイドダウンが生じている。しかし、何人がそのことに気付いているのか?
今日的なジェンダースタディを行い身体論が専門である、平山満紀・明治大学准教授によれば、欧米人が特に驚いたのは、日本人が裸体や性について、羞恥心や罪悪感をまったく持っていなかったことだ。ペリー艦隊に珍しがって集まってくる人たちが、からかって大笑いしながら春画をそのボートに投げ込んでみたり、岸から性的な冗談を叫んだり、女性が着物をまくりあげたりもするので、ペリー一行はなんて野蛮なところだとショックを受けたという。
また、人々は路地で裸体をさらして行水をし、男女混浴の銭湯に平気で入るので、アダムとイブが追放される以前の楽園かなどといわれた。大人も子供も性的な冗談をいっては屈託なく笑ったり、女たちもまったく悪びれずに春画を見て楽しんでいること、遊女が蔑(さげす)まれていないことも、多くの西洋人が驚きをもって書き留めている。
歌川豊国「Woman Bathing Under Flowers」
1812
ボストン美術館蔵
フェリーチェ・ベアト「髪を梳く女性」
(1863年~1877年頃)
着色写真。ベアトは横浜に住み、高級娼婦、芸者、日常風景などを写真におさめた。
「ペリー提督日本遠征記」(1856年)より「下田の公衆浴場の図」
このあたりは慶応年間に来日した五姓田義松、高橋由一、山本芳翠の師、チャールズ・ワーグマンやフェリーチェ・ベアト、ジョルジュ・ビゴーが残したスケッチや写真、談話を見ても確認できるだろう。高浜虚子も「行水の女に惚れる烏かな」(明治38年)という俳句を残しており、明治・大正まで無防備な行水が普通に行われたばかりか、通常の美意識ですらあったことがわかる。混浴は現在でも各地の温泉場で行われているだろう。
また、日本神話の開放的な性もあり、各地に残る信仰の対象としての道祖神やご神体が男女性器といったことは、古くから親しまれてもきた。
ひとつには日本が早急に国民国家を立ち上げ天皇を父とする国家家父長制、一夫一婦制を強化したのも欧米列強から野蛮国と見られたくなかったための政策だったこともある。いまひとつは官と庶民の道徳観の分離もあっただろう。(*江戸時代でも公の場では不道徳は必要以上に規制されている。たとえば姦通罪は重罪であった。)
現在でも日本はダブルスタンダードを敷いている。遊郭の伝統を引く性産業、性具を扱う店舗はいまでも大半がおとがめなしだ。また、性の最前線の問題としては肥大化したAV産業界の一件もあるだろう。ある統計によればすでに15万人がAV嬢になったという(*「週刊ポスト」2011年12月23日号)。これは19歳から55歳の日本女性の200人に1人が経験者ということだ。この数値は年々累積されつつある。「高校のクラスのうち目立つ3人がやがて経験している」とのAV関係者によるトンデモ統計すら存在する。
AV業界の中枢におけるわいせつ罪摘発では、2008年に性器のモザイク処理が薄いというので珍しくビデ倫が罪に問われている。
この連載の第4回でも述べたが、行為芸術における性器露出を伴うアート表現は60年代はむろん、今でも数多く存在している。AVの分野でいえば、高度資本主義化によりただのわいせつというよりは、アイデアを駆使し表現に類するレベルにまで突入している。たとえばソフト・オン・デマンド「人類史上初!!超ヤリまくり!イキまくり!500人SEX!!」などの商品がそれにあたる。250人ずつの男女がまぐわうといった、いわゆる企画ものだが、同様の方法を採用したといわれる写真作品がある。
第8回キャノン写真新世紀で荒木経惟選・優秀賞を受賞した大橋仁は、2012年「そこにすわろうとおもう」という写真集を刊行しているがその内容が300人の男女がスタジオや野外でセックスする集合写真なのだ。モデルの数はとてつもなく多い。ヘアは露出しているものの性器結合はしかとは確認できない。しかし本作は写真芸術上の快挙であろう。
大橋仁「そこにすわろうとおもう」より。
2012
また、ネット社会はわいせつの基準が異なる海外から無料で無修正画像を平気で配信してしまう現状も一方ではある。これを岡田寿弁護士は現行法規ではネットという「物的インフラ全体をわいせつ物だとする」(「エロスと「わいせつ」のあいだ 表現と規制の戦後攻防史」岡田寿、臺宏士・著 2016年 朝日新聞出版刊(朝日新書) p244を参照)ことも可能だと語った。この点を規制しようとはせずに見て見ぬふりだ(*法律が違うエリアからのものなので規制が難しいのもある)。つまりわが国は本音(事実)と建前(世間体)とに激しく分裂している状況ともいえようか。
日本でのわいせつ罪全般の摘発は平成24年度23116件と頻出しているが、このような状況下での今日のわいせつ概念を新たに考察せねばならない。
当然、いったん芸術の領域に入ればエロスはギリシア・ローマ時代より美のカノンとして存在している。もちろん、人類が芸術作品の制作をはじめた太古より性や裸体は様々な意味性を帯びて存在してきたのはジョルジュ・バタイユ「エロティシズム」「エロティシズムの歴史」を紐解くまでもない。
さて、今注目の話題として、珍しく女性でこうした一件に巻き込まれた、ろくでなし子事件があるので、それに関し考えてみたい。
この問題の核はわいせつ電磁記録・記録媒体頒布罪、わいせつ電磁的記録等送信頒布罪だろう。配信されたろくでなし子の性器データはわいせつか否か、が問われている。データと3Dプリンターを介した規制はデジタル社会が本格的に定着したあとのことなので、検察側も新たな判例をつくらなくてはいけない。3Dプリンター問題ではこれで拳銃をプリントした大学職員が2014年に銃刀法違反で逮捕されている。こうした新たな犯罪の解釈に関してはガイドラインを作らねばならないためことさら神経質になっているともいえるだろう。ろくでなし子はそこにひっかかったのである。
よって、「日本で差別されている女性器のイメージを明るく開放したかった」というろくでなし子側の主張も、検察から見たとき明るいか暗いかというイメージの問題ではないはずなのだ。
3Dスキャンするろくでなし子。
マンボートとろくでなし子。最初の逮捕があって数か月後、今度はアダルトショップに性器から型取りしたオブジェを展示したところわいせつ物陳列罪で2度目の逮捕を受けている。
現行の官憲側ボーダーは「性器を複製しているかどうか」にあるため。赤瀬川千円札裁判時の判決内容のように、「たとえ芸術であったとしても刑法の範囲内のものである」と解釈すればどうだろう。芸術的であることは刑の軽減には役立つかもしれないが、現行刑法上、本質的判断の基準にはなりえないというのが官憲側の見解だろう。
よって、本質的問題は日本における刑法175条そのものの質となる。明治5年東京府の「違式註違条例」で始まり、40年に制定された現行刑法典第175条、この法規自体がいまの時代にもはや適合できにくいのではないのか?
いったん海外に目を移したとき、芸術では「フェミニズムアート」の文脈で次のようなことが起きている。ジュディ・シカゴは女性器を皿に盛り円卓上に並べた「Dinner Party(1979)」を制作発表し、この作品はフェミニズム美術史の重要な一点とされている。また、昨年のヴェネチア・ビエンナーレで英国代表となったサラ・ルーカスは型取りした人体の女性器に本物のタバコを突き立てるインスタレーションを発表している。あるいはまた、「週刊ポスト」「週刊現代」は男性作家だがジェイミー・マッカートニーの18歳以上の女性器型取りを並列した作品の写真を掲載したとして警視庁から注意を受けているが、英国ではむろんおとがめなしである(2012)。
ジュディ・シカゴ"Dinner Party", 1979
インスタレーション。女性器には歴史上の著名人の名が付されている。
ジェイミー・マッカートニーのロンドンでの展示 「The Great Wall of Vagina」(2011)
しかし、こんなこともある。1988年まで公開されず、かのジャック・ラカンが所有していたとされるパリ、オルセー美術館のクールベ「世界の起源」(*2013年には切り離されたという頭部が出てきて大騒ぎとなった。真贋はいまだに決定せず)のまえで女性器をM字開脚でさらしたルクセンブルクの女性アーティスト、デボラ・ド・ロベルティはパリ市警に即座に逮捕されている(2014年5月)。「性器を描いた絵は芸術で本物はわいせつなのか」といった抗議だった。ついこの間もマネのオランピア前で全裸になり再び逮捕されている。概してフランスはこうした現代美術系の発表にかたくなな感じがする。アート行為であっても性器露出は公然わいせつ罪はまぬがれないといった解釈だ。だが、それにしても量刑は軽くすぐに釈放されているのだ。国によって基準が異なるのは無論だが、アートにおいて、性器を間接的に表現する場合はほとんどの先進国で寛容なのは一定の事実であろう。鑑みて、ろくでなし子の作品は型取り、もしくはデータスキャンであったとしても間接的表現といえる。その点で実体的性器を開陳する作品に比し、芸術性は高いと考えられよう。微妙だが現行の175条は芸術表現の場合、かなり緩やかに対処するように解釈を変更すべきではないのか? 5月9日に地裁で第一審判決が下るが、検察側の論告求刑では罰金80万円を求刑されている。 なおいっそうの減刑を期待したい。(敬称略)
パリ、オルセー美術館のクールベ「世界の起源」のまえで女性器をM字開脚でさらしたルクセンブルクの女性アーティスト、デボラ・ド・ロベルティ。2014年5月。(もりした たいすけ)
●森下泰輔「戦後・現代美術事件簿」
第1回/犯罪者同盟からはじまった
第2回/模型千円札事件
第3回/泡沫芸術家の選挙戦
第4回/小山哲男、ちだ・ういの暴走
第5回/草間彌生・築地署連行事件
第6回/記憶の中の天皇制
第7回/ヘアヌード解禁前夜「Yellows」と「サンタ・フェ」
第8回/アンディ・ウォーホル来日と“謎の女”安斎慶子
第9回/性におおらかだったはずの国のろくでなし子
第10回/黒川紀章・アスベストまみれの世界遺産“候補”建築
■森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。'80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディア・アート美術館ZKMに収蔵。'90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。個展は、2011年「濃霧 The dense fog」Art Lab AKIBAなど。Art Lab Group 運営委員。2014年、伊藤忠青山アートスクエアの森美術館連動企画「アンディ・ウォーホル・インスパイア展」でウォーホルに関するトークを行った。本年2月、「林先生が驚く初耳学」(TBS系列)でゲストコメンテーターとして出演した 。
●今日のお勧め作品は、五味彬です。
五味彬「SEnBa 05 仙葉由季」
1991 printed in 2009
Gelatin Silver Print
40.0x30.3cm
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆森下泰輔のエッセイ「 戦後・現代美術事件簿」は毎月18日の更新です。
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