今春3月に第1回展を開催した「アートブックラウンジ」の第2回展を本日より開催します。

同時に開催する「ここから熊本へ~地震被災者支援展には画廊コレクションから100点を提供していますが、おかげさまでたくさんの方から事前申込み(予約)をいただいています。
いただいた作品申込みメールには必ずその日のうちに返信メール(予約確認)を差し上げています。
もしこちらからの予約確認メールが届いていない場合は、スパムメールとしてはじかれてしまった可能性があります。恐縮ですが、再度メールの送信をお願いいたします。
熊本地震はいまなお止まず、私たちの予期した以上に皆さんからの支援のお申し込みが多く、集計及び抽選作業に今日一杯かかりそうです。
結果のお知らせは明日以降になります。
モンドリアン本棚
アートブック・ラウンジVol.2~画廊のしごと(南画廊のカタログ)
会期:2016年6月14日[火]~6月25日[土]
*日曜、月曜、祝日は休廊
同時開催:ここから熊本へ~地震被災者支援展

本展覧会のテーマは画廊のしごと(カタログ)です。

画廊の仕事の第一は作品の売買です。
美術作品を仕入れ、それに見合う値段付けをし、顧客に売る。
売るためにはさまざまな営業努力が必要です。
売ろうとしている作家の「展覧会を企画」し、出品作品を記録し、広く世界に知ってもらうために「カタログを製作」するのも重要な仕事のひとつです。
もちろんそんなめんどうなことはしない(カタログもつくらない)画廊さんの方が圧倒的です。
また作ったとしてもその費用はだいたいが作家の負担です。

戦後の現代美術を語るうえで東京画廊と並び欠かすことのできない南画廊は、1956(昭和31)年6月に志水楠男さんによって設立されました。最初の展覧会は「駒井哲郎銅版画個展」でした。1979年3月の志水さんの死去を経て、同年11月末に閉廊し、23年余にわたるギャラリー活動の幕を閉じました。
南画廊で1956年から1979年に開催された展覧会は199回にのぼります。そのほとんどを自ら企画し手がけた志水さんはカタログの製作にも情熱をもって取り組みました。
もちろん費用は自腹(画廊の負担)でした。
19560618南画廊(駒井哲郎展)南画廊の最初の展覧会「駒井哲郎銅版画個展」の案内状(画面をクリックしてください)
開廊記念展には「現代日本美術のパイオニアは誰か」と考えた末に、当時、銅版画家として清冽な作品を制作していた新人駒井哲郎を選んだ。>(『志水楠男と南画廊』所収の年譜より)
駒井哲郎と南画廊についてはコチラをお読みください。

志水楠男(1926~1979)さんは1944年自由学園高等科を中退、翌年応召。戦後の1948年数寄屋橋画廊につとめ、1950年に山本孝さんと東京画廊を設立、翌年独立して日本橋に南画廊を開設しました。1959年今や伝説となった「フォートリエ展」を開催するなど、サム・フランシスジャスパー・ジョーンズらの海外の前衛美術を積極的に将来し、52歳の若さで急逝するまで、山口長男オノサト・トシノブら多くの日本作家の海外紹介につとめました。

今回の「アートブック・ラウンジVol.2」では、南画廊で開催された199回の展覧会から、約50冊のカタログをご紹介します

亭主が南画廊の志水さんを知ったのは1974年からですから、南画廊の展覧会を実際に見ているのは5年ほどに過ぎません。もっとも社長は既に学生時代に恩師久保貞次郎先生に連れられて南画廊に行っているので、亭主より10年はキャリアが長い。
それにしても弱輩の私たちがなぜ南画廊の初期からのカタログをたくさん(展覧会をするほどに)持っているのか言いますと、ソースは二つあります。
ひとつはもともと私たちの手元に南画廊のカタログが大量にありました。志水さんがお亡くなりになり画廊の整理が一段落された後、ご遺族から電話をいただきました。
「父がつくったカタログが大量に残っているのだけれど、版画センターで使ってくれるかしら。」
お宅に伺いバンにぎゅうぎゅうに積め込んだ南画廊のカタログは現代版画センターが倒産するまで倉庫にうずたかく積んでありました。当時の機関誌(版画センターニュース)をひもとくとしょっちゅう「南画廊のカタログセール」を開催しています。
1969年の荒川修作展、1970年瀧口修造「手づくり諺」展、1975年河口龍夫展、1976年清水九兵衛展、1978年保田春彦展などのカタログはいずれも300円(安い!)。いまや古書価が2万円もする1964年のヴォルス展(限定1500部)ですら2,000円で頒布しています。
(画面をクリックしてください、拡大されます。)
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『Ed.103号』54~55ページ(1984年9月1日 現代版画センター)

もうひとつのソースは久保貞次郎先生の旧蔵になるものです。久保先生の広大な本宅(現在は久保記念観光文化交流館として保存されています)は栃木県真岡にあり、母屋に洋館に蔵が三つか四つ。いくらでも保管場所はあり、本でも案内状でも何でもとってありました。
南画廊からのカタログもそのまま保存されていました。社長が教え子だったこともあり、その多くを私どもが引き受け倉庫に眠っています。問題はダンボールの山から薄っぺらいカタログを探し出すのが難しい。
今回、全部のストックを出品できなかったことをご理解ください。
また出品する南画廊カタログのリストをホームページに公開しないのかとのお問合せもいただきましたが、ただいま作成中でして、会期中には何とか・・・・・(汗)。

以下の二冊は、南画廊の歴史をたどる上で重要な文献ですが、これも今回頒布します。
●『志水楠男と南画廊』
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『志水楠男と南画廊』
1985年
発行:「志水楠男と南画廊」刊行会
27×26.5cm 251ページ
執筆:大岡信、志水楠男、難波田龍起、今井俊満、小野忠弘、木村賢太郎、加納光於、オノサト・トシノブ、菊畑茂久馬、宇佐美圭司、野崎一良、靉嘔、中西夏之、清水九兵衛、飯田善國、戸村浩、菅井汲、保田春彦、桑原盛行、他

*志水さん没後、ご遺族によって刊行された南画廊の全記録。現代美術史の最も重要な基本文献です。

オノサトトシノブ2
1974年(昭和49)9月6日
デンマークのルイジアナ美術館「Japan pa Louisiana」展オープニング準備中スナップ
左より、関根伸夫、志水楠男、篠田守男
壁面にはオノサト・トシノブ作品
『志水楠男と南画廊』(1985年 同刊行会)147ページより


●『ONOSATO』
オノサト・トシノブの生前刊行された唯一の作品集。ベニス・ビエンナーレにもって行くために英文併記でつくられた。
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ONOSATO
1964年
発行:南画廊 
発売:美術出版社
30.2×21cm
44ページ(カラー図版14点、モノクロ図版4点)
執筆:オノサト・トシノブ、久保貞次郎、瀧口修造

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◆ときの忘れものは、6月14日[火]から「第2回アートブック・ラウンジ~画廊のしごと(南画廊のカタログ)」を開催します。
モンドリアン本棚「第2回アートブック・ラウンジ~画廊のしごと(南画廊のカタログ)」
会期:2016年6月14日[火]~6月25日[土]
*日曜、月曜、祝日は休廊
志水楠男が設立した南画廊が1956年から79年に開催した199回の展覧会から、1959年の今や伝説となったフォートリエ展はじめ、ヤング・セブン展、中西夏之展、サム・フランシス展などのカタログ50冊を頒布します。南画廊の作家たちー靉嘔、オノサト・トシノブ、駒井哲郎、菅井汲、嶋田しづ、山口勝弘、山口長男、難波田龍起、加納光於の作品を展示し、1968年10月南画廊で刊行記念展が開催された瀧口修造『マルセル・デュシャン語録』(M・デュシャン、荒川修作、J・ジョーンズ、J・ティンゲリー)の完璧な保存状態のA版も出品します。

同時開催:ここから熊本へ~地震被災者支援展
201606kumamoto画廊コレクションより100点を出品、特別価格8,000円で頒布し、売上は全額を被災地に送金します。
右上から時計周りに馬場檮男、小田襄、辰野登恵子、中村ちとせ、高橋秀、一原有徳、彼末宏、池田龍雄、真ん中はジョアン・ミロ。
他に、靉嘔、粟津潔、石山修武、出水徹、磯崎新、井上公三、宇佐美圭司、瑛九、大矢雅章、大橋成行、小野忠重、オノサト・トシノブ、北川民次、北郷悟、木原いずみ、駒井哲郎、黒崎彰、菅井汲、谷川晃一、丹阿弥丹波子、利根山光人、殿敷侃、富田有紀子、戸村茂樹、中林忠良、野田哲也、野中光正、野見山暁治、林孝彦、原陽子、日和崎尊夫、深沢史朗、舟越保武、宮脇愛子、元永定正、横尾忠則、吉原英雄、アンディ・ウォーホル、マルク・シャガール、ラブルールなど多数出品します。
全100点の画像はコチラをクリックしてください