小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第6回

キノコ採り 01

 前回まで数回に渡ってキツネに化かされた話を書きましたが、先日、ある書籍を読んでいると、同じくキツネに化かされる話がでてきて、それによると、キツネに化かされることが多いのは山と人間が暮らす境界あたりとあり、かつてKが怖気付いて動けなくなったのは、まさにそんな地点に当たるので、彼のおじいさんが言っていた話はまんざら嘘ではなかった、いや、本当に違いないと改めて思うのでした。

 その法則に沿うならば、これから書こうと思っている話は完全にキツネの領域ということになるのだろうか。
 毎年9月の声を聞くと、父と祖父は狂ったように(まさにその表現がふさわしい)、キノコを採るために山に頻繁に入った。父は毎週日曜日のことで、すでに国鉄を定年退職した祖父は平日に一人で行くことも多かった。
 改めて振り返ってみれば、父と祖父はそれほどキノコを食べたかったのだろうか、という気もする。ただ、祖父がまだ若く父が子供だった時代は、自給自足に近かったはずで、食糧事情はかなり切実だったはずだ。私が子供の頃も、秋に採ったキノコを必ず酢漬けにし、正月明けまで食べていたから、もっと前の時代には、キノコもまたなくてはなら食糧のひとつだったのだろう。
 とはいえ、採るキノコの種類はたった3つ。そう決まっていた。父も祖父も、おそらく近所のおじさんたちも、それ以外は絶対に採らなかったし、口にしなかった。山にはもっと食べられるキノコが確実に存在しているはずだというのに。でも、新たに情報を得て、採る種類を増やすという発想は誰の頭にもなかった。
 私は子供なりにその理由がわかっていた。万が一、毒キノコを誤って食べて、中毒を起こすことを誰もが極度に恐れていたからだ。その認識だけは子供の私にも明確にあった。
 一度だけ祖父に聞いたことがある。どうして、それだけしか採らないし、食べないのかと。
「どういうだかは知らん。昔からそう決まってるだで、同じもんをただ食べるだ」
 こうして文字にしてみれば、明らかに「思考停止」しているといえなくもない。創造も発展もない。でも、「思考停止」は明らかにリスクを背負わなくてすむ。これは無言のうちの「掟」かもしれない。きっと「掟」は、ときに思考を停止させるためにある。
 ジコボウ、チョコダケ、クリタケ。
 この3つしか採らないし、食べない。徹底している。
 ジコボウは大きめのキノコで全体が焦茶色をしていて、傘と軸にかなりヌメリがあり、傘の裏はスポンジ状になっている。松茸の倍ほどに大きくなることもある。株で生えることはなく、独立して一本で生えているが、身が崩れやく、時期を逃して採るとボロボロと崩れる。味噌汁に入れると、なめこ汁のようで、私は喉をいく感触が好きだった。
 チョコダケは真っ白でおチョコのように傘が逆三角形をしている。雨が降ると実際に水がたまったりもする。地元の方言でコウモリ傘が風であおられて、上を向いてしまうことを「チョコになる」というのだが、もしかしたら語源はそこから来ているのかもしれない。味はあっさりしている。
 クリタケはその名の通り、栗の倒木などに寄生するキノコだ。傘の部分が茶色で、シメジのように株で群生して生えることが多い。ヌメリはなく、味は淡白だ。
 ただ地元の呼ばれ方なので、それぞれのキノコの学名などと一致するのかは私は知らない。

re  no newkks k_KIS2353_小林紀晴
「shika no hashiri」
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Ed.20


 ある日、夕方になっても祖父が帰ってこなかった。一人でキノコ採りに西の山に入った日のことだ。
 西の山はあまりに広大で沢が多く、どのあたりに祖父がいるのかは誰にもわからない。やがて、太陽はその方向に沈んだ。日が暮れる頃まで山に入ったままというのは、常識では考えられない。明るいうちに山を下ることは子供でも頭に入っている。だから、祖父に何かしらの不測の事態が起きているとは幼い私にも十分理解でできた。もしかしたら、すでに不吉なことが起きてしまった後なのか、とさえ考え始めた。さまざまな思いが胸の内にヒシヒシとやってきた。
 祖母は、
「困ったよう・・・・」
 と呟いた。
 母は無言だった。父はまだ仕事から戻っていなかった。
こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

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20160819_kobayashi_10_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より2
1995年
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