小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第8回

キノコ採り 03

いま考えれば、不思議な気持ちに、さらにちょっと信じられない気もするのだが、小学生の頃、毎年秋に「キノコ遠足」というものが存在した。
 祖父が車の鍵をなくした同じ山の中腹にある池を目指して、全学年で遠足に行き、池のほとりで班ごとに「キノコ汁」をつくるのだ。それをおかずに、おにぎりを食べるという実にシンプルなものだ。私は毎年とても楽しみにしていた。
 学校には年季の入った専用の巨大な鍋がいくつもあり、底がボコボコで真っ黒だった。山で枯れ枝を拾って火を焚き、鍋で「きのこ汁」をつくるのだ。6年生が鍋を背中に背負う係と決まっていた。後ろから見ると亀を連想させた。
 信じられない気がするというのは、キノコ汁に入れるキノコを学校から目的地の池へ行くあいだいに子供たちが山で採りながら向かったことだ。キノコを採るとなると本来の道から当然それることになる。そうしなければ採れない。
 そもそもの道も、人が一人通れるだけのけもの道に毛が生えた程度の道なのだから相当に迷いやすい。そこから藪に入ってキノコを採る。誰もが山中でチリチリになってしまうことは必至だ。低学年はともかく、3、4年生くらいか勝手にそうしながら、池にむかって山中を歩いた。
 先生の方がよっぽど山を知らないと子供心に私は思っていた。先生たちは同じ諏訪の中でも諏訪湖に近い町の出身者が多く、山が身近ではなかった。キノコにも詳しくない。
 先生がキノコを採っていた記憶はない。誰かが迷って、たどり着かなかったという話も聞いたことがない。子供たちもそれなりに山に詳しかったということだろう。徒歩で2、3時間の道のりだ。

 6年生のとき、遠足の途中の山中でキノコを採ることが急に禁止された。「親が採ったキノコを家から持ってきてください、遠足の途中で採ってはいけません」ということになった。
 私はかなり不服だった。どれだけ自分が多く採れるか、それを鍋にいれられるかが張り合いだったし、腕の見せどころだったからだ。
 もしかしたら、新興住宅地の子が増えてきたことと関係があったのかもしれない。地区の一角に山を切り崩してできた建売の宅地できて、そこから通ってくる子は基本的に外から来た転校生だったので、山に慣れていなかったし、キノコのことも知らなかった。その親たちも当然知らなかっただろう。
 それでも、家からキノコを持って来いとなると、遠足のためにキノコを用意しなくてはならない。新興住宅地の親はどうやって、キノコを準備したのだろうか。大変なことだ。すべての親が山で採れるはずがない。キノコはどこにでも生えているわけではなく、それなりに山に詳しくなければ採れないからだ。だからといって、代わりに椎茸やシメジをスーパーで買って持っていくわけにもいかない。どうやって調達したのだろうか。
 キノコ汁は最後に味噌を入れて仕上げる。味噌汁の延長みたいなものだから子供でも簡単に作れる。汁はねっとりとしている。ジコボウの表面についたネバネバが汁全体にまわっていくからだ。それが喉をゆく感じが私は好きだった。
 
 遠足の帰り道はキノコ狩りとなる。こちらは禁止されなかった。途中まで列になって先生に引率される形で歩くのだが、途中からひとりふたりと藪のなかに消えていく。先生もそのことをわかっていながら、何も口にしない。誰もがキノコを採りたい気持ちをずっと抑えていたのがわかる。
 私もすっと藪にまぎれる。もう先生が呼び止められないところまで、走るように進む。誰もまだ足を踏み入れていない奥へ、無数の枝と葉をかき分け、泳ぐように進む。
 葉と枝が身体に当たる音がまさっていく。自分の息の音が大きく響く。振り向いてみる。誰の姿もない。ずっと前から、ここにひとりでいたような気持ちになる。戻ろうかと一瞬思う。でも、キノコを採りたい、一つでも多く採りたいという気持ちがそれを打ち消す。これは本能か。
 祖父もまたそれに突き動かされたから、車の鍵をなくしてしまったのか。もし祖父のように日が落ちるまで山から抜け出せなかったら、どうしたらいいのだろうか。急に怖くなる。それでも私は奥へ、キノコが群生し、まだ誰も手を触れていない場所を求めて、走るように進む。

小林紀晴Winter06小林紀晴
「Winter 06」
2014年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160719_kobayashi_07_work小林紀晴
〈ASIA ROAD〉より1
1995年
ヴィンテージC-print
Image size: 18.6x27.9cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


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