夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」
第十回◇映像の悦楽、映画の日々-『シベールの日曜日』から実験映画まで
若き時代の「映画の日々」が懐かしい。映画にのめりこんでいたのは、大学時代。東京・池袋のはずれにある3畳一間の貧乏下宿で、東大安田講堂の陥落や新宿騒乱、反戦デモなど時代の熱いうねりを肌で感じながら、引きこもりがちの生活を送っていた。暗いジャズ喫茶の片隅や部屋で一人、岩波文庫を片っ端から濫読し、「心地よい青春」を世捨て人のように放棄していた時代。読書にあきると池袋文芸坐地下や映画のイベント、京橋フィルムセンターなどをはしごして一日五本の映画を観ることも。当時のメモを見ると、年間350本以上も映画を観ていた。当時入手した京橋フィルムセンターの冊子を見ると、フランスやイタリア、ドイツ、イギリス、スウェーデン、アメリカなどの古典的な映画からヌーヴェルバーグなど幅広く系統的に映画を観ていたことが思い出される。映像という虚構の世界にどっぷり漬かった暗い青春時代、未知の世界を照らし出す映画というファンタスマゴリー(幻燈装置)が道標だった。この早すぎる隠遁の時期は「fuga mundi 世俗世界からの逃避」(『パリ、貧困と街路の詩学』今橋映子 1998年 都市出版)であった。
写真<1>
学生時代に通った京橋フィルムセンターの当時の特集映画カタログ
人それぞれに運命の女ファムファタールとの出会いのような映画との遭遇があるかもしれない。『シベールの日曜日』(セルジュ・ブールギニョン監督 1962年 フランス映画)は若き日の筆者にとって、そういう映画だった。ベトナム戦争時、戦闘機のパイロットだったピエール(ハーディ・クリューガー)が事故で記憶を失う。復員してパリ郊外のヴィル・ダブレーで暮らしていたある日、親に強制的に寄宿学校に入れられようとしていた少女フランソワーズ(パトリシア・ゴッジ)と駅で出会う。記憶を失い少年のような心を持つ31歳のピエールと親に捨てられた12歳の少女との交流が始まり毎週日曜日、ヴィル・ダブレーの美しい湖畔を散歩する。純真な少年と少女のような逢瀬を見て、住民があらぬ噂をたてる。心配になった同棲中の看護師マドレーヌがこっそり二人の様子をうかがうが、二人のほほえましい交流を見て杞憂だったことがわかる。悲劇はピエールとフランソワーズが森の小屋で二人だけのクリスマスパーティをしようとした際に起こる。何度この映画を観たことだろうか。映像詩と言ってもよいモノクロの美しい映像と少年の心を持った男と少女との純愛。背景にある戦争の傷跡と、ふたりの「純愛」を異常と切り捨てる現実の汚れた常識にまみれた大人たちが、二人を悲劇のクリスマスへと追いやっていく。当時、放映された吹き替え版の録画ビデオを持っていて大切に保管していたが、知り合いの画家に貸したところビデオが行方不明になってしまった苦い記憶がある。その後、絶版になっていたビデオを入手したほか、ドイツ版や字幕入りの日本版などいろいろなバージョンを集めた。つい数年前、ブルーレイ版が出たが、なぜか買い逃してしまったのが悔やまれる。当時観た時にあった最後のシーンの一部がカットされていたのが気になったからかもしれない。今ではプレミアムがついて手が出ない。ビデオやDVD版をチェックしたところやはり記憶に残っていたインパクトのある印象的なシーンが削除されていた。この映画の完全版は今や映画館で観た記憶の中にしか残っていないのが残念だ。
写真<2>
映画『シベールの日曜日』から。ベトナム戦争中に記憶を失った男ピエールを演じたハーディ・クリューガー(左)とシベール(フランソワーズ)役のパトリシア・ゴッジ
写真<3>
映画『シベールの日曜日』のビデオ、ドイツ版と日本語版のDVDとパンフレットなど
写真<4>
パリの映画館ル・シャンポ。数年前、パリ在住中に『シベールの日曜日』が上映されていた。この映画をここで立て続けに五回見に行った記憶がある。
写真<5>
『シベールの日曜日』のロケ地ヴィル・ダブレー。美しい湖畔と森。ロケ地を訪れてつくづく実感したのは、ドラマは人がいて初めて成り立つという当たり前すぎることだった。ここがあの映画の舞台であったことは確かだが、空虚な風景はあの濃密なポエジーあふれる映画のシーンを再現することは決してない。「実在の町を一切が外見となった書割の町に変容させる魔術的視力」(『ボードレールの世界』―「覗く人 都会詩人の宿命」種村季弘 青土社 1976年)が必要なのかもしれない。強力な魔術的想像力が…。
いろいろな映画を観てきたが、やはり実験映画への愛着を語らないわけにはいかないだろう。なかでもアメリカの実験映画女性作家マヤ・デレン(1917-1961)抜きには実験映画は語れない。印象に残る作品は『午後の網目』(Meshes of the afternoon 1943)だ。モノクロームのシュルレアリスティックな映像が、迷路のような暗い夢の世界を紡ぎだす。当初、音楽はつけられていなかったが、のちに日本人の音楽家Teiji Itohが東洋的な不思議な音楽を添えている。マヤ・デレンは1953年に米国で行われた「詩と映画」についてのシンポジウムで「イメージは…作者の心の中から始まるのです。夢やモンタージュや詩のイメージは…<垂直的>なもので、論理的な行為ではありません…夢やモンタージュは事件の論理的な連続ではなく、普通の感情から成立している事実が寄せ集められてひとつの中心に導かれたものなのです」(『アメリカの実験映画』 アダムズ・シトニー編 1972年 フィルムアート社 石崎浩一郎訳)と述べている。『午後の網目』で見せた「反現実」としての夢が映画のイメージの発条装置として機能している。「この『反現実』こそ、まさに本物の現実であり、グノーシス派が『光の財宝』のただなかへの跳躍によって到達する現実である」(「魔術的芸術」アンドレ・ブルトン 河出書房新社 1997年 巖谷國士ほか訳)と言えよう。
写真<6>
アメリカの実験映画作家マヤ・デレン
写真<7>
マヤ・デレンの実験映画集のDVDと、カナダ・モントリオールの古書店で手に入れた珍しいマヤ・デレンの評論冊子『AN ANAGRAM OF IDEAS ON ART ,FORM AND FILM』(THE ALICAT BOOK SHOP PRESS ,NEW YORK 1946 写真上)
トロントのマニアックなDVD屋などで手に入れた実験映画のDVDを知人に観てもらおうと、2014年11月に当時住んでいた京都市内の京町屋で『実験映画の夕べ』を開催。 有名な『午後の網目』(Meshes of the afternoon 1943) をはじめとするアメリカの実験映画やマン・レイなどの珍しい映像を上映した。
写真<8>
『実験映画の夕べ』の番号入り限定10部で手作りしたパンフレット
写真<9>
『実験映画の夕べ』のパンフレットと上映タイトル
写真<10>
京都市内の京町屋で開催された『実験映画の夕べ』の様子。画家、デザイナー、マン・レイ研究家、古書店主、翻訳者らが集まった。
ドゥシャン・マカヴエィエフ監督(1932-)のカルト的な映画『SWEET MOVIE』(1974年製作のフランス・西ドイツ・カナダの合作映画)も、前衛的映画という面では興味深い作品のひとつだ。マカヴェイエフ監督は当時のユーゴスラビア出身で、1965年に『人間は鳥ではない』で劇場長編作品監督デビュー。以後前衛的な作品を手掛け、映画界に衝撃を与えてきた。中でも『SWEET MOVIE』はグロテスクで変態的で、かつ詩的、人間の中に抱える暗黒の情動の爆弾がさく裂するかのような映像が連続する。パリのエッフェル塔で伊達男が歌うシーンは深く印象に残る。人間の奥に潜む「悪」を歌いあげる『悪の歌』―。
「暴力が支配する世界
人々が苦しむのを見るのは楽しい
俺は生きるために死ぬ
この衝動を許してほしい
血の川 大虐殺
もっと欲しいと俺は叫ぶ
俺の心の太陽が輝く夜を祝おう
歴史を動かすような
野性の馬として俺は生きる
金色のたてがみ 宴を求め さまよう
剣をもってしても
馬を飼慣らすことはできない
あちこちで反乱 だから俺は歌う
俺の墓から馬が生まれる
神をも恐れぬ馬達が」(映画『SWEET MOVIE』より)
ストーリーらしいストーリーはなく、無関係で不気味な映像やシーンがコラージュされている。残酷で不毛な美しい愛の暗黒世界を描いた。映画タイトルの「スィート」とは程遠く、胆汁のような苦さが残るカルト映画の極北と言ってもよい作品だ。
写真<11>
カルト映画「SWEET MOVIE」のビデオやレコード、マカヴエィエフ監督の作品群の一部。映画音楽はギリシャ出身の作曲家マノス・ハジダキス(1925-)が担当している。
写真<12>
ロバート・フランクの映像集『FILM WORKS』(2016年)とロバート・フランクのレアDVD『チャパカア』(1999年)
つい最近、ロバート・フランク(1924-)の映像集『FILM WORKS』(2016年)とロバート・フランクのレア映画『チャパカア』(1999年 DVD)を入手した。 ロバート・フランクと言えば、写真集『アメリカン』("Les Americains" 1958年)など写真家として知られるが、映像作品も多く手掛けてきた。真っ白な木箱に収められた『FILM WORKS』は再発売だが、初版にない洒落たデザインのケースとなっている。『チャパカア』はドラッグにおぼれた男の悪夢と妄想が不思議な映像で脈絡なく展開する。随所にロバート・フランクらしい映像のイメージがちりばめられている。
写真<13>
実験映画やジョナス・メカス、ゴダール、ヴェンダースなど映画関係の本と、シュルレアリスム関係のビデオやDVDの一部。家ではDVDやブルーレイで映画を観ることがほとんどだが、往年のレーザーディスク(LD)も健在。タルコフスキー全作品とゴダールの映画や、DVD化されていない珍しい映画やドキュメンタリーはLDでしか観ることができない。最近手に入れたゴダールの初期映像集『ソニマージュ / 初期作品集』(1975、76年 ブルーレイ 写真<13>中央)はゴダールの実験的で野心的な映像集で興味深い。
映画と本。わが青春時代はこのふたつが手に手を取って孤独な時間を埋め尽くした。なかでも映画は「現実」以上に、心の中の「現実」となっていた。映画は当時の筆者にとって「幻想的な食べ物」(「ユートピアと文明」ジル・ラプージュ 紀伊国屋書店 1988年)だった。食事は貧しくとも、本とともに映画は精神的栄養を支えた。映画が人生に及ぼす作用は大きい。「一つ一つのイマージュは、それが作用するたびに、あなたがたに全宇宙を修正するよう強いる」(「パリの農夫」ルイ・アラゴン 思潮社 1988年)。映画とは「生」を変え、人生に魔術的化学変化を促すファンタスマゴリー(幻燈装置)であるのかもしれない。
(よるの ゆう)
■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。
●本日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
ジョナス・メカス
WALDEN #22
「yes this was my Walden this was my chidhood
this was my winter there in a dream」
2005年
ラムダプリント
30.0x20.0cm
Ed.10
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●本日の瑛九情報!
~~~
1月2日のブログでお正月に瑛九を展示している美術館は、東京国立近代美術館はじめ、沖縄県立博物館・美術館、埼玉県立近代美術館、久留米市美術館、大川美術館、宮崎県立美術館、都城市立美術館の7館あると紹介しましたが、瑛九おっかけ隊の中村茉貴さんから早速メールが入り、府中市美術館の「ガラス絵 幻惑の200年史」展に瑛九のガラス絵が展示されていることを知らせてくれました。
8館目! 会期が長いので、これは行けそうです。
「ガラス絵 幻惑の200年史」
府中市美術館
会期:2016年12月23日~2017年2月26日(日)
透明なガラス板に絵を描き、反対の面からガラスを通して鑑賞する、ガラス絵。古くは中世ヨーロッパの宗教画に始まり、中国を経て、日本へは江戸時代中期に伝わりました。
それから、およそ200年。新奇な素材の輝きと色彩が人々の眼を驚かせ、幕末明治期には異国風景や浮世絵風のガラス絵が盛んに描かれました。大正・昭和初期には、小出楢重、長谷川利行という二人の洋画家がガラス絵に魅了されて自身の芸術の重要な一部とし、戦後も藤田嗣治、川上澄生、芹沢けい介、桂ゆきといった多彩な作家たちが取り組んでいます。
透明なガラス面を通して見える、絵具そのものの艶やかな色の世界。通常の絵画と絵の具を重ねる順番を逆転させる、緻密な計算と技巧。そして、装飾を凝らした「額」と相まって生まれる、きらびやかな存在感。本展では海を渡って日本に伝えられた海外のガラス絵から、近代以降の多様な作品までの約130点によって、見るものを幻惑し続けるガラス絵の魅力と歴史を紹介します。(府中市美術館HPより)
主な出品作家:畦地梅太郎、糸園和三郎、宇佐美圭司、瑛九、大沢昌助、桂ゆき、金山平三、川上澄生、北川民次、小出楢重、司馬江漢、白髪一雄、清宮質文、鶴岡政男、長谷川利行、藤田嗣治、南薫造、他
~~~
<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
第十回◇映像の悦楽、映画の日々-『シベールの日曜日』から実験映画まで
若き時代の「映画の日々」が懐かしい。映画にのめりこんでいたのは、大学時代。東京・池袋のはずれにある3畳一間の貧乏下宿で、東大安田講堂の陥落や新宿騒乱、反戦デモなど時代の熱いうねりを肌で感じながら、引きこもりがちの生活を送っていた。暗いジャズ喫茶の片隅や部屋で一人、岩波文庫を片っ端から濫読し、「心地よい青春」を世捨て人のように放棄していた時代。読書にあきると池袋文芸坐地下や映画のイベント、京橋フィルムセンターなどをはしごして一日五本の映画を観ることも。当時のメモを見ると、年間350本以上も映画を観ていた。当時入手した京橋フィルムセンターの冊子を見ると、フランスやイタリア、ドイツ、イギリス、スウェーデン、アメリカなどの古典的な映画からヌーヴェルバーグなど幅広く系統的に映画を観ていたことが思い出される。映像という虚構の世界にどっぷり漬かった暗い青春時代、未知の世界を照らし出す映画というファンタスマゴリー(幻燈装置)が道標だった。この早すぎる隠遁の時期は「fuga mundi 世俗世界からの逃避」(『パリ、貧困と街路の詩学』今橋映子 1998年 都市出版)であった。
写真<1>学生時代に通った京橋フィルムセンターの当時の特集映画カタログ
人それぞれに運命の女ファムファタールとの出会いのような映画との遭遇があるかもしれない。『シベールの日曜日』(セルジュ・ブールギニョン監督 1962年 フランス映画)は若き日の筆者にとって、そういう映画だった。ベトナム戦争時、戦闘機のパイロットだったピエール(ハーディ・クリューガー)が事故で記憶を失う。復員してパリ郊外のヴィル・ダブレーで暮らしていたある日、親に強制的に寄宿学校に入れられようとしていた少女フランソワーズ(パトリシア・ゴッジ)と駅で出会う。記憶を失い少年のような心を持つ31歳のピエールと親に捨てられた12歳の少女との交流が始まり毎週日曜日、ヴィル・ダブレーの美しい湖畔を散歩する。純真な少年と少女のような逢瀬を見て、住民があらぬ噂をたてる。心配になった同棲中の看護師マドレーヌがこっそり二人の様子をうかがうが、二人のほほえましい交流を見て杞憂だったことがわかる。悲劇はピエールとフランソワーズが森の小屋で二人だけのクリスマスパーティをしようとした際に起こる。何度この映画を観たことだろうか。映像詩と言ってもよいモノクロの美しい映像と少年の心を持った男と少女との純愛。背景にある戦争の傷跡と、ふたりの「純愛」を異常と切り捨てる現実の汚れた常識にまみれた大人たちが、二人を悲劇のクリスマスへと追いやっていく。当時、放映された吹き替え版の録画ビデオを持っていて大切に保管していたが、知り合いの画家に貸したところビデオが行方不明になってしまった苦い記憶がある。その後、絶版になっていたビデオを入手したほか、ドイツ版や字幕入りの日本版などいろいろなバージョンを集めた。つい数年前、ブルーレイ版が出たが、なぜか買い逃してしまったのが悔やまれる。当時観た時にあった最後のシーンの一部がカットされていたのが気になったからかもしれない。今ではプレミアムがついて手が出ない。ビデオやDVD版をチェックしたところやはり記憶に残っていたインパクトのある印象的なシーンが削除されていた。この映画の完全版は今や映画館で観た記憶の中にしか残っていないのが残念だ。
写真<2>映画『シベールの日曜日』から。ベトナム戦争中に記憶を失った男ピエールを演じたハーディ・クリューガー(左)とシベール(フランソワーズ)役のパトリシア・ゴッジ
写真<3>映画『シベールの日曜日』のビデオ、ドイツ版と日本語版のDVDとパンフレットなど
写真<4>パリの映画館ル・シャンポ。数年前、パリ在住中に『シベールの日曜日』が上映されていた。この映画をここで立て続けに五回見に行った記憶がある。
写真<5>『シベールの日曜日』のロケ地ヴィル・ダブレー。美しい湖畔と森。ロケ地を訪れてつくづく実感したのは、ドラマは人がいて初めて成り立つという当たり前すぎることだった。ここがあの映画の舞台であったことは確かだが、空虚な風景はあの濃密なポエジーあふれる映画のシーンを再現することは決してない。「実在の町を一切が外見となった書割の町に変容させる魔術的視力」(『ボードレールの世界』―「覗く人 都会詩人の宿命」種村季弘 青土社 1976年)が必要なのかもしれない。強力な魔術的想像力が…。
いろいろな映画を観てきたが、やはり実験映画への愛着を語らないわけにはいかないだろう。なかでもアメリカの実験映画女性作家マヤ・デレン(1917-1961)抜きには実験映画は語れない。印象に残る作品は『午後の網目』(Meshes of the afternoon 1943)だ。モノクロームのシュルレアリスティックな映像が、迷路のような暗い夢の世界を紡ぎだす。当初、音楽はつけられていなかったが、のちに日本人の音楽家Teiji Itohが東洋的な不思議な音楽を添えている。マヤ・デレンは1953年に米国で行われた「詩と映画」についてのシンポジウムで「イメージは…作者の心の中から始まるのです。夢やモンタージュや詩のイメージは…<垂直的>なもので、論理的な行為ではありません…夢やモンタージュは事件の論理的な連続ではなく、普通の感情から成立している事実が寄せ集められてひとつの中心に導かれたものなのです」(『アメリカの実験映画』 アダムズ・シトニー編 1972年 フィルムアート社 石崎浩一郎訳)と述べている。『午後の網目』で見せた「反現実」としての夢が映画のイメージの発条装置として機能している。「この『反現実』こそ、まさに本物の現実であり、グノーシス派が『光の財宝』のただなかへの跳躍によって到達する現実である」(「魔術的芸術」アンドレ・ブルトン 河出書房新社 1997年 巖谷國士ほか訳)と言えよう。
写真<6>アメリカの実験映画作家マヤ・デレン
写真<7>マヤ・デレンの実験映画集のDVDと、カナダ・モントリオールの古書店で手に入れた珍しいマヤ・デレンの評論冊子『AN ANAGRAM OF IDEAS ON ART ,FORM AND FILM』(THE ALICAT BOOK SHOP PRESS ,NEW YORK 1946 写真上)
トロントのマニアックなDVD屋などで手に入れた実験映画のDVDを知人に観てもらおうと、2014年11月に当時住んでいた京都市内の京町屋で『実験映画の夕べ』を開催。 有名な『午後の網目』(Meshes of the afternoon 1943) をはじめとするアメリカの実験映画やマン・レイなどの珍しい映像を上映した。
写真<8>『実験映画の夕べ』の番号入り限定10部で手作りしたパンフレット
写真<9>『実験映画の夕べ』のパンフレットと上映タイトル
写真<10>京都市内の京町屋で開催された『実験映画の夕べ』の様子。画家、デザイナー、マン・レイ研究家、古書店主、翻訳者らが集まった。
ドゥシャン・マカヴエィエフ監督(1932-)のカルト的な映画『SWEET MOVIE』(1974年製作のフランス・西ドイツ・カナダの合作映画)も、前衛的映画という面では興味深い作品のひとつだ。マカヴェイエフ監督は当時のユーゴスラビア出身で、1965年に『人間は鳥ではない』で劇場長編作品監督デビュー。以後前衛的な作品を手掛け、映画界に衝撃を与えてきた。中でも『SWEET MOVIE』はグロテスクで変態的で、かつ詩的、人間の中に抱える暗黒の情動の爆弾がさく裂するかのような映像が連続する。パリのエッフェル塔で伊達男が歌うシーンは深く印象に残る。人間の奥に潜む「悪」を歌いあげる『悪の歌』―。
「暴力が支配する世界
人々が苦しむのを見るのは楽しい
俺は生きるために死ぬ
この衝動を許してほしい
血の川 大虐殺
もっと欲しいと俺は叫ぶ
俺の心の太陽が輝く夜を祝おう
歴史を動かすような
野性の馬として俺は生きる
金色のたてがみ 宴を求め さまよう
剣をもってしても
馬を飼慣らすことはできない
あちこちで反乱 だから俺は歌う
俺の墓から馬が生まれる
神をも恐れぬ馬達が」(映画『SWEET MOVIE』より)
ストーリーらしいストーリーはなく、無関係で不気味な映像やシーンがコラージュされている。残酷で不毛な美しい愛の暗黒世界を描いた。映画タイトルの「スィート」とは程遠く、胆汁のような苦さが残るカルト映画の極北と言ってもよい作品だ。
写真<11>カルト映画「SWEET MOVIE」のビデオやレコード、マカヴエィエフ監督の作品群の一部。映画音楽はギリシャ出身の作曲家マノス・ハジダキス(1925-)が担当している。
写真<12>ロバート・フランクの映像集『FILM WORKS』(2016年)とロバート・フランクのレアDVD『チャパカア』(1999年)
つい最近、ロバート・フランク(1924-)の映像集『FILM WORKS』(2016年)とロバート・フランクのレア映画『チャパカア』(1999年 DVD)を入手した。 ロバート・フランクと言えば、写真集『アメリカン』("Les Americains" 1958年)など写真家として知られるが、映像作品も多く手掛けてきた。真っ白な木箱に収められた『FILM WORKS』は再発売だが、初版にない洒落たデザインのケースとなっている。『チャパカア』はドラッグにおぼれた男の悪夢と妄想が不思議な映像で脈絡なく展開する。随所にロバート・フランクらしい映像のイメージがちりばめられている。
写真<13>実験映画やジョナス・メカス、ゴダール、ヴェンダースなど映画関係の本と、シュルレアリスム関係のビデオやDVDの一部。家ではDVDやブルーレイで映画を観ることがほとんどだが、往年のレーザーディスク(LD)も健在。タルコフスキー全作品とゴダールの映画や、DVD化されていない珍しい映画やドキュメンタリーはLDでしか観ることができない。最近手に入れたゴダールの初期映像集『ソニマージュ / 初期作品集』(1975、76年 ブルーレイ 写真<13>中央)はゴダールの実験的で野心的な映像集で興味深い。
映画と本。わが青春時代はこのふたつが手に手を取って孤独な時間を埋め尽くした。なかでも映画は「現実」以上に、心の中の「現実」となっていた。映画は当時の筆者にとって「幻想的な食べ物」(「ユートピアと文明」ジル・ラプージュ 紀伊国屋書店 1988年)だった。食事は貧しくとも、本とともに映画は精神的栄養を支えた。映画が人生に及ぼす作用は大きい。「一つ一つのイマージュは、それが作用するたびに、あなたがたに全宇宙を修正するよう強いる」(「パリの農夫」ルイ・アラゴン 思潮社 1988年)。映画とは「生」を変え、人生に魔術的化学変化を促すファンタスマゴリー(幻燈装置)であるのかもしれない。
(よるの ゆう)
■夜野 悠 Yu YORUNO
通信社記者を50代前半で早期退職後、パリを中心にカナダ、ドイツ、モロッコなど海外を中心に滞在、シュルレアリスム関係を中心に稀少書や作品などを蒐集する。2015年5月に国際写真祭『KYOTO GRAPHIE』のサテライトイベント『KG+』で、モノクロの写真・映像、キューバの詩で構成した写真展『古巴(キューバ)-モノクロームの午後』を開催。同年12月には京都写真クラブ主催の『第16回京都写真展 記憶論Ⅲ』で、『北朝鮮1987-消えゆく夢幻の風景』を展示。京都市在住。
●本日のお勧め作品は、ジョナス・メカスです。
ジョナス・メカスWALDEN #22
「yes this was my Walden this was my chidhood
this was my winter there in a dream」
2005年
ラムダプリント
30.0x20.0cm
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●本日の瑛九情報!
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1月2日のブログでお正月に瑛九を展示している美術館は、東京国立近代美術館はじめ、沖縄県立博物館・美術館、埼玉県立近代美術館、久留米市美術館、大川美術館、宮崎県立美術館、都城市立美術館の7館あると紹介しましたが、瑛九おっかけ隊の中村茉貴さんから早速メールが入り、府中市美術館の「ガラス絵 幻惑の200年史」展に瑛九のガラス絵が展示されていることを知らせてくれました。
8館目! 会期が長いので、これは行けそうです。
「ガラス絵 幻惑の200年史」
府中市美術館
会期:2016年12月23日~2017年2月26日(日)
透明なガラス板に絵を描き、反対の面からガラスを通して鑑賞する、ガラス絵。古くは中世ヨーロッパの宗教画に始まり、中国を経て、日本へは江戸時代中期に伝わりました。
それから、およそ200年。新奇な素材の輝きと色彩が人々の眼を驚かせ、幕末明治期には異国風景や浮世絵風のガラス絵が盛んに描かれました。大正・昭和初期には、小出楢重、長谷川利行という二人の洋画家がガラス絵に魅了されて自身の芸術の重要な一部とし、戦後も藤田嗣治、川上澄生、芹沢けい介、桂ゆきといった多彩な作家たちが取り組んでいます。
透明なガラス面を通して見える、絵具そのものの艶やかな色の世界。通常の絵画と絵の具を重ねる順番を逆転させる、緻密な計算と技巧。そして、装飾を凝らした「額」と相まって生まれる、きらびやかな存在感。本展では海を渡って日本に伝えられた海外のガラス絵から、近代以降の多様な作品までの約130点によって、見るものを幻惑し続けるガラス絵の魅力と歴史を紹介します。(府中市美術館HPより)
主な出品作家:畦地梅太郎、糸園和三郎、宇佐美圭司、瑛九、大沢昌助、桂ゆき、金山平三、川上澄生、北川民次、小出楢重、司馬江漢、白髪一雄、清宮質文、鶴岡政男、長谷川利行、藤田嗣治、南薫造、他
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<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
◆夜野悠のエッセイ「書斎の漂流物」は毎月5日の更新です。
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