ときの忘れものは本日より「Circles 円の終わりは円の始まり」を開催します。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊

当初は上掲のDMにあるとおり、オノサト・トシノブを中心に、ソニア・ドローネ、菅井汲、瑛九、高松次郎、吉原治良など円をモチーフに描かれた作品を15点出品の予定でした。
ふと亭主のデスクの上を見上げたら、敬愛する藤森照信先生のドローイングと、恩地孝四郎の木版がかかっているではないか。

恩地孝四郎「浴室午前」
1928年 木版
21.0×14.0cm
※『恩地孝四郎版画集』掲載No.115(1975年 形象社)
この作品を「円を描いた」というのは少し無理かも(笑)。
まあ、新春に免じてお許しください。
亭主が昨年1月に東京国立近代美術館で開催された「恩地孝四郎展」にノックアウトされたことはもう何度も何度も書きました(くどいね)。
書いても書いても悔しい、今年こそ(元旦の御神籤も「大吉」と出たことだし)一点くらい戦後を代表する大判の作品を入手したいものだと(社長には内緒で)虎視眈々と狙っております。
大判ではありませんが、ちょっと珍しい恩地孝四郎のリトグラフを入手したのでご紹介しましょう。
恩地といえば先ず木版を想起されるでしょう。その他にも油彩や水彩、写真、そして膨大な数の本の装丁を手がけていますが、やはり本領は木版(及びマルチブロックプリント)でした。
1975年に形象社から刊行された恩地孝四郎版画集には1913~1954年までに制作された全424点の版画が収録されていますが、そのほとんどが木版です。
同書に収録されているリトグラフ(石版画)は僅か3点に過ぎません。
このリトグラフ、右下隅に鉛筆による自筆のサイン、番号(7/20)が記入されています。

恩地孝四郎
《Poeme Winter》
1953年
リトグラフ(石版)
43.0×28.0cm
Ed.20(7/20)
自筆サイン、限定番号あり
※『恩地孝四郎版画集』掲載No.402(1975年 形象社)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
この石版画(リトグラフ)にrついての昔話を少々。
亭主が現代版画センターをつくったのは1974年でした。恩地がこのリトを制作してから既に20年以上経っていました。
ところが銀座にある美術家連盟の事務所の倉庫に行くと、まだこの作品が積んであった。買おうと思えばいくらでも買える状態でした。そのくらい、版画は売れない時代だったのですね。
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●本日の瑛九情報!
~~~
瑛九の会の機関誌『眠りの理由』の表紙画像と目次を1月6日の創刊号から、昨日1月17日の第14号まで紹介してきました。
編集発行人は当初は東京の尾崎正教先生が担当され、のちに事務局が福井に移ったのを機に勝山市の原田勇先生が編集・発行人になりました。
瑛九の会の発起人は瀧口修造、久保貞次郎、杉田正臣、杉田都、オノサト・トシノブ、山田光春、宇佐美兼吉、木水育男の8人でした。亭主は宇佐美さん以外の7人にはお目にかかっています。
瑛九の周辺にいた人々ですが、今では瀧口先生、久保先生、オノサト先生は別としてもその人たちのことを知る人もだんだんと少なくなってきました。
明日からは、亭主の知る限りで、瑛九を生前から支持し、没後はその顕彰につとめた人たちのことをご紹介していきましょう。
~~~
<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(2016年11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
会期:2017年1月18日[水]―2月4日[土] *日・月・祝日休廊

当初は上掲のDMにあるとおり、オノサト・トシノブを中心に、ソニア・ドローネ、菅井汲、瑛九、高松次郎、吉原治良など円をモチーフに描かれた作品を15点出品の予定でした。
ふと亭主のデスクの上を見上げたら、敬愛する藤森照信先生のドローイングと、恩地孝四郎の木版がかかっているではないか。

恩地孝四郎「浴室午前」
1928年 木版
21.0×14.0cm
※『恩地孝四郎版画集』掲載No.115(1975年 形象社)
この作品を「円を描いた」というのは少し無理かも(笑)。
まあ、新春に免じてお許しください。
亭主が昨年1月に東京国立近代美術館で開催された「恩地孝四郎展」にノックアウトされたことはもう何度も何度も書きました(くどいね)。
書いても書いても悔しい、今年こそ(元旦の御神籤も「大吉」と出たことだし)一点くらい戦後を代表する大判の作品を入手したいものだと(社長には内緒で)虎視眈々と狙っております。
大判ではありませんが、ちょっと珍しい恩地孝四郎のリトグラフを入手したのでご紹介しましょう。
恩地といえば先ず木版を想起されるでしょう。その他にも油彩や水彩、写真、そして膨大な数の本の装丁を手がけていますが、やはり本領は木版(及びマルチブロックプリント)でした。
1975年に形象社から刊行された恩地孝四郎版画集には1913~1954年までに制作された全424点の版画が収録されていますが、そのほとんどが木版です。
同書に収録されているリトグラフ(石版画)は僅か3点に過ぎません。
このリトグラフ、右下隅に鉛筆による自筆のサイン、番号(7/20)が記入されています。

恩地孝四郎
《Poeme Winter》
1953年
リトグラフ(石版)
43.0×28.0cm
Ed.20(7/20)
自筆サイン、限定番号あり
※『恩地孝四郎版画集』掲載No.402(1975年 形象社)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
この石版画(リトグラフ)にrついての昔話を少々。
亭主が現代版画センターをつくったのは1974年でした。恩地がこのリトを制作してから既に20年以上経っていました。
ところが銀座にある美術家連盟の事務所の倉庫に行くと、まだこの作品が積んであった。買おうと思えばいくらでも買える状態でした。そのくらい、版画は売れない時代だったのですね。
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●本日の瑛九情報!
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瑛九の会の機関誌『眠りの理由』の表紙画像と目次を1月6日の創刊号から、昨日1月17日の第14号まで紹介してきました。
編集発行人は当初は東京の尾崎正教先生が担当され、のちに事務局が福井に移ったのを機に勝山市の原田勇先生が編集・発行人になりました。
瑛九の会の発起人は瀧口修造、久保貞次郎、杉田正臣、杉田都、オノサト・トシノブ、山田光春、宇佐美兼吉、木水育男の8人でした。亭主は宇佐美さん以外の7人にはお目にかかっています。
瑛九の周辺にいた人々ですが、今では瀧口先生、久保先生、オノサト先生は別としてもその人たちのことを知る人もだんだんと少なくなってきました。
明日からは、亭主の知る限りで、瑛九を生前から支持し、没後はその顕彰につとめた人たちのことをご紹介していきましょう。
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<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(2016年11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
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