小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第15回

 今回は趣向を変えて、過去に書いた文章をご紹介したいと思います。
 幼い頃の山に関する出来事で、私がこれまでもっとも繰り返し書いてきた事柄は「スガリ」についてです。地蜂を食する文化が長野県にはあるのですが、私の生まれ育った八ヶ岳の裾野も例外にもれず、それを食べます。俗に「蜂の子」と呼ばれるものです。そもそも「スガリ」の語源は巣狩と思われますが、確かなことはわかっていません。ちなみにイナゴも日常的に食べます。
 繰り返し同じ事柄を書く。私はこのことを意識してやっています。同じことを再び書くことに当初は大きな抵抗がありました。新鮮味はないし、何より二番煎じではないかという思いがあったからです。
 でも、ある著名な小説家で、私より4つほど年上の方(あえてお名前はだしません日本人です)が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを書かれた文章を読み、多いに影響をうけ、同時に「繰り返し書いてもいい」ことに気がつき、背中を押されもしました。
 それから時折、私は記憶をたどりながら、「スガリ」をできるだけ別の方法で改めて書くことにしています。
 今回は、昨年の春(2016)に『文學界』(2016年5月号・文藝春秋)に発表しました中編小説「山人」のなかから、引用してみたいと思います。最新の「スガリ」の文章です。小説なのであくまで、架空の人物が登場します。東京生まれ東京育ちの主人公の少年が、両親を急に亡くし、父方の祖父母の元に引き取られ、そこで新たな生活を始めるといったストーリーです。
 少し長いですが、お読みください。

―――――――――――――――――――――――――――――――

 昨日、じいちゃんとぼくは一緒に田んぼに行って、二匹のトノサマガエルを捕まえた。二匹ともプラスチックの虫かごに閉じ込め、ぼくの手の中にある。ときどきなかでカエルが跳ねる。そのたびにぼくは立ち止まって虫かごを両手でつつむ。もし、カエルが逃げてしまったら、スガリができなくなるからだ。
 じいちゃんがトノサマガエルを捕まえるさまは、手品でもみせられているようだった。糸の先の釣り針に器用にトンボをつけ釣竿をゆすると、トンボがまるで飛んでいるかのように土手と稲のあいだ、水面近くをふらふらとゆれた。しばらく繰り返していると、黒々としたものが水面から突然、勢いよくトンボめがけて飛びだした。じいちゃんが持った釣竿の先端が激しく上下に揺れた。釣り糸がきらきらと光って、次の瞬間、じいちゃんの手のなかにカエルが収まっていた。じいちゃんが閉じた手のひらをゆっくりと開くと、緑と黒の濡れた肌が見えた。黒い目も見えた。指のあいだから、後ろ足がにゅっと出たので驚いた。
「これがオウゲエロだ」
(略)
 じいちゃんは魚籠から取り出したビニール紐で、近くの木の枝にカエルの足を縛りつけた。カエルは力なげに両手をだらりと垂らしている。さらにベルトにつけた革のケースからナイフを出すと、刃をカエルの背中にすっと走らせた。次にその切り口に指を入れ、こじ開けるように皮をはぎ出した。お尻の方から頭の方へ指を滑らせる。魚をさばくみたいに見えた。器用だ。きれいに皮が剥けた。鶏肉を連想させた。そのあとで、カエルの身体のあちこちにナイフで切れ目のようなものを入れていった。そのあとでぎゅっと一度握ると血が吹き出した。家の祖先はカエルじゃなかったのか。
「始めるぞ」
 血の匂いで蜂が来る。そのことは知っている。でも、こんなに残酷なことをする必要なんてあるのだろうか。
「なんか文句でもあるだか? じいちゃんも、父ちゃんに教えてもらっただ」
 じいちゃんはあごをあげ、その姿勢のまま、じっと動かない。飛んで来る蜂を待っているようだった。
 十五分ほどたっただろうか。驚いたことに吊るされたカエルをめがけて蜂がやってきた。最初は注意深くカエルの周りをぐるぐると飛んでいたけど、やがてピタリとカエルの背中にとまった。
 なにも匂ってなどいない。ぼくにはわからないそれが、どうして蜂にはわかるのか。じいちゃんにも、嗅ぎ分けられるのか。地蜂はどれほど遠くからこの臭いを嗅ぎつけたのだろうか。ぼくも上を向いた。ゆっくりと回れ右をするようにぐるりと一周してみた。カエルと蜂とじいちゃんはこうして目には見えないものでつながっているのに、ぼくだけが、誰とも、どこともつながっていないのではないか。
 カエルにとまった蜂に、じいちゃんがそっと親指を近づけた。蜂はおとなしく爪の先に乗った。爪の上にはあらかじめナイフでマッチ棒の先ほどの大きさに切られたカエルの肉片が乗っている。肉片には真綿がつけられている。先を縒って器用に結んであるのだ。それもまたあっという間につくった。
 じいちゃんはじっと動かない。ぼくも黙って地蜂を見つめた。蜂はおそるおそるという感じに肉片を抱えた。かすかな羽音を立て、やがて空中に舞った。ぐるりとじいちゃんとぼくの頭の上に円を一度描くと、迷わず沢の上流の方向へ、真綿の白が遠ざかっていった。
(略)
 じいちゃんはどこまで行ったのだろうか。沢をそのまま上がっていったのか。自分がどうすればいいのかが、わからない。カエルが吊るされた場所へ戻るべきか。きっとそうすべきだろう。じいちゃんもそこに戻ってくるのだから。このまま斜面を下り、沢に沿って歩けば戻れるだろう。ぼくは足元を見る。自分が歩いて来た足跡はない。
 あの舌がだらりと垂れた血だらけのカエルが吊るされた場所で、じいちゃんを待つことがどうしようもなく恐ろしく感じられた。でもここにいても仕方がない。歩きだすと、何度も転んだ。そのたびに手のひらは泥だらけになり、爪の先にもそれがつまった。藪をかきわけようとした時、棘で左手の中指をざっくりと切った。
 戻ってきたじいちゃんに中指を切ったことを訴えると「つばでもつけとけ」と相手にされなかった。「泥がついているから、なめられない」と言い返すと「だったら頭を使え」と沢を指差した。「水道の水じゃなきゃ、やだ」なんて言ったら、怒鳴られることはわかっていた。でも、そんな水で傷を洗いたくはなかった。ぼくは代わりにじいちゃんを睨んだ。
「そういうやつは、とっととけえれ、性悪はいるだけで邪魔ずら。だで都会育ちはダメだ」
 じいちゃんはカエルの方に背を向けた。
 太陽が頭の真上を通りすぎた頃、じいちゃんは立ったまま、ばあちゃんが作ってくれたおにぎりを食べた。じいちゃんもぼくも時計を持っていないので、正確な時間はわからない。じいちゃんは不機嫌そうで、ほとんど何も口にしなかった。ぼくも同じように立ったまま食べた。食べ終わると、じいちゃんは虫かごに入れていたもう一匹のカエルを潰した。一匹目のカエルは乾き始め、もう血の匂いがしなくなったからだ。ぼくはその姿をぼんやりと見つめた。じいちゃんがゆっくりと動物に姿を変えていくような気がした。
 日が傾きだした頃、迷ったのだけど、
「ぼくもやりたい」
 と告げた。このままでは帰れないと思ったし、何よりじいちゃんを見返してやりたかった。
「そうか、やってみろ」
 駄目だ、と言われる気がしたので意外だった。
 見よう見まねで左手の親指の先にじいちゃんと同じように蜂を乗せた。じいちゃんの視線を感じ、緊張した。指先が震えていた。どういうわけか蜂は肉を握ろうとはせず、指の上をゆっくり甲の方に歩いてきた。蜂にからかわれているような気がした。怖くなって思わず手を振り払った。次の瞬間、手首の内側に鋭い痛みが走った。
「刺された!」
 じいちゃんはぼくの手を掴み、いきなりくわえた。硬い。吸いだした。
「しょんべんをかけろ、アンモニア消毒だ。自分のをかけろ」
 手首を見ると、赤く腫れ上がっていた。蜂に刺されたからなのか、じいちゃんが勢いよく吸いついたからなのか判別がつかなかった。混乱した。
「ほれ、めたしろ」
 自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
 とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
 すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。ぼくのシャツにも顔にもそれは跳ね返った。温かく、心地よかった。いままで何度も蜂に刺されたのに生きているじいちゃんのおしっこなのだから、毒など簡単に流れ去ってしまうだろう。
(略)
 じいちゃんはどれほどカエルが吊るされた木と藪の先を、行ったり来たりしたのだろうか。三、四十回ほどだろうか。
「見失った、くそ」
 吐き捨てるように、毎回そう言いながら戻ってきた。そのときまでには大抵、吊るされたカエルに地蜂が数匹留まっていた。だから休む間もなく、祖父は次の蜂に真綿のついた肉片を持たせ、地蜂が空中に舞い上がると、あっという間にまた藪のなかに消えていった。
 一日中追い続けたからといって、必ず巣が見つかるとは限らない。いや、見つからないことの方が多い。夕方、じいちゃんも諦めかけていたのだろう、「あと二回だけ」と力なく言って、藪のなかに消えていった。やがて、「見つけたぞ」と興奮気味に声を上げながら、戻ってきた。ぼくに抱きつかんばかりだった。
 手には何も持っていなかった。不思議に思って訊くと「目印をつけてきた」と言った。他人が見ても目印だと思わないもの、つまり木の枝をつかって自分にしかわからない目印をつくったという。以前のように巣をすぐに獲らないのは、相当にわかりにくい場所なので「ぜってえ誰かに獲られる心配はねえぞ。だで、巣が大きくなる秋までこのまま太らせる」のだという。
 やはり動物に近い。普段は隠している動物の本能が目を覚まし、こぼれ出している。それが匂った。なのに、じいちゃんは気がついていない。ぼくはじいちゃんをまじまじと見上げた。これから先、自分にそんなものが備わるなどとは、到底思えなかった。初めてうらやましく思った。
 
―――――――――――――――――――――――――

 小説はここまでです
 文章のなかの幾つかのことは本当にあった出来事です。私はその地で生まれ育ちましたが、初めて父と祖父に連れていってもらった「スガリ」の体験は強烈な記憶としていまも残っています。父と祖父が、突然、野性に目覚めたような、そこへ帰っていくような、あるいは別の動物になっていくような恐ろしさを何よりも感じました。
 この独特の「スガリ」の方法を、いつ誰が編み出したのか。知る術もありませんが、先人が考え出した原始的な方法で蜂の巣を見つける。そのことに驚きもしました。
 次回も、また別の小説に書いた同じく「スガリ」の場面をご紹介したいと思っています。地元で生まれ育ち青年になった男たちが、久しぶりに再会し同窓会的に「スガリ」をする話です。

01小林紀晴
「Winter 13」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20


こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
20160319_kobayashi_05_work小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり


こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。