小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第16回
前回に続き、「スガリ」について繰り返し書くことについて、触れてみたいと思っています。尊敬するある小説家が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを言ったと前回触れましたが、「スガリ」の似たような一場面を違う形で書いた例をご紹介します。
前回、蜂に刺された主人公である子供が、さされた患部に祖父のおしっこをかけてもらう描写がありましたが、それは実際の私の体験がもとになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――――
自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
蜂に刺され、誰のそれをかけてもらうか。幼い私にとって、突発的な出来事の前で、大きな選択肢でした。瞬時の判断も迫られました。だから記憶は鮮明です。とっさに自分のものより年齢を重ねた祖父のそれの方が効くと考えのです。
今回は、2008年秋に小説現代(講談社)に発表した『真綿の飛ばし方』という短篇小説からの抜粋です。前回は2016年に発表したものでしたので、さらに8年ほど遡ることになります。いまから9年前に書いたものになります。
まったく別の話ですが、描写が緩やかにつながっていることに改めて気付かされもしました。
インドネシアに滞在中のカメラマンが、郷里の小学校の同級生から携帯電話に電話をもらい、帰国後、お盆に帰省し、同窓会のような「スガリ」へ参加するという小説です。中年の大人である主人公が、また蜂にさされます。全員が同い年です。小説の主人公は前回とはまったくの別人です。念のため。
以下から小説です。
―――――――――――――――――――――――――――――――
蜂が不意に舞い上がった。しかし肉片を持っていない。軌道を眼で追ったが、黒い体はすぐにわからなくなった。このまま巣へ戻ってしまうのだろうか。私は腕を静かにおろし、辺りを見わたし蜂の姿を探した。
突然激しい痛みが、右の二の腕にやってきた。
「刺された!」
自分でも驚くほど、大きな声を上げてしまった。腕を慎重に外側から覗きこんでみると、蜂の姿はすでに消えていたが、小さな赤い点をみつけた。きっとあっという間に腫れ上がってしまうだろう。
「毒を出せ」
真司が慌てて、私の腕をつかんだ。好夫はたいして表情を変えずに、両手をぶらりと下げたまま立っていた。
左手で刺された箇所をつまみ、親指と人差し指で内側から毒を押し出すようにもみ出した。でも何かがなかから出てくるわけではなかった。
「アンモニアをかけた方がいい」
好夫がぼんやりとした顔のまま言った。
私は素直にうなずいた。かつて同じように蜂に指を刺された時、祖父の尿を直接かけてもらった。果たしてそんなものが効くのかどうかは知らない。でも小学生の私は確かに祖父のそれをかけられたのだ。とっさにそれを、どうしてもかけてほしくなった。
あの時、父は「早くしろ、すぐにかけねえと効かねえだ。ほら手をだせ」と言いながら、自分のズボンのチャックを開け始めた。その姿を見ながら、
「じいちゃんのがいい」
と私は言った。何故、とっさにそんなことを言ったのだろうか。どうして父では駄目だったのだろうか。湯気をたてる生ぬるい祖父の尿が私の手頸に直接あたり、飛沫をあげるのを、ぼんやりと見ていた。
「どっちにする?」
「どっち?」
私は聞き返した。
「だで、真司のと俺の、どっちがいいだ?」
「好夫、してくりょ」
私は迷わなかった。
小林紀晴
「Winter 14」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20
(こばやし きせい)
■小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
小林紀晴
〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
Sheet size: 25.3x20.3cm
サインあり
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ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆小林紀晴のエッセイ「山の記憶」は毎月19日の更新です。
前回に続き、「スガリ」について繰り返し書くことについて、触れてみたいと思っています。尊敬するある小説家が、「自身にとって大切なことは、時に触れ、何度でも繰り返し書くべき。年齢によって、その意味、理解の濃度と深度は変わっていくから」という意味のことを言ったと前回触れましたが、「スガリ」の似たような一場面を違う形で書いた例をご紹介します。
前回、蜂に刺された主人公である子供が、さされた患部に祖父のおしっこをかけてもらう描写がありましたが、それは実際の私の体験がもとになっています。
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自分のそれが効くとはとても思えなかった。
「……じいちゃんのをかけてほしい」
とっさに答えた。じいちゃんは「めたしろ」とまた言った。ぼくは大きな声でもう一度言った。
「じいちゃんのがいい」
すると、じいちゃんは迷うことなく、ぼくの左手を股間にもっていった。大げさなほどしぶきがあがって、じいちゃんのズボンに無数のシミをつくった。
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蜂に刺され、誰のそれをかけてもらうか。幼い私にとって、突発的な出来事の前で、大きな選択肢でした。瞬時の判断も迫られました。だから記憶は鮮明です。とっさに自分のものより年齢を重ねた祖父のそれの方が効くと考えのです。
今回は、2008年秋に小説現代(講談社)に発表した『真綿の飛ばし方』という短篇小説からの抜粋です。前回は2016年に発表したものでしたので、さらに8年ほど遡ることになります。いまから9年前に書いたものになります。
まったく別の話ですが、描写が緩やかにつながっていることに改めて気付かされもしました。
インドネシアに滞在中のカメラマンが、郷里の小学校の同級生から携帯電話に電話をもらい、帰国後、お盆に帰省し、同窓会のような「スガリ」へ参加するという小説です。中年の大人である主人公が、また蜂にさされます。全員が同い年です。小説の主人公は前回とはまったくの別人です。念のため。
以下から小説です。
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蜂が不意に舞い上がった。しかし肉片を持っていない。軌道を眼で追ったが、黒い体はすぐにわからなくなった。このまま巣へ戻ってしまうのだろうか。私は腕を静かにおろし、辺りを見わたし蜂の姿を探した。
突然激しい痛みが、右の二の腕にやってきた。
「刺された!」
自分でも驚くほど、大きな声を上げてしまった。腕を慎重に外側から覗きこんでみると、蜂の姿はすでに消えていたが、小さな赤い点をみつけた。きっとあっという間に腫れ上がってしまうだろう。
「毒を出せ」
真司が慌てて、私の腕をつかんだ。好夫はたいして表情を変えずに、両手をぶらりと下げたまま立っていた。
左手で刺された箇所をつまみ、親指と人差し指で内側から毒を押し出すようにもみ出した。でも何かがなかから出てくるわけではなかった。
「アンモニアをかけた方がいい」
好夫がぼんやりとした顔のまま言った。
私は素直にうなずいた。かつて同じように蜂に指を刺された時、祖父の尿を直接かけてもらった。果たしてそんなものが効くのかどうかは知らない。でも小学生の私は確かに祖父のそれをかけられたのだ。とっさにそれを、どうしてもかけてほしくなった。
あの時、父は「早くしろ、すぐにかけねえと効かねえだ。ほら手をだせ」と言いながら、自分のズボンのチャックを開け始めた。その姿を見ながら、
「じいちゃんのがいい」
と私は言った。何故、とっさにそんなことを言ったのだろうか。どうして父では駄目だったのだろうか。湯気をたてる生ぬるい祖父の尿が私の手頸に直接あたり、飛沫をあげるのを、ぼんやりと見ていた。
「どっちにする?」
「どっち?」
私は聞き返した。
「だで、真司のと俺の、どっちがいいだ?」
「好夫、してくりょ」
私は迷わなかった。
小林紀晴「Winter 14」
2015年撮影
ゼラチンシルバープリント
16x20inch
Ed.20
(こばやし きせい)
■小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
●今日のお勧め作品は、小林紀晴です。
小林紀晴〈DAYS ASIA〉より2
1991年
ヴィンテージゼラチンシルバープリント
Image size: 24.3x16.3cm
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