森下明彦「金坂健二とその時代」その3

ウォーホル・メカス・金坂


 きわめて大雑把な記述であるが、当時の概況を記しておきたい。1960年代中期から、美術においては「環境芸術」の動向と共に、技術(テクノロジー)への注目が高まっていった。他方、映像の領域に関しては、「拡張映画」への方向が顕著になる。それは旧来の映画の概念や制度を創造破壊する一方、メディアを縦断、総合する「インターメディア」とも結び付いていく(美術家による映像制作が盛んになるのもこの頃であった)。上述のように金坂に関して見てきた事柄も、こうした時代背景を背負っていたのである(もちろん、対抗文化が席巻したことも忘れてはならない)。この辺の経緯については、先に開催された展覧会、「エクスパンデッド・シネマ再考」(東京都写真美術館/2017年8月15日~10月15日)が記憶に新しいのでこれ以上は触れない(在神戸の私は見逃してしまったのであるが)。

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 以上は準備作業であった。いよいよ本題に入りたい。金坂健二が取り上げた芸術家や映画作家の中でも、執筆の分量が多いと思われるのが、アンディ・ウォーホルである。金坂のウォーホルについての文章をいくつか検討してみたい。あるところで「六六年にはじめてウォーホールにあった日の印象を、ぼくは忘れないであろう」と書いている(『幻覚の共和国』〔晶文社/1971年〕)。この後段でウォーホルを「一種の醜男」と表現し、「ファクトリー」での彼の挙動を観察して、「ただものではなかったのである」とまとめている。
 1967年に出版された『地下のアメリカ』(学芸書林)には短いウォーホル紹介が収められている。執筆はウォーホルが銃撃される以前であったが、ポップ・アートの作家としての彼の仕事に、既に「〝死〟のドラマ」を嗅ぎ取っているのだ。しかし、版画などの作品と異なり、映画においてはこうした死や虚無があまり感じられないとして、「ツヤヤカな死が映画ではデレンとぶら下がってしまう」とやや曖昧なたとえを使っている。なお、この著作には最初の訪問時に撮影されたと思われる、ケネディ大統領夫人のジャクリーヌの肖像写真を吟味する1枚(カラー図版)が掲載されている。
 さて、実際にウォーホルが撃たれたとなると、金坂はそれを報じる記事を直ちに「映画評論」(1968年8月)に掲載している。
 時代が前後するが、先に見た1966年に発表した長文で金坂健二が提示したアンディ・ウォーホル観は、雑駁にまとめると2つになる。第一はアメリカ的な効率主義をひっくり返したことで、アメリカや西欧の道徳観と言ったものが疑われるようになる。そこに、金坂は慧眼にもジョン・ケージの「沈黙」を引き合いに出す。《エンパイア》の構想はケージの「アイデアそのまま」、と書いているが、私はこれを確認し得ない。もう一つは、アンディ・ウォーホルの映画における「個性の拒否」である。とは言え、そこのからくりは意外に深い。金坂は「人為を排して一種の無我の境地にひたるとすれば、それはコマーシャリズムが彼の主体に代る」ことに等しいと、喝破する。未だウォーホルとその仕事がこの国に一般的でなかった時期にこう述べたことは注目に値しよう(「アンダーグラウンド・シネマ論」/前出)。
 金坂健二も(おそらく複数回に及ぶ)アンディ・ウォーホル訪問を通して、次第にこの希有な芸術家の実態を把握するようになる。いくつかのウォーホル論を書き、3つの時期に分けてフィルモグラフィを構成し(「美術手帖」1973年11月増刊)、一つひとつの映画作品を論じるなど、多角的な取り組みを行っている。
 そうした中には、彼の周囲の関係者についての人物像を紹介したものもある(「映画作家アンディ・ウォーホルと彼をめぐるおかしな、おかしな男女(Andy Warhol)」〔「美術手帖」1973年11月増刊〕)。あろうことか、そこにはヴァレリー・ソラナスについての記述に一節を割いていた。1968年6月3日、ウォーホルを銃撃した犯人である。この事件が当事者であるウォーホルだけでなく、金坂にとっても大きな衝撃を与えたのではと推察される。別人についての行において、金坂の観察眼は撃たれた後のウォーホルをこう書いている:「いままで超然としていた人間関係の中へいやおうなく降りて来た観がある」。とするなら、全くの外野にいる私ですら、ソラナスの主張である「男(MEN)は皆殺して、人間(MAN)になろう」が達成されたとうなづいてしまうだろう。それがアンディ・ウォーホルであったとは、皮肉以上のものがあるのだが。
 これ以降も金坂健二のアンディ・ウォーホルについての著述は散見されるが、ここでは彼の死後に表された追悼文を読んでおきたい(「追悼 アンディ・ウォーホル」〔「キネマ旬報」1987年4月1日〕)。その仕事の評価についてであるが、美術に関してはそれを変えたと言うより、「ポップ社会」を生み出したことを重視している。映画においては、それを個人の手に取り戻し、題材面でも多くのタブーを扱ったとして「映像文化の現在をかくあらしめ」たと指摘する。この文の冒頭はウォーホルの訃報を聞いて「何か矛盾した思いだった。最初から彼には生ける屍、といった趣がついて廻っていた」となっていて、これまでこの拙稿で垣間見て来たことが再確認出来る。
 今回「ときの忘れもの」では、金坂健二撮影のアンディ・ウォーホルの写真が展覧される。金坂が本格的に写真に取り組み始めたのは1968年の渡米後からとされている。先述のように、1966年にアンディ・ウォーホルを撮影しているのはそれ以前のこととなるが、それでもこの時の写真からは、写真家としての「眼」は既にしっかりしていたとうかがえる。
 方法が違うにせよ、ジョナス・メカスと金坂健二の仕事の比較もまた楽しいだろう。最大の面白さは、前回も触れたが、ウォーホル自身が(映画と写真の双方の)撮影者でもあったと言うこと――立場の逆転がいかなる結果をもたらしたのだろうか?
 この時代のキーワードとも言える「個人的なことは政治的である」という標語を受けてのことかもしれないが、上に略述した金坂健二の1966年の長文では、時々「プライベート」という言葉が使われていることが印象的である。アンダーグラウンド映画が「アングラ」として世の中に表層的にはびこった後、実験的な映画がある意味で再び興隆するのは「個人映画」によると言えよう。その推進役として大きな力となったのが前回に触れたジョナス・メカスであり、その『映画日記』や《リトアニアへの旅の追憶》である。
 かくして、3回連載のこの小文も、何やら出発点に戻ったようだ。実は不勉強な私が犯したある見落としがあった。先の1966年の考察において金坂は既に《イエスの罪》に言及しており、当然ながらメカスが出演していることにも触れていた。文章はきちんと読まねばならなかったのである。

追記:この原稿を出稿した後、ジョナス・メカスの「自由な映画を目指して」が訳載された「世界映画資料」(1960年1月)を見ることが出来た。そこには金坂健二の翻訳になるメカスの別な文章、「映画の新世代への呼び声」(「フィルム・カルチャー」第19号所載)とともに、その金坂の短文、「人間のイメージについて」も掲載されていた。金坂の最初のアメリカ渡航以前のことである。
もりした あきひこ

■森下明彦 Akihiko MORISHITA
メディア・アーティスト/美術・音楽・パノラマ愛好家。作品制作や上映会の企画を行うかたわら、美術や映像の調査研究を進めている。
森下明彦
森下明彦さん(左)
2017年12月19日ときの忘れものにて

●今日のお勧め作品は、金坂健二です。
004金坂健二
《アンディ・ウォーホル》
1968年
ゼラチンシルバープリント
23.5x35.0cm

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◆埼玉県立近代美術館で2018年1月16日~3月25日「版画の景色 現代版画センターの軌跡」が開催されます。
パンフレット_04


◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催しています。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊
201712_WARHOL

1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60~70年代を回顧します。
会期中毎日15時よりメカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。

●書籍のご案内
版画掌誌5号表紙600
版画掌誌第5号
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別) 
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)


TAKIGUCHI_3-4『瀧口修造展 III・IV 瀧口修造とマルセル・デュシャン』図録
2017年10月
ときの忘れもの 発行
92ページ
21.5x15.2cm
テキスト:瀧口修造(再録)、土渕信彦、工藤香澄
デザイン:北澤敏彦
掲載図版:65点
価格:2,500円(税別) *送料250円
*『瀧口修造展 I』及び『瀧口修造展 II』図録も好評発売中です。


安藤忠雄の奇跡安藤忠雄の奇跡 50の建築×50の証言
2017年11月
日経アーキテクチュア(編)
B5判、352ページ
価格:2,700円(税別) *送料:250円
亭主もインタビューを受け、1984年の版画制作始末を語りました。
ときの忘れもので扱っています。

国立新美術館の「安藤忠雄展―挑戦―」は、昨日大盛況のうちに終了しました。
展覧会については「植田実のエッセイ」と「光嶋裕介のエッセイ」を、「番頭おだちのオープニング・レポート」と合わせ読みください。
ときの忘れものでは1984年以来の安藤忠雄の版画、ドローイング作品をいつでもご覧になれます。


●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。

JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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