西岡文彦「現代版画センターという景色」(全3回)

第1回 オークションの先駆性


 私と現代版画センターとの出会いは1974年。22歳の頃のことで、「合羽刷(かっぱずり)」という伝統的な版画手法の刷師として私が弟子入りしていた版画家森義利のもとへ、綿貫不二夫氏が来訪されたのが御縁の始まりだった。
 その折りの綿貫氏のお誘いの言葉に甘えて渋谷の桜ヶ丘の事務所にうかがった私は、たちまちセンターに夢中になり、毎日のように通い始めた。
 夢中になった理由はいくつもあるが、その最大の理由は、当時の現代版画センターが持っていた熱気にあった。新たな時代の到来を予感させて余りある白熱した気運というものが、坩堝(るつぼ)のように渦巻いていたのである。
 無論、坩堝の中心はリーダー綿貫氏のカリスマ的な魅力にあったわけだが、その熱気はセンターを訪れるすべての人々に伝播し、美術作家や刷師をまじえてのディスカッション、スタッフの打合せ、食事や休憩時の雑談までが独特の熱を帯びており、そうした折りに耳にした声はいずれも、40年以上を経た今も鮮やかに甦ってくる。「わたくし美術館」というコンセプトを掲げ、瑛九オノサト・トシノブの作品の普及と個人コレクターの育成に尽力した教育者の尾崎正教氏の雄弁なソプラノ・ボイスから、日本のシルクスクリーン版画のパイオニアとして靉嘔草間彌生の作品を手がけた刷師の岡部徳三氏の寡黙なバリトンまで、当時、センターで聞いた会話の断片は、まるで頭の中に録音されているかのように今も生々しく再生される。
 若かった私が、大人のかっこよさと底力というものを知り、自分のガキさ加減を思い知らされたのも、こうした声のやりとりを介してのことであった。
 そうした声がひときわ鮮烈に甦るのが、オークションの記憶である。
 インターネットどころかパソコンも存在していない時代のことである。オークションという言葉にしても、今よりはるかに縁遠いものであった。
 世界の二大オークション会社のひとつであるクリスティーズの名が日本のマスコミをにぎわせたのは10年以上も後の1987年。クリスティーズのオークションで安田火災海上(現損害保険ジャパン日本興亜)が、ゴッホの『ひまわり』を当時の史上最高価格の58億円で落札した折りのことである。バブル景気に湧き始めた日本経済の活気を象徴するニュースとなったが、その3年前の1984年に平凡社から刊行された全15巻の『大百科事典』を見てみると、9万に上る掲載項目の中に「オークション」の語は見当たらない。「競売」の項目を見ても、裁判所の行なう動産や不動産の競売が、法律用語として記載されているのみである。
 無論、クリスティーズやライバル会社のサザビーズの名も見当たらず、オークションともども索引にすら記載されていない。9万項目を立て総2万頁に及び索引40万語を擁する百科事典の中にこれらの語が一度も登場していないという事実が、当時におけるオークションの社会的認知の低さを物語っている。
 現代版画センターが全国各地でオークションを開催し始めたのは、この事典の刊行の10年前のことである。
 その先駆性は、高く評価されてしかるべきであろう。
 それは、数千円単位の出費から始めて、美術作品を購入し身近に鑑賞することの喜びを人々が学ぶことのできるイベントであり、展覧会カタログやポストカードであれば数百円単位で落札できる、裾野の広い美術普及活動でもあった。当時のセンターの熱気を象徴するイベントであり、私がそれまで経験したことのなかった「エデュテインメントedutainment」すなわち教育機能を備えた啓蒙的エンターテインメントでもあった。
 市民教育家としてのキャリアの長い尾崎正教氏は、オークションを市場の競りのように盛り上げる熟達の技の持ち主であり、持ち前のソプラノ・ボイスも参加者を和ませ、会場は爆笑で包まれるのが常であった。一方、綿貫氏によるオークションは、手練れの演者であった尾崎氏とは対照的に、愛好者と寄り添うような参加する側の視点と、時に思わぬハプニングを招く進行が持ち味であった。
 なかでも忘れがたいのは、センターに理解が深く何点ものエディションを制作した島州一氏の個展会場で開催されたオークションである。
 会場は銀座の画廊。実物大の布団をシルクスクリーンで布に刷った作品の下に現物の布団を展示するという、なんともユーモラスな作品のかたわら、参加者全員が画廊の床に腰を下ろす寄り合いスタイルで始まったオークションには、今日の世界的名声を確立する以前の写真家荒木経維氏のヌード作品も出品されていた。
 ヘア写真集が一般化するはるかに以前のことで、写真の一部を隠すことを条件に出品された荒木作品の、隠すべき箇所を進行役の綿貫氏がみごとに間違え、会場は大爆笑の渦。いちばん喜んだのは、見物に来ていた荒木氏自身であった。
 牧歌的ともいうべき追憶の風景ではあるが、私自身に美術作品や美術家と社会の関係を実感させてくれた原風景がここにある。
 美術というものが、愛好者の購入に支えられているという現実を目の当たりにさせてくれる景色が、センターのオークションには広がっていたからである。
にしおか ふみひこ
19740629全国縦断企画”版画への招待展”松山20171206120058_00004
1974年7月3日愛媛県松山市・ヒロヤ画廊/松山支部結成記念オークション

19740720全国縦断企画”版画への招待展”20171206114110_00001
1974年7月20日岩手県盛岡市・MORIOKA第一画廊/盛岡支部結成記念オークション

西岡文彦(にしおかふみひこ)
1952(昭和27)年生まれ。多摩美術大学教授/伝統版画家 
柳宗悦門下の版画家森義利に入門、伝統技法「合羽刷」を徒弟制にて修得。雑誌『遊』(工作舎)の表紙絵担当を機に、出版・広告の分野でも活躍。ジャパネスクというコンセプトの提唱者として知られる。
美術書の編集を経て、著書『絵画の読み方』(宝島社)で内外に先駆け名画の謎解きブームをひらく。
『謎解きゴッホ』(河出書房新社)、『名画の暗号』(角川書店)、『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮社)、『恋愛美術館』(朝日出版社)、『絶頂美術館』(マガジンハウス)等、著書多数。「日曜美術館」、「世界一受けたい授業」、「笑っていいとも!」、「芸術に恋して」、「たけしの誰でもピカソ」、「タモリ倶楽部」等々、テレビ番組の企画出演も多い。日本版画協会新人賞(’77)、国展新人賞(’78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ50周年記念展(’05)招待出品。
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機関誌『画譜』第2号(1974年9月1日発行)
表紙は合羽刷を制作中の西岡文彦さん

*画廊亭主敬白
<青春の一時期、現代版画センターにて熱狂の日々をおく>った西岡文彦さんがいまや多摩美術大学教授、伝統版画家として大活躍していることは、その多数の著書とともに知っていました。しかし会う機会はありませんでした。
昨秋偶然柳澤紀子先生の出版記念会で「ワタヌキさん!」と声をかけられ、40年前の日々が甦ったのでした。ちょうど埼玉県立近代美術館の「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展のために資料を集め整理していたときでしたが、メールでおそるおそる原稿の依頼をした次第です。
草創期を担ってくれた西岡さんは「現代版画センターという景色」と題して3回の連載エッセイを快諾してくれました。どうぞご愛読ください。
第1回 オークションの先駆性(本日掲載)
第2回 エディションの革新性(2月14日掲載予定)
第3回 道標milestoneとしての画譜(3月14日掲載予定)


◆埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が始まりました。現代版画センターと「ときの忘れもの」についてはコチラをお読みください。
会期:2018年1月16日(火)~3月25日(日)
埼玉チラシAY-O600現代版画センターは会員制による共同版元として1974年に創立、1985年までの11年間に約80作家、700点のエディションを発表し、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、講演会等を開催しました。本展では45作家、約300点の作品と、機関誌等の資料、会場内に設置した三つのスライド画像によりその全軌跡を辿ります。同館の広報誌もお読みください。

○<版画の普及とコレクターの育成を目指して版元としてエディションを頒布し、イベントを組織し、会誌にはいろんな文章が載っていた。そんな活動があったんだ、へー。どうして倒産しちゃったんだろうというところが気になりますが……。あとこれって町田市立国際版画美術館ではやらないの?と素朴に思ったりした。アンディ・ウォーホルに菊の版画作らせて大谷石のところで展覧会したりしてたのか。
(20180121/seachangさんのtwitterより)>

○<伺いました。いい展覧会ですね。現代版画センターの活動・出版した作品をゆっくり拝見でき、また好きな作家・作品を再確認できて良かったなぁと思います。あれだけの資料を整理して纏め上げた学芸員の熱意に頭が下がりますね。カタログも一級の資料ですね。会期中にまた伺います。
水戸野 孝宣さんのfacebookの投稿より)>

現代版画センターエディションNo.11 小田襄「銀世界ー夢」
現代版画センターのエディション作品を展覧会が終了する3月25日まで毎日ご紹介します。
011_小田襄《銀世界-夢》小田襄
《銀世界-夢》
1974年
メタルリーフプリント(刷り:宮本海平)
Image size: 28.8×21.6cm
Sheet size: 39.3×34.0cm
Ed.200  サインあり

久保貞次郎先生の推薦で彫刻家の小田襄先生が選ばれ、メタリックで硬質な抒情を湛えたエディションが誕生しました。
本日は小田先生の命日です。ステンレススチールによる独自の造形世界を展開し、59年に神戸須磨離宮公園現代彫刻展で「風景船」が大賞を受賞しています。日本美術家連盟理事長、多摩美術大学教授を歴任し、平成16年1月24日67歳で亡くなられました。ダンディでスマートな方でした。

1974年10月7日_ (12)左から久保貞次郎、小田襄
1974年10月7日「エディション発表記念展」オープニングにて
会場:銀座 ギャルリープラネート

パンフレット_05

野口琢郎さんが「日曜美術館」に出演します
今週28日(日)放送のNHK Eテレ 日曜美術館のクリムト特集にVTRで出演します。
クリムト関係のテレビ出演は2回目、箔画やってると海外のアートフェアなんかで「まるでクリムトね、あはは」と笑われて通り過ぎて行かれる事もあり悔しい思いは何度もしましたが、クリムトのお陰でテレビに出られるので有り難いかもです 笑
恐らく2~3分のVTRになるかと思いますが、今回は半笑いでモゾモゾ話さないように気をつけたつもりなので 笑 ぜひご視聴くださいませ、どうぞよろしくお願い致します。
NHK Eテレ 日曜美術館 「熱烈!傑作ダンギ クリムト
1月28日(日) 9:00~9:45
2月 4日(日) 20:00~20:45 (再放送)
(野口さんのfacebookより)

●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
新天地の駒込界隈についてはWEBマガジン<コラージ12月号>をお読みください。18~24頁にときの忘れものが特集されています。
06駒込玄関ときの忘れものの小さな庭に彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示しています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。