日本の創作版画運動は明治末の山本鼎たちの雑誌『方寸』に始まり、全国の草の根の版画愛好家たちによって支えられ恩地孝四郎たちの長い長い苦闘が続きます。
戦前は恩地でさえ、版画では食えなかった。
おそらく版画制作のみで生計が立てられたのは吉田博(吉田ファミリー)だけでしょう。
ところが日本の敗戦に伴い占領時代になるや、日本の版画家たちはウケに入ります。
長い間、雌伏のときを過ごした版画家たちの黄金時代が出現したのです。
ときならぬ「版画ブーム」に間に合わず貧窮のうちに餓死したのが谷中安規でした。
進駐軍として来日した軍人、軍属の中に多くの美術愛好者がいて、日本の創作版画に注目し多くの作品をコレクションしたことは良く知られています。
その中の代表的コレクターがオリヴァー・スタットラーでした。彼は戦後米軍の文官(予算管理官)して来日し、日本の創作版画に魅了され世界有数の版画コレクターになったのでした。
しかし、彼は日本語ができたわけではありません。日本の美術、文化に通暁し、作家の内面にまで深く立ち入ることのできる通訳が必要でした。
スタットラーの通訳を務め、スタットラーとともに多くの版画家たちを訪ね歩きインタビューに協力したのが内間安瑆先生でした。
内間先生はそのインタビューに協力することで恩地孝四郎を知り、平塚運一、棟方志功、畦地梅太郎らと親交し、彼らの技法を学んだのでした。それとともに自ら浮世絵版画の研究も進めます。
スタットラーが1956年に刊行した『Modern Japanese Prints: An Art Reborn』は、創作版画愛好家のあいだでは長くバイブルとも目されてきた日本の現代版画の解説書です。

1956年刊行、価格は2,200円と6ドルと併記してあります。

扉には恩地孝四郎の手摺り木版画が挿入されました。

スタットラーの序文には、恩地孝四郎への謝辞とともに、二ページ目7行目に内間安瑆先生への感謝がつづられています。


海外の版画愛好家には良く知られた本(手引書)ですが、それが日本語に翻訳されたのは、刊行後半世紀を経た2009年のことでした。
●オリヴァー・スタットラー著『よみがえった芸術ー日本の現代版画』
『よみがえった芸術―日本の現代版画』
著者:オリヴァー・スタットラー
監修:猿渡紀代子(横浜市民ギャラリー館長、横浜美術館学芸員)
翻訳:CWAJ(College Women's Association of Japan)
編集協力:桑原規子(聖徳大学准教授)、西山純子(千葉市美術館学芸員)、味岡千晶(美術史家)
体裁:B5変形、296頁、図版102点(カラー48頁)、並製本
発行:2009年 玲風書房

パンフレット
:原書を翻訳し、さらに美術研究家により新たにオリヴァー・スタットラー論、年譜、掲載版画家の略歴などが加筆された。
山本鼎、恩地孝四郎をはじめ、平塚運一、斎藤清、棟方志功ら29名の版画家を紹介、親しみと息遣いの感じる文章に、新たに豊富なカラー図版を掲載した。
収録作家:山本鼎、恩地孝四郎、平塚運一、斎藤清、棟方志功、前川千帆、関野準一郎、品川工、川上澄生、武井武雄、初山滋、勝平得之、山口進、川西英、徳力富吉郎、下澤木鉢郎、前田政雄、橋本興家、畦地梅太郎、吉田政次、北岡文雄、山口源、稲垣知雄、笹島喜平、吉田ファミリー、馬淵聖
◆オリヴァー・スタットラー(1915-2002年)
米国シカゴ生まれ。シカゴ大学卒業。1947年に軍属として来日し1958年まで滞在。日本文化の研究家となる。米国各地で展覧会を企画、日本の現代版画の紹介と普及に努めたほか、多くの講演、執筆などを晩年まで続ける。1977年ハワイ大学東洋学客員教授、1980年神戸女学院大学客員教授になる。著書に『Japanese Inn』、『Shimoda Story』、『Japanese Pilgrimage』などがある。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」(毎月25日更新)は今月は休載します。
●本日のお勧め作品は恩地孝四郎と棟方志功です。
恩地孝四郎
《白い花》
1943年
カラー木版
37.0x26.0cm
※『恩地孝四郎版画集』掲載No.229(形象社)
棟方志功
「柳緑花紅頌 松鷹の柵」
1955年 木版
イメージサイズ:46.0×46.5cm
シートサイズ:59.0×56.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●内間安瑆
内間安瑆は1921年アメリカに生まれます。苗字からわかるように父と母は沖縄からの移民です。1940年日本に留学、戦時中は帰米せず、早稲田大学で建築を学びます。油彩の制作をはじめ、後には木版画に転じます。
1950年アンデパンダン展(東京都美術館)に出品。1950年代初めにイサム・ノグチと知り合い、以降親しく交流する。1954年オリバー・スタットラーの取材に通訳として同行し、その著作に協力した。
その折に創作版画の恩地孝四郎にめぐり合い大きな影響を受けます。
1954年デモクラート美術家協会の青原俊子と結婚。1955年東京・養清堂画廊で木版画による初個展を開催。1959年妻の俊子と息子を伴い帰米、ニューヨーク・マンハッタンに永住。版画制作の傍ら、サラ・ローレンス大学で教え、1962と70年にグッゲンハイム・フェローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授を務めました。
日米、二つの祖国をもった内間安瑆は浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と自ら呼んだ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出します。現代感覚にあふれた瑞々しい木版画はこれからもっともっと評価されるに違いありません。
内間安瑆 Ansei UCHIMA
"An Emotion (或る感情)"
1959年
木版(作家自摺り)
イメージサイズ:40.8×30.2cm
シートサイズ:42.6×30.9cm
サインあり
内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Forest Byobu (Fragrance)"
1981年
木版(摺り:米田稔)
イメージサイズ:76.0×44.0cm
シートサイズ:83.6×51.0cm
限定120部 サインあり
*現代版画センターエディション
●内間俊子
内間俊子は旧姓・青原、高知県にルーツを持ち、1918年満州・安東市で生まれました。1928年大連洋画研究所で石膏デッサンと油彩を学び、1937年に大連弥生女学校を、1939年には神戸女学院専門部本科を卒業。帰国後、小磯良平に師事します。1953年瑛九らのデモクラート美術家協会に参加。 この頃、久保貞次郎や瀧口修造を知り、 抽象的な油彩や木版画、リトグラフを制作し、デモクラート美術展に出品します。
1959年夫の内間安瑆と渡米後はニューヨークに永住し、制作を続けます。1966年頃から、古い切手、絵葉書、楽譜、貝殻や鳥の羽などが雑誌の切抜き等でアレンジして封印したボックス型のアッサンブラージュやコラージュの制作に取り組み、全米各地の展覧会や日本での個展での発表を続けました。1982年からは体の自由を失った夫を18年間にわたり献身的に看病します。介護をしながらの限られた時間の中でも制作は続けられました。作品は「夢、希望、思い出」をテーマにしたものが多く、日常の「モノ」たちの組み合わせから内間俊子の人生の記録が表現されています。
2000年 5月9日安王星が79歳の生涯を静かに終えると、その後を追うかの如く、同年12月18日ニューヨークで死去されました。
内間俊子 Toshiko UCHIMA
"橋 (Bridge)"
1965年
木版(作家自摺り)
イメージサイズ:57.0×42.5cm
シートサイズ:61.0×45.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
上掲出品リスト(価格入り)をご希望の方は、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください。名無しの方にはお送りできません。
●『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 図版:51点、略歴収録
テキスト:内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:税込800円 ※送料別途250円(メールにてお申し込みください)


●版画掌誌「ときの忘れもの」第04号もぜひご購読ください。
◆ときの忘れものは「内間安瑆・内間俊子展」を開催しています。
会期:2018年7月17日[火]―8月10日[金] ※日・月・祝日休廊
内間安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など合わせて約20点をご覧いただきます。図録も刊行しました(800円、送料250円)。
○水沢勉「版の音律―内間安瑆の世界」(版画掌誌第4号所収)
○永津禎三「内間安瑆の絵画空間」
○内間安瑆インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回、第2回、第3回

戦前は恩地でさえ、版画では食えなかった。
おそらく版画制作のみで生計が立てられたのは吉田博(吉田ファミリー)だけでしょう。
ところが日本の敗戦に伴い占領時代になるや、日本の版画家たちはウケに入ります。
長い間、雌伏のときを過ごした版画家たちの黄金時代が出現したのです。
ときならぬ「版画ブーム」に間に合わず貧窮のうちに餓死したのが谷中安規でした。
進駐軍として来日した軍人、軍属の中に多くの美術愛好者がいて、日本の創作版画に注目し多くの作品をコレクションしたことは良く知られています。
その中の代表的コレクターがオリヴァー・スタットラーでした。彼は戦後米軍の文官(予算管理官)して来日し、日本の創作版画に魅了され世界有数の版画コレクターになったのでした。
しかし、彼は日本語ができたわけではありません。日本の美術、文化に通暁し、作家の内面にまで深く立ち入ることのできる通訳が必要でした。
スタットラーの通訳を務め、スタットラーとともに多くの版画家たちを訪ね歩きインタビューに協力したのが内間安瑆先生でした。
内間先生はそのインタビューに協力することで恩地孝四郎を知り、平塚運一、棟方志功、畦地梅太郎らと親交し、彼らの技法を学んだのでした。それとともに自ら浮世絵版画の研究も進めます。
スタットラーが1956年に刊行した『Modern Japanese Prints: An Art Reborn』は、創作版画愛好家のあいだでは長くバイブルとも目されてきた日本の現代版画の解説書です。

1956年刊行、価格は2,200円と6ドルと併記してあります。

扉には恩地孝四郎の手摺り木版画が挿入されました。

スタットラーの序文には、恩地孝四郎への謝辞とともに、二ページ目7行目に内間安瑆先生への感謝がつづられています。


海外の版画愛好家には良く知られた本(手引書)ですが、それが日本語に翻訳されたのは、刊行後半世紀を経た2009年のことでした。
●オリヴァー・スタットラー著『よみがえった芸術ー日本の現代版画』
『よみがえった芸術―日本の現代版画』著者:オリヴァー・スタットラー
監修:猿渡紀代子(横浜市民ギャラリー館長、横浜美術館学芸員)
翻訳:CWAJ(College Women's Association of Japan)
編集協力:桑原規子(聖徳大学准教授)、西山純子(千葉市美術館学芸員)、味岡千晶(美術史家)
体裁:B5変形、296頁、図版102点(カラー48頁)、並製本
発行:2009年 玲風書房

パンフレット:原書を翻訳し、さらに美術研究家により新たにオリヴァー・スタットラー論、年譜、掲載版画家の略歴などが加筆された。
山本鼎、恩地孝四郎をはじめ、平塚運一、斎藤清、棟方志功ら29名の版画家を紹介、親しみと息遣いの感じる文章に、新たに豊富なカラー図版を掲載した。
収録作家:山本鼎、恩地孝四郎、平塚運一、斎藤清、棟方志功、前川千帆、関野準一郎、品川工、川上澄生、武井武雄、初山滋、勝平得之、山口進、川西英、徳力富吉郎、下澤木鉢郎、前田政雄、橋本興家、畦地梅太郎、吉田政次、北岡文雄、山口源、稲垣知雄、笹島喜平、吉田ファミリー、馬淵聖
◆オリヴァー・スタットラー(1915-2002年)
米国シカゴ生まれ。シカゴ大学卒業。1947年に軍属として来日し1958年まで滞在。日本文化の研究家となる。米国各地で展覧会を企画、日本の現代版画の紹介と普及に努めたほか、多くの講演、執筆などを晩年まで続ける。1977年ハワイ大学東洋学客員教授、1980年神戸女学院大学客員教授になる。著書に『Japanese Inn』、『Shimoda Story』、『Japanese Pilgrimage』などがある。
◆小林美香のエッセイ「写真集と絵本のブックレビュー」(毎月25日更新)は今月は休載します。
●本日のお勧め作品は恩地孝四郎と棟方志功です。
恩地孝四郎《白い花》
1943年
カラー木版
37.0x26.0cm
※『恩地孝四郎版画集』掲載No.229(形象社)
棟方志功「柳緑花紅頌 松鷹の柵」
1955年 木版
イメージサイズ:46.0×46.5cm
シートサイズ:59.0×56.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●内間安瑆
内間安瑆は1921年アメリカに生まれます。苗字からわかるように父と母は沖縄からの移民です。1940年日本に留学、戦時中は帰米せず、早稲田大学で建築を学びます。油彩の制作をはじめ、後には木版画に転じます。
1950年アンデパンダン展(東京都美術館)に出品。1950年代初めにイサム・ノグチと知り合い、以降親しく交流する。1954年オリバー・スタットラーの取材に通訳として同行し、その著作に協力した。
その折に創作版画の恩地孝四郎にめぐり合い大きな影響を受けます。
1954年デモクラート美術家協会の青原俊子と結婚。1955年東京・養清堂画廊で木版画による初個展を開催。1959年妻の俊子と息子を伴い帰米、ニューヨーク・マンハッタンに永住。版画制作の傍ら、サラ・ローレンス大学で教え、1962と70年にグッゲンハイム・フェローシップ版画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授を務めました。
日米、二つの祖国をもった内間安瑆は浮世絵の伝統技法を深化させ「色面織り」と自ら呼んだ独自の技法を確立し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風 Forest Byobu』連作を生み出します。現代感覚にあふれた瑞々しい木版画はこれからもっともっと評価されるに違いありません。
内間安瑆 Ansei UCHIMA"An Emotion (或る感情)"
1959年
木版(作家自摺り)
イメージサイズ:40.8×30.2cm
シートサイズ:42.6×30.9cm
サインあり
内間安瑆 Ansei UCHIMA"Forest Byobu (Fragrance)"
1981年
木版(摺り:米田稔)
イメージサイズ:76.0×44.0cm
シートサイズ:83.6×51.0cm
限定120部 サインあり
*現代版画センターエディション
●内間俊子
内間俊子は旧姓・青原、高知県にルーツを持ち、1918年満州・安東市で生まれました。1928年大連洋画研究所で石膏デッサンと油彩を学び、1937年に大連弥生女学校を、1939年には神戸女学院専門部本科を卒業。帰国後、小磯良平に師事します。1953年瑛九らのデモクラート美術家協会に参加。 この頃、久保貞次郎や瀧口修造を知り、 抽象的な油彩や木版画、リトグラフを制作し、デモクラート美術展に出品します。
1959年夫の内間安瑆と渡米後はニューヨークに永住し、制作を続けます。1966年頃から、古い切手、絵葉書、楽譜、貝殻や鳥の羽などが雑誌の切抜き等でアレンジして封印したボックス型のアッサンブラージュやコラージュの制作に取り組み、全米各地の展覧会や日本での個展での発表を続けました。1982年からは体の自由を失った夫を18年間にわたり献身的に看病します。介護をしながらの限られた時間の中でも制作は続けられました。作品は「夢、希望、思い出」をテーマにしたものが多く、日常の「モノ」たちの組み合わせから内間俊子の人生の記録が表現されています。
2000年 5月9日安王星が79歳の生涯を静かに終えると、その後を追うかの如く、同年12月18日ニューヨークで死去されました。
内間俊子 Toshiko UCHIMA"橋 (Bridge)"
1965年
木版(作家自摺り)
イメージサイズ:57.0×42.5cm
シートサイズ:61.0×45.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
上掲出品リスト(価格入り)をご希望の方は、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してメールにてお申し込みください。名無しの方にはお送りできません。
●『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
2018年
ときの忘れもの 刊行
B5判 24ページ 図版:51点、略歴収録
テキスト:内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:税込800円 ※送料別途250円(メールにてお申し込みください)


●版画掌誌「ときの忘れもの」第04号もぜひご購読ください。
◆ときの忘れものは「内間安瑆・内間俊子展」を開催しています。
会期:2018年7月17日[火]―8月10日[金] ※日・月・祝日休廊
内間安瑆の油彩、版画作品と内間俊子のコラージュ、箱オブジェ作品など合わせて約20点をご覧いただきます。図録も刊行しました(800円、送料250円)。
○水沢勉「版の音律―内間安瑆の世界」(版画掌誌第4号所収)
○永津禎三「内間安瑆の絵画空間」
○内間安瑆インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回、第2回、第3回

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