1996年10月31日、久保貞次郎先生が87歳で亡くなられました。今年は23回忌にあたり、教え子たちが中心になって「久保貞次郎の会」を発足させ、10月27日に発会記念をかねて、真岡の久保講堂を訪ねるツアーを開催しました。
久保講堂(撮影:堀宜雄)
当日の講師をお願いした井上祐一先生による「久保講堂雑感」は11月11日のブログに掲載しましたので、お読みください。
以下は世話人たちによるレポート及び感想です。
●秀坂令子
2018年10月27日(土)第一回久保貞次郎の会≪真岡ツアー≫を開催いたしました。
靉嘔先生ファミリー、久保先生ご親戚、跡見学園女子短大、大学のOB、〈ときの忘れもの〉を通じて久保先生を知った方々など総勢23名にご参加頂きました。
13:00 旧真岡小学校久保講堂に集合頂き、106頁の立派な資料(ときの忘れもの制作)をお配り後、建築家井上祐一先生の解説を伺いながら建物の外観と内部を見学致しました。


久保講堂は1937年久保貞次郎氏の祖父久保六平氏傘寿を祝い、公共に役に立つ寄付をしたいと久保家より寄贈されたものです。当初は費用金額2万円(当時の価格)を提供する予定であったが、講堂建築案が熟成していくうちに、どうせ寄付するなら立派なのがよい、予算に縛られて始めると粗末なものができてしまうかもしれないと、予算を立てずに講堂一体を現物で寄付することとし、設計は久保先生の自宅を設計したフランク・ロイド・ライトの高弟遠藤新氏に依頼されました。今年竣工80年を迎えた建物は、小学校講堂の役目を終え、老朽化で取り壊す案が出た時、真岡市民の念願で移築保存されました。現在は真岡市文化財として、展示会などに使用されています。私達が訪問した時も真岡文化祭開催中で、講堂内には展示パネルが並べられ、作品展示室になっていました。2階の窓は展示保護の為に黒カーテンで遮光されていましたが、1階の窓から差し込む光だけで講堂内は明るく、2階のカーテンが前開されたら、どんなに明るく開放的な建物かと想像できました。音響効果もとても良く、井上先生の丁寧な説明もよく聞こえ、参加者も自由に質問することができました。多様性を考慮されて作られたと思われるどこからでも上がられる階段式ステージは、遠藤新氏の建築の中でも珍しいようで、跡見の先輩から権威を嫌った久保先生の注文ということはなかったかとの質問もありました。遠藤新氏も又権威を嫌う人であったそうです。
久保講堂建物の前
久保講堂内ステージの前で、
靉嘔先生を囲んで
久保先生墓前
そして長連寺にある久保先生のお墓に参り『久保貞次郎の会』発足のご報告をしました。
その後、旧久保邸であった久保記念観光交流館を自由に見学しました。
「日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡市金庫」として使われていた建物は、久保記念館となり、2階は久保先生の残した書簡、写真、原稿、著作集、愛用品物等が展示された久保資料室になっています。そこで流れる久保先生を紹介する映像は、「おとなの絵に近い達者な器用な絵は とかくおかあさん方は喜びますが あまり関心できないのです。なぜなら・・・子どもの絵の教育は 画家を作るためでなく 人間を作るためのものですから・・・」という久保先生の言葉で締めくくられています。
遠藤新氏設計の久保ギャラ―は暖炉のみですがモニュメントとして残っています。
久保アトリエと呼ばれていた石蔵は、現在美術品展示室となっていて、久保貞次郎エディション展開催中で、久保先生ゆかりの作家達の作品が並んでいました。かつてオノサト・トシノブの大作が飾られた外壁面に、この日はハロウィンイベント用の、黒いお化けが空を舞っていました。

かつての久保アトリエの前に立つ久保貞次郎先生

美術展示室(旧久保アトリエ)前
久保記念館前
最後に敷地内のトラットリアココロで会食をしました。
各自自己紹介をし、宴たけなわに特別イベントとして、久保先生恒例の版画のクジ引きを行いました。
割り箸を使い、当たると版画を購入することができます。久保先生が推奨していた小コレクター運動の片鱗を参加者に感じて頂けたことと思います。
第一回という事で、会発足にあたり、『追悼・久保貞次郎の会』(1977年10月26日)にご参加された方数名にご案内を送りましたが、ご高齢の為に会の参加を辞退されるご返信や、ご家族からの訃報のご連絡、宛名不明での戻り等、久保先生がお亡くなりになって22年という歳月をしみじみと感じました。
第一回は跡見女子短大の教え子5人がハラハラ・ドキドキで世話人を務めさせて頂きました。恩師久保先生のことを少しでも知って頂き、その業績を次の世代に繋いでいきたいと願ってやみません。
来年の同時期、第二回の会を東京で開催の予定です。
今回大変お世話になりました真岡市教育委員会文化課の鈴木様、学芸員小野崎様、真岡市観光協会川田館長、そして久保貞次郎先生のお嬢様3人のご理解と協力に感謝いたします。
●藤沼秀子:第1回久保貞次郎の会感想
反省点は色々ありますが、総括ではとても楽しい会であったと思います。
特に、印象に残る下記3点報告します。
①若い世代へのバトンについて
今回参加の、一番若い方に、ayoの「I LOVE YOU」をプレゼント出来た事、
受取ると、さっとアイオー先生の席へ行き、写真をとられていました。
実に嬉しそうで、この感動が未来に繋がるのではと予感できました。
②アイオー先生と身近にお話する時間が持てた事
久保先生が育み、大アーティストとなったアイオー先生の体温を感じられ、会話の中に、メジャーとなるきっかけとなったフィンガーBOX事件の真相等を伺えました。
大変興奮しました。
③S先輩にお会い出来た事
お会いして直ぐに30年前に戻りました。軽井沢での久保先生のビデオを保管して下さっていた事、諦めていただけに大感謝でした。

夏の軽井沢、久保別荘にて
前列左から、久保貞次郎先生、久保翠さん
後列左から、川口真寿美、藤沼秀子、秀坂令子
※今回の会に参加する事により、意見調整等、紆余曲折ありましたが、それも含めて充実しており、久保先生に再会できた感じです。企画下さり、ありがとうございます。

往年の久保コレクションより、瑛九作品の数々。
現在はその多くが東京国立近代美術館など各地の美術館に収蔵されています。
●川口真寿美:「久保貞次郎の会」に参加して
心配していたお天気は奇跡的に晴れわたり、気分は最高でした。
今回は初回という事で、久保先生自身というより「ゆかりの…」との印象がありましたが、建築に縁遠かった私にとっても興味深いツアーでした。
(撮影:堀宜雄)
素人が多かったためか、井上先生はとてもわかりやすくお話しして下さっているように感じました。
陽気も良く、時間にも余裕があり、参加者の方々が三々五々和気あいあいと談笑されている様子、また車椅子のアイオー先生を気遣う姿があったりと、全体的にやさしくゆったりとした空気感に包まれていて良かったと思います。
食事に関しては、時間に制約のある中での割り箸クジが、想像以上の盛り上がりで楽しかったです。
今回、アイオー先生の参加は大きな核の一つになったようで、今後も先生には参加していただきたいなと思いましたし、何らかの形でこうした「ゲスト」がいらっしゃるといいなと思いました。
ただ、アイオー先生や懐かしい先輩方と再会できた事で舞い上がってしまい「単なるお楽しみ会にはしない」という基本を忘れてしまったことを反省しています。
打ち合わせ通りにいかない部分も多々あって、ドタバタした感は否めませんが、それは回を重ねるごとに解消・修復できるものなので、今後の糧にしたいと思います。
●榎本エミ子:「久保貞次郎の会」に参加して
(撮影:堀宜雄)
第1回目が真岡で行われました事、良かったと思います。
ここでは先生の事が多く残っていて、先生の功績が更に分かった感じでした。
井上先生の久保講堂のお話しや資料から先生の歴史を知ることが出来ました。
井上先生、綿貫さん始め、資料を作って下さった方、秀坂さん、川口さん、藤沼さんありがとうございました。
真岡市の方も快く対応して下さり感謝でした。
●綿貫令子:「久保貞次郎の会」発足及び第一回に参加して。
今年が久保先生の23回忌にあたるということで、何とか今一度先生の業績を振り返り、その人となりを後世に伝えて行けたらと、跡見学園短期大学の卒業生数人とこの夏の暑い盛りに会を発足しました。
先生は児童美術教育運動のオーガナイザー、新しい芸術運動のパトロン、跡見学園短期大学学長、町田市版画美術館館長などなど多くの顔を持たれました。

1991年7月軽井沢の久保別荘にて、久保貞次郎先生と綿貫令子
将来、久保先生の文庫本の刊行、展覧会の企画、久保×瑛九書簡集(エスペラント語)の刊行等が実現できたらと思います。
特別大層な事を考えているわけではありませんが、その為にもこの会を継続し、各回の記録を残し、
次回の新しい人の参加を広げていきたいと願っています。
さて第一回10月27日(土)は、栃木県真岡の久保講堂を井上祐一先生の丁寧なレクチャーで、建築家遠藤新の精神と久保先生のめざそうとする思いが反響しあって出来たのだと知り、建物を見る目も違って来ました。
その後、先生のお墓参り、久保記念館を見学。久保先生を知る人、知らなかった人参加者23名がゆっくりと楽しんでいただけたのではと思います。
後輩の跡見ガールズ(気持ちだけ)達の気配りが有難い1日でした。
そしてまずは遠路ご参加下さったAy-o先生はじめ、皆様に感謝申し上げます。
人物であれ、建物であれ、愛情を持って大切に思う気持ちは必ず見る側に伝わり、新しい解釈がなされ、新しい伝わり方をします。その一つの橋渡しが出来ればと思います。
現場で日々応対されていらっしゃる方々にも、少しでも刺激になってモチベーションが上がれば嬉しいです。
来年も10月下旬に、場所は東京の方で開催したいと案を練っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
会食会にて、右から綿貫令子、綿貫不二夫、靉嘔先生ご一家(撮影:堀宜雄)
*久保講堂の空間については乃木坂46というお嬢さんたちの 『いつかできるから今日できる』プロモーション映像をご覧ください。

●今日のお勧め作品は、靉嘔です。
靉嘔 Ay-O
《一葉 A leaf》
1979年 シルクスクリーン
38.0×55.0cm
Ed.200 サインあり
レゾネNo.385
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

久保講堂(撮影:堀宜雄)当日の講師をお願いした井上祐一先生による「久保講堂雑感」は11月11日のブログに掲載しましたので、お読みください。
以下は世話人たちによるレポート及び感想です。
●秀坂令子
2018年10月27日(土)第一回久保貞次郎の会≪真岡ツアー≫を開催いたしました。
靉嘔先生ファミリー、久保先生ご親戚、跡見学園女子短大、大学のOB、〈ときの忘れもの〉を通じて久保先生を知った方々など総勢23名にご参加頂きました。
13:00 旧真岡小学校久保講堂に集合頂き、106頁の立派な資料(ときの忘れもの制作)をお配り後、建築家井上祐一先生の解説を伺いながら建物の外観と内部を見学致しました。


久保講堂は1937年久保貞次郎氏の祖父久保六平氏傘寿を祝い、公共に役に立つ寄付をしたいと久保家より寄贈されたものです。当初は費用金額2万円(当時の価格)を提供する予定であったが、講堂建築案が熟成していくうちに、どうせ寄付するなら立派なのがよい、予算に縛られて始めると粗末なものができてしまうかもしれないと、予算を立てずに講堂一体を現物で寄付することとし、設計は久保先生の自宅を設計したフランク・ロイド・ライトの高弟遠藤新氏に依頼されました。今年竣工80年を迎えた建物は、小学校講堂の役目を終え、老朽化で取り壊す案が出た時、真岡市民の念願で移築保存されました。現在は真岡市文化財として、展示会などに使用されています。私達が訪問した時も真岡文化祭開催中で、講堂内には展示パネルが並べられ、作品展示室になっていました。2階の窓は展示保護の為に黒カーテンで遮光されていましたが、1階の窓から差し込む光だけで講堂内は明るく、2階のカーテンが前開されたら、どんなに明るく開放的な建物かと想像できました。音響効果もとても良く、井上先生の丁寧な説明もよく聞こえ、参加者も自由に質問することができました。多様性を考慮されて作られたと思われるどこからでも上がられる階段式ステージは、遠藤新氏の建築の中でも珍しいようで、跡見の先輩から権威を嫌った久保先生の注文ということはなかったかとの質問もありました。遠藤新氏も又権威を嫌う人であったそうです。
久保講堂建物の前
久保講堂内ステージの前で、靉嘔先生を囲んで
久保先生墓前そして長連寺にある久保先生のお墓に参り『久保貞次郎の会』発足のご報告をしました。
その後、旧久保邸であった久保記念観光交流館を自由に見学しました。
「日本銀行宇都宮代理店真岡出張所真岡市金庫」として使われていた建物は、久保記念館となり、2階は久保先生の残した書簡、写真、原稿、著作集、愛用品物等が展示された久保資料室になっています。そこで流れる久保先生を紹介する映像は、「おとなの絵に近い達者な器用な絵は とかくおかあさん方は喜びますが あまり関心できないのです。なぜなら・・・子どもの絵の教育は 画家を作るためでなく 人間を作るためのものですから・・・」という久保先生の言葉で締めくくられています。
遠藤新氏設計の久保ギャラ―は暖炉のみですがモニュメントとして残っています。
久保アトリエと呼ばれていた石蔵は、現在美術品展示室となっていて、久保貞次郎エディション展開催中で、久保先生ゆかりの作家達の作品が並んでいました。かつてオノサト・トシノブの大作が飾られた外壁面に、この日はハロウィンイベント用の、黒いお化けが空を舞っていました。

かつての久保アトリエの前に立つ久保貞次郎先生

美術展示室(旧久保アトリエ)前
久保記念館前最後に敷地内のトラットリアココロで会食をしました。
各自自己紹介をし、宴たけなわに特別イベントとして、久保先生恒例の版画のクジ引きを行いました。
割り箸を使い、当たると版画を購入することができます。久保先生が推奨していた小コレクター運動の片鱗を参加者に感じて頂けたことと思います。
第一回という事で、会発足にあたり、『追悼・久保貞次郎の会』(1977年10月26日)にご参加された方数名にご案内を送りましたが、ご高齢の為に会の参加を辞退されるご返信や、ご家族からの訃報のご連絡、宛名不明での戻り等、久保先生がお亡くなりになって22年という歳月をしみじみと感じました。
第一回は跡見女子短大の教え子5人がハラハラ・ドキドキで世話人を務めさせて頂きました。恩師久保先生のことを少しでも知って頂き、その業績を次の世代に繋いでいきたいと願ってやみません。
来年の同時期、第二回の会を東京で開催の予定です。
今回大変お世話になりました真岡市教育委員会文化課の鈴木様、学芸員小野崎様、真岡市観光協会川田館長、そして久保貞次郎先生のお嬢様3人のご理解と協力に感謝いたします。
●藤沼秀子:第1回久保貞次郎の会感想
反省点は色々ありますが、総括ではとても楽しい会であったと思います。
特に、印象に残る下記3点報告します。
①若い世代へのバトンについて
今回参加の、一番若い方に、ayoの「I LOVE YOU」をプレゼント出来た事、
受取ると、さっとアイオー先生の席へ行き、写真をとられていました。
実に嬉しそうで、この感動が未来に繋がるのではと予感できました。
②アイオー先生と身近にお話する時間が持てた事
久保先生が育み、大アーティストとなったアイオー先生の体温を感じられ、会話の中に、メジャーとなるきっかけとなったフィンガーBOX事件の真相等を伺えました。
大変興奮しました。
③S先輩にお会い出来た事
お会いして直ぐに30年前に戻りました。軽井沢での久保先生のビデオを保管して下さっていた事、諦めていただけに大感謝でした。

夏の軽井沢、久保別荘にて
前列左から、久保貞次郎先生、久保翠さん
後列左から、川口真寿美、藤沼秀子、秀坂令子
※今回の会に参加する事により、意見調整等、紆余曲折ありましたが、それも含めて充実しており、久保先生に再会できた感じです。企画下さり、ありがとうございます。

往年の久保コレクションより、瑛九作品の数々。
現在はその多くが東京国立近代美術館など各地の美術館に収蔵されています。
●川口真寿美:「久保貞次郎の会」に参加して
心配していたお天気は奇跡的に晴れわたり、気分は最高でした。
今回は初回という事で、久保先生自身というより「ゆかりの…」との印象がありましたが、建築に縁遠かった私にとっても興味深いツアーでした。
(撮影:堀宜雄)素人が多かったためか、井上先生はとてもわかりやすくお話しして下さっているように感じました。
陽気も良く、時間にも余裕があり、参加者の方々が三々五々和気あいあいと談笑されている様子、また車椅子のアイオー先生を気遣う姿があったりと、全体的にやさしくゆったりとした空気感に包まれていて良かったと思います。
食事に関しては、時間に制約のある中での割り箸クジが、想像以上の盛り上がりで楽しかったです。
今回、アイオー先生の参加は大きな核の一つになったようで、今後も先生には参加していただきたいなと思いましたし、何らかの形でこうした「ゲスト」がいらっしゃるといいなと思いました。
ただ、アイオー先生や懐かしい先輩方と再会できた事で舞い上がってしまい「単なるお楽しみ会にはしない」という基本を忘れてしまったことを反省しています。
打ち合わせ通りにいかない部分も多々あって、ドタバタした感は否めませんが、それは回を重ねるごとに解消・修復できるものなので、今後の糧にしたいと思います。
●榎本エミ子:「久保貞次郎の会」に参加して
(撮影:堀宜雄)第1回目が真岡で行われました事、良かったと思います。
ここでは先生の事が多く残っていて、先生の功績が更に分かった感じでした。
井上先生の久保講堂のお話しや資料から先生の歴史を知ることが出来ました。
井上先生、綿貫さん始め、資料を作って下さった方、秀坂さん、川口さん、藤沼さんありがとうございました。
真岡市の方も快く対応して下さり感謝でした。
●綿貫令子:「久保貞次郎の会」発足及び第一回に参加して。
今年が久保先生の23回忌にあたるということで、何とか今一度先生の業績を振り返り、その人となりを後世に伝えて行けたらと、跡見学園短期大学の卒業生数人とこの夏の暑い盛りに会を発足しました。
先生は児童美術教育運動のオーガナイザー、新しい芸術運動のパトロン、跡見学園短期大学学長、町田市版画美術館館長などなど多くの顔を持たれました。

1991年7月軽井沢の久保別荘にて、久保貞次郎先生と綿貫令子
将来、久保先生の文庫本の刊行、展覧会の企画、久保×瑛九書簡集(エスペラント語)の刊行等が実現できたらと思います。
特別大層な事を考えているわけではありませんが、その為にもこの会を継続し、各回の記録を残し、
次回の新しい人の参加を広げていきたいと願っています。
さて第一回10月27日(土)は、栃木県真岡の久保講堂を井上祐一先生の丁寧なレクチャーで、建築家遠藤新の精神と久保先生のめざそうとする思いが反響しあって出来たのだと知り、建物を見る目も違って来ました。
その後、先生のお墓参り、久保記念館を見学。久保先生を知る人、知らなかった人参加者23名がゆっくりと楽しんでいただけたのではと思います。
後輩の跡見ガールズ(気持ちだけ)達の気配りが有難い1日でした。
そしてまずは遠路ご参加下さったAy-o先生はじめ、皆様に感謝申し上げます。
人物であれ、建物であれ、愛情を持って大切に思う気持ちは必ず見る側に伝わり、新しい解釈がなされ、新しい伝わり方をします。その一つの橋渡しが出来ればと思います。
現場で日々応対されていらっしゃる方々にも、少しでも刺激になってモチベーションが上がれば嬉しいです。
来年も10月下旬に、場所は東京の方で開催したいと案を練っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
会食会にて、右から綿貫令子、綿貫不二夫、靉嘔先生ご一家(撮影:堀宜雄)*久保講堂の空間については乃木坂46というお嬢さんたちの 『いつかできるから今日できる』プロモーション映像をご覧ください。

●今日のお勧め作品は、靉嘔です。
靉嘔 Ay-O《一葉 A leaf》
1979年 シルクスクリーン
38.0×55.0cm
Ed.200 サインあり
レゾネNo.385
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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