植田実のエッセイ「本との関係」第11回~その1
「過程」を生きる家々
この続きもののエッセイは、タイトルどおり、紙のメディアについて思いつくことを書いています。はじめの3回までは自分が仕事として関わった本のなかで印象的だったものを取り上げ、4回から10回までは中学生時代からそのへんについて年の順に回想しながら、いまは大学卒業真近かです。
で、ここらでまたいくつかの本について順序はバラバラで、とくにごく最近の「関係」にも触れたいと思います。ただ今回の原稿はじつはいつ書いたか分からない。どこかのメディアに発表した記憶がない。この正月、すこし以前の資料を整理していたら突然出てきたもので、編集者からの依頼状も校正刷りもなく、赤字などもまったく入っていない、日付けなしの生原稿だけがありました。それを勝手に使わせてもらうのをお許し下さい。なにかお気づきのかたはぜひ御連絡下さい。あらためて転載をお願いするとともに出典を明記させていただきます。
(2019年1月20日 植田実)
「自分の家を自分で建てる」ということについて、一九六〇年代から七〇年代にかけての若い建築家たちが「燃えた」事情を話して下さい。本誌の編集からそんな注文を受けて思い出そうとするのだが記憶がたしかではなくなっている。資料を探したのだが、なぜかその関係のファイルがまるごと無い。そのころ私が編集していた雑誌を見ても、その記事のあるバックナンバーだけが欠けている。証拠が古層に埋もれてしまっている。昔の町の風景を忘れてしまっているのと同じだ。
手づくりの家について、あの頃と今というとき、それは世代の違いなんかより、町の違いであるように思える。住んでいる人間の手が入っている家がどこにもあった。むしろヘンに飾り立てた建売住宅やハウスメーカーのいわゆる商品住宅、あるいは郊外の画一的な集合住宅を目にすることが未知でショッキングな体験だったのだ。
七〇年代前半、私にとってもっとも印象的なリポートは、石山修武さんがある建築専門誌に書いていた手づくり建築(彼はそれをBARRACKと表記している)探訪記である。その対象も文章も、これを超えるものは現在でもないと私は思っているが、ありがたいことに単行本にまとめられているから、その全文を読んでもらうのがいちばんだ。
これは、そのほんのサワリだが、
「壁は驚く程に多様な表情を持っていて、仕上げは荒く、ジャンカがむき出した、不確実に揺れ動く人間の手の跡が歴然としている。(中略)建てることに長い時間をかけたという事は、完成に少しづつ近づきつつある現在、建てられながらも同時に風化し始め、崩壊の時をも生きている、奇妙に時間が入り混じったという風な印象がある。(中略)
崩れかかり、風化してゆく時間そのもののイメージが、逆に現在進行形の建設過程の内に露出してくるのは面白い。」(注1)
三河湾に近い海辺に面して建てられた、伴野一六という人の家の描写だが、「八年、三千日近い日々をコツコツと型枠を組んではコンクリートを流しこむという単純作業」のはての壁の表情である。内部に入っても「ほとんど垂直によじれながら」物見櫓へ登る階段があったり、寝室の窓にはガラスのかわりに金魚が泳ぐ水槽をはめ込んでいたり、とてつもないのだが「風化してゆく時間そのもののイメージが、逆に現在進行形の建設過程の内に露出してくる」という指摘は、ただこの特異な家の描写に終らず、かつての日本の町そのもののごく日常の光景まで鮮明に蘇ってくる思いがして驚いたのだ。
いいかえれば、あとは手のつけようのないような完成品として見せた家の出現は、まったくの新種の登場だったのだ。こういう家の次の段階はといえば、もう買い替えである。家が時の流れを内に抱くことがなくなるから、つねに「過程」を生きる家は恥ずかしい。家はくらしのシェルターではなく、どんな庶民の家でもそれなりにステイタスの記号になったということだが、当時はその危機感がまだ初期的だったこともあって、家を絶滅から守る棲息地を、誰もが本能的に求めはじめていた。そのような記憶がおぼろげにある。
同時に、「自分の家を自分で建てる」作業に関わってくるある特殊な性格を、石山さんのリポートは的確に浮き彫りにしている。例えば伴野一六邸のほかには、二十一年間をかけて掘り抜いた洞穴建築、三階分の巨大な船の舳先がそのまま建築のファサードになっている住宅、ありとあらゆる生活用品をただ積み重ねた「乞食砦」などが紹介されているが、どれもがどこか異様である。これに加えて、高名な「二笑亭」(注2)やフランスで郵便配達夫がつくった「シュヴァルの館」(注3)やロサンジェルスの「ワッツ・タワー」(注4)にまで言及し、さらにはいわゆるプリミティブ画家と呼ばれる人々の作品(注5)にも触れながら、石山さんはこの章を「狂気が甦えるとき」というタイトルでまとめているが、この「狂気」とは、住む場所に対する慈しみというか優しさがあまりにも深められた結果、心の基部の岩盤をも掘り抜いてしまうことを指しているにちがいない。
アメリカでは、この頃、ジャン・ワンプラーという人が十数人ものプリミティブ・アーキテクトたちを取材した本をまとめている。そこには五十万本の空壜で、家から塀から橋までつくった葬儀屋さん(壜の中身は防腐剤、つまり商売道具の廃物利用)、地下を掘り続けて九十もの部屋と通路と光庭に住むモグラ人間、あるいは自分の庭に板材や角材で樹木の形をつくっては採色して立て、三十年後には庭を人工の木の森に変えてしまった「木を植える男」などが紹介されている。(注6)この人たちにとってはもう、自分の家をつくることが天地創造と同じなんだという気がしてくる。
いいかえれば、究極の無償行為である。それが家をつくることの本来的な営みだとすると、そこからいちばん遠いのは他ならぬ建築家である。無償の家づくりというわけにはいかないこともあるが、設計にも施工にも技術が介入してくる以上、それが向かう道のひとつの最終地点には純粋幾何学的形態が立ち現われる。立方体や球体の建築なんて住む人間を無視している、だから最近の建築家は……、なんて図式はいささか荒っぽいのであって、古代から建築が幾何学形態と深い関係にあったのもまた本質的なことなのだ。むしろそれ以外の建築はあり得なかった。
前に言った新種の家の登場に対しては、建築家も抵抗の姿勢を示したが、同時に、建築家という職能そのものが内包する技術と反技術の二律背反を意識しはじめたのもこの頃だったと思う。その時代背景で説明するのは簡単だが、石山さんたちのように、町のなかの反技術としての建築を見る眼が芽生え、そういう現象を求めて広く歩きまわる行動力が育ち、またそれに先行して、いわば異端の建築を歴史的に見通す知識がもたらされたことは、当時の時代意識の強力なバックボーンになった。
たとえば、先に挙げたジャン・ワンプラーの報告もそうだったが、それ以上にバーナード・ルドフスキーの「建築家のない建築」(注7)がはじめて出版されたときの衝撃はそこに立ち会った誰にとっても忘れることができないはずである。それは、今いちばん新しい技術、いちばん新しい建築だけを追いつづけていた眼が、突然、無限にひろがる世界に晒された驚異と興奮だった。六〇年代に生きた建築世代でなければ決して追体験すらできないものがあるとすれば、この、狭いところから広い場所に出た感覚だったのではないか。そんな記憶が残る。
(明日に続く)
(注1) 石山修武「バラック浄土」相模書房 一九八二年 石山建築の原点を知るために不可欠な名著。
(注2) この建物については「定本 二笑亭綺譚」ちくま文庫 一九九三年 精神病理学者・式場隆三郎、建築家・谷口吉郎らによる同名書(一九三九年)の復刻に加えて、藤森照信、赤瀬川源平、岸武臣、式場隆成が、解説や模型による復元や小説による二笑亭再現をはかっている。
(注3) 岡谷公二「郵便配達夫シュヴァルの理想宮」河出文庫 二〇〇一年
(注4) 黒人による自力建設のタワー。「アート&アーキテクチュア」誌に紹介されて以来、よく知られるようになった。
(注5) アンリ・ルソー、アンドレ・ポーシャンをはじめとする日曜画家たち。世田谷区立美術館の系統的なコレクションがある。
(注6) 「都市住宅」別冊一九七五夏「住宅第一〇集」でも特集。
(注7) 「都市住宅」別冊集住体ドキュメント第二冊 渡辺武信訳 のちにSD選書に再録される
(うえだ まこと)
*今回いただいた原稿は長いので、本日と明日の二回に分けて掲載します。
●今日のお勧め作品は、植田実です。
植田実 Makoto UYEDA
《端島複合体》(20)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
40.4×26.9cm
Ed.5
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは「新春の特集展示:生きものたち~宮脇愛子、嶋田しづ、谷口靖、永井桃子」を開催しています。
会期:2019年1月29日(火)~2月2日(土) 11:00-19:00※日・月・祝日休廊

画廊コレクションから、世代もキャリアも異なる4人の作家の生命力あふれる作品を展示いたします。ぜひご高覧ください。
出品作家:宮脇愛子、嶋田しづ、谷口靖、永井桃子
●ジョナス・メカスさんが1月23日亡くなられました。
追悼の心をこめてジョナス・メカス上映会(DVD)を開催します。
会期:2019年2月5日[火]―2月9日[土]
代表作「リトアニアへの旅の追憶」は毎日上映するほか、「ショート・フィルム・ワークス」、「営倉」、「ロスト・ロスト・ロスト」、「ウォルデン」の4本を日替わりで上映します。
上映時間他、詳しくはホームページをご覧ください。
2月9日17時よりのトーク「メカスさんを語る」(要予約、ゲスト:飯村昭子さん、木下哲夫さん)は既に満席となり受付を終了しました。
●東京神田神保町の文房堂ギャラリーで「版画のコア core2」展が開催されています(~2月2日[土])、会期中無休)。ときの忘れものは日和崎尊夫を出品協力しています。
●「第27回瑛九展 」は1月26日終了しましたが、3月末のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れもののブログは年中無休です。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

「過程」を生きる家々
この続きもののエッセイは、タイトルどおり、紙のメディアについて思いつくことを書いています。はじめの3回までは自分が仕事として関わった本のなかで印象的だったものを取り上げ、4回から10回までは中学生時代からそのへんについて年の順に回想しながら、いまは大学卒業真近かです。
で、ここらでまたいくつかの本について順序はバラバラで、とくにごく最近の「関係」にも触れたいと思います。ただ今回の原稿はじつはいつ書いたか分からない。どこかのメディアに発表した記憶がない。この正月、すこし以前の資料を整理していたら突然出てきたもので、編集者からの依頼状も校正刷りもなく、赤字などもまったく入っていない、日付けなしの生原稿だけがありました。それを勝手に使わせてもらうのをお許し下さい。なにかお気づきのかたはぜひ御連絡下さい。あらためて転載をお願いするとともに出典を明記させていただきます。
(2019年1月20日 植田実)
「自分の家を自分で建てる」ということについて、一九六〇年代から七〇年代にかけての若い建築家たちが「燃えた」事情を話して下さい。本誌の編集からそんな注文を受けて思い出そうとするのだが記憶がたしかではなくなっている。資料を探したのだが、なぜかその関係のファイルがまるごと無い。そのころ私が編集していた雑誌を見ても、その記事のあるバックナンバーだけが欠けている。証拠が古層に埋もれてしまっている。昔の町の風景を忘れてしまっているのと同じだ。
手づくりの家について、あの頃と今というとき、それは世代の違いなんかより、町の違いであるように思える。住んでいる人間の手が入っている家がどこにもあった。むしろヘンに飾り立てた建売住宅やハウスメーカーのいわゆる商品住宅、あるいは郊外の画一的な集合住宅を目にすることが未知でショッキングな体験だったのだ。
七〇年代前半、私にとってもっとも印象的なリポートは、石山修武さんがある建築専門誌に書いていた手づくり建築(彼はそれをBARRACKと表記している)探訪記である。その対象も文章も、これを超えるものは現在でもないと私は思っているが、ありがたいことに単行本にまとめられているから、その全文を読んでもらうのがいちばんだ。
これは、そのほんのサワリだが、
「壁は驚く程に多様な表情を持っていて、仕上げは荒く、ジャンカがむき出した、不確実に揺れ動く人間の手の跡が歴然としている。(中略)建てることに長い時間をかけたという事は、完成に少しづつ近づきつつある現在、建てられながらも同時に風化し始め、崩壊の時をも生きている、奇妙に時間が入り混じったという風な印象がある。(中略)
崩れかかり、風化してゆく時間そのもののイメージが、逆に現在進行形の建設過程の内に露出してくるのは面白い。」(注1)
三河湾に近い海辺に面して建てられた、伴野一六という人の家の描写だが、「八年、三千日近い日々をコツコツと型枠を組んではコンクリートを流しこむという単純作業」のはての壁の表情である。内部に入っても「ほとんど垂直によじれながら」物見櫓へ登る階段があったり、寝室の窓にはガラスのかわりに金魚が泳ぐ水槽をはめ込んでいたり、とてつもないのだが「風化してゆく時間そのもののイメージが、逆に現在進行形の建設過程の内に露出してくる」という指摘は、ただこの特異な家の描写に終らず、かつての日本の町そのもののごく日常の光景まで鮮明に蘇ってくる思いがして驚いたのだ。
いいかえれば、あとは手のつけようのないような完成品として見せた家の出現は、まったくの新種の登場だったのだ。こういう家の次の段階はといえば、もう買い替えである。家が時の流れを内に抱くことがなくなるから、つねに「過程」を生きる家は恥ずかしい。家はくらしのシェルターではなく、どんな庶民の家でもそれなりにステイタスの記号になったということだが、当時はその危機感がまだ初期的だったこともあって、家を絶滅から守る棲息地を、誰もが本能的に求めはじめていた。そのような記憶がおぼろげにある。
同時に、「自分の家を自分で建てる」作業に関わってくるある特殊な性格を、石山さんのリポートは的確に浮き彫りにしている。例えば伴野一六邸のほかには、二十一年間をかけて掘り抜いた洞穴建築、三階分の巨大な船の舳先がそのまま建築のファサードになっている住宅、ありとあらゆる生活用品をただ積み重ねた「乞食砦」などが紹介されているが、どれもがどこか異様である。これに加えて、高名な「二笑亭」(注2)やフランスで郵便配達夫がつくった「シュヴァルの館」(注3)やロサンジェルスの「ワッツ・タワー」(注4)にまで言及し、さらにはいわゆるプリミティブ画家と呼ばれる人々の作品(注5)にも触れながら、石山さんはこの章を「狂気が甦えるとき」というタイトルでまとめているが、この「狂気」とは、住む場所に対する慈しみというか優しさがあまりにも深められた結果、心の基部の岩盤をも掘り抜いてしまうことを指しているにちがいない。
アメリカでは、この頃、ジャン・ワンプラーという人が十数人ものプリミティブ・アーキテクトたちを取材した本をまとめている。そこには五十万本の空壜で、家から塀から橋までつくった葬儀屋さん(壜の中身は防腐剤、つまり商売道具の廃物利用)、地下を掘り続けて九十もの部屋と通路と光庭に住むモグラ人間、あるいは自分の庭に板材や角材で樹木の形をつくっては採色して立て、三十年後には庭を人工の木の森に変えてしまった「木を植える男」などが紹介されている。(注6)この人たちにとってはもう、自分の家をつくることが天地創造と同じなんだという気がしてくる。
いいかえれば、究極の無償行為である。それが家をつくることの本来的な営みだとすると、そこからいちばん遠いのは他ならぬ建築家である。無償の家づくりというわけにはいかないこともあるが、設計にも施工にも技術が介入してくる以上、それが向かう道のひとつの最終地点には純粋幾何学的形態が立ち現われる。立方体や球体の建築なんて住む人間を無視している、だから最近の建築家は……、なんて図式はいささか荒っぽいのであって、古代から建築が幾何学形態と深い関係にあったのもまた本質的なことなのだ。むしろそれ以外の建築はあり得なかった。
前に言った新種の家の登場に対しては、建築家も抵抗の姿勢を示したが、同時に、建築家という職能そのものが内包する技術と反技術の二律背反を意識しはじめたのもこの頃だったと思う。その時代背景で説明するのは簡単だが、石山さんたちのように、町のなかの反技術としての建築を見る眼が芽生え、そういう現象を求めて広く歩きまわる行動力が育ち、またそれに先行して、いわば異端の建築を歴史的に見通す知識がもたらされたことは、当時の時代意識の強力なバックボーンになった。
たとえば、先に挙げたジャン・ワンプラーの報告もそうだったが、それ以上にバーナード・ルドフスキーの「建築家のない建築」(注7)がはじめて出版されたときの衝撃はそこに立ち会った誰にとっても忘れることができないはずである。それは、今いちばん新しい技術、いちばん新しい建築だけを追いつづけていた眼が、突然、無限にひろがる世界に晒された驚異と興奮だった。六〇年代に生きた建築世代でなければ決して追体験すらできないものがあるとすれば、この、狭いところから広い場所に出た感覚だったのではないか。そんな記憶が残る。
(明日に続く)
(注1) 石山修武「バラック浄土」相模書房 一九八二年 石山建築の原点を知るために不可欠な名著。
(注2) この建物については「定本 二笑亭綺譚」ちくま文庫 一九九三年 精神病理学者・式場隆三郎、建築家・谷口吉郎らによる同名書(一九三九年)の復刻に加えて、藤森照信、赤瀬川源平、岸武臣、式場隆成が、解説や模型による復元や小説による二笑亭再現をはかっている。
(注3) 岡谷公二「郵便配達夫シュヴァルの理想宮」河出文庫 二〇〇一年
(注4) 黒人による自力建設のタワー。「アート&アーキテクチュア」誌に紹介されて以来、よく知られるようになった。
(注5) アンリ・ルソー、アンドレ・ポーシャンをはじめとする日曜画家たち。世田谷区立美術館の系統的なコレクションがある。
(注6) 「都市住宅」別冊一九七五夏「住宅第一〇集」でも特集。
(注7) 「都市住宅」別冊集住体ドキュメント第二冊 渡辺武信訳 のちにSD選書に再録される
(うえだ まこと)
*今回いただいた原稿は長いので、本日と明日の二回に分けて掲載します。
●今日のお勧め作品は、植田実です。
植田実 Makoto UYEDA《端島複合体》(20)
1974年撮影(2014年プリント)
ゼラチンシルバープリント
40.4×26.9cm
Ed.5
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは「新春の特集展示:生きものたち~宮脇愛子、嶋田しづ、谷口靖、永井桃子」を開催しています。
会期:2019年1月29日(火)~2月2日(土) 11:00-19:00※日・月・祝日休廊

画廊コレクションから、世代もキャリアも異なる4人の作家の生命力あふれる作品を展示いたします。ぜひご高覧ください。
出品作家:宮脇愛子、嶋田しづ、谷口靖、永井桃子
●ジョナス・メカスさんが1月23日亡くなられました。
追悼の心をこめてジョナス・メカス上映会(DVD)を開催します。会期:2019年2月5日[火]―2月9日[土]
代表作「リトアニアへの旅の追憶」は毎日上映するほか、「ショート・フィルム・ワークス」、「営倉」、「ロスト・ロスト・ロスト」、「ウォルデン」の4本を日替わりで上映します。
上映時間他、詳しくはホームページをご覧ください。
2月9日17時よりのトーク「メカスさんを語る」(要予約、ゲスト:飯村昭子さん、木下哲夫さん)は既に満席となり受付を終了しました。
●東京神田神保町の文房堂ギャラリーで「版画のコア core2」展が開催されています(~2月2日[土])、会期中無休)。ときの忘れものは日和崎尊夫を出品協力しています。
●「第27回瑛九展 」は1月26日終了しましたが、3月末のアートバーゼル香港2019に「瑛九展」で初出展します。
・瑛九の資料・カタログ等については1月11日ブログ「瑛九を知るために」をご参照ください。
・現在、各地の美術館で瑛九作品が展示されています。
埼玉県立近代美術館:「特別展示:瑛九の部屋」で120号の大作「田園」を公開、他に40点以上の油彩、フォトデッサン、版画他を展示(4月14日まで)。
横浜美術館:「コレクション展『リズム、反響、ノイズ』」で「フォート・デッサン作品集 眠りの理由」(1936年)より6点を展示(3月24日まで)。
宮崎県立美術館:<瑛九 -宮崎にて>で120号の大作「田園 B」などを展示(4月7日まで)。
●ときの忘れもののブログは年中無休です。昨年ご寄稿いただいた方は全部で51人。年末12月30日のブログで全員をご紹介しました。
●2019年のときの忘れもののラインナップはまだ流動的ですが、昨2018年に開催した企画展、協力展覧会、建築ツアー、ギャラリーコンサートなどは年末12月31日のブログで回顧しました。
●ときの忘れものは〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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