松本竣介研究ノート 第8回

作品を考えるということ~『立てる像』上


小松﨑拓男


画家の制作する絵画作品について考えるときに、いくつかのポイントがある。例えば一つは、作品の主題だ。描かれているものについての考察。おそらく最も肝要で作家について知るための、また作品について考究するための重要な点であるだろう。何が描かれているかを考えるということである。
また別の観点からは、色彩や描かれた形象についても、すなわち造形的な要素に関する考察も必要になるだろう。それは具体的なものを描いている具象の画家であっても、また具象的なものを描かない抽象の画家であればなおのこと考えなければならない問題であろう。
そして、これらを表現している、技術的な問題、技法や絵画材料に関する考察、これもまた必要なことである。特に、技術的な問題は科学の問題でもあり、実験や検証あるいは証明や証拠などエビデンスを求められるものでもある。歴史的な作品を研究する場合は、とりわけ真贋についてはこうした客観的な研究は必須となる。

よく絵画鑑賞では、自由に鑑賞することが推奨されるし、鑑賞者の受けた印象や感情が大事だとされる。もちろん、鑑賞は鑑賞者の自由に委ねられているからそれで良いのだとは思う。しかし、ただ自分がそう感じたから、だからその作品も、そのように解釈され、そうだと決定できるわけではない。しばしば鑑賞者や批評家の恣意的な解釈が、ある意味、それが印象批評でしかなく、作品や作家の本当の意味やあり方を誤って伝え,誤解を与えてしまうこともある。
つまりそれは、そのような誤りに陥らないためには、まずは研究者や批評家は、作品やその作家を前にして、謙虚になることを要求されているのだろうと思う。

さて、いま、神奈川県立近代美術館鎌倉別館「鎌倉別館リニューアル・オープン記念展 ふたたびの『近代』」と題された展覧会が開催されている。35年前の1984年に開館した別館がリニューアルされたお披露目の記念展である。(図1)

1展覧会タイトル看板 図1展覧会タイトル看板

この展覧会に松本竣介の作品が出品展示されている。久しぶりにその実作を見に行った。1942年に制作され、第29回の二科展に出品された自画像の立像『立てる像』(図2)である。神奈川県立近代美術館の代表的な所蔵作品の一つでもある。そして戦争期に制作された立像シリーズの二作目の大型作品で松本竣介の代表作の一点でもある。

2立てる像 図2
「立てる像」
 1942年
 油彩・画布
 162.0×130.0cm
 第29回二科展(1942年9月)
 神奈川県立近代美術館
 
今、手元にあるカタログのいくつか手にしてみると、多くの展覧会に出品され、その都度作品解説がいくつも書かれていることがわかる。松本竣介の作品の中でもよく知られた作品の一つである。
描かれているのは松本竣介の自画像。道の真ん中に屹立する。デニムの作業着を着て、薄い草履のような履物を履いている。衣服の描写は縫取りの糸目が描かれるほど詳細である。背景も丹念に描かれている。下絵と思われる素描が何点か残っている。時折、松本は人があまり好ましいと思わないようなものまで描いているが、例えば新宿にあった公衆便所がいい例だろう。この背景もまた、あまり人が好んで描くとは思えない高田の馬場付近のゴミ捨場が描かれているという。
1986年に東京国立近代美術館などで開催された「松本竣介展」のカタログの104頁から106頁にかけて素描とともにそのことが詳しく紹介されている。(図3)

3松本竣介展(1986年)カタログより 図3 松本竣介展(1986年)カタログより

しかし、この作品、よく見れば不思議な作品である。

明るく背景を抜いて、姿と表情をコントラスト強く明瞭に描いたほとんど唯一の作品である。ところが、それにしてはその表情、やや斜視になった眼とその視線は茫洋として何を思っているのか読み取るのは難しい。前年に描いている『画家の像』の表情とは異なり、明確ではなく、曖昧だ。にも関わらず、少し大袈裟かもしれないが神々しさにも似た清々しい凛々しさのようなものも感じる。

さらにこの作品全体を包む「光」も不思議だ。昼間の風景であるのにも関わらず、光源である太陽は天空にない。松本の立つ道は、緩やかな上り坂になり、橋の欄干が見えるあたりで頂きとなり、そのまま向こう側へと下っているように見える。おそらく光源である太陽はその坂の向こうにある。というのは、描かれた雲の影が雲の上部についているからだ。光は下からやって来なければこんな影は出ない。朝日が昇る時か、夕方日が落ちる時にしか出ない影ではないのかと思うのだが・・・。
ところがそうである一方、向かって右側の何本か描かれている橋の欄干のような柱は、光が左上方から当たるようには白いハイライトが描かれる。また左側の塀の木戸口から漏れる光は、同様に左上方からのかなり明るい光に照らされた光が道を明るくしている。
荷車の前に細長い棒状のものが右側の背景に描かれているが、その影の位置と欄干に当たる光の方向とは一致しない。
果たしてこれはどういうことのなのだろうか。(次回に続く)
こまつざき たくお

■小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

■群馬県桐生の大川美術館で「松本竣介 街歩きの時間」が開催されています(会期:2019年10月8日ー12月8日)

「松本竣介と『雜記帳』」展図録のご案内
松本竣介と雑記帳2019年 
ときの忘れもの刊
B5判 44ページ
テキスト:小松崎拓男
収録作家:松本竣介恩地孝四郎福沢一郎海老原喜之助難波田龍起鶴岡政男桂ゆき
価格:1,100円(税込)
梱包送料:250円

*メールにてお申し込みください。

●本日のお勧め作品は、松本竣介です。
matsumoto_13松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《古代建築》
1946年
紙にインク、水彩
イメージサイズ:16.9x11.8cm
シートサイズ:20.3x14.0cm
※松本竣介展(2012年 ときの忘れもの)p.3所収 No.1
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