「メカス マチューナス フルクサス」

ヴィートウタス・ランズベルギス

版画掌誌ときの忘れもの第5号』(2005年刊)より
ジョナス・メカスとランズベルギス
メカスさん(左)とランズベルギスさん(右)

 ふたりのリトアニア人が海を越え遠い異国に渡った後、世界を、美術の世界を動かした。ふたりはコンセプチュアル・アーティストを名乗りはしなかったが、この呼称はもとより自称に馴染まない。ニーチェの言うように、世界は新たな騒音を創りだす者ではなく、新たな着想を得る者によって動かされる。そして世界は音もなく、だれに聞かれることもなく、自転する。
 ヨーナス・メカスとユルギス・マチューナスの両名はアメリカ人となった。国土が再びソ連による占領の憂き目に遇った1944年、大挙して祖国を離れた同胞と運命を共にしたのである。
 ヨーナスがアメリカに渡ってもヨーナスでありつづけたのに対し、ユルギスはジョージになりかわった(ただしリトアニアに宛てた手紙にはユルギスと署名する)。ヨーナスが理解し、受け容れる道を選んだのに対し、ユルギスは自ら討って出て、理解しようとしない者等を説き伏せ、靡かせようとした。
 内向性と外向性╶─╴ふたりはあの巨大な都会ニューヨークで見事に互いを補いあった。折しも20世紀後半、あらゆる人種、あらゆる国の優れた才能がこの街に押し寄せた時期である。ニューヨークはふたりに翼を授けた。いや授けたのは羽ばたくのに必要な空間にすぎなかったかもしれない。
 ヨーナスはリトアニアにともすれば心から溢れそうになるほど深い想いを寄せ、稀な美を湛え、郷愁を誘う詩をものした。ヨーナスはまた叛逆の精神も滾らせ、ハリウッドに対抗するアメリカの新しい映画を創りだした。ユルギスは自らのことで頭を一杯にし、リトアニアから持ち越したその思いを果たし状にように、日下にあるものはなにもかも見尽くしたと思いなすアメリカに突きつけた。
 果たし合いは今もつづき、終わる気配はない。すべては生命を保ち、流れ、変化する。人生とはそうしたもの、ただ株券を収めた金庫のようなクローンのみならず、化石化した生き物のみならず、生きた人間のいるかぎり、人生とはそうしたものである。そして芸術を介した暮しの活力の現れを、両人が現実として、生き生きと、流れてやまず、絶えず変化しつづける現実として捉えたものに、フルクサスの名がついた。
 ふたりはそのように名づけ、かくして新語は今も世に受け継がれる。
(木下哲夫訳)
*『版画掌誌ときの忘れもの第5号』(2005年刊)より再録

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■ヴィートウタス・ランズベルギス Vytautas LANDSBERGIS
1932年リトアニアのカウナスに生まれる。1940年リトアニアはソ連に併合される。作曲家、ピアニスト、リトアニア国立音楽院教授。同郷のジョージ・マチューナスが創設したフルクサスにも参加している。近代リトアニアの代表的作曲家で画家のミカロユス・チュルリョーニスの研究者として知られる。1990年の50年ぶりの自由選挙で独立回復運動を率い、初代リトアニア大統領となる。
料理をする母600
ジョナス・メカス Jonas MEKAS
「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
signed
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メカスさんが1972年に発表した映画『リトアニアへの旅の追憶』には、27年ぶりに訪れたリトアニア(まだソ連領だった)での母、友人たちとの再会、そして懐かしい故郷の風景が映し出されています。詩人ならではのみずみずしい言葉とバックに流れるピアノの調べにのって、一瞬一瞬のきらめくような映像が観る人たちを魅了します。演奏しているのは当時ピアノ教師だったランズベルギスさんです。

『版画掌誌ときの忘れもの 第5号 ジョナス・メカス日和崎尊夫
一昨年96歳で死去したジョナス・メカス(1922-2019)のフローズン・フィルム・フレームズ(静止した映画)と呼ぶ写真作品の紹介と、50歳の若さで死去した木口木版画家の日和崎尊夫(1941-1992)を特集。
最終巻となった第5号刊行記念の「ジョナス・メカス展」2005年10月に開催しました。メカスさんはNYから四度目の来日をされました。結局これが最後の来日となりました。今回第5号A版、B版お買い上げの方には先着5名様に、その折にメカスさんにサインしていただいた案内状をおつけします。
2020_12_23_MG_5746-22005年11月11日刊行
B4型変形(32×26cm)、綴じ無し、表紙は箔押・シルクスクリーン刷り、本文24頁、限定70部
ジョナス・メカス特集テキスト=ジョナス・メカスヴィータウタス・ランズベルギス(リトアニア初代大統領)
日和崎尊夫特集テキスト=谷川渥(美学者・批評家)
A版-A(限定15部)
ジョナス・メカスの写真作品《ジプシーの予言》、シルクスクリーン《わが街ニューヨークに捧げるラブ・レター》2点+日和崎尊夫の木口木版画《たがねの花》《殖》2点、計4点入り。
A版-B(限定20部
ジョナス・メカスの写真作品《リキテンスタインのモデル》、シルクスクリーン《わが街ニューヨークに捧げるラブ・レター》2点+日和崎尊夫の木口木版画《たがねの花》《殖》2点、計4点入り。
B版(限定35部)=70,000円(税抜、1月末までの特別価格)
ジョナス・メカスのシルクスクリーン《わが街ニューヨークに捧げるラブ・レター》1点+日和崎尊夫の木口木版画《たがねの花》《殖》2点、計3点入り。

わが街ニューヨークに捧げるラブ・レタージョナス・メカス Jonas MEKAS
《わが街ニューヨークに捧げるラブ・レター》

2005年
シルクスクリーン
イメージサイズ:26.0×20.0cm
シートサイズ:32.0×51.5cm
Ed.70
サインあり
※『版画掌誌ときの忘れもの』第5号 A版-A、A版-B、B版に挿入


ジプシーの予言ジョナス・メカス Jonas MEKAS
《ジプシーの予言》
"the gypsy told me
the gypsy read it from the cards
the gypsy told me I'll have a big journey and I'll find myself beyond the sea"

2005年
写真(ラムダプリント)
イメージサイズ:24.5×12.5cm
シートサイズ:30.5×24.5cm
Ed.15
サインあり
※『版画掌誌ときの忘れもの』第5号 A版-Aに挿入


リキテンスタインのモデルジョナス・メカス Jonas MEKAS
《リキテンスタインのモデル》
"Roy Lichtenstein’s model…. Filmed at Andy Warhol’s studio, December 15,1976.From the film, He Stands in a Desert Counting the Seconds of His Life"

2005年
写真(ラムダプリント)
イメージサイズ:24.4×18.9cm
シートサイズ:30.5×24.5cm
Ed.20
サインあり
※『版画掌誌ときの忘れもの』第5号 A版-Bに挿入


たがねの花日和崎尊夫 HIWASAKI Takao
《たがねの花》

1978年
木口木版
イメージサイズ:7.2×11.2cm
シートサイズ:24.2×30.2cm
Ed.175
サインあり
レゾネNo.384 (1995年 高知県立美術館・渋谷区立松濤美術館)
※『版画掌誌ときの忘れもの』第5号 A版-A、A版-B、B版に挿入


殖日和崎尊夫 HIWASAKI Takao
《殖》

1972年原版制作(1978年摺り)
木口木版
イメージサイズ:7.8×8.5cm
シートサイズ:16.0×15.4cm
Ed.2500
版上サインあり
レゾネNo.337 (1995年 高知県立美術館・渋谷区立松濤美術館)
※『版画掌誌ときの忘れもの』第5号 A版-A、A版-B、B版、分冊として刊行したC版に挿入
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●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第3回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
採用AAA_0136塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。1月28日には第3回目の特別頒布会も開催しました。お気軽にお問い合わせください。

●多事多難だった昨年ですが(2020年の回顧はコチラをご覧ください)、今年も画廊空間とネット空間を往還しながら様々な企画を発信していきます。ブログは今年も年中無休です(昨年の執筆者50人をご紹介しました)。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。
もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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