実に、実に、実に、久しぶりに瑛九の版画(作家自刷り)を展示します。
ときの忘れものでは、昨年9月の「第30回瑛九展 フォトデッサンと型紙」に続き、今秋は10月に駒込の画廊で第31回、翌11月には「Art Basel Miami Beach 2022」で第32回瑛九展を開催します。
先ずは「第31回瑛九展」のご案内です。
会期:2022年10月7日(金)―10月22日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊


前回(第30回瑛九展)ではフォトデッサンとその源泉となった型紙に焦点をあて、瑛九の印画紙作品を特集しました。
今回は48歳で逝った短い生涯の中で1950年代に集中して制作した版画作品を特集します。
1951年から1958年までの足掛け8年の間に銅版画を約350点を制作しました(正確には330~350点)。銅版画の詩人と謡われた駒井哲郎が40数年かけて制作したのが約600点、それに比べても異例の集中制作だということがわかります。さらに1956年からはリトグラフにも本格的に取り組み(1951年に数点の試作)、1956年から1958年僅か3数年間に約160点を制作しました。銅版もリトグラフもプレス機を自宅に備え、ほとんどを自刷りしました。第31回瑛九展では「海辺の孤独」(リトグラフ)はじめ銅版画とリトグラフの代表作を中心に、晩年の油彩点描画もご覧いただきます。

瑛九
《過去》
1953年
エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:36.0×26.2cm
シートサイズ:44.0×29.6cm
自刷り:限定2部
自筆サインあり
裏面に「過去」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.100「過去」限定2部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.1「過去」1953年、E.A.2と記載
瑛九
《舞台》または《街角》
1953年
エッチング、ルーレット(作家自刷り)
イメージサイズ:18.0×23.4cm
シートサイズ:23.5×32.0cm
自刷り:限定7部
自筆サインあり
裏面に「舞台」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」ではNo.53「街角」限定7部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.34「街角」1953年、E.A.7と記載。
瑛九
《眼》
1951年
エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:20.5×15.0cm
シートサイズ:31.5×23.0cm
自刷り:限定30部
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.19「眼」限定30部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.22「眼」1951年、edition30と記載。
瑛九
《猫のおどり》または《無我》
1952年
エッチング、アクアチント(作家自刷り)
イメージサイズ:17.5×11.7cm
シートサイズ:24.3×16.2cm
自刷り:1部乃至数部
自筆サインあり
裏面に「猫のおどり」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」ではNo.64「無我」と記載、限定部数の記載無し。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.77「無我」1953年、E.A.1と記載
瑛九
《鳥と動物》
1954年
エッチング(作家自刷り)
28.5×24.0cm
自刷り:1部乃至数部
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には未収録。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.14「鳥と動物」1954年、自刷り無しと記載(意図的な誤記)
瑛九
《愛の鳥》
1956年
エッチング(自刷り)
15.0×9.0cm
自刷り:限定5部
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.186「愛の鳥」限定5部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.214「愛の鳥」1956年、E.A.5と記載
瑛九
《空想》
1953年
エッチング(自刷り)
13.3×7.7cm
自刷り:限定1部乃至数部
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.60「空想」限定部数の記載無し。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.174「空想」E.A.1と記載

瑛九
《動物園》または《影ふみ》
1954年
アクアチント(自刷り)
イメージサイズ:9.0×10.2cm
シートサイズ:24.0×15.5cm
自刷り:限定2部乃至数部
自筆サインあり
裏面に「動物園」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には未収録。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.207「影ふみ」1953年、E.A.2と記載
瑛九《アパートの窓》
1951年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:9.1×13.0cm
シートサイズ:17.4×24.1cm
自刷り:限定1部乃至数部
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には未収録。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.141「アパートの窓」1951年、自刷りなしと記載(誤記)。
瑛九
《コンプレックス》
1953年
エッチング、ルーレット(自刷り)
イメージサイズ:17.7×23.4cm
シートサイズ:28.0×38.0cm
自刷り:限定5部
自筆サインあり
裏面に「コンプレックス」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.66「コンプレックス」1953×5と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.29「コンプレックス」1953年、E.A.5と記載
瑛九《風景・C》
1958年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:11.5×8.8cm
シートサイズ:28.0×18.5cm
自刷り部数は不詳(根拠とする資料、未見)
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」及び林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログのいずれにも収録無し
瑛九《牧哥》または《愛のよろこび》
1953年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:23.5×18.2cm
シートサイズ:31.5×23.4cm
自刷り:限定25部
自筆サインあり
裏面にタイトル「牧哥」と記載あり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には、加筆前の画像が「愛のよろこび」1953、限定25と記載あり、おそらく残っていた加筆前の作品を撮影したものと思われる。実際に限定25部とされるものは加筆後の作品と推定される。
*南天子版「瑛九原作銅版画集総目録」には第4集所収「愛のよろこび」1954と記載
瑛九《にわとり》または《鳥の精》
1952年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:11.4×9.0cm
シートサイズ:19.0×18.0cm
自刷り:限定8部
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.31「鳥の精」1952、限定8と記載あり、
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.171「鳥の精」1952、E.A.8と記載あり
瑛九《不安な街》または《庭園》
1953年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:23.5×18.0cm
シートサイズ:31.5×23.3cm
自刷り:限定25部
自筆サインあり
裏面にタイトル「不安な街」と記載あり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.87「庭園」1953、限定25と記載あり
*南天子版「瑛九原作銅版画集総目録」には第2集所収「庭園」1953と記載
瑛九
《海辺の孤独》
1957年
リトグラフ
52.0×40.0cm
限定35部
自筆サインあり
※瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.151
瑛九《カザリ》
1956年
リトグラフ
36.0×24.5cm
限定8部
*都夫人の裏書あり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.51
瑛九《マスク》
1956年
リトグラフ
イメージサイズ:34.5×22.0cm
シートサイズ:49.7×38.3cm
限定10部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.54
瑛九《飛ぶ》
1957年
リトグラフ
イメージサイズ::40.0×27.0cm
シートサイズ:54.2×28.4cm
限定50部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.100
瑛九《虫の生活》
1957年
リトグラフ
イメージサイズ:38.0x27.0cm
シートサイズ:54.2x38.1cm
限定20部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.105
瑛九《ピエロ》
1957年
リトグラフ
イメージサイズ:40.0×26.0cm
シートサイズ:55.0×39.5cm
限定25部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.84
瑛九《雲》
1957年
リトグラフ
イメージサイズ:35.0×51.0cm
シートサイズ:49.5×66.0cm
限定20部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.145
瑛九《狩》
1957年
リトグラフ
イメージサイズ:38.0×54.0cm
シートサイズ:49.4×65.8cm
限定10部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.144
瑛九《舞台のピエロ》
1957年
リトグラフ
イメージサイズ:51.5×41.0cm
シートサイズ:66.0×49.5cm
限定20部
*都夫人の裏書あり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.141
瑛九《小さな恋》
1957年
リトグラフ
イメージサイズ:25.0×41.0cm
シートサイズ:38.5×40.5cm
限定20部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.95

瑛九「作品」
1959年 油彩・キャンバス
45.5×53.0cm
画面左下にサインと年記
展示風景


<

























*画廊亭主敬白
版画育ちの亭主にとって、瑛九の版画をご紹介するのは当然の使命ですが、長い、長~い間、それができませんでした(涙)。
理由の第一は、市場に氾濫する目を覆うばかりの瑛九の銅版画後刷りです(リトグラフには後刷りはありません)。ある事情で数万点とも言われる後刷りが叩き売りされてきたわけです。その罪は深い・・・
第二に、後刷りはともかく、肝心の瑛九の自刷り作品がダイヤモンドにも比すべき稀少なもので、そうは簡単に入手できません。にもかかわらず、悪貨は良貨を駆逐する=叩き売りされる後刷りが超稀少な自刷り作品の足を引っ張る、これじゃあ健全な市場は形成されません。まことに、まことに、後刷り(氾濫)の罪は深い・・・
しばらく前のことですが、めったにない幸運(女神)が訪れ、瑛九自刷りの銅版画をまとめて入手することができました。今回の第31回瑛九展、瑛九ファンならずとも必見の展覧会です(相変わらず自画自賛)。
銅版画の後刷りについては「瑛九について」をお読みください。
もう少し突っ込んだ解説を近いうちに書きたいと思っています。
故郷宮崎では●「宮崎県立美術館コレクション企画展 めぐりあう個性」が開催されています
会期:2022年(令和4年)10月1日(土)~10月30日(日)
会場:宮崎県立美術館
瑛九「つばさ」、靉嘔 他
宮崎の県立美術館は多くの瑛九作品を所蔵し、いつ行っても作品を見られる唯一の美術館です。
ときの忘れものは1995年の開廊以来、毎年のように瑛九展を開催し、昨年は9月に「生誕110年 第30回瑛九展 フォト・デッサンと型紙」を開催しました。本年も上述の通り駒込とマイアミで二つの瑛九展の開催します。
亭主は瑛九ご本人には会えませんでしたが、夫人の都さん、兄の杉田正臣さん、同郷の同志・富松昇さん、エスペラント語の教え子だった鈴木素直先生、瑛九の会を組織し瑛九顕彰に尽力した久保貞次郎先生、瀧口修造先生、木水育男先生、原田勇先生、尾崎正教先生、友人の画家・難波田龍起先生、生涯の盟友だったオノサト・トシノブ先生、膨大な資料を集め瑛九の評伝を書かれた山田光春先生など瑛九の周辺の人たちの多くに実際にお会いすることができました。作家とその周囲の人たちを知ることは作品の理解に役立ちますし、なにより会ってもいない作家のリアリティを実感できます。
しかし、これらの方々はいまや鬼籍に入られており、ときの忘れものスタッフたちの多くはお顔すら存じない。亭主が上掲の方々から受けた恩顧を次の世代に引き継ぐことをしていかないとまずいと気づいた次第です。
コロナ禍ではありましたが昨年、宮崎県立美術館で大規模な回顧展が開催されました。
「生誕110年記念 瑛九展-Q Ei 表現のつばさ-」
会期:2021年10月23日~12月5日
遠路ではありましたが、スタッフ4人が出張し、担当学芸員小林美紀先生のレクチャーを受け、瑛九作品を学ぶ機会をいただきました。
尾立麗子の内覧会レポート/2021年11月6日ブログ
スタッフMのレポート/2021年12月19日ブログ
スタッフSのレポート/2021年12月26日ブログ。
これからも、瑛九作品との出会いを求めて、若いスタッフたちに各地を行脚してもらいたいと思っています。
■瑛九 Q Ei(1911-1960)
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。1936年フォト・デッサン作品集『眠りの理由』を刊行。1937年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、1951年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。1960年48歳で永逝。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
ときの忘れものでは、昨年9月の「第30回瑛九展 フォトデッサンと型紙」に続き、今秋は10月に駒込の画廊で第31回、翌11月には「Art Basel Miami Beach 2022」で第32回瑛九展を開催します。
先ずは「第31回瑛九展」のご案内です。
会期:2022年10月7日(金)―10月22日(土)11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊


前回(第30回瑛九展)ではフォトデッサンとその源泉となった型紙に焦点をあて、瑛九の印画紙作品を特集しました。
今回は48歳で逝った短い生涯の中で1950年代に集中して制作した版画作品を特集します。
1951年から1958年までの足掛け8年の間に銅版画を約350点を制作しました(正確には330~350点)。銅版画の詩人と謡われた駒井哲郎が40数年かけて制作したのが約600点、それに比べても異例の集中制作だということがわかります。さらに1956年からはリトグラフにも本格的に取り組み(1951年に数点の試作)、1956年から1958年僅か3数年間に約160点を制作しました。銅版もリトグラフもプレス機を自宅に備え、ほとんどを自刷りしました。第31回瑛九展では「海辺の孤独」(リトグラフ)はじめ銅版画とリトグラフの代表作を中心に、晩年の油彩点描画もご覧いただきます。

瑛九《過去》
1953年
エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:36.0×26.2cm
シートサイズ:44.0×29.6cm
自刷り:限定2部
自筆サインあり
裏面に「過去」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.100「過去」限定2部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.1「過去」1953年、E.A.2と記載
瑛九《舞台》または《街角》
1953年
エッチング、ルーレット(作家自刷り)
イメージサイズ:18.0×23.4cm
シートサイズ:23.5×32.0cm
自刷り:限定7部
自筆サインあり
裏面に「舞台」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」ではNo.53「街角」限定7部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.34「街角」1953年、E.A.7と記載。
瑛九《眼》
1951年
エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:20.5×15.0cm
シートサイズ:31.5×23.0cm
自刷り:限定30部
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.19「眼」限定30部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.22「眼」1951年、edition30と記載。
瑛九《猫のおどり》または《無我》
1952年
エッチング、アクアチント(作家自刷り)
イメージサイズ:17.5×11.7cm
シートサイズ:24.3×16.2cm
自刷り:1部乃至数部
自筆サインあり
裏面に「猫のおどり」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」ではNo.64「無我」と記載、限定部数の記載無し。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.77「無我」1953年、E.A.1と記載
瑛九《鳥と動物》
1954年
エッチング(作家自刷り)
28.5×24.0cm
自刷り:1部乃至数部
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には未収録。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.14「鳥と動物」1954年、自刷り無しと記載(意図的な誤記)
瑛九《愛の鳥》
1956年
エッチング(自刷り)
15.0×9.0cm
自刷り:限定5部
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.186「愛の鳥」限定5部と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.214「愛の鳥」1956年、E.A.5と記載
瑛九《空想》
1953年
エッチング(自刷り)
13.3×7.7cm
自刷り:限定1部乃至数部
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.60「空想」限定部数の記載無し。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.174「空想」E.A.1と記載

瑛九
《動物園》または《影ふみ》
1954年
アクアチント(自刷り)
イメージサイズ:9.0×10.2cm
シートサイズ:24.0×15.5cm
自刷り:限定2部乃至数部
自筆サインあり
裏面に「動物園」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には未収録。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.207「影ふみ」1953年、E.A.2と記載
瑛九《アパートの窓》1951年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:9.1×13.0cm
シートサイズ:17.4×24.1cm
自刷り:限定1部乃至数部
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には未収録。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.141「アパートの窓」1951年、自刷りなしと記載(誤記)。
瑛九《コンプレックス》
1953年
エッチング、ルーレット(自刷り)
イメージサイズ:17.7×23.4cm
シートサイズ:28.0×38.0cm
自刷り:限定5部
自筆サインあり
裏面に「コンプレックス」とタイトル表記あり、
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.66「コンプレックス」1953×5と記載。
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.29「コンプレックス」1953年、E.A.5と記載
瑛九《風景・C》1958年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:11.5×8.8cm
シートサイズ:28.0×18.5cm
自刷り部数は不詳(根拠とする資料、未見)
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」及び林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログのいずれにも収録無し
瑛九《牧哥》または《愛のよろこび》1953年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:23.5×18.2cm
シートサイズ:31.5×23.4cm
自刷り:限定25部
自筆サインあり
裏面にタイトル「牧哥」と記載あり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」には、加筆前の画像が「愛のよろこび」1953、限定25と記載あり、おそらく残っていた加筆前の作品を撮影したものと思われる。実際に限定25部とされるものは加筆後の作品と推定される。
*南天子版「瑛九原作銅版画集総目録」には第4集所収「愛のよろこび」1954と記載
瑛九《にわとり》または《鳥の精》1952年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:11.4×9.0cm
シートサイズ:19.0×18.0cm
自刷り:限定8部
自筆サインあり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.31「鳥の精」1952、限定8と記載あり、
*林グラフィックプレス版「瑛九・銅版画」カタログではNo.171「鳥の精」1952、E.A.8と記載あり
瑛九《不安な街》または《庭園》1953年
エッチング(自刷り)
イメージサイズ:23.5×18.0cm
シートサイズ:31.5×23.3cm
自刷り:限定25部
自筆サインあり
裏面にタイトル「不安な街」と記載あり
*杉田都編・私家版レゾネ「瑛九銅版写真集」No.87「庭園」1953、限定25と記載あり
*南天子版「瑛九原作銅版画集総目録」には第2集所収「庭園」1953と記載
瑛九《海辺の孤独》
1957年
リトグラフ
52.0×40.0cm
限定35部
自筆サインあり
※瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.151
瑛九《カザリ》1956年
リトグラフ
36.0×24.5cm
限定8部
*都夫人の裏書あり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.51
瑛九《マスク》1956年
リトグラフ
イメージサイズ:34.5×22.0cm
シートサイズ:49.7×38.3cm
限定10部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.54
瑛九《飛ぶ》1957年
リトグラフ
イメージサイズ::40.0×27.0cm
シートサイズ:54.2×28.4cm
限定50部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.100
瑛九《虫の生活》1957年
リトグラフ
イメージサイズ:38.0x27.0cm
シートサイズ:54.2x38.1cm
限定20部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.105
瑛九《ピエロ》1957年
リトグラフ
イメージサイズ:40.0×26.0cm
シートサイズ:55.0×39.5cm
限定25部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.84
瑛九《雲》1957年
リトグラフ
イメージサイズ:35.0×51.0cm
シートサイズ:49.5×66.0cm
限定20部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.145
瑛九《狩》1957年
リトグラフ
イメージサイズ:38.0×54.0cm
シートサイズ:49.4×65.8cm
限定10部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.144
瑛九《舞台のピエロ》1957年
リトグラフ
イメージサイズ:51.5×41.0cm
シートサイズ:66.0×49.5cm
限定20部
*都夫人の裏書あり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.141
瑛九《小さな恋》1957年
リトグラフ
イメージサイズ:25.0×41.0cm
シートサイズ:38.5×40.5cm
限定20部
自筆サインあり
*瑛九の会編「瑛九石版画総目録」No.95

瑛九「作品」
1959年 油彩・キャンバス
45.5×53.0cm
画面左下にサインと年記
展示風景


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*画廊亭主敬白
版画育ちの亭主にとって、瑛九の版画をご紹介するのは当然の使命ですが、長い、長~い間、それができませんでした(涙)。
理由の第一は、市場に氾濫する目を覆うばかりの瑛九の銅版画後刷りです(リトグラフには後刷りはありません)。ある事情で数万点とも言われる後刷りが叩き売りされてきたわけです。その罪は深い・・・
第二に、後刷りはともかく、肝心の瑛九の自刷り作品がダイヤモンドにも比すべき稀少なもので、そうは簡単に入手できません。にもかかわらず、悪貨は良貨を駆逐する=叩き売りされる後刷りが超稀少な自刷り作品の足を引っ張る、これじゃあ健全な市場は形成されません。まことに、まことに、後刷り(氾濫)の罪は深い・・・
しばらく前のことですが、めったにない幸運(女神)が訪れ、瑛九自刷りの銅版画をまとめて入手することができました。今回の第31回瑛九展、瑛九ファンならずとも必見の展覧会です(相変わらず自画自賛)。
銅版画の後刷りについては「瑛九について」をお読みください。
もう少し突っ込んだ解説を近いうちに書きたいと思っています。
故郷宮崎では●「宮崎県立美術館コレクション企画展 めぐりあう個性」が開催されています
会期:2022年(令和4年)10月1日(土)~10月30日(日)
会場:宮崎県立美術館
瑛九「つばさ」、靉嘔 他
宮崎の県立美術館は多くの瑛九作品を所蔵し、いつ行っても作品を見られる唯一の美術館です。
ときの忘れものは1995年の開廊以来、毎年のように瑛九展を開催し、昨年は9月に「生誕110年 第30回瑛九展 フォト・デッサンと型紙」を開催しました。本年も上述の通り駒込とマイアミで二つの瑛九展の開催します。
亭主は瑛九ご本人には会えませんでしたが、夫人の都さん、兄の杉田正臣さん、同郷の同志・富松昇さん、エスペラント語の教え子だった鈴木素直先生、瑛九の会を組織し瑛九顕彰に尽力した久保貞次郎先生、瀧口修造先生、木水育男先生、原田勇先生、尾崎正教先生、友人の画家・難波田龍起先生、生涯の盟友だったオノサト・トシノブ先生、膨大な資料を集め瑛九の評伝を書かれた山田光春先生など瑛九の周辺の人たちの多くに実際にお会いすることができました。作家とその周囲の人たちを知ることは作品の理解に役立ちますし、なにより会ってもいない作家のリアリティを実感できます。
しかし、これらの方々はいまや鬼籍に入られており、ときの忘れものスタッフたちの多くはお顔すら存じない。亭主が上掲の方々から受けた恩顧を次の世代に引き継ぐことをしていかないとまずいと気づいた次第です。
コロナ禍ではありましたが昨年、宮崎県立美術館で大規模な回顧展が開催されました。
「生誕110年記念 瑛九展-Q Ei 表現のつばさ-」会期:2021年10月23日~12月5日
遠路ではありましたが、スタッフ4人が出張し、担当学芸員小林美紀先生のレクチャーを受け、瑛九作品を学ぶ機会をいただきました。
尾立麗子の内覧会レポート/2021年11月6日ブログ
スタッフMのレポート/2021年12月19日ブログ
スタッフSのレポート/2021年12月26日ブログ。
これからも、瑛九作品との出会いを求めて、若いスタッフたちに各地を行脚してもらいたいと思っています。
■瑛九 Q Ei(1911-1960)
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。1936年フォト・デッサン作品集『眠りの理由』を刊行。1937年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、1951年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。1960年48歳で永逝。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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